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ピエールの選ぶ「2023年オススメ新譜10選」1月編

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ご無沙汰しております。昨年このブログでは「オススメ新譜5選」という企画を週刊でお送りしていました。

ただ定期的にお越しの方はわかると思うんですけど、7月くらいから驚異的なサボりっぷりだったんですよね。生活リズムの変化だったりなんだったり、まあ言い訳はできないでもないんですけど。個人的な2022年の反省点であることは紛れもない事実です。

で。ちょっと2023年はスタイルを変えて新譜レコメンド企画をやっていこうかなと。投稿ペースをウィークリーからマンスリーに変更します。流石に1ヶ月も準備期間があれば諸々の調整もできるでしょうしね。それに週刊だとどうしても手が回らない部分もありましたし、読者の方からも「もう少しペースダウンしてくれた方が腰を据えて聴くことができる」というご意見をいただいてましたのでね。

ただ、ここは意地なんですけど、マンスリー企画に変えた以上前と同じボリューム感にはしたくない。5枚というのは1ヶ月を振り返るにはあまりに枠が狭すぎます。ということで、毎月10枚の新譜をレコメンド。しばらくはこの形式でやっていきます。よろしければお付き合いください。

あともう1つだけ。これから紹介していく10枚に、とりわけ順位を設定している訳ではありません。私の中でざっくりした序列がないでもないんですけど、カチッとしたランキングは年末まで取っておきたいのでね。(そういう訳で、今年からは上半期ベストもやりません。アレやっちゃうと、年間ベスト作成の際にバイアスがかかっちゃう感覚もありましたし)なんとなく書きやすい流れで、思いつくままに順不同でいこうと思います。

さて、そろそろ本題に移りましょう。2023年も早いもので1/12が終わってしまいましたが、1月の注目リリースを追っていきます。

“After The Magic”/Parannoul

북극성

2021年に“To See The Next Part Of The Dream”をリリースし、世界中の捻くれた音楽リスナーに衝撃を与えた韓国の宅録アーティストParannoul。私も年間ランキングで2位に選出しました。以降も精力的に活動していましたが、この“After The Magic”は彼のカタログにとってエポックメイキングな傑作に仕上がっています。

というのも、これまでの彼の音像というのはシューゲイズとエモのクロスオーバーだったんですよ。衝動的な轟音と危うげで繊細な筆致を織り交ぜることで、若さゆえの脆さみたいなものを素晴らしい解像度で表現していた。そこのところが、オルタナ/インディーに好意的なリスナーからの支持を集めた要因でもあったんですが。

ところがどっこい、今作はそうじゃない。印象としてはものすごく優しい、温もりを感じさせるタッチですね。シューゲイズ的な意匠は当然随所に感じられるんですが、エモの要素がグッと退行しています。そうなると当然衝動性は希薄になる訳ですが、これまでの心象風景から一歩飛び出て、希望肯定感、そういったキャラクターを感じさせてくれます。このドラマ性があまりに胸を打つんですよ。

それに、これまではギター・ドリブンのロック・アンサンブル、そしてデジタルなサウンドがPrannoulの構成要素でしたけど、今作ではストリングスやピアノを大々的に導入し、ベッドルーム・ポップのような個人的表現の嫋やかさをも獲得しています。あくまで一貫して個人的な音楽ではありますけど、だからこそこの変化にPrannoulの見据える景色の変遷が刻み込まれている。これまでのエモの成分こそ薄れましたが、真にエモーショナルな音楽はむしろ本作の方なんじゃないかな。

“Let’s Start Here.”/Lil Yachty

Lil Yachty – the BLACK seminole. (Official Audio)

歓迎すべき方向性の変化でいえば、Parannoul以上にこっちかもしれません。少なくとも話題性でいうと1月最大の注目株はこの1枚だったでしょうね。トラップ・ラッパーLil Yachty“Let’s Start Here.”です。

