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Kid A/Radiohead (2000)

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前回の『ペット・サウンズ』に続いて、今回も難解な作品のレビューと参りましょう。今回ご紹介するアルバムは20世紀の終わりに産み落とされたロックの終着点、『キッドA』です。

今でもレディオヘッドといえば押しも押されもせぬロック界のカリスマですが、その評価は『キッドA』発表以前から不動のものでした。デビューと共にギター・ロックの旗手として注目され、1st収録の『クリープ』は即座に90年代のロック・アンセムになりましたし、3枚目のアルバム『OKコンピュータ』では冷淡なサウンドとロックの情熱の融合に成功。熱烈な支持を獲得します。

レディオヘッドの登場って、ちょうどカート・コバーンの自殺によるグランジの終焉と時期が重なっていたこともあって、新たなロックの開拓者として熱視線を浴びせられていた訳ですね。しかも世紀末らしいダークな世界観が世相を反映していましたし。そのレディオヘッドがリリースする新作とあっては、世界中が注目していたことでしょう。

ところが蓋を開けてびっくり、この『キッドA』はロック・ファンの期待を完膚なきまでに打ち砕くものでした。誰もが求めていたギター・サウンドなんてものはどこにもなく、その代わりにエレクトロニカに大きく舵を切った電子音が不気味に鳴っています。初めてこの作品を聴いた当時のファンの当惑は容易に想像できます。後追いで聴いた私が混乱したくらいですからね。

エレクトロニカ以外にもこの作品が参照している音楽性がいくつかありますけど、それは例えばジャズであったりアンビエントであったり、あるいはクラウトロックだったりするんですよ。どれも難解な音楽ですね。それらをまぜこぜにして「レディオヘッド」の看板をぶら下げているんですから、もう理解不能です。

作品の内容を見ていきましょうか。『キッドA』に通底するもの、それは暗さであり、無機質さであり、絶望です。さっきも触れましたけどこういう表現はこれまでもレディオヘッドの得意とするところで、実際前作の『OKコンピュータ』の段階で既に完成の域に達しているんですけど、今作ではそれをバンド・サウンドの排除という形でさらに推し進めた訳です。ロック的な高揚感みたいなものは極限まで遠ざけて、そこに冷たいエレクトロニカが滑り込んでいます。

唯一肉感的な要素はトム・ヨークの歌声ですけど、彼の声が元から持っている鬱々としたムードはむしろ今作の冷たさに寄り添ってしまってますからね。しかも冒頭の『エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス』でははっきりとヴォーカルにエフェクト処理がなされていますから、無表情なサウンドのコンセプトはどこまでも徹底されています。

Everything In Its Right Place
オープニング・トラック『エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス』

また、先ほども触れたギター・ロックからの乖離の影響はビートにも表れていますね。ロックにおいてギターが担う役割っていうのは、当然メロディ楽器としての旋律の部分や、エモーショナルな色彩を加える情感の部分にあると思うんですが、本作ではそれを採用していない訳ですよ。そうなると当然ビートの果たす役割や作品中の存在感は強まってきます。そこを理解していないレディオヘッドではないですし、解像度の低いサウンドの中でドラムやベースは露骨なまでにクリアーに鳴っています。『ザ・ナショナル・アンセム』あたりはもう明らかに意図的なミックスですね。この曲に関しては金管楽器がフィーチャーされていて、かなりジャズの影響が色濃く出てます。やっぱりいわゆるロック的な曲ではないんですが。

The National Anthem
『ザ・ナショナル・アンセム』曲後半、金管楽器の暴れるようなソロは今作のハイライトの一つです。

そして、このアルバムは構成がとにかく美しい。ダークな世界観で統一されている点に加え、楽曲の移り変わりに違和感がなく、重々しい作品なのにツルッと一枚通して聴くことができます。たとえば、それこそ荒々しいフリー・ジャズ調の展開を見せた『ザ・ナショナル・アンセム』の次に、しっとりとしたアコースティック・ギターが聴こえてくる『ハウ・トゥ・ディスアピア・コンプリートリー』が配置されていたりするんです。そこからさらにグッとトーンを落とすインストの『トゥリーフィンガーズ』が始まる展開もいいですね。これはあくまで私のお気に入りというだけで、本作の温度感はどの瞬間でも完璧にコントロールされているんですよ。本当に計算され尽くされています。

面白いことに、楽曲毎に取り出して鑑賞すれば、決してどの曲も同じみたいなイメージにはならないんですよね。むしろバラエティに富んでいる。しかし『キッドA』という世界に閉じ込められれば、それらは必然的な関わりをもって共鳴します。この辺の巧妙さはザ・ビートルズ以来のアルバムへの意識を感じさせるもので、今作がロック・アルバムであることを示唆する要素じゃないでしょうか。

そう、このアルバムはあくまでロックなんです。ギターをフィーチャーしなくても、思わず叫びたくなる情熱がなくても、この冷酷なサウンドにはロックの精神性が確かに感じられます。この極めて反ロック的なサウンドの作品をバンド側はポップスだと言って譲りませんが、「そりゃないよ」という本音はひとまず置いておいて、その発言の根拠はそこにあるのだと思います。つまり、ロックが50年にわたって見せてきた革新の数々、それを展開しているに過ぎないのだ、と。

そのことは決して深読みしないと見つからないようなものでもなくてですね、驚きと共に発表された『キッドA』でしたが、その驚きに反してチャートを瞬く間に駆け上がり、全米1位を獲得してるんです。あれだけ絶賛された『OKコンピュータ』を超える、バンド史上初の快挙ですよ。これにはメディアによって展開された賛否両論の影響もあるかもしれませんが、この事実はもっと端的に、ロック・ファンはこの作品に込められたロック・スピリットを肯定した、と考えていいと思います。どれほど表面的には難解であっても、そうさせるだけの本質的な魅力がこの作品にはあります。

これは完全に私個人の見解ですし批判は覚悟の上ですが、この作品って「ロック最後の傑作」なのかもしれないです。もちろん21世紀にもいい作品はたくさんありますよ。ただ、ロックの歴史の中で度々登場した「これもロックなんだ」という大胆な宣言、ロックが本来持っていた革新の要素をここまで表現し、かつ成功した作品はこれ以降ないような気がします。というより、このまるでロックじゃない作品を「ロック」として提示されてしまったらもうロックにやれることは残されていないとすら感じてしまいます。

さて、最後になりますが、もしもこの記事で『キッドA』に興味を持っていただけた方がいたら、是非ともこのレビューの内容を全て忘れて聴いていただきたいですね。稀代のロック・クラシック、そう思い込んでこの作品に立ち向かってほしい。その時に生まれる混乱や当惑、そして謎が解けた時の感動も、この作品が持つ魅力の一つですから。

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