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一触即発/四人囃子 (1974)

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邦楽の方ではまだクラシカルな作品を扱っていなかったので、ここいらでやっておきましょう。今回は日本ロックの黎明期に生まれた国産プログレッシヴ・ロックの傑作『一触即発』です。

もうジャケットからこれぞプログレという奇天烈さを溢れさせていますけど、その印象もあってか知名度ほどには聴かれていない感が正直あるんですよ。名盤ランキングの常連でこそありますが、今の若い音楽ファンには何となく敬遠されているというか。この記事で少しでもこの傑作に手を出しやすくできればと思います。

「1974年」の国産プログレ

さて、既に何度か出しているプログレッシヴ・ロック/プログレというフレーズ。大体の説明は以前『危機』という作品のレビューをした時にしているのでよくわからないという方はそちらも参考にしてください。

この『一触即発』の内容はそのプログレの定義にまさに当てはまるんです。ここがまずこの作品の凄いところだと思っていて。どこがというと、ズバリ発表年です。

1974年というとプログレ・ムーヴメントの中心地であるイギリスでもまだ活発に作品が出ていた時期で、傑作と称される作品も一通り出揃った感もありちょうど円熟期にさしかかっている頃なんですよ。主要アーティストの一角であるキング・クリムゾンこそ同年に解散してしまいますが、プログレ人気は依然盤石のものがありました。

そういう時代に、つまり本国とほぼタイム・ラグがない状態でこの作品は制作されているということになるんですね。欧米のトレンドを取り入れるのは邦楽の常ではありますが、情報社会なんて夢のまた夢の70年代にそれをやってのけているというのが如何に鋭い感性を要するかというのは想像に難くないかと思います。

この感度のよさというのは勿論バンドが持っていた素質ではあるんですけど、当時の邦楽ロックのポジションももしかしたら関係しているかもしれませんね。ジャックスもはっぴぃえんどもキャロルも登場してる訳ですから邦ロックの下地というのは完成していたとは言えますが、まだまだオーバーグラウンドには程遠い存在でもありましたから。

そうした背景がある中で日本でロックを鳴らす、そのためには本家本元である海外シーンに敏感にならねばならないというのはあったのかと思います。それでプログレというのがこのバンドの尖った部分ですけどね。

プログレの魅力のマッシュアップ

プログレッシヴ・ロックを日本で鳴らした、そのこと自体の先進性はここまでにお話した通りですが、もっと凄いのはこの作品の完成度ですよ。本国イギリスのプログレ作品と比べても全く遜色のない出来栄えです。プログレの元気がなくなってしまった今は難しいかもしれませんけど、リリース当時に逆輸入されてたら確実にハネてますよ。

本作の中心にあるもの、それは森園勝敏のギター・ワークです。これが本当に素晴らしくて、いわゆる「泣きのギター」なんですが、日本のロック・アルバムの中でもトップ・クラスの名演だと思うんですよね。感情を揺さぶるエモーショナルなプレイを聴かせてくれます。

プログレで泣きのギター、というと真っ先に思いつくのはピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアですが、森園が彼から影響を受けていることは間違いないと見ていいと思います。例えば表題曲の『一触即発』の中間部、激しい主題を終えてからのメランコリックなギターは、そのまま『狂気』でのギルモアのプレイに接続できますからね。『生命の息吹き』に非常によく似た展開ですし。

Ishoku-Sokuhatsu

ピンク・フロイドと言えばプログレで最大の成功を収めたアーティストですからこの影響はごく自然なものだとは思います。フロイドの大作『エコーズ』を完全再現できるという評判でデビュー前から注目されていた、なんてエピソードもあるくらいですからね。

ではこの作品はフロイドの音楽性を追従したものなのか?と言えば、実はそうではないんです。フロイドが表現しなかった、豊かな叙情性による幻想的なオーラ、それもこの作品は内包しているんですね。ジェネシスやイエスが得意とした領域です。

『ピンポン玉の嘆き』という曲の演奏なんて恍惚としてしまう出来栄えですよ。インスト・ナンバーなんですが、サイケデリック・ロックに先祖返りしたかのような夢見心地のサウンドをキーボードが巧みに表現しています。『一触即発』の幕切れを受けて唐突に聞こえてくるピンポン玉の跳ねる音も緊張感の中で奇妙なユーモアを演出していますね。

Ping-Pongdama No Nageki

エフェクティヴなキーボードがアグレッシヴに楽曲を牽引していく、となるとELPも連想できるかと思います。先ほど取り上げた『一触即発』でも、冒頭の手数の多いドラム・プレイとキーボードのアンサンブルなんて『タルカス』のようでもありますからね。

