
この企画も巻きで進行していきましょう。「オススメ新譜10選」8月編です。うかうかしてるとあっという間に年末、つまりは年間ベストの時期がやってきますからね。今年はなんとしてでも11月までは追いかけたいところです。
さて、各作品の紹介に入る前に、先に断りを入れておきましょう。客観的に8月のリリースを見た時、話題性や注目度、批評的なスコアにおける圧倒的ベストことPhoebie Bridgersの“Lost Weekend”、今回は選外としております。ミーハーだけが取り柄と自負しております私ことピエールですが、たまにあるんですよ。世間の絶賛に全然乗っかれないことが。過去の例だと、2022年の“Motomami”、2024年の“brat”なんかがそれに該当します。
いや、いいアルバムだとは思いますよ。ただ、個人的には2026年にあれを聴いてもそんなにときめかないというか……boygeniusはありましたけど、ソロ名義としてはあの傑作”Punisher”から6年のブランクがあるわけです。いくら2020年代が現状トレンドの変遷に乏しい時代とはいえ、この6年間でインディー・フォークはもういいだけ遊び尽くされたと思うんですよね。これが2022年とかにサラッと出てきたらまだ聴こえ方は違ったんでしょうけど、個人的には「今、これか……」という感覚の方が強かったです。
この企画は主観ベースなので、別に誰かに言い訳する必要もないはないんですがね。8月の新譜レコメンドで触れないのもそれはそれで違和感があったので、最初に説明しておきました。じゃあ、あれだけの絶賛を受けた”Lost Weekend”よりも優先してレコメンドする10枚ってなんなんだよ。それを今から見ていきましょう。
- “Do You See Me?”/Q
- “Black Boy (Alternative)”/Dahi
- “Slapstick”/Kim Doeon
- “Been Thinking About Confession”/Frances Chang
- “Nebular”/Roy Montgomery & Martha Skye Murphy
- “As We Once Were”/The Anchoress
- “Cannonball”/Man/Woman/Chainsaw
- “Before The World Blows”/Erykah Badu & The Alchemist
- “Blue Island”/Ravyn Lenae
- “めぐるつきひに”/Marie Louise
“Do You See Me?”/Q

8月の個人的ベストはこの1枚っきゃないですね。ジャマイカにルーツを持つオルタナティヴR&Bアーティスト、Qで“Do You See Me?”。「ポスト”Blonde”における決定的な1枚」なんてコメントを見かけては、それはもう聴くしかありませんよ。そして事実、ポスト”Blonde”の観点でも限りなく興味深い1枚であり、もっと普遍的に、2026年において最もクリエイティヴなR&Bアルバム(8月時点)でもあったと思います。
ベッドルーム・ポップを経ての奥まったR&Bということで、なるほどポスト”Blonde”というのはその通りですね。それにそもそも、ファルセットやエフェクトを効果的に持ち出すヴォーカル・スタイルにしろ、そもそもの歌声が備えているナイーヴで甘い響きにしろ、シンガーとしてのFrank Oceanとの距離が近いです。ただ、それを踏まえて、Qというアーティストのレンジの幅広さには息を巻くものがありますよ。“my favorite lovr girl”でのジャマイカの血を思わせるビートの感覚、“keep our clothes on”のうっとりするオーセンティックな作曲、“drive me off the wall”でのジャズの導入……”Blonde”がある種「”Blonde”の音」によって完全に支配されているのとは好対照というか、サウンドの多様性についてはかなりオープンな印象を受けます。
