音楽の世界には、往々にして「難解な作品」というのがあります。どのメディアでも絶賛されているのに、いざ聴いてみるとイマイチピンとこない。コレってホントにすごい作品なの?とすら思う。こういう経験のある人は結構いるんじゃないでしょうか。
そういう作品群の代表例とも言えるのが、栄えあるこのブログのレビュー第1作目となる『ペット・サウンズ』。どの名盤ランキングでもだいたい上位にいますね。ローリング・ストーン誌のような保守的なメディアも、ピッチフォークみたいな尖った価値観のところも、もうどこもかしこも大絶賛です。
ただこの作品、「聴いたことはあるけどよくわからない……」みたいな声をよく聞く作品でもあるんですよ。中には過大評価だなんて言う人もいたりします。
今回は『ペット・サウンズ』という、金字塔にして極めて難解なこの大傑作を紐解いていきましょう。では、参ります。
評価
冒頭でも触れましたけど、この作品の評価の高さはもうとんでもないんですよね。この作品を批判するのはかなり勇気のいる挑戦とすら言えるくらいです。
ものすごく大雑把にこの作品の評価を一言でまとめてみると、「ポピュラー音楽を芸術に昇華させた最初期の傑作」ってな具合ですかね。そう、この作品はアートなんです。
実際、この作品にインスパイアされてザ・ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』という世紀の傑作を発表するんですが、それ以降ロックはアートとしての表現に舵を切っていくことになります。そういう、歴史の転換点としての評価も大いにあるのは事実ですね。
ただ、それってあくまでも歴史的意義の部分であって、音楽としての評価とは別物でもあります。だからこそ、「この作品は過大評価だ」という指摘をする人もいる訳ですね。
で、最初に言っておきたいこととして、この作品が過大評価だとか、現代の感覚で聴くと古いだとか、そんなことは一切ありません。「音楽史上最大の名盤は何か」、と聞かれれば私は迷わずこの作品を挙げます。間違いなく大傑作、神聖さすら感じる作品なんですよね。
何をもって私がこう断言するのか、それは今から熱く熱く語っていきますね。
制作背景
前提として知っておきたいのが、この作品は名義こそザ・ビーチ・ボーイズですが、実質的にはブライアン・ウィルソンのソロ作品であるという点。ツアーにも帯同せず、彼がスタジオにこもって独りきりで生み出した作品です。他のメンバーはほとんどヴォーカルとコーラスでしか参加していません。
初期のザ・ビーチ・ボーイズって、サーフ・ロックという、乱暴な表現をすると「サーフィン!ドライヴ!女の子!」みたいな如何にもアメリカの若者にウケそうな陽気な音楽性だったんですね。
ただ、この『ペット・サウンズ』をチラッとでも聴けばわかると思うんですが、そういうハッピーな世界観はほとんど感じられません。それは「評価」のチャプターで触れましたけど、ウィルソンはこの作品をアートとして見つめていたからです。
そういう音楽観の転換の影響元として挙げられるのが、1965年にザ・ビートルズがリリースした『ラバー・ソウル』です。ここではこの関係性を少し見ておきましょうか。
このエピソードとして結構有名ですけど、正直音楽作品としてはそこまで似てないんですよね。きらびやかな『ペット・サウンズ』に対して、『ラバー・ソウル』はかなりフォーキーですから。じゃあどこに影響があるのかというと、おそらくアーティストとしてのアティチュードだと思います。
それまでのポピュラー音楽は、あくまで娯楽や産業ではあったけれども芸術ではなかった訳です。それこそ初期のザ・ビーチ・ボーイズを聴けばその辺りはわかると思いますが。
でもビートルズは既に先のステージに行こうとしている。フォークやサイケデリア、インド音楽を吸収し、アートとしてのポップスに挑戦している。この事実はウィルソンを打ちのめすには十分過ぎたんでしょうね。
作品解説
随分と前振りが長くなってしまいましたが、いよいよここからが本番。『ペット・サウンズ』という音楽作品の内容を分析していきましょう。この作品の難解さの原因に焦点を当てて語っていきます。
