どうも。前回の投稿で「2024年こそは新譜レコメンドを欠かさずに敢行する!」なんて息巻いたものですから、色々と各種レビュー・サイトだったりSNSの生の声だったりをチェックするようにしているんですが、そんな中とんでもねえアルバムが出てきやがりました。
はい、こちらイリノイ州はシカゴを拠点にする2ピース・バンド、Frikoの1stアルバム“Where We’ve Been, Where We Go From Here”です。私がいつも参考にしているAlbum Of The Yearでやたらと評価が高かったので、これはと思い聴いてみた次第。で、その時の感想が
このポストな訳です。これがもう異様な拡散のされ方をされましてね。つい最近レコード・デビューしたばかりの新人のアルバムに対するコメントが、まさかここまで反響を集めようとは。
で、Xの所謂「音楽界隈」を観測されてらっしゃる方ならわかると思うんですけど、リリースから一週間くらいもう誰も彼もこのバンドの話題で持ち切り、Friko一色のタイムラインだったじゃないですか。私がXを初めてからここまで話題になった新譜って、正直他に思いつきません。宇多田ヒカルの“BADモード”も大概センセーションになりましたけど、流石にここまでじゃなかったかな。
鉄は熱いうちに打てではないですけど、ここまで注目をかっさらっているならいっちょ私も乗っかるかということで。今回はこの”Where We’ve Been, Where We Go From Here”、個別レビューしていきます。
“Where We’ve Been, Where We Go From Here”の全容
驚異的序曲と、スリリングなロック・チューン
まずは一度アルバムの流れを見ながらコメントしていきましょうか。アルバムのオープナーである“Where We’ve Been”、ここから始めましょう。これがもう圧巻の傑作ですよ。Album Of The Yearのユーザー・スコアで、リリース直後はThe Smileの”Bending Hectic”を抑えてランク首位だったくらいです。
ギターの爪弾きとともに繊細に歌い始める導入部を聴いて、まず連想したのはBig Thiefですね。Radioheadのエッセンスをフォークやアメリカーナのような温もりの中に還元する、そういう現代インディーらしいスタイルかと。と思いきや楽曲の中間部、ドラムやストリングス、そしてハーモニーが加わって以降の展開で様子がおかしくなります。
さっき触れた温もりという成分は徐々にノイジーな激情へと移り変わり、エモーショナルでカオティックな音像が去来してくるんです。一方でむせび泣くように声を震わせるヴォーカルも決して存在感を失わず、すべてが1つの巨大なスペクタクルとなって楽曲の規模はぐんぐんと上昇していく。しかし最後にはギターとヴォーカルだけのシンプルな構成へと回帰し、静寂のうちに締めくくられる……これ、わずか5分ほどの出来事です。
もうこの時点で言葉を失いましたね。開幕と閉幕における孤独の表現の巧みさにはRadioheadの“Fake Plastic Tree”を、コーラスが参加し世界観が狂騒とともに拡張される様にはDavid Bowieの“Rock ‘n’ Roll Suicide”を、そしてオーガニックかつ雄渾なサウンドスケープにはArcade Fireの“Wake Up”を。こんなインスピレーションを1曲のうちに包含しているんですよ、それも極めてシームレスに。これほどの素地を持ったバンドがいたものかと、いたく感動しました。
じゃあインディー・ファン好みの難解な作品なのかと思えば、実はそうでもなく。前曲の素晴らしい余韻を引き継いで始まる2曲目の“Crimson To Chrome”は、むしろリズムのフックに面白みを置いたナンバーです。前半の瑞々しいギター・サウンドと後半のノイズ・ギターのコントラストもいいですね。最初の方なんてなんならパワー・ポップみたいな印象すらありますから。3曲目の“Crashing Through”なんて、Pixiesの「ラウド・クワイエット・ラウド」スタイルと風変りなポップ・センスに、DInosaur Jr.の轟音ギターを参加させたような趣のギター・オルタナティヴ。
アルバム中終盤に光る多彩さと配慮
さて、ここまでのキラー・チューン連発でちょっとお腹いっぱいになったところにすかさず挟み込まれる、バロック調のバラード“For Ella”なんて実に気が利いているじゃないですか。アルバム作品として鑑賞する時にこういう小品があるとないとで絶対に印象って変わりますから。しかも、インタールード的な意匠ではなくあくまで楽曲として成立する、ものすごく端正なメロディ・メイク。個人的にこの曲を聴いた時に「これは間違いなく名盤だ」と確信を持ちました。
