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BADモード/宇多田ヒカル (2022) 〜宇多田ヒカルが示してしまった、邦楽の恐るべき「現在地」〜

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いやあ、皆さん流石にもうお聴きになりましたよね。宇多田ヒカルのニュー・アルバム『BADモード』

1月の段階でこんなこと言いたくはないんですが、このアルバム、間違いなく2022年の年間ベスト筆頭候補です!去年のLittle Simzの時にも思いましたが、今年は『BADモード』を超える作品に出会えるかどうか?というのが私の中での新譜への向き合い方になりそうです。それくらい図抜けた名盤なんですね。

ただ、これは洋楽をメインで扱ってきたこのブログの怠慢ではあるんですが、もしかするとこのブログの読者の方にはそこまでリーチしていない可能性もあるかもしれません。

それ、無茶苦茶もったいないですよ!日本が誇る才能、宇多田ヒカルの現在地、それが如何に圧倒的かというのは日本人として知っておかないとちょっとマズイとすら思っています。

今回は2022年屈指の名盤となるであろう宇多田ヒカルの『BADモード』、徹底的にレビューしていきましょう。

「3次元的」サウンド・ヴィジョン

この作品を分析するにあたって、まずはそのサウンド、トラックの部分について語っていくのが適切ではないかと思います。

なにせ本作、サウンド・プロダクションに関して言えば間違いなく最上ですから。それは単に宇多田ヒカルのディスコグラフィーの中での比較にとどまらず、邦楽全体、いや、音楽シーン全体と言ってもいいかもしれません。

ここまでトラックに引き込まれる宇多田ヒカル作品、過去にありませんから。思えば衝撃のデビュー作『First Love』だって、その最大のインパクトは彼女の歌唱にあった訳でしょ。あるいはリズムに対する歌詞の配置の仕方だったり。

当然本作でもそういう個性は発揮されているんですけど、そこと並立する格好でトラックが引き立っています。一言で表すと、「3次元的サウンド」だと思うんですよ。音楽が展開されている領域が平面的でないからこそ、サウンドが多層的に、そして相互作用的に煌めいている。

その「3次元的サウンド」をより強固にしているのが、本作で招かれたプロデューサー陣でしょうね。過去数作でもタッグを組んできた小袋成彬、ハイパーポップの元祖と誉れ高いA・G・クック、そしてフローティング・ポインツの3名がクレジットされています。

「宇多田ヒカルとフローティング・ポインツのコラボレート」、この字面のインパクト凄くないですか?フローティング・ポインツというと、ファラオ・サンダースとロンドン交響楽団との共同作“Promises”が2021年屈指の名盤と絶賛されていたことで記憶に新しいという方も多いでしょうしね。

Floating Points, Pharoah Sanders & The London Symphony Orchestra – Promises [Full Album]

で、実際フローティング・ポインツが手がけた楽曲、これが一番インパクトあります。それは1つに、他の2人と違って彼のクレジットされた楽曲は全てアルバムで初めて発表された新曲という理由もありますけど、それ以上に、彼の参加した3曲がこの『BADモード』の核になっているからです。

まず1曲目の『BADモード』ですけど、2回目のコーラスが終わってからのアンビエントなサウンド、これ完全に彼の手心でしょう。実にニクい。

宇多田ヒカル『BADモード』

さっき触れた「3次元的サウンド」、それを凄く感じられる瞬間だと思います。基本的にビートで平面的に展開しているところから唐突に始まるからこそ、聴き手に対して「今回こういう感じでやりまーす」と宣言するかのようで。そして事実、そういった温度感の作品ですからね。

そしてアルバムの折り返しにあたる6曲目『気分じゃないの (Not In The Mood)』、これもまたいい曲なんですよね。

このアルバムの中では生のアンサンブルが比較的強く感じられて、ほのかにスウィングするライド・シンバルの残響したビートが堪らなく心地よい。

生活感のあるシーンを素朴かつドラマチックに切り取った歌詞もこの曲の大きな魅力なんですけど、サウンドの面でも詩情の面でもリアルな楽曲の後半に、しかし夢幻的なサウンドの広がりが待ち構えている。ここである種異質なこの楽曲の世界から『BADモード』に引き戻される感覚には戦慄すら覚えますよ。

で、フローティング・ポインツ絡みだとこれが最後です。アルバムのクライマックスを飾る12分の大作『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』

これまでの彼女のキャリアにも通ずるリズムが小気味よい楽曲ではあるんですけど、そのトラックの緻密さが素晴らしい。他の2曲のように劇的な変化はなく、むしろ12分の中でじっくりと表情に変化をつけていく趣の楽曲なんですけど、クロージングに相応しいスケール感が生まれています。

この3曲がアルバムの開幕とハイライト、そして閉幕を担っている。そのことが本作に淀みない通奏低音を与えていると私は解釈しています。そしてその全てにフローティング・ポインツが参加している。これ、絶対作為的な配列のはずですからね。