難解さの理由① あまりに膨大な情報量
さて、芸術としてのポップスに挑むにあたって、ウィルソンが参照したのがフィル・スペクター。ビートルズ以前ではポピュラー音楽史上最大のイノヴェーターの1人ですね。
スペクターの手法というのは、大勢のスタジオ・ミュージシャンで一発録音をし、その重厚なサウンドにたっぷりとディレイ・エフェクトをかけることで更に堅牢なサウンドにするというもの。その重厚さから、「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれる音像です。
この「ウォール・オブ・サウンド」を本作では全面的に取り入れているんですね。そもそも演奏陣からして、スペクターの名曲の数々を録音したスタジオ・ミュージシャン集団、「レッキング・クルー」ですから。本作の参加ミュージシャン数は50人を超えるというのですから驚きです。
お察しの通り、サウンドは極めて重厚かつ煌びやかなものになります。この辺りはスペクターの「ウォール・オブ・サウンド」と共通するんですが、決定的に違うのはそのクリアさ。「ウォール・オブ・サウンド」はそれぞれの音がぼやけるほどの強烈なエコー処理が特徴的ですが、『ペット・サウンズ』ではどの音もしっかり配列されています。
この違いを私なりに解釈すると、スペクターはシングル主体の活動だったのでよりインパクトのあるサウンドを目指した一方、あくまでアルバムとしての完成度を高めようとしたウィルソンはその方法論には追従しなかったのだと思います。流石に40分もあの強烈なエコーを聴くのは気疲れしそうですからね。
しかもそこにザ・ビーチ・ボーイズのシグネチャーである美しいコーラス・ワークが乗っかる訳ですよ。ここがこの作品のサウンド面での色彩を決定づけてます。
演奏だけだとあまりに壮麗で、お高くとまった印象にもなりかねないとも思うんですが、そこにハートウォーミングなコーラスがあることで一気に親しみが持てるんですよね。それでいてメロディと絡んで切ない響きを演出したり、本当に色んな表情をこの作品に与えています。
ここまで書いていてもうサウンドだけでもお腹いっぱいになるくらいですが、そこがまず難解さの要因なのかなとは思います。とにかく情報量が多いので、一聴しただけではその繊細な妙味が見えてこないんです。
この作品は何回も聴いてようやく理解できると言う人も多いですし、実際私もその口ですが、それってこの作品で鳴っている音像を把握する作業が必要ということだと思うんです。
ここでこういう盛り上がり方をして、こういうコーラスがきて、みたいな、いわばこの作品の地図を描くことができるようになるまでは細かいところが見えてこないんですよね。その作業を終えた時、ようやくこの作品を楽しめるのではないかと思う訳です。
難解さの理由② あくまで普遍的なメロディ
次に触れたいのはメロディの部分ですね。ただ、もうこれはあまり言うことがないです。本当に素晴らしい、ため息の出るような旋律の数々。キャリア初期からブライアン・ウィルソンのメロディ・センスはずば抜けてましたが、この作品が完全にピークです。
どれも素晴らしいので楽曲を挙げて語るのも野暮ですが、『素敵じゃないか』のハッピーな感じ、『神のみぞ知る』の甘さ、『ドント・トーク』のとびきり荘厳な表現、もうなんでもありです。ポップスのメロディであれば間違いなくトップ・オブ・トップですね。
面白いのが、メロディの上で特別斬新な要素というのはあまりないんですよ。あくまでポップスとして親しみやすい、はっきりしたメロディの応酬。
もちろんそのバックにはさっき触れた堅牢な演奏がありますから従来の音楽とは全く違った質感ですし、ザ・ビーチ・ボーイズのそれまでの作品とも印象は違うんですけど。ザ・ビートルズのプログレッシヴな姿勢に触発されながらも、辿り着いたのがポップスの最深部だったというのはなかなか興味深いです。
例えば今日名盤とされている同時代の作品、それこそザ・ビートルズの諸作なんかは「どこが革新的なのか」が結構はっきりと感じ取れるじゃないですか。それまでのポップスにはない斬新なアプローチだったり、あるいはコード進行の複雑さだったりです。
