
※本稿は必ずしもUNISON SQUARE GARDENの音楽性だけにフォーカスした投稿ではありません。彼らの音楽に関する文章は、栄えある20周年に寄せて過去に投稿しておりますので、そちらもよろしければご一読ください。
今日、2026年7月15日。UNISON SQUARE GARDENが「UNISON SQUARE GARDEN LIVE 2026「Sentimental Period」」を開催します。このライヴをもってドラマーの鈴木貴雄が脱退、バンドは22年にわたる活動に1つのピリオドを打ち、活動休止に入ることになります。
思えば、UNISON SQUARE GARDENは不思議なバンドです。「UNISON SQUARE GARDENはテクニカルなバンドだ」、よくわかります。”Phantom Joke”のような楽曲をいとも容易く乗りこなすバンドはそういないでしょうから。「UNISON SQUARE GARDENはキャッチーなバンドだ」、よくわかります。”君の瞳に恋してない”のように、瑞々しくポップな曲をいくつも擁していますから。ただ、どちらもUNISON SQUARE GARDENのある側面に対する説明にすぎません。「UNISON SQUARE GARDENとはなんだったのか?」という問いを立てた場合、この2つの回答ではせいぜい部分点がもらえる程度でしょう。10点満点には程遠い。
そもそも、バンドの頭脳でありほぼ全ての楽曲で作詞作曲を担うベーシスト、田淵智也が極めて特異的なコンポーザーです。シーンやジャンルで語ることが非常に困難で、影響元も判然としません。彼がリスペクトを公言しているバンドにはthe pillowsや↑THE HIGH-LOWS↓がありますが、音楽性において全く共通点が聴こえてこないのです。the pillowsについては露骨なオマージュ”RUNNERS HIGH REPRISE”や”NAKED SHUFFLE”のパロディを冒頭に配した”MIDNIGHT JUNGLE”等の例を挙げることはできますが、これらが田淵智也の本質ではないのもまた事実。
そんな彼の、一聴すればそれとわかる、強烈な記名性を有した作曲。その特徴を書き連ねるのなら、
- シンコペーションを多用する高BPMのリズム
- 引き算のない、単位時間あたりの情報量が多いアレンジメント
- キーが高く音程の移動が激しい、ハイカロリーなメロディ
- 言葉数が多く、語感のよさを優先する独特の作詞
と、大雑把にこの4点になるかと思います。これらはいずれもアニソンの個性と合致しますし、事実バンドとして、そして楽曲提供でも田淵智也は優れたアニソンをいくつも発表しています。しかしながら、こうした特色はいずれもライヴでの再現性を考慮しない、ロック・バンドとしてはかなり無茶をした設計であることもまた事実。田淵智也は極めてエゴイスティックなバンド・マンである、そう換言してもあるいはいいでしょう。
UNISON SQUARE GARDENのディスコグラフィを振り返りながら、そのエゴイズムを確認してみます。キャリア最初期の重要レパートリーでも聴き取れた田淵智也の「型」は、”オリオンをなぞる”の成功によって確立。その正統進化として”桜のあと(all quartets lead to the ?)”を位置づけることができますが、そこで完成を見るどころかさらなるアジリティと過密さを追求した”10% roll, 10% romance”へとひた走り、ついにはテクニックの観点からは最高到達点である先述の”Phantom Joke”へと至ります。
こうしたシングル表題曲以外であっても、”ため息 shooting the MOON”や”フィクションフリーククライシス”、”アンチ・トレンディ・クラブ”のように忙しない楽曲には枚挙に暇がありません。また、ヴォーカリゼーションにおいては”世界はファンシー”や”オトノバ中間試験”といった楽曲は実にハードですし、”放課後マリアージュ”や”夏影テールライト”で聴くことのできるコーラス・ワークも、全くもって3ピースの出力とは思えません。
これらの、全くもって出自不明でミュータント的な音楽性。その一切は、ひとえに田淵智也という音楽家のエゴによるところです。そのエゴに常に110%で応え続けた斎藤宏介と鈴木貴雄の存在は、やはり極めて巨大でした。UNISON SQUARE GARDENが田淵智也のソロ・プロジェクトに成り下がることなく、徹頭徹尾ロック・バンドであり続けることができたのは、この2人の貢献があまりにも大きい。Led Zeppelinやナンバーガールがそうであったように、UNISON SQUARE GARDENは極めて属人的なバンドなのです。それゆえに、今回の脱退の報はあまりに致命的なのですが。
