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1980年代の洋楽史を徹底解説!§5. ハード・ロック、第二の黄金期~HR/HMに見る「光」と「陰」の両面~

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今回も1980年代洋楽史解説をすすめていきましょう。バックナンバー、及び前シリーズにあたる1960年代、1970年代編はそれぞれこちらからどうぞ。

今回取り上げるテーマはハード・ロック、あるいは1980年代的に表現するならばヘヴィ・メタルです。現在でも多くのファンがいるこのジャンルですが、一口にHR/HMと言ってもそこには様々な変遷があり、そして1980年代的な意義が多分に含まれています。

1980年代を「光」と「陰」の時代と定義する本シリーズらしく、そのキャラクターにもフォーカスしていきながら語っていきましょう。それでは参ります。

「英国式ヘヴィ・メタルの新たな波」=NWOBHM

まずはイギリスでの動向に目を向けましょう。今回テーマとなるハード・ロックの再興の起点は、やはり常にロック・シーンをリードしてきたこの国によってもたらされるのです。

ただし、「再興」と表現した通り、決してハード・ロックは1970年代から絶えず栄華を誇っていたのではありません。むしろその逆、1970年代中後期においてハード・ロックは苦境に立たされていました。その要因はブリティッシュ・ロックにおける最大のブレイクスルー、パンクの一大センセーションにあります。

パンクの精神性において重視されたのが、旧態依然とした音楽性への反発でした。その中で、様式美的なハード・ロックのスタイル、わけてもテクニックへの拘泥肥大化するスケールはプログレッシヴ・ロックと並んで絶好の仮想敵となったのです。パンクの一群はこぞってハード・ロックを否定し、パンクの終息とともに勃興したニュー・ウェイヴと対比して「オールド・ウェイヴ(=時代遅れ)」の誹りを受けることになります。

また、時を同じくしてレッド・ツェッペリンディープ・パープルブラック・サバスといったシーンの代表格が相次いで解散やメンバーの脱退を発表します。たとえパンクの攻撃がなくとも、ハード・ロックがかつての活況を演じ続けるには限界があったでしょう。

しかし、このままブリティッシュ・ハード・ロックは衰退することはありませんでした。第二世代とでも言うべき、新たな担い手によってシーンは盛り返していくことになります。

その仕掛人とされているのがジェフ・バートン。雑誌「Sounds」の副編集長だった彼は、誌上で水面下で注目されていた新進気鋭のハード・ロック・バンドを取り上げます。彼が巧妙だったのは、「オールド・ウェイヴ」というハード・ロックへのネガティヴなイメージを払拭するように、そのバンド群を「New Wave of British Heavy Metal」、すなわち「英国式ヘヴィ・メタルの新たな波」と表現した点。この言葉をそのまま借用し、展開されゆくUKハード・ロックの第二幕、ヘヴィ・メタルの躍進は「NWOBHM」と呼称されます。

このNWOBHMを牽引したのは、アイアン・メイデンをはじめ、デフ・レパードサクソンといったバンド群。彼らはパンクが否定したハード・ロックの様式美をあえて強く打ち出し、そしてハード・ロック以上にテクニカルな演奏とヘヴィなサウンドによって新たなスタイルを構築していきます。ハード・ロックとヘヴィ・メタルに明確な差異は存在しませんが(以降、本稿では両者をHR/HMと同列に表記します)、NWOBHMの一群の音楽性はヘヴィ・メタルと表現する方がより自然でしょう。いわば、ハード・ロックはパンクの挑発に応えることでさらなる発展を遂げたのです。

Prowler (2015 Remaster)
NWOBHMムーヴメントを牽引したヘヴィ・メタル・バンド、アイアン・メイデンの1stより。バンドの顔役であるブルース・ディッキンソンは当時まだ加入していませんが、プログレッシヴ・ロックにも通ずる構築美と重厚感溢れるサウンドはまさにヘヴィ・メタルの典型例と評価できるでしょう。

このNWOBHMはチャート上位を独占するほどのムーヴメントには至らなかったものの、ニュー・カマー達の活躍は枯渇していたハード・ロックの市場に確かにリーチします。そして再注目が進む今を好機と捉え、1970年代から活動していたバンドもNWOBHMに呼応していくように。ロニー・ジェイムス・ディオを新たなヴォーカルに迎えたブラック・サバス、そしてそのブラック・サバスを追放されソロ・シンガーに転向したオジー・オズボーン、あるいはジューダス・プリーストモーターヘッドらがこれに該当します。

OZZY OSBOURNE – "Crazy Train" (Official Video)
ドラッグとアルコールへの依存が祟りブラック・サバスを追放されたオジー・オズボーンは、1979年に『ブリザード・オブ・オズ』でソロ・シンガーとしてキャリアを再出発させます。アメリカ出身の若き天才ギタリスト、ランディ・ローズを迎えた本作は、ブラック・サバス時代の諸作と並び彼の代表作として高く評価される1枚。