溢れ出る「名盤」感

次に、是非とも触れておきたいのがこの作品の「アルバム」としてのクオリティです。

これは宇多田ヒカルをデビュー以来支えているプロデューサーの三宅彰氏のツイートなんですけど、アルバムとして聴かれることにすごく自覚的な作品と言えるんですよね。それは別にこのツイートを見るまでもなく、作品から十分に感じ取れます。

アルバムの序盤、『BADモード』で開幕し、『君に夢中』から『One Last Kiss』へ……ここの展開なんて流れるようで。『君に夢中』と『One Last Kiss』に関してはA・G・クックの参加楽曲なんですけど、既発曲とは思えないくらい必然性に満ちています。

宇多田ヒカル『君に夢中』
宇多田ヒカル『One Last Kiss』

『One Last Kiss』なんて、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の主題歌じゃないですか。楽曲としてのアピールがとても強いし、リリースからずっと聴かれてきた独立した名曲。それをアルバムのストーリーの中でより鮮明に響かせているのは流石の構成力です。

『PINK BLOOD』からの怒涛の小袋成彬との共同楽曲も、そういう意味では意識的ですよね。

宇多田ヒカル『PINK BLOOD』

彼の参加した楽曲って、比較的従来の宇多田ヒカル像に近しい、リズムの捻り方が面白い楽曲なんですけど、散発されるとかえって本作の中では違和感がありそうなんですよ。それをひとつなぎに収録することで、「そういうセクション」として機能させている。

で、その流れの中にぽつんと浮かんでいる『気分じゃないの (Not In The Mood)』がやっぱり新鮮でね。サウンドのみならず、アルバムとしての構成においてもこの曲の存在感って大きいと思います。

それでいて、ただ異物感、鮮烈さを主張するだけでなく、次曲『誰にも言わない』への接続も見事です。これでもかと神秘的なエレクトロ・サウンドと肉感的なビートをぶつ切りにして、何事もなかったかのように『誰にも言わない』へ場面が移り変わる。ハッとさせられる鮮やかな展開ですよ。

もっと言うと、『誰にも言わない』からの『Find Love』もドキッとしますね。急激にハウス的になるというか、アルバムの中でかなり異質なんですよ。いやに軽い質感でね。作品全体として軽やかな印象はあるんですけど、それとも少し違う独特さです。

宇多田ヒカル『Find Love』Live ver.

それこそ『Somewhere Near Marseillesーマルセイユ辺りー』のような長尺の曲をラストに収録しているのも、ものすごく恣意的でしょ?あの楽曲の包容力は、楽曲を個別に取り出して聴いてみたところで1/10も理解できないでしょう。「思い切りアルバムに仕上がってます」との大言壮語にも納得してしまう、圧巻のクロージング・ナンバーですから。

そもそもが、全10曲のうち、半数以上の6曲が既にリリースされている訳ですよ。これってアルバムとしての構築美を保つにはギリギリのラインだと思うんですよね。楽曲のプレゼンスもそうだし、新鮮味に欠けるというリスクも当然つきまとう。それをサウンドの統一感とアルバムとしての隙のなさでカバーしているのが、なかなかどうしてとんでもない。

「宇多田ヒカルのアルバム」、『BADモード』

サウンドにおいても、アルバムとしてのプロダクションにおいても、この作品が非凡な完成度を誇っていることはおわかりいただけたかと思います。

その上で私が指摘したいのが、これが「宇多田ヒカルのアルバム」なんだという点。……何を当たり前のことを、と思うでしょうけど、これがすごく大事なんです。

というのも、ここまで緻密なアルバム作品でありながら、主役は宇多田ヒカルの存在感なんですよ。確かにフローティング・ポインツはいい仕事をしているけど、それは超ド級の名脇役という意味であって、主役を掻っ攫うのはどこまでいっても宇多田ヒカルでしかない。

歌手としての彼女に注目すると、その最大の特質はメロディとビートの関係性へのアプローチだと思うんです。あの革新的デビュー曲『Automatic』の歌い出し

七回目のベルで

受話器を取った君

『Automatic』より引用

も、「な/なかいめのべ/ルで」という強引な譜割じゃないですか。

宇多田ヒカル – Automatic

ともすれば歌詞に重きを置きすぎる邦楽において、あくまでリリックをリズムの一部にしてしまう。それも極めてメロディアスに。R&Bのエッセンスこそ強いものの、本質的には歌謡の延長線上と言っていいくらいですからね。その両立が彼女の才能だと思うんです。

その文脈でもう一度『One Last Kiss』を聴いてみるとどうでしょう。

初めてのルーブルは

なんてことはなかったわ

『One Last Kiss』より引用

「なんてことはなかった/わ」という一瞬違和感すら覚える音への対応の仕方。すごく宇多田ヒカルらしい発想です。それに「た」、「わ」とa音を連続で持ち出した強引な押韻も鮮やかですね。