さて、その属人性をもって、しかし UNISON SQUARE GARDENはポップであり続けます。田淵智也が書き、斎藤宏介が歌うメロディこそがどこまでいっても中心にあります。これもやはり”オリオンをなぞる”や”桜のあと”に象徴されますし、ここでは”Invisible Sensation”や”春が来てぼくら”を例に挙げてもいいでしょう。あれほどの技巧を有しておきながら、J-Pop的/歌謡的な「歌」の文化のうちに彼らはいる。
ここで誤解を招かぬように補足しておくと、彼らにとってのポップはカラオケや大型フェスでのシンガロング的な意味でのインスタントな代物ではありません。先に書いた田淵智也の作曲の個性にもある通り、彼の書くメロディは気軽に口ずさめるものでは到底ないのですから。歌詞においてもそうです。一聴じゃ難解なんてことを、彼らは盛大に鳴らしてきました。”ああ 迷子のため息.com ともすれば皮肉の坩堝”などという歌詞、そうあるものではありませんから。
余談ですが、私はこの点にこそ、田淵智也が敬愛してやまないthe pillowsとの共通項を見ています。山中さわおも、実にいい曲を書きます。実にいい歌詞を書きます。しかしそれは、決して大衆に届かない。届けようともしていなかったでしょう。かつて山中さわおが苦言を呈したように、田淵智也のソングライティングそのものにthe pillowsの影響は決して大きく感じられはしませんが、「自分自身にとってのポップスを鳴らす」という矜持を、彼は継承しているのでしょう(彼が赤い公園の津野米咲をリスペクトしているのも、きっと同様の理由のはずです)。
閑話休題、比類なきテクニックでポップを追求し続けた彼らですが、一般的な評価軸において重要な観点である音楽性のレンジについては決して広くありません。その特異な「歌」を軸としつつ、マイナー調のソリッドな方向(≒ロック)へ傾くか、ハッピーなムードや4つ打ちのビート(≒ポップ)を導入するか。そこにミドル・チューン〜バラードを加えて、この4種にUNISON SQUARE GARDENの楽曲は大別することが可能です。乱暴に、そして最大限の称賛を込めて言ってしまえば、UNISON SQUARE GARDENの音楽性は”シャンデリア・ワルツ”たった1曲で説明できてしいまいます。
裏返せば、他ジャンルへの接近やトレンドを反映したアプローチは希薄と言っていいでしょう。無論、グランジ調の”Own Civilization (nano-mile met)”やシティ・ポップ風の”City Peel”といった反論材料がありはするものの、それ自体が彼等にとってはある種曲芸めいた、意外性を演出するための舞台装置的な引用といった趣があります。これらの曲を聴いても、「今のUNISON SQUARE GARDENはグランジのモードなのだ!」とも、「シティ・ポップをやりたがっている!」とも、全く思えない。先に触れた、「歌」という軸への確固たる信頼感があるからです。その軸を逸脱することはUNISON SQUARE GARDENに限ってはあり得ないし、事実としてこの22年間、それは一度だってなかったと断言できましょう。
その意固地な信念を持ちながら、あるいは持つからこそ、UNISON SQUARE GARDENは極めてクレバーでした。バンドにとって大きな転機となった『CIDER ROAD』以降のアルバム・ワークに、そのクレバーさが顕著に認められます。”オリオンをなぞる”および本楽曲を収録した『Populus Populus』での手応えを踏まえ、バンド外のサウンドも積極的に導入しポップネスをとことんまで追い求めた『CIDER ROAD』、そしてその反動としてソリッドなバンド・アンサンブルに主眼を置いた次作『Cather In The Spy』という対比は実にあからさまですし、”シュガーソングとビターステップ”でのスマッシュ・ヒットに振り回されることを拒むように一癖も二癖もある『Dr. Izzy』を発表し、であれば今度はド派手にポップスを振りかざした『MODE MOOD MODE』という軌跡にしても、疑いようのない作為があります。