そのまま続けざまにかの讃美歌”Ave Maria”が歌いだされ、しばらくは厳粛なモードが持続するのか……と思ったところに切り刻むようなギター・リフがインサートする。この緩急が絶妙でね。“Chemical”というナンバーなんですけど、本作で一番ストレートなギター・ロックじゃないでしょうか。ドラムもギターもヴォーカルも、どれもこれもつんのめった前のめりな勢いがあって。
続いて6曲目の“Statues”、これはもうシューゲイズと表現して差し支えないですね。ここまで”For Ella”以外で一貫してきた Bailey Minzenbergerのドラマチックなドラム・プレイがぐっと控えめになって、タイトな8ビートを黙々と刻んでいるところにエフェクティヴなギター・サウンドが充満し、そこを泳ぐように幻惑的なメロディが展開される。この振れ幅にはもう笑っちゃいますけど、オルタナティヴ・ロックのフルコースみたいなアルバムな訳ですからシューゲイズはむしろあって然るべきなのかもしれませんね。
“Chemical”で疾走したテンション感を”Statues”でギア・ダウンして、さらに続く“Until I’m With You Again”でさらにもう一段階落とす。さっきも触れましたけど、楽曲それぞれのアピールが強烈なだけでなくこういうギミックにもセンスを感じます。またこれがいいバラードなんですよ。ノスタルジーを感じさせる古き良きピアノ・バラードで、ヴォーカルのか細さがすごくいい味を出しています。
ここまでくるとアルバムも終わりが近づいているんですけど、後半のハイ・ライトとも言える“Get Numb To It!”、これがNeutral Milk Hotelをフレンドリーにしたような不思議な楽曲で。Neutral Milk Hotelを感じさせながらどういう訳だかシンガロングできそうな気配があるんですよ。思えばこの作品でメロディ・センスというものはずっと前面に出てはいましたけど、それをこういうテイストにも同居させられるというのは面白い。
とまあ、こんなことを考えているうちに”Where We’ve Been”のリフレインが遠くの方から聴こえてきて、クロージングの“Cardinal”ですよ。Elliott Smithのような、線の細いアコースティック・フォーク。圧倒的なスケールが迫り来るオープニングからは予想もつかない、ひっそりとした幕引きです。
Friko:フレンドリーなロック・フリーク
インタビューから紐解く、Frikoのバックグラウンド
さあ、アルバムの全体像を共有できたところで、それを踏まえてこのアルバムを考察していきましょうか。
やっぱり触れたいのが、本作から感じられる参照元の多彩さ。この記事の中で言及したアーティスト、今一度列挙してみましょう。Big Thief, Radiohead, David Bowie, Arcade Fire, Pixies, Dinosaur Jr., Neutral Milk Hotel, Elliott Smith……もう、これぞオルタナティヴ/インディーという顔ぶれでしょ?ボウイだけ時代感が違いますけど、まああの人に時代とかジャンルとか言うだけ無駄です。それに関しては手前味噌ですけどこんな記事で確認してください。
それに、X経由なんですがこんなインタビューも発見しました。
本作のインスピレーションとなった作品を紹介するという内容ですね。ちょっくら引用して書き上げますと
- “The Glow Pt.2″/The Microphones
- “Pet Sounds”/The Beach Boys
- “Bury Me At Makeout Creek”/Mitski
- “The Lonesome Crowded West”/Modest Mouse
- “Songs Of Leonard Cohen”/Leonard Cohen
- “Glassworks”/Philip Glass
- “Fantasize Your Ghost”/Finom
- “Thx”/Lomelda
- “Fever To Tell”/Yeah Yeah Yeahs
- “Catch For Us The Foxes”/MewithoutYou
とまあ、こんな感じ。The Microphonesは確かにサウンド面で影響の痕跡を感じられますし、Yeah Yeah YeahsもUSインディーの文脈としてはしっくりきます。ただ“Pet Sounds”だったり、クラシック音楽家の室内楽作品だったり、面白いところも拾ってますね。それに現行インディーでいけば、目から鱗な作品も並んでいて。