もっとも、イギリス国内においてこの時期に最大のトレンドだったのは過去に解説したニュー・ウェイヴであることには十分な注意が必要です。NWOBHMはハード・ロックを復興させることには成功しましたが、ヘヴィ・メタルという新たなフォーマットを生み出したことで、以降ポピュラー音楽の発展とは距離を置く独自の軌跡を辿ることになっていきます。それはイギリスを離れ、アメリカでも1つのスタイルを確立していくのですが、それについては本セクションの後半で語ることにしましょう。

アメリカに巻き起こる、グラム・メタルの大旋風

1980年代初頭のハード・ロック

ここで舞台をアメリカへと移しましょう。1970年代編のハード・ロックに関するセクションでも触れましたが、ハード・ロックは英米両国で同時に支持された音楽性。であれば当然アメリカにおいても、1980年代特有の歩みが見られるのです。

1970年代のアメリカン・ハード・ロックのスター・バンドといえばエアロスミスキッスですが、彼らは1970年代末にメンバー間の不和やドラッグの問題によって活動を停滞させていきます。この展開は奇遇にもUKシーンと歩調を合わせる格好となりますが、1つのムーヴメントの耐用年数を思えば妥当とも言えるかもしれません。また、アメリカでも流行したニュー・ウェイヴの台頭がハード・ロックを後退させたことも指摘しておきましょう。その変遷もあって、ハード・ロックの影響下にあったキャッチ-なロック・バンドの一群が「産業ロック」と揶揄されたのは§2.で語った通りです。

しかし、必ずしもハード・ロックの勢いがなくなった訳ではありません。イギリス同様、アメリカでも期待のホープがハード・ロックの新時代を担っていくことになります。その代表格として語るべきは、スーパー・ギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレン率いるヴァン・ヘイレン

1978年の1st『炎の導火線』でエディ・ヴァン・ヘイレンが披露した「ライトハンド奏法」は、世界中のギター・キッズを虜にします。ジミ・ヘンドリックスにもエリック・クラプトンにもなかった、その超高速のテクニックは彼とバンドをハード・ロックの新たなスターの座へと押し上げました。そして彼らは1980年代に入ると、ニュー・ウェイヴのアーティストが多用したシンセサイザーポップなアピールをサウンドに取り入れることでさらなる成功を勝ち取ります。

Eruption (2015 Remaster)
エディ・ヴァン・ヘイレンの代名詞とも言える「ライトハンド奏法」は、1st収録のこの楽曲で堪能できます。この奏法自体は既にジェネシスのスティーヴ・ハケットが取り入れていたものの、大々的にフィーチャーすることでギター・プレイに革命を起こしたのは紛れもなくエディ・ヴァン・ヘイレンの重要な功績です。

また、1980年代初頭に大ヒットを記録したハード・ロックとしてオーストラリアのAC/DCにも触れねばならないでしょう。1970年代から活動していた彼らは6th『地獄のハイウェイ』でアメリカ進出を果たしたものの、その翌年にヴォーカルのボン・スコットの急死という悲劇に見舞われます。バンドの存続すら危ぶまれる中、ブライアン・ジョンソンを新たなヴォーカルに迎えてリリースされたのがアルバム『バック・イン・ブラック』。本作は世界中で5000万枚を超えるメガ・ヒットを記録し、バンドは一躍世界的なロック・バンドとなります。

AC/DC – Back In Black (Official Video)
フロント・マンの急逝という危機に瀕しながらも、AC/DCは『バック・イン・ブラック』で力強いロックンロールを叩きつけてみせました。その迫力はバンドに巨大な成功を与え、本作の全世界累計5000万枚というセールスはあの『スリラー』に次いで歴代2位となる大記録です。

新時代のギター・ヒーロー、エディ・ヴァン・ヘイレン、あるいは最高峰のリフ・メイカー、アンガス・ヤング音楽性こそ違えど素晴らしいギタリストである彼らが率いた2バンドが成功を収めた事実は、以降語るHR/HMの隆盛が必然であったことを示唆するものとも言えるかもしれません。

グラム・メタルの大流行

さて、ここまで見てきた動向は実のところ1970年代から地続きなものです。個別に取り上げたバンドはどれも1970年代には既にデビューしていましたし、NWOBHMに関してもその起点は1970年代末ですから。ここからは、1980年代に成立したハード・ロックの潮流に本格的に踏み込んでいきましょう。

再三にわたってお話していますが、1980年代のポピュラー音楽、限定的に表現すれば「光」の側にある音楽は華々しさとキャッチ-さを個性としていました。そしてそれは、ビジュアル上のアピールも多分に含んでいます。ニュー・ロマンティックにしろMJにしろ、MTVというフォーマットの強みを生かして成功を勝ち取ったというのは過去のセクションでも語った通り。