その上で生み出される、作品としてのトータリティ。ここがとても興味深いんですよ。多様なのに、カラフルじゃない。15曲45分というコンパクトな設計がアイデアの散乱を防いでいるという側面もあるんでしょうけど、それ以上に我々リスナーの注目から逃れようとするかのようなQのメランコリー、ここに作品の軸があるからこそのような気がしています。象徴的なのがクロージングの“2 shots [thank you]”、柔らかなピアノとともに立ち上がりささやかな幸福と開放的なムードを演出しながら、最後に突如としてブラック・アウトしてしまうじゃないですか。作中最もQが我々に歩み寄る瞬間ですら、その胸中を明かしはしない。同じ内省を踏まえた作品であっても、”Blonde”はその内省を告白するような態度だった一方、Qは徹底してこちらを向いていないような気がします。それは鏡像と向き合う本作のアートワークが暗示しているかのよう。
アルゴリズムの仕業かもしれませんが、リリースから10年経っているというのに未だにほぼ毎日どこかしらで”Blonde”の話題を見かける気がするんですよ。事実それくらいの意義がある作品ですし、現在私もかの作品のディスク・レビューを執筆中なので大いに加担する側ではあるんですが、であるならば本作もマストで聴かれるべきだと思うんですよね。ポスト”Blonde”が今どういう姿をしているのかを知る上で極めて重要な資料でもあり、もっとシンプルな話、Frank Oceanが好きならこのアルバムも漏れなく気に入るはずなので。
“Black Boy (Alternative)”/Dahi

祝!Radiohead来日決定!……ということで、彼等の遺伝子を確かに2026年の今感じられる作品を紹介しましょう。10’sにはKendrick LamarにScHoolboy QといったTDEの関連人物の作品に参加し、時代を代表する名プロデューサーとして頭角を表したDahi。彼のソロ名義として初の作品“Black Boy (Alternative)”です。おいおい、ヒップホップ畑で何がRadioheadだ。そう言いたい気持ちをグッと堪えてぜひ読み進めていただきたいものです。
まずは、本作の客演陣だけで楽しくなれる人も少なからずいるでしょう。それこそKendrick Lamarに始まり、ObongjayarにChildish GambinoにMezとヒップホップのアーティストが多いものの、Moses SumneyやAmber MarkといったどちらかというとR&Bの領域の人物もいますね。ここ10年で何かしら絶賛されたこの面々を呼び寄せている時点で期待値は高まるわけですが……いやはや、まさか“In Rainbowsの”現在形をヒップホップの分野から突きつけるとは思わなんだ。思わず体を痙攣させたくなるリズムの感覚や、そことパラレルに展開される剥き身のアグレッシヴさ、そして超然とした高潔な作品像は、紛れもなくかの名盤と地続きじゃないですか。
そもそもが”Kid A”以降のRadioheadってリズムの面白さを追究していたアーティストなわけで、必然的にヒップホップとの距離感は近くなって然るべき。ただ、それにしたっておよそ20年という時を経てこんなに完璧な応答があろうとはね。Kurtis Wellsとの“The Night”から“Rest Of Your Life”へと繋がる中盤なんて最高ですよ。前者であれば冷ややかなビートが、後者であればぶつ切りにされたピアノとギターが、有機性と無機性を足して2で割って積分したみたいなあの独特の質感をハッキリと捉えていますから。そしてこれは流石の名プロデューサーということでしょう、プロダクションに無駄がなく実にスマート、それでいて情報量は多いという鮮やかな手腕にはちょっとばかし脱帽ですね。
確かこの企画の6月編だったと思うんですが、ヒップホップは改めてロックに接近すればいいんじゃない?みたいな話をしたと思います。そういう私の見立てを補強する作品ではあるんですが、いきなりここまでやってくれとは言ってませんよ。そもそもこの作品をヒップホップとして捉える人はそう多くないんでしょうけど、2026年に至ればジャンルの壁なんてつまらないものは解消されるべきだし、このクオリティでコンテンポラリーなものが作れるならなおさらです。極めて大雑把にビート・ミュージックという括り方をした時、本作は2026年最高レベルの1枚なんですから。