多分去年のどこかしらでブログにも書いたんですけど、個人的にトラップってあんまり得意じゃないんですよね。怒られるかもしれませんけど、どうにも私には紋切り型のスタイルに思えてしまって。そういう事情があったので、正直リリースされても聴く気にはなれていませんでした。そんな中、Twitter上で「おいおい、ヨッティが急にサイケになったぞ」なんて要領の得ないコメントを見かけまして。

そんな馬鹿な、と思うじゃないですか。あるいは、サイケといってもこれまでの彼のトラップ/ポップ・ラップ的な大衆的アピールに比べればわずかにエッジィな挑戦を取り入れただけ。そんな風に斜に構えて聴いてみたんですが……いやあ、驚きましたね。だってやってること、まるっきりPink Floydなんですもん。

もう1曲目の“the BLACK seminole”からノック・アウトですよね。不穏なSEで這いずるように幕を開け、もったりとしたドラムに導かれてダークな世界観が神秘的に広がり、哀愁をこれでもかと滲ませたギター・ソロをフィーチャー。かの名盤『狂気』を明確に意識したであろうサウンドスケープです。しかもこれがアルバム全編で持続するんだな。Yachty本人がリリース前に明言していたように、「ラップ・アルバム」では断じてありません。

これまでの彼を支持していたヒップホップ・ファンにこの作品がどう受け止められるのか、私にはちょっと想像つきませんね。ただサイケ大好きな私にとっては大好物ですし、チャレンジングな舵取りをしっかりクオリティを伴って成立させているのはお見事。初めて聴いた時は当惑の方が強かったですが、何度か聴けば文句なく優れた作品だと確信できました。

“RUSH !”/Måneskin

Måneskin – GOSSIP ft. Tom Morello

話題作つながりでこっちもいきましょう。まあ、これはもっと大衆的な騒がれ方でしたけどね。イタリア発、今世界で最もホットなロック・バンドことMåneskin待望のニュー・アルバム“RUSH !”

ユーロビジョン優勝からじわじわと認知度を高め、Tik Tokバズ経由で国際的にヒット。ここ日本では昨年のSUMMER SONICでのパフォーマンスが絶賛されてもいましたね。この追い風の中で満を持してリリースされた今作、ここで彼らがどういう方向に向かうかが見えてくると思っていたんですが。いやはや期待したままの路線でした。それでいて、完成度は正直なところ期待以上!

基本的に彼らの音楽性としてはガレージ・ロック・リバイバル通過後のタイトでソリッドなギター・ロックなんですよ。リズムの硬さでいうとThe White Stripesが一番イメージとしては近いでしょうか。それでいて、Mick JaggarかFreddie Mercuryかという挑発的で妖しげなカリスマを振りまくというのがMåneskinの面白さ。そこのところが一切ブレることなく、期待の新人が陥りがちな「チャート意識先行」になっていない。だって本作唯一のゲスト・アクト、あのTom Morelloですからね。ロック・バンドとしての生意気さが痛快じゃないですか。

アルバム自体は50分越えという、想定よりはボリューミーなものではあったんですが、次々に楽曲を畳み掛けるスリリングな構造で間延びしないのがよかったです。それに“IF NOT FOR YOU”“IL DONO DELLA VITA”のようなロック・バラードも収録することで、殊の外バラエティに富んだ印象にもなっていてね。クラシック・ロックにありがちなバラードの役割なんですけど、これがまた個人的にツボです。

この徹底的な「ロック・アルバム」が世界的にヒットしているのがもう痛烈ですよ。ついでに各種批評媒体では絶賛大苦戦というのもね。そんなのなんの問題でもありません、だってそれは遥か50年前にQueenが通った道だから。ただのハイプとは訳が違う、しっかりとロックの情熱と若気の至りを閉じ込めたエネルギッシュな名作ですよ。

“Gigi’s Recovery”/The Murder Capital

The Murder Capital – Return My Head (Official Video)

洋楽ロックとしてはこれもかなり評価高かったですね。アイルランドはダブリンを拠点とするポストパンク・バンド、The Murder Capitalの2nd“Gigi’s Recovery”です。