さらにもう1つインタビューを見てみましょう。これもXで回ってきたものですね。偉大なりや高度情報社会。
より詳細に彼らのルーツや音楽への姿勢を語ったものなんですが(日本語記事というのが嬉しいですね)、非常に興味深い内容です。なにしろここで登場するバンド、さっき類似を指摘したDavid Bowieは勿論として、QueenにThe CureといったUKロックの重鎮、black midiやBC,NRのようなサウス・ロンドンのポストパンク・シーン、さらには我らがはっぴいえんどまで。この節操のなさ、恐れ入ります。
クレヴァーかつフレンドリーな名盤
さて、ここまでの内容でおわかりいただけるかと思いますが、このFriko、相当にロック・フリークですね。基本的には90’sからのUSインディーをベースとはしていますけど、吸収している音楽のレンジが凄まじく広い。そしてその膨大なインプットを、すごく如才なくアウトプットすることに成功しているんですよ。
1つのアルバムにDinosaur Jr.とRadioheadとNeutral Milk Hotelが同居してるって、よく考えると結構荒業じゃないですか。こういう作風って新人バンドにありがちなんですけど、「やりたいことはわかるけど、じゃあオリジナル聴くよ」みたいなよくない互換性を生んでしまいかねません。ただ、Frikoに関してはもう素晴らしく独創的で、Frikoにしかない世界を1stの時点でしっかり表現しています。
これ、まず第一に彼らのメロディ・センスによるところが大きいでしょうね。バラード・タイプの楽曲でその素直なソング・ライティングは顕著ですけど、思えば苛烈なロック・チューンでだってそのメロディの成分は埋もれていないですから。それにNiko Kapetanの声がいいんですよ。Thom YorkeとかConor Oberstみたいな、独特の震えとナイーヴさを孕んだ実にインディー的な声。これは天性のものかもしれませんけど、Frikoのことですからもしかしたら意識してるかもしれません。
ここまで考えれば、2つのインタビューに”Pet Sounds”が共通して挙げられているのがすごく象徴的に思えてきます。何しろあのアルバムも、「ウォール・オブ・サウンド」の壮麗なサウンドスケープを全面に押し出しながら、結局その本質はBrian Wilsonの卓抜した作曲にこそある訳じゃないですか。そういう、プロダクションとメロディの両立、あるいはポップスとしての了解、そこを”Pet Sounds”に見出したとしても不思議じゃないでしょうね。
そして、これは2つ目のインタビューで私がすごく印象深かったポイントなんですけど、彼ら曰く”Pet Sounds”と”OK Computer”は同じ性質を有しているとのこと。それは、名盤と呼ばれる作品に特有の「物語の即効性」において。
ここを読んで、すごく腑に落ちたといいますか。前半のレビューでも語りましたけど、本作ってすごくアルバム作品として練り上げられているんですよ。それぞれの曲の配置には必然性を感じますし、それぞれに相互作用を果たしながらカタルシスを生み出している。これぞまさしく、名盤のマジックじゃないですか。そこも研究の結果だというんですから、本当にクレヴァーなアルバムだと改めて思い知らされましたね。
さあさあ、こういうメロディ・センスだったりアルバムとしての美学だったり、こういう部分が何に貢献しているかと言いますと。それはこの作品のフレンドリーさです。これだけ多彩なバックグラウンド、音楽的教養を持っていながら、まったくもってスノッブな作品ではない。すごくシンプルに、ロックの名盤として聴くことのできる仕上がりでしょう?
ほら、インディー・ロックっていきおい難解になりがちでしょ。アーティストの側もリスナーの側も、ある意味で不親切といいますか、知識量だったりなんだったりのハードルを越えないと楽しみ方って変わってくるじゃないですか。そういうリスニングも私は大好きなんですけど、真の意味で「名盤」と呼ばれる作品にはそのハードルがないじゃないですか。
この”Where We’ve Been, Where We Go From Here”は、ハイ・コンテクストなインディー・ロックの傑作でもあり、かつ問答無用で聴き手を打ちのめすオールド・ファッションな名盤でもあります。この両立があるからこそ、私はここまで痺れたんだと思います。こんな時期に言うべきじゃないかもしれませんが、これを越える作品が2024年に出てくるかどうか……
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