“Slapstick”/Kim Doeon

OPNのソウル公演ではオープニング・アクトも務めたという、今韓国のエレクトロ・シーンでは最もホットな才能の1人がKim Doeon。彼の2ndアルバム“Slapstick”も興味深い作品でした。音楽シーンがボーダレスになればなるだけ、そこに息づく土着性みたいなものが重要になると私は信じているんですが、現代のエレクトロで韓国らしさを演出するとこうなるかという、すごく腹落ちする内容なんですよ。
私が本作を聴いた時に即座に連想したのは初期のYMOなんですよ。エキゾチカの延長線上でエレクトロをやっていた時期ですね。本作のそこかしこで聴こえる「韓国的」なメロディ、言葉にするのが難しいんですけど、大枠では東洋的でありつつも日本の歌謡的なメロディ・センスほど人懐っこくない、やや凛とした気配のあるそれが、紛れもない土着性を生んでいます。“Storm”や“Funny Animals”とかにすごく顕著じゃないでしょうか。この「韓国的」という感覚、私の母方が在日朝鮮人の家系であるために経験的にふわっとキャッチしているものだと思うので、共有するのが難しいんですが……
そして、そういうメロディの部分を楽しめるアルバムでもありつつ、サウンドの面白さでも十分にエキサイティングです。“When The Wind Blows From The East”で感じられるアンビエント~ニュー・エイジ的な柔らかさもあれば、ややユーモラスでさえある飛び道具的な遊び心もあり、“Green And Pink”でひときわ効果的な韓国の伝統楽器を電子化させることで立ち上がるノーブルな品格も個性的だし、おまけに“Walmido Drift”に代表されるDoeon自身のベース・プレイの妙にはグルーヴの観点からも聴き応えがあります。テクスチャそのものは軽いのでさらっと聴けちゃうアルバムではあるんですが、じっくり観察しようとするといろんな物差しを準備する必要がある1枚なんですよ。
私が長らくエレクトロが不得手だった最大の理由が「メロディがないから」というものだったんですが、ロックやポップスに軸足を置くリスナーにとってこの障壁って割とよくあるものだと思っています。だからこそYMOやDaft Punkのようにポップな電子音楽は例外的に人気なんでしょうけど、このアルバムも私のようなポップスの耳でエレクトロを聴く人にこそオススメしたいですね。この企画でちょくちょくエレクトロ関連も扱っていますが、その中でも群を抜いてキャッチーだし、かつエレクトロ・アルバムの魅力もしっかり伝わってくる作品なので。
“Been Thinking About Confession”/Frances Chang

NYベースの女性SSW(アートの世界でも活躍している、多彩な人物のようです)、Frances Changで“been thinking about confession”。X上で「コペンハーゲンのインディー・シーンが好きな人はぜひ」といったレコメンドを見かけまして、であれば聴くべきだろうと思いチェックしました。確かに、その美しさの性質においてコペンハーゲン・シーンと共鳴するところの多々ある、素晴らしく繊細で不安定、そして吸い込まれそうになる名盤でしたね。
まずはサウンドの澄み切った響きに意識が向きます。基軸となるのはピアノなんですが、ドラム・マシンのビートの冷たさ、ネオ・クラシカル的なストリングスの嫋やかさ、エレクトロの朝霧のような曖昧さ、彼女自身の歌声が醸す穏やかさと、そこに重ねられるサウンドの質感は多岐にわたります。それも、決して多様な要素でもって塗り固めて統一感のある色彩を生むのではなく、柔らかいものは柔らかいまま、硬いものは硬いままといった具合に、音のテクスチャを保存しながらそのバランスで特有の緊張感を引き出しているのが全く鮮やか。“No Avatar”での、ビートと肉声とストリングスの掛け合う様なんて絶妙だと思います。世界観に反して実にスリリングでしょう?