ポストパンクの新譜となると、ここ2年くらいでにわかに盛り上がっているサウス・ロンドンのバンド群が連想される人も多いんじゃないかと思うんですけども。black midiだったりBC,NRだったりですね。ただこの辺のバンドって、ジャズやマス・ロックといった他分野からの影響も強くて。ポストパンクと聞いて真っ先に思いつくであろうJoy Divisionのようなサウンドとはやや乖離しているのも事実です。

そこへいくと、このアルバムは天晴なまでにポストパンクですね。のっぺりとした暗さに奥行を生み出すギターのアプローチ、淡々としたリズム、まるで楽しくなさそうな鬱屈したヴォーカル、いやはやどれをとってもポストパンク。でもそれだけではなく、“A Thousand Lives”という曲ではドラムンベースを採用してみたり、他にもちょっとシューゲイズな瞬間があったり、音楽的な拡張もしっかりされてるんですよね。そのうえで終始クラシカルなポストパンクの気配を保っているのが面白いじゃないですか。

まだ2ndですけど、1stと比較した時にぐっと成長しているのがまたいいんですよね。やってること自体はジメジメしたポストパンクで共通してますけど、音楽的な引き出しの数が明らかに増えていて、アルバムとしての展開の妙も遥かに進歩しています。古き良きポストパンクの持つ特有の彩度の低さと、現代ロックのはっきりした輪郭、その両方を併せ持った名作と言えるんじゃないでしょうか。

“To What End”/Oddisee

Try Again

ヒップホップからも1枚選んでおきましょうか。Lil Yachtyは流石にヒップホップ扱いできませんからね。先月の中でフェイバリットはこいつ、Oddisee“To What End”です。

本作全体の印象を一言で表すならば、ソウルフル。もうこれに尽きますね。トラックはすごく生楽器の主張が強くて、スウィートでグルーヴィーなソウル・クラシックへの意識を強く打ち出しています。ストリングスやコーラスの持ち出し方なんて、まるでモータウンのようですからね。ただ、その甘さや和やかさはきっちりと洗練されていて、ラップと同居して違和感のないレベルにまで咀嚼されているのが抜かりないじゃないですか。

で、その洗練というのが、ひょっとするとシティ・ポップにも繋がっていくような方向性なんですよ。自覚的に耳馴染みのいいサウンド・メイキングがされていますし、都会的な気品というものを兼ね備えていますから。それにOddisee自身のラップも、どこかメロディアスなんですよね。それもちょっとこってりしたタイプの。両者に共通するのはソウル/R&Bに独自の洗練と解釈を加えるというものですから、おそらくは偶然の一致なんでしょうけど興味深いポイントだと思います。

私はこのブログでしばしば、一部リスナーの意識におけるロック/ポップスとヒップホップの断絶を指摘してきました。そしてそれはナンセンスで、乗り越えるべき代物であるとも。その点でも、このアルバムは是非とも聴いていただきたいですね。“Try Again”なんて絶対にどこかで聴いたことのあるディスコ・ファンクのスタイルですし。それをあくまでラップという手法でやっているというだけの話ですから。

“O Paraíso”/Lucas Santtana

Lucas Santtana & Flore Benguigui – The Fool on The Hill (Official video)

お次はMPBを。ブラジル音楽界の偉人Gilberto Gilのフルート奏者としてシーンに登場して以降、現代的な解釈でMPBを表現してきた重要人物Lucas Santtana“O Paraíso”です。MPBとはなんぞや?という方は↓の投稿を参考までにどうぞ。

実に心地よく、かつユニークな聴き味の1枚なんですよね。サウンドとしては透明感のあるエレクトロ・フォークと言えるんですけど、そこに違和感なくMPB特有の包み込むようなおおらかさが同居していて、それでいてサイケデリアのとろけるような甘さまであって。そこのバランスが絶妙で、じっくりと一定の温度感で作品のムードを醸成していく丁寧さが沁み入ります。

彼ってもっとダブに振り切ったパッキパキのアルバムも出してるんですけど、今作ではしっかりSSWとして主張していてね。だってあのPaul McCartney御大の“The Fool On The Hill”のボサノヴァ調カバーを収録しておきながら、メロディ・メイクの点において聴き劣りしない訳ですから。しっかりブラジル音楽の土俵に引き込んだカバーとはいえども、そもそもの作曲のレベルが低ければこうはならないでしょ?