ただ、この作品にはそういう「わかりやすい偉大さ」がないんです。どこまでいっても「いいメロディと美しいサウンド」だけのアルバム。ここもこの作品を掴みにくい要因だと思っていて。
大絶賛されているのにいざ聴いてみてもそこまで衝撃的じゃないというか、「なんとなくいい」で終わってしまいかねないんです。ただ、さっきも言いましたけどこの作品のメロディって間違いなく音楽史上でも最高峰なんですよ。奇をてらっていない、究極にエヴァーグリーンな旋律の数々。
この作品を鑑賞するコツは、そのメロディに身を委ねることだと思います。音符を1つ1つ丁寧に追いかけるようにこの作品を聴くことができれば、途端にこの作品の凄まじい完成度が理解できるようになる気がしますね。
難解さの理由③ B・ウィルソンの精神的自伝
ここで本作の特徴としてぜひとも指摘したいのが、全体的に漂う空虚さ、切なさの部分です。
楽しげなナンバーも収録されてますが、全体的には寂しげな印象があるんですよねこの作品。これほどゴージャスなサウンドなのに、実に不思議です。そこもこの作品をわかりにくくしていると思っていて、たとえメロディだけに注目して聴いたとしても、何かひっかかるものが残るんですよ。
この違和感の正体こそが、『ペット・サウンズ』最大の魅力であるブライアン・ウィルソンの精神だと私は考えます。
彼はよく孤高の天才なんて風に言われますが、この作品には彼の孤独や精神の限界がにじんでいます。それはたった1人でザ・ビートルズという怪物に立ち向かわなければならないという重圧であったり、バンド・メンバーとの間に生まれつつあった確執であったり、ドラッグによる錯乱であったり、本当に様々なんですが。彼の執念とも呼ぶべき作品への情熱が、音楽として保存されているんです。
そこを理解しないことにはこの作品の全容というのは見えてきませんし、だからこそ難解なんですね。本作を理解することは、1人の人間の精神の極限を理解することと同義ですから。
ここを理解するにはとにかく何度も聴くしかないですね。どれだけ彼の精神に寄り添うことができるか、言ってしまえばこの作品にどこまで同調できるか、それがこの作品の理解に大きく関わっているように思います。
私は『ペット・サウンズ』を聴くとき、この作品が人間の生まれるはるか以前からこの世に存在していたような錯覚を覚えます。ずっとそこにあったような、そんな感覚です。高い峰の頂や、どこまでも広がる海、咲き誇る花々のような、ナチュラルで人には触れることのできない美しさがこの作品には会えるんです。
それと同時に、夕暮れの帰路やうだるように暑い公園、そうした子供の頃の原風景もこの作品からは嗅ぎ取れるんですよね。矛盾しているようですが、私の素直な感想です。
それはひとえに、この作品の絶対的な完璧さ、そしてブライアン・ウィルソンの精神の欠片が見せる風景なんだと思います。簡単に言ってみましたけど、これって音楽の表現における極致だと思うんです。
そこに至っているからこそこの作品はポピュラー音楽史上の最高傑作なんですよ。アルバム作品としての価値観を切り開いた事実や、『サージェント・ペパーズ』の直接の影響元である、なんてことは今作の傑作ぶりを支えるエクスキューズでしかなくて、この作品の本質ではありません。
まとめ
ここまで長々と書いてきましたが、かくいう私もこの作品を完全に理解できているとは到底言えません。この記事を書くに当たって30回は聴き直しましたけど、それでもなお新しい発見があります。
それほどに深遠な一枚だからこそ、これまで長く愛されてきたのでしょうし、きっとこれからも永遠に名盤であり続けるんです。
もしこのレビューを読んでいただいた方の中に、一度は聴いたけれど挫折してしまったという方がいれば、是非もう一度手に取っていただきたい。そして、どこまでも続く迷宮の探究に挑戦していただきたいと、そう思います。そうするだけの価値がある作品であることだけは、この記事で保証しますので。
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