そういう精緻な音楽作品というだけで本作を評価してもいいんですが、加えてFrances Changというシンガー・ソングライターが持つ親しみにもぜひ言及すべきでしょうね。その他のサウンドとの対比によっていっそう引き立つこの性質が、作品と聴き手の距離感を見事に近付けています。フィールドレコーディングも交えて、ストリングスの厳かさと共に歌う“That Night”はその最たる例だし、先に触れた緊張感の中でそれを味わうなら“Is Affect Real?”や“Midnight In The Garden”なんて楽曲がとりわけ見事。ある種不安定な作品像の中で親密さを描き出す、それこそコペンハーゲンのシーンでたびたび聴こえてくる手法ですよ。
総じて、今面白いインディー・ポップってどんなの?と尋ねられたとき、5月編で紹介したA Good Yearの”Play”とともに、すっと差し出すに足る1枚だと思います。彼女がEscho周辺のサウンドを意識したのか、あるいは偶然の近似なのかはちょっと調べがつかなかったんですが、サウス・ロンドンの熱量がチリに輸入され、気づけばとんでもない活況を生んでいる現代において、コペンハーゲンとNYの共鳴なんてのは実はごく自然なことなのかもしれません。
“Nebular”/Roy Montgomery & Martha Skye Murphy

所変わって、こちらはイギリスの才女による作品です。女優としてのキャリアを持ちながら、Squidとの共演歴もあり、2年前にリリースしたソロ・アルバム“Um”もすこぶる名作でしたMartha Skye Murphy。彼女がニュージーランドのギタリスト/ドローン・アーティスト Roy Montgomeryとの共作として発表したのが、この“Nebular”です。名門レーベル AD 93からのリリースというのも興味をそそられましたし、まずもってタイトルがカックイイじゃないですか。
そしていざ聴いてみれば、「星雲の」という言葉が実に抽象的かつ的確に本作を捉えていることに気付かされますね。ジャンルで語るならアンビエント・フォークになるのかなと思いつつ、ギターの音色にしろ、Murphyの歌声にしろ、ドラマチックなストリングスやアンビエンスな電子音にしろ、全てがどこまでも神秘的に、そして厳かに拡張していきます。まさに宇宙の広大さ、そこに潜む畏れを描出した作品と言えそうです。42分というラン・タイムは決して長すぎはしないものの、どこかで決着することもなく延々とサウンドが発散していく様は、思わず無限に続くのではないかと錯覚するほどだし、その錯覚が事実であってほしいと思えるくらいに見事なサウンドですよ。
もう少し具体的にこのアルバムを見定めるのであれば、Cocteau Twinsの名前を出すのが適切かもしれませんね。近年最も参照されるアーティストの1組でもあるわけですが、ここまでダイレクトにその美学を継承している作品もなかなかないでしょう。あの甘やかで幻想的な世界観を極限まで拡大し、ドローン・ミュージックの手心によって永遠に持続させる……そんな1枚ですから。それに、Murphyの歌声がいい仕事をしてるんですよ。いわゆるメロディみたいなものは本作においてほぼ存在しないんですが、”Um”でも感じられたゾッとするような冷たさと甘さの共存が実に映えている。“The Play Of Light And Dark”の後半部における歌唱なんて見事ですよ。
こういう作品を聴くにつけ、ヴォーカルという要素の持つ特殊性は凄まじいものがあるなと思い知らされます。アンビエントやドローン・ミュージックにあまり抗体のない私が一撃でハマれたのは、本作において肉声が大きな役割を担っている部分が大きいでしょうから。今回紹介する10枚の中では最も難解な作品だとは思うんですが、それこそCocteau Twins的なドリーム・ポップの延長線上で聴こうとするとよいのかもしれません。ポップ……かどうかはさておき、間違いなくドリーミーではあるのでね。
“As We Once Were”/The Anchoress

引き続きイギリスの才女を。Catherine Anne Daviesのソロ・プロジェクト The Anchoressで“As We Once Were”です。彼女は個人的に思い入れが強くてですね。新譜をチェックするという習慣が今ほどなかった2021年に、彼女の前作にあたる“The Art Of Losing”という作品を聴いて、「なんだ、俺って今の音楽も全然楽しめるんじゃん!」と気づけたんですよ。そういう愛着もあって今回のアルバムも楽しみにしていたんですが、期待に応えてくれる内容だったと思います。