実は今年はできるだけワールド・ワイドに新譜に向かい合いたいという気持ちがあったんですけど、のっけからMPBの名作に触れられたというのは幸先がいいじゃないですか。韓国のParannoulもそうなんですけどね。ブラジルの音楽はちょっととっつきにくいな……なんて考えている方にも、是非とも肩の力を抜いて聴いていただきたいアルバムです。

“棲居在溪源之上 (Seeking The Sources Of Streams)”/Cicada

Cicada – 棲居在溪源之上 Seeking the Sources of Streams (Official MV)

英米日以外の国籍の音楽となるとこれも触れておきましょう。台湾のポスト・クラシカル・アーティスト、Cicadaによる“棲居在溪源之上”。読み方はわかんないので検索される際は皆さまコピペでよろしくどうぞ。

そもそもポスト・クラシカルというのがまったく門外漢でして。軽く調べてみると、室内楽的なクラシック音楽とアンビエント的音響処理のミックスというものみたいです。とはいえApple Musicではニュー・エイジと紹介されていますし、なかなか明確な区別は難しそうですね。ただ、この講釈がどうでもよくなるくらいに素晴らしいアルバムですよこれは。耳に入ってくる音の一粒一粒がソフトで嫋やか、まるで森林浴をしているようなリラックスがあります。

Cicadaはピアノ、ギター、チェロ、ヴァイオリンという4人編成ということもあって、決して音数としては多くはないんですよ。あくまでオーケストラルなものと比較した場合ですけどね。だからこそ生まれる余韻、言い換えればいい意味での音の隙間、ここを見事な音響によって上品に埋め尽くしていく感覚があるように思います。それに当然、リズム隊が存在しない分だけ音楽が区分されていない。もちろん理論的な意味での拍子やテンポはあるんですけど、聴き味の点でね。だからこそ、ゆっくりと滲むように、この心地いいサウンドが広がっていく光景は思わずため息がこぼれます。

アンビエントというものを軸に語るのであれば、ロックとアンビエントは結構親和性高いじゃないですか。それこそアンビエントの祖であるBrian Enoがロック畑の人物ですし、現代インディーでもアンビエントの手法は頻出です。それじゃあ、アンビエントをクラシックに持ってくるとどうなるのか?それが素晴らしい完成度で示されている作品になっていると思います。そういう意味で、インディー・ロックのファンなんかにも刺さるアルバムなんじゃないでしょうか。

“タオルケットは穏やかな”/カネコアヤノ

Yasashii guitar

Twitter音楽界隈、全員彼女に命でも救われたのかってくらいカネコアヤノの支持が厚いですよね。ぶっちゃけ私はその情熱に乗り切れていなかった節があるんですが、今回の“タオルケットは穏やかな”はかなり刺さりましたね。

彼女の音楽って、歌唱にしてもサウンドにしてももっと剥き出しで等身大なイメージがあったんですよ。でも今作はすごく洗練されているというか、聴き手に対して向かい合ってはいるけれど一段高いところから語りかけてくるような、そんな印象です。色んなアプローチを見せる中で、一皮むけたようないい意味での軽さを感じるんですよ。いや、そりゃ急にシューゲイズが始まって荒々しくなったりもするんですけどね。全体の空気感として。

シューゲイズって話題を挙げたついでなんですけど、このアルバムで一番の聴きものはギターじゃないでしょうか。それこそシューゲイズの轟音ノイズもそうですし、ワウの効いたファンキーなものからグランジ調の荒いサウンドまで、どれをとっても惚れ惚れする音像です。もちろんカネコアヤノの存在感が真ん中にある作品ではあるんですが、でも並列するようにギターが鳴ってるんですよね。もうギター・アルバムと言ってしまっていい勢いで。