それに、立体的ではあるけれど極めて透明感が高いトラックが、滑らかなメロディをよりクリアに響かせています。『Time』なんてその顕著な例ですかね。

宇多田ヒカル『Time』

小袋成彬らしいビートの捻りはあるんですけど、主張しすぎない。むしろ、いっそう宇多田ヒカルのヴォーカルに耳が向いてしまう感覚すらあります。

そうそう、歌詞表現も見事なアルバムですよね。『気分じゃないの (Not In The Mood)』の筆致が個人的にとても好みなんですが、作品を貫く孤独感のある言葉選びが実に巧みで。コロナ禍の影響は間違いなくあるんでしょうけど、活動再開以降強く打ち出されている内省的な表現がより深みを持って感じられます。

それでいて『BADモード』の雑多な生活感も堪らない。「ネトフリ」や「ウーバー」といった、俗っぽい表現を意図的に採用しているのがすごくナチュラルですよね。「家事の片手間に撮りました」みたいなアートワークとあいまって、「宇多田ヒカルの今」を感じさせます。ここまで精密な音楽作品なのに。その距離感も相変わらず笑えてくるくらい絶妙なんですよね。

「J-Pop」がここまで辿り着いてしまった

さて、最後に音楽そのものとは関係ない話をさせてください。

この『BADモード』、間違いなく傑作です。傑作なんですが、本作がこれほどまでに騒がれているのは単に音楽的絶賛とも限らない気がしていて。

というのも、本作が宇多田ヒカルという「J-Pop」のフィールドから発表された事実。このことに打ちのめされた人が多かったのではないかと。

これは宇多田ヒカルを単なるヒット量産ミュージシャンとして軽視していた、という意味では断じてありません。宇多田ヒカルというアーティストの功績は、ここで今更振り返るまでもなく巨大ですから。私が指摘しているのは、これほどまでに意欲的なチャレンジを内包した作品が、どういう訳か「J-Pop」としても高いレベルで成立しているという驚くべき達成についてです。

近年の邦楽、それもオーバーグラウンドにおいて、「産業」と「表現」の両立というのは一大テーマだったように思います。もっと踏み込んで言えば、ポピュラー音楽の源流たる英米の音楽を「J-Pop」に翻訳する作業に従事するアーティストが増加している。

それは例えば星野源のことですし、例えばKing Gnuのことでもあります。あるいは藤井風の名前を引用してもいいかもしれないし、Official髭男dismの存在をこの議論の中で挙げることもそう的外れではないでしょう。彼らが様々な音楽のエッセンスを、「J-Pop」のオブラートに包んで大衆に提示していることは事実です。

ただ、ちょっと本作には敵わないというか。敵わないというと短絡的な比較と取られかねませんが、海外の音楽と比較してもなんら遜色ない強度と深度を伴ったサウンドを、宇多田ヒカルというJ-Popの真打のプレゼンスによって発表したのが本作な訳ですから。

こういうことを考えている時に、Twitter上で『BADモード』をあのレディオヘッドの傑作『キッドA』になぞらえる表現をされている方がいて、腑に落ちた部分があったんですよ。『キッドA』がロックの限界とその向こう側を提示した絶望的名盤であるのに対して、『BADモード』はJ-Popの現在地を遥かなる高みから射抜いた絶望的名盤ですから。

ただ、『BADモード』のタチの悪いところは今言ったように「J-Popの現在地」なんですよね。「J-Popってここまでやれるんだよ」という希望をすら本作は抱かせてしまう。でも、それがどれだけの才能を必要とする会心の一撃かなんて、わざわざ説明するまでもないでしょ?

そういう意味で、「この後どうすんだよJ-Pop」みたいな慌てふためきが本作リリースの後にあったであろうことは、リアルタイムの観測として記録しておきたいですね。その都度星野源が引き合いに出されてたのは、ちょっと可哀想でしたけど……笑

まとめ

今回は宇多田ヒカルの『BADモード』のレビューをやっていきました。

……本当ならホットな先週のうちに出したかったんですけどね。実際執筆自体は割と早くからやっていたんですけど、なかなかに難しいアルバムでした。アルバムとしてはサラリとしたものなんですが、情報量が桁外れなんですよね。行間に潜む主張や意図がそこかしこにあるように思えて、書きたいことがまとまらず。

お陰様でトレンドからは置いてけぼりを食らう格好にはなりましたが、まあ満を持してデヴィッド・ボウイ全アルバム・ランキングなんてやってるブログですから。マイペースになってもよかろうということで満足するまで書くことにしました。その分楽しんでいただけていればいいのですが。

冒頭にも書きましたが、順位はともかくこの作品を年間ベストに選出しない選択肢は今のところ私の中にありません。結構大きなリリースが既にいくつか告知されているけれど。ただ、その私の予想を裏切る2022年になってくれればいいなと期待しています。それではまた。

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