作品としてはアート・ポップとして紹介するのが妥当だと思うんですが、何がいいってその大袈裟さですよね。どこか芝居がかった表現力でぐいぐい作品に引き込むわざとらしさが魅力です。連想されるのは、彼女にとってのディーヴァでもありますKate Bush。そして本作の前半はシンセ・ポップに接近した作風にもなっているので、なおさらKate Bushとの類似性をはっきり聴き取ることができると思います。彼女も彼女で長らく再評価の流れが続いていますが、それはただの「ストレンジャー・シングス」効果だけでない、こういう後進のアーティストからのメンションというのも当然要因として大きいことはこの機に主張しておきたいものです。
少し話が逸れました。本作最大の聴きどころは、6曲目からフィナーレにかけてのコンセプチュアルな運びでしょうね。ここでは序盤に聴こえたシンセ・サウンドがかなり控えめで、オーセンティックなチェンバー・ポップの要素も持ち出し、“All I Really Want Is Peace”や“Stop The World”のような誠実なバラードに象徴されるロマンチックでドラマチックな世界観を優雅に紡いでいきます。それに、愛娘や祖母の肉声がエフェクトとしてしばしば登場するんですが、これが作品にスピリチュアルな深みを与えてもいますね。彼女の歌声がどちらかというとダークな成分が強めなところを、母性や慈愛という要素を外付けすることで上手く作品のカラーと馴染ませることに成功していると感じます。
惜しむらくは、この中盤~後半の展開が見事なだけに、なんで作品の途中から唐突に始めたのかがイマイチ分からないという点ですかね。シンセ・ポップのパートをばっさりカットして、その代わりもう少し曲を足して40分台前半くらいでまとめてくれたら……というのは正直思わないではないです。いや、それだとありきたりすぎるか……失礼、最後にちょっとネガティヴなことを書いてしまいましたが、そういう要素を込みにしても8月の10枚に選べるくらいの内容であることは事実ですので、アート・ポップ、プログレッシヴ・ポップに興味を引かれるという方はぜひ聴いていただきたいです。
“Cannonball”/Man/Woman/Chainsaw

7月〜8月くらいから、UK〜アイルランド方面の若いインディー・バンドがなかなかに気を吐いております。その中でも個人的にイチオシがこちらのMan/Woman/Chainsaw。ロンドンで結成された6人組バンドです。まだ20歳前後くらいらしく、アーティスト写真やインタビューのトーンを見てもなかなかフレッシュで少しクラっときてしまう部分はあるんですが、初となるフル・レングス“Cannonball”はそんなイメージとかなりギャップのある、若手バンドとしては破格のクオリティでした。
メンバーのうち3人がヴォーカルを担当するという、古くにはThe Beatles、最近だと新体制以降のBC,NRにも通ずるスタイルが特徴ですね。あるいはサウンド面では、ヴァイオリニストがメンバーにいることでストリングスの高級感を標準搭載しているのがユニーク。そして、そういうフォームから繰り出す楽曲はそれ以上に個性的ですよ。やはりヴァイオリンから連想されるチェンバー・ポップ的な要素もありつつ、時に大仰なシンセ・ポップがあったり、それこそサウス・ロンドン・スタイルの狂気の発露だってお手のもの。作曲クレジットを見る限りバンドとしての共作となっているんですが、メンバーそれぞれの個性を上手く落とし込んでいるんでしょうね。
全編通じて作曲のポテンシャルは並々ならぬものを感じさせますが、とりわけアルバム後半が痛快です。本作で最も大きなスケールで歌い上げる“Snakebite”(なかなかに壮大なこの曲を2分程度にまとめているのもすごい!)から、唐突にDavid Bowieみたいな嘘臭いダンディズムを振り撒く“Flick Of The Wrist”へ、そして男臭いヘヴィネスに女性コーラスとヴァイオリンが付いて回ることで独特の華やかさを纏った“The Things”まで。この破茶滅茶な雑多さを流麗なロック・アルバムに纏めてしまう力量、個人的にはあのQueenの名盤“A Night At The Opera”をすら彷彿とさせられました(思えばQueenも複数メンバーがヴォーカルを取りますね)。そんなことを1stフルでやってしまうなんて、ちょっと底が知れません。