そしてこれまでの彼女のカタログ同様、どこまでいっても誠実な音楽作品です。歌詞も相変わらずいいんですよね。すごく射程が短くて一人称的で、でも驕っているのではなくどこまでも純粋に言葉を紡いでいる。インディー・ミュージックってこうあるべきだよねという距離感の近さを、先に触れたように一段高いところから真摯に描いてくれたという点で、思わず唸ってしまう名作です。

“映帶する煙”/君島大空

君島大空 「都合」Official Music Video

マニアックな邦楽にも通じている音楽ファンの中では名の知れていたアーティスト、君島大空のデビュー・アルバム“映帶する煙”。あいにく私はこの作品を聴くまで存じ上げなかったんですが、なるほどこれは音楽オタクが食いつく訳ですね。

まず引き込まれるのが彼の歌声です。意識的にユニセックスな歌唱にしていると本人も語っているそうなんですけど、すごく繊細で、それでいて確かな芯を感じさせるまっすぐさもあって。それに楽曲によって男性性と女性性のバランスをしっかりコントロールしているので、そこのところでコントラストがついているのも鮮やかですよね。

でもって、サウンドもまた面白い。ヴェールを1枚隔てたような曖昧さを表現したアンビエントな質感に、フォーク的な有機性が乗っかってるんですよね。これ、去年の邦楽でも屈指の出来栄えだった優河『言葉のない夜に』を彷彿とさせる仕上がりです。こっちの方がもっとバンド・ライクで、かつバラエティに富んだ多彩さはあるんですけど、洋楽シーンと聴き比べても遜色ない実にコンテンポラリーな音楽。それこそ、Rate Your Musicでもかなりの高評価なようですし。それでいうとカネコアヤノの新譜も好評ですけど、やっぱり近年の邦楽のポテンシャルって並外れてますよ。

そうそう、この作品もカネコアヤノ同様ギターが効いたアルバムなんですよ。君島大空はギタリストとしても卓抜してます。ズルいなぁ……彼の代表曲『都合』のアウトロで聴けるギター・ソロなんて、壊れそうなほどエモーショナルで同時にテクニカルで。ジェフ・ベックの訃報に関連して「ギター・ヒーローはもう現れないのか」みたいな言説が取り沙汰されもしましたけど、こんな音楽聴いちゃうと心配無用です。

“12”/坂本龍一

20220207

最後は「教授」こと坂本龍一の最新作“12”。癌との闘病が報されていた中でのリリース、そして直後に飛び込んできたYMOの盟友高橋幸宏の訃報もあって、ことさらに心を打つ作品になってしまいました。

闘病生活の中で、彼がスケッチするかのように、あるいは日記を書き連ねるように紡いだ音楽から12編を選出したという背景のある作品。それぞれの楽曲タイトルは録音された日付そのままですね。で、その情報というはサウンドからもある程度聴き取れるのではないかと思っていまして。というのも、すごく生活の息づきが感じられるんですよ。音楽性自体はピアノと広大なシンセサイザーによる厳粛なものであるにもかかわらず。

誤解を生むかもしれない表現なんですけど、いい意味で印象に残らない音楽とでも言いましょうか。言い換えれば、あまりにさりげない、まるで独り言のような音楽。坂本龍一の置かれている境遇を思えばレクイエムのようなタッチになったって何らおかしくないところに、こういうナチュラルな表現をしてくるのがかえって沈痛ではあるんですけどね。でもそれは聴き手の勝手な解釈であって、坂本龍一が意図して悲劇的な作品にしている訳では断じてありません。

個人的に結構ヘビー・ローテーションしてるアルバムなんですけど、じっくりと耳を傾けるというよりは生活音の一部として流している節があるんですよね。普段こういう聴き方は滅多としないんですけど、そういうなんでもない生活の中で聴くことで意図せぬ感動がしばしば起こるんですよ。今回発表された12曲以外にもスケッチはあるでしょうから、シリーズ化して定期的に聴かせてほしいものです。

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