「どこを晒して、どこを隠すか」という手心によって、軸を揺るがすことなくディスコグラフィを豊かにする。あくまでアルバム・ワークを1つのタームとして進行するバンドのスタイルも踏まえ(これはある程度私の贔屓目ではありますが)、極めて信頼できる手口です。さあ、ここで「歌」という軸に対するものと同じく、「信頼」という表現が登場しました。ここにこそ、UNISON SQUARE GARDENの本質を知る鍵があるのではないかと私は睨んでいます。
少し昔話をしましょう。一昔前まで「ロック・バンドがアニソンをやる」というのは、硬派を気取るリスナーの間では軽蔑の対象でした。今でこそアニメとのタイアップは天下のMrs. GREEN APPLEですら常套するヒットの方程式ですが、「アニソンバンド」という言い回しはほんの10数年前までは一定以上の揶揄を含んだものとして使われていたように思います。その中にあって、「TIGER&BUNNY」のオープニング”オリオンをなぞる”で浮上のきっかけを掴み、以降のべ4(+1)曲にわたる蜜月関係を築いたほか、最大のヒットもやはりアニメ「血界戦線」のエンディング”シュガーソングとビターステップ”であるUNISON SQUARE GARDENは、紛れもなく「アニソンバンド」でした。
そのレッテルに対し、UNISON SQUARE GARDENがどのような回答を示したか?例えばアニソンを表題曲に据えたシングル。「アニメに魂を売ったか!」という誹りを受けかねないリリース、そのカップリングで彼等は盛大にふざけてみせます。シングル『リニアブルーを聴きながら』における”ラブソングは突然に~what is the name of that mystery?”、シングル『春が来てぼくら』における”Micro Paradiso!”のような、如何にもロック・バンドらしい茶目っ気や隙(もちろん、同時に恐ろしくポップでもあるのですが)を挟み込むことで、リスナーからの信頼を裏切ることを鮮やかに回避します。
あるいは、ほぼ断続的に行われるライヴ活動。”シュガーソングとビターステップ”のヒットへの斜に構えた回答である『Dr.Izzy』のリリース・ツアーはバンド史上最大規模での開催でしたが、各地域の大会場で派手にやるのではなく、全国各地のライヴハウスやホールを小刻みに回る、話題のバンドらしからぬドサ回り的なスケジュールでした。「ロックバンドのやることなんて曲作ってライブやるだけしかない」(「小生田淵がよく喋る2016年7月」より引用)と豪語するに足る、ヒットに浮かれていないことを証明するような立ち回りだったと今でも思います。
「目立つシングルが出るから、マニアックなファンを喜ばせるような曲も出す」、「お茶の間の人気者になれるタイミングだからこそ、ワンマン・ツアーを大事にする」、言葉にすればなんとも当たり前に思えます。ですがUNISON SQUARE GARDENは、その当たり前をバカがつくほど真面目にやりとげました。売れ線にも走らず、必要以上のメディア露出もせず、ファンとも馴れ合わず、です。ちょうどいい温度感で、UNISON SQUARE GARDEN(ここでのそれは、ニアリーイコール田淵智也ではあるのですが)におけるロック・バンドの美学を完遂する。これはもはや音楽性や制作のアプローチの域を越えた、ロック・バンドの存在そのものへの信頼を勝ち取るには十分すぎる誠実さではないでしょうか。そしてその結実を、2年前の日本武道館でしかと目撃したはずです。
誰がなんと言おうと、たとえ田淵智也その人が否定しようと、UNISON SQUARE GARDENは22年間ロック・バンドでした。「ロックバンドは、正しくない」とは言わせません。ロックバンドは、やっぱり正しい。それは今日までの8027日についても、明日からも、多分死ぬまで、ずっとそうです。そう確信させるだけのことを、UNISON SQUARE GARDENはなしとげたのですから。
これらを踏まえて、冒頭の問いに今一度向き合いましょう。「UNISON SQUARE GARDENとはなんだったのか?」、私の答えはこうです。「UNISON SQUARE GARDENは、信頼できるバンドだ」。その信頼に足るライヴを目撃することを、今はただ楽しみにしたいと思います。


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