数年前、The Last Dinner Partyの1stが出たタイミングで、「そうそう、ロックってこれくらいゴテゴテしててもいいよね!」と思い出したものですが、そこに続く流れがあまり聴こえてこず。少しばかり残念だったんですけど、20’sのUKロックの文脈をしっかり汲んだ上でこういうスケール感のアルバムが出てきたのは実に歓迎すべきことだと思います。そのスケールを持て余している感もないし、それどころか本当に6人で和気藹々と作った結果こうなりましたみたいなバンドの温もりすら感じられる。これは今年のロック・シーン最高の収穫の1つだと思いますよ。
“Before The World Blows”/Erykah Badu & The Alchemist

Jill Scottのすこぶるパワフルな新譜”To Whom This May Concern”に驚かされたのが今年の2月のこと。そこから半年後に、Scottと並びネオ・ソウルを牽引した最重要アーティストの1人でありますErykah Baduも貫禄を見せつけてくれました。なんでも16年ぶりのスタジオ・アルバムらしいんですが、なんとあのThe Alchemistとのコラボレーション“Before The World Blows”です。このタッグ、ミレニアム近辺のブラック・ミュージックのファンであればそれだけで大興奮ですよ。
作品の内容も、この期待に十二分に応えるものでした。剥き出しの鉄骨を思わせるストイックなビートに対し、エレガントなピアノや官能的なベース、時にKamasi Washingtonのふくよかなサックスまでを取り込んで生み出されるトラックはどれも素晴らしい仕上がりです。そして抑制されたトーンの中でも、様々なテイストを提供するThe Alchemistの巧者ぶりが光っているじゃないですか。個人的には本作でも例外的にゴキゲンなナンバー“Breezy”がフェイバリットなんですが、そこから一気に電子音が乱反射しアブストラクトに歪んでいく“Abracadabra”、そしてSteve Lacyが客演した正統派ネオ・ソウル“To The Moon (Pan C)”へと淀みなく流れる展開には唸りましたよ。
そして、これだけトラックが練り上げられているからこそ、その全てをたやすく掌握し、ごくナチュラルに身に纏ってしまうErykah Baduのシンガーとしての度量の深さに改めて驚かされました。例えば“Love Me Not”ではトラックの低い重心にそっと寄り添った囁くような歌声を披露しているし、かと思えばEarl Sweatshirtが参加した“I Know That Man”なんかを聴くと、彼のくぐもったラップを包み込むようにソウルフルに歌い上げてもいる。もちろんトーキング・スタイルだってお手の物ですよ。それこそJill Scott的なパワーともベクトルの違う、実に巧みな歌唱の数々を楽しむことができます。
そうそう、本作はここまでに名前が上がったKamasi WashingtonやSteve Lacy、Earl Sweatshirtの他、ThundercatやWestside Gunnも参加しています。Dahiの客演も大概豪華でしたけど、こっちはもう現代ブラック・ミュージックの重要人物が揃い踏みといった具合ですね。この2人の才能が現代にまでダイレクトに影響を与えているということの動かぬ証拠です。それとこれは余談ですが、D’Angeloの訃報以降にネオ・ソウルの偉人たちが続々とシーンに帰還しているのは単なる偶然なんでしょうか?それぞれに思うところがあるような気もしちゃいますし、もしそうならそろそろLauryn Hillにもやる気を出してもらいたい……
“Blue Island”/Ravyn Lenae

ソウル繋がりでもう1枚。ここまでオーバーグラウンドっぽい作品を扱うの、Olivia Rodrigo以来じゃないでしょうか。ただ、どこまでいっても私はミーハーだし、上質なポップスに目がないので、こういう作品を紹介できるのは勝手にテンションが上がります。Sminoらも参加するコレクティヴ Zero Fatigueの一員でもあり、前作“Bird’s Eye”およびシングル“Love Me Not”のヒットで一躍メジャー・シーンでも注目の的となった女性アーティスト Ravyn Lenaeで“Blue Island”です。