こういう、プログレの有名どころの美味しい部分を詰め合わせた心地よさがこの作品最大の魅力。彼ら自身熱心なプログレ・ファンということもあるのでしょうけど、ツボを押さえた展開を次々に仕掛けてくるんですね。その目まぐるしさは決して散漫ではなく、むしろ高揚感と期待を常に聴き手に与えてくれるんです。

日本的な詩情

この作品が如何にブリティッシュ・プログレッシヴを丁寧に吸収したものか、というのはここまで見てきた通りです。ではこの作品のオリジナリティはどこにあるのかというと、詩世界だと思うんですよね。

プログレは音楽性も難解ながら、歌詞も抽象的だったり観念的だったりするものが多いんです。少なくとも全編ラヴ・ソングのプログレ作品というのはちょっと思いつきません。当然『一触即発』もそういった傾向にあるんですが、そこに本作が邦楽の名盤たる所以、すなわち極めて日本的な感性が滲んでいます。

『空と雲』という曲の1番の歌詞を引用してみましょうか。

長く細い坂の途中に
お前の黄色いうちがあったよ

何か食べ物を買ってから
ともだちがくれた犬をつれてった
そのあたりには古いお寺がたくさんあって
子供たちが楽しげに遊んでいた

まるで日記のような淡々とした筆致とありふれた光景を描いたドラマのない題材です。ただ、プログレッシヴ・ロックのサウンドの上で、陶酔的なメロディにこの歌詞がついた途端にその風景は摩訶不思議な非日常に変わってしまうんです。このミスマッチが生む妖しげな視覚性、これは聴いてみないとわからないとは思いますがもう圧倒的なものがあります。

Sora To Kumo

もう少し感情的な歌詞を引いてみると、『おまつり(やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)』も秀逸です。そもそも『おまつり』という題が個人的にグッとくるんです。世界中に祭事はありますけど、「おまつり」と言われれば縁日や花火大会、盆踊りを想起するじゃないですか。この日本人でしか描き得ない詩情が正統派プログレッシヴ・ロックと共にあるというのがとても嬉しい。

で、その「おまつり」の熱に浮かされたようなちぐはぐな歌詞が見事なんです。

みんな輪になっておどる
みんな輪になっておどる
おれもおどろうとしたけど
誰かの足をふんづけて
しょうがなしにみんなの匂いを
かいでまわったのさ
みんなで一つづつ 歌を唄うことになって
みんなはもちろん 彼女のことを歌ったのさ
おれの番がやってきて
あのころのことを唄おうとしたけど
文句を忘れてフシだけで唄ったのさ
そしたらみんなおこって
おれの頬をなぐるつけたのさ

どこか他人事のような軽妙な語り口も相まって、そこはかとない狂気が感じ取れます。そしてわざわざ「おろしたてのバラ色のシャツ」を着て、勢い込んで「おまつり」のある街にやってきた男が、最後には

やっぱりおまつりのある街へいくと
泣いてしまう

と結ぶ訳です。私はどことなく梶井基次郎の短編に似た印象をこの曲の歌詞に抱くんですが、疎外感や孤独を、我が事にもかかわらずすごく冷静に俯瞰して語るその冷めた表現が共通しているのかもしれません。

激烈なプログレッシヴ・ロックながら、その詩世界は素朴さと抽象性が混じり合った日本文学的なものというのが実にいいです。決して歌メロに重きを置いた作品ではないですが、意識がメロディに引き込まれる、日本人の歌謡の精神にも対応しているというのは、この歌詞の魅力も大きな要因の1つではないかと思いますね。

まとめ

ここまで、やれピンク・フロイドだ梶井基次郎だと小難しいことは書いてしまいましたが、この作品がそういうハイ・コンテクストなものなのかというとそうでもなくて。

あくまで圧巻の演奏と、そこに満ち溢れるカタルシス。それがこの作品の最大の魅力であり、邦楽史上の名盤とされる理由であることは間違いありませんからね。ただ、それを支える要素というのを見ていくと面白い元ネタや共通する価値観が発見できる、そうした深みもこの作品にはあるんです。

洋楽でも日本のロック・ファンってプログレ好きな傾向にあると思いますし、もしそれが日本人のDNAに刻み込まれたものならば、きっとこの作品だって好きになれる方は多いと思うんですよね。古い作品だから、得体が知れないから、そういう理由でスルーしているのであれば是非挑戦していただきたい不朽の名作です。

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