00’sのヒット・チャートを思い出させるようなメロディ・センスとキャンディのように甘い彼女の歌声、それに開放的かつちょっぴりセンチメンタルという如何にも夏向けのテイスト。聴く人によっては少々コテコテすぎると感じるかもしれませんが、個人的にはちょうどいい塩梅ですね。ダンスフロア仕様にブーストされたビートに鋭いギターを添えたオープナーの“Handle”、Dominic Fikeとのアコースティック・ナンバー“Reputation”、そしてDoechiiが客演したセクシーでメロウなR&B“babygirl”と、楽曲の多彩さがしっかりとあるので、くどさを感じる前にそれらをエンタメ感に上手く書き換えているような感覚があります。
そして”Handle”で感じられたダンスフロア仕様というのが、本作のキーの1つじゃないでしょうか。クラクラするハイファイぶりでもってハイ・スピードで踊らせる“In & Out”であるとか、金属的なビートが跳ねる正統派のクラブ・ナンバー“Saturday Night”、極めつけはイントロがテクノ/ハウスの古典を思わせる“Wish You Well”と、ダンス・ミュージックへの意識が強く主張されているんですよね。ここもやはり、メロディの甘ったるさを上手く中和させている見事な采配だと思います。メロディの濃度を落とさずに別の味つけでバランスを取るというのは、強引ではあるものの上手いですよ。
80’sリバイバル以降の質感も随所に発見できる部分も含め、2026年の新譜としてフレッシュかと聞かれるとそんなことはきっとないんでしょう。ただ、単純にポップスとしてよく練られているし、前作と比較すれば格段に野心的なサウンドでもあり、何よりその上でメロディ自体は一貫してドストレートという正直さにすごく好感を持てます。いわゆる「洋楽黄金期」のポップ・スターが見せた力技を思い出させるような、そんな気合の入ったポップ・アルバムじゃないかなと。
“めぐるつきひに”/Marie Louise

8月は国内でも話題作が諸々ありましたが、個人的にレコメンドしたいのはこれです。京都にて結成、現在は東京を拠点に活動するスロウコア・バンド Marie Louiseのフル・アルバム“めぐるつきひに”。スロウコア、あるいはシューゲイズ的な国産インディーというのも大概食傷気味ではありますが、これはよかったですね。タイトルの通り、1月から12月まで、1年の巡りを1時間かけてじっくりと描き切るなかなかの大作です。
12のトラックにはそれぞれ月の名前が冠されているわけですが、そこにあからさまな季節感というのはそう強くは反映されていません。“3月はようすをみる”では冒頭に小鳥の囀りが挿入されていて一瞬麗らかに感じられるものの、轟音のギターであっという間に穏やかさは剥ぎ取られるのがニヤリとさせられます。どちらかというと、それぞれの季節の中にある個人の感傷が描かれている作品です。静かに、そして淋しげに歌われるアコースティック・ナンバー“7月にたのしむ”がそうした側面をよく表しています。独特の丸みと存在感を帯びた、カネコアヤノの系譜にあるヴォーカルが、そうした内向きのストーリーテリングに非常に適しているのも趣深いですね。
ヴォーカルの話から延長すると、歌モノとしての強度がある、きちんと曲を書けているのもいいですよ。サッドコアなんかを参照する以上、音数で勝負というスタイルにはならないところを、ヴォーカル・メロディの素朴さと芯の強さで聴かせてくれます。kurayamisakaやTrooper Saluteが時代の寵児となるような、現代の国内インディー・シーンの温度感に即した作曲ぶりではないでしょうか。そしてもちろん、バンド・サウンドも面白い。ぎょっとするノイズをぶちかますこともあるし、“9月にかりをして”でのギター/ベース/ドラムの立体的なアンサンブルもスリリングです。録音も生々しくて、ライヴで体験したくなる(リリース・ツアーをやってるみたいです。行きたい。)タイプの鳴り方をしています。
名前を挙げたカネコアヤノにしろkurayamisakaにしろTrooper Saluteにしろ、もう「みんな大好き」と言っちゃっていいレベルの地位を築いているアーティストだと思うんですが、そことの繋がりを感じさせる本作がイマイチ話題になっていないのはなんとももったいないですね。最初に書いた通り、この手のバンド自体は日本中のライヴハウスにわんさかいるでしょうけど、曲のよさという普遍的な要素でしっかり差別化も図れているんですから。もうちょっと騒がれてもいいと思うんですが、どうでしょう?

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