そしてハード・ロックも、そうしたスタイルに同調していきます。けばけばしい化粧を施し、派手な衣装に身を包み、髪の毛はヘア・スプレーで膨らませる。このアプローチは1970年代にイギリスで流行したグラム・ロックと比較してグラム・メタル、あるいはその髪型の特徴からヘア・メタルと呼称されます。また、日本ではこのスタイルがロサンゼルス出身のバンドに多かったことからLAメタルとも。本稿では表現をグラム・メタルに統一しますが、この3つの語彙に差異はないことはお伝えしておきましょう。

このグラム・メタルですが、その名称に反して音楽性においてはT・レックスやグラム期のデヴィッド・ボウイからの影響は決して大きくはありません。グラム・ロックのカテゴリの中でルーツとして挙げられるのは、パンクの先駆けともなったニュー・ヨーク・ドールズくらいのものでしょうか。むしろグラム・メタルの音楽的様式は、アメリカン・ハード・ロックの古典が打ち出したハードかつキャッチ-なサウンドにその原型があります。

ギター・リフを骨子としつつメロディは非常にポップで、サウンドにおいてもゴージャスさを特長とした明解な音楽性は、その外見的な魅力もあいまって瞬く間にトレンドとなります。モトリー・クルーラットクワイエット・ライオットがムーヴメント初期を盛り上げると、ボン・ジョヴィドッケンといったバンドがその流れに乗じてヒットを連発。さらに、グラム・メタルの参照元だったエアロスミスやキッスも、この大流行を追い風にキャリアを再始動させました。

Mötley Crüe – Live Wire (Official Music Video)
モトリー・クルーの1st『華麗なる激情』のオープニングを飾ったナンバー。切り刻むようなギター・リフが痛快なヘヴィ・メタル・チューンですが、映画『マッドマックス2』から影響を受けたという彼らの華やかなファッションもグラム・メタルにおいて極めて重要。
Bon Jovi – Livin' On A Prayer
日本でも絶大な支持を誇るニュージャージー出身のバンド、ボン・ジョヴィの代表曲『リヴィン・オン・ア・プレイヤー』。この楽曲を収録した3rd『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』は1000万枚を超える大ヒットを記録し、バンドは世界最大のスタジアム・ロック・バンドへと成長しました。
Aerosmith – Angel (Official Music Video)
長らく険悪な関係にあったスティーヴン・タイラーとジョー・ペリーが和解を果たし、再起を賭けて制作されたアルバム『パーマネント・ヴァケイション』収録のヒット・バラード『エンジェル』。これまでになくゴージャスでポップな質感は、エアロスミスが目ざとくグラム・メタルに反応してみせた証拠と言えます。

ここで1980年代洋楽史の概観にのっとって議論を進めてみましょう。先に触れた通り、このグラム・メタルはHR/HM的に1980年代の「光」を表現したジャンルだと評価できます。それは音楽性においてもそうですし、外見的な個性、セックスやアルコールを取り上げた歌詞表現についても該当します。

しかし辛辣な表現をすれば、その華々しい「光」は煌びやかではあるものの、同時に享楽的でどこか空虚でもありました。そうしたグラム・メタルの脆弱性は1990年代に手厳しく批判されることとなるのですが、驚くべきことにこの弱点を克服したバンドがグラム・メタル・シーンの中から登場するのです。

グラム・メタルの真打にして「陰」をも描いた、ガンズ・アンド・ローゼズ

そのバンドの名はガンズ・アンド・ローゼズ。1987年というグラム・メタルの第一陣からはやや遅れてのデビューとなったガンズですが、1st『アペタイト・フォー・ディストラクション』はリリース当初のセールスが全米182位と振るわないものでした。しかし、MTVで同作収録のシングル『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』のビデオが放送されたことで一気に注目を浴び、アルバムはリリースから50週を経て見事全米1位を獲得します。

Guns N' Roses – Welcome To The Jungle
伝説的1st『アペタイト・フォー・ディストラクション』のオープニング・ナンバー、『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』。スパイシーで挑発的、しかしその実ハード・ロックの伝統に忠実という非の打ち所がない名曲で、彼らがHR/HMの歴史で最も優れたバンドの1つである所以が克明に刻まれています。

フロント・マンのアクセル・ローズは端正なルックスの持ち主ですし、『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』のビデオでも見られるそのけばけばしいバンド・アピールはやはりグラム・メタルの範疇で語るべきものでしょう。しかし彼らが他のグラム・メタル・バンドと決定的に違うのは、より本格的なハード・ロックを志向し、また冷ややかな攻撃性を有していた点です。

リード・ギタリストであるスラッシュのプレイはブルースに根差したロック・ギターの古典からの影響を色濃く感じさせますし、推進力のあるビートにはロックンロール的な堅実さがあります。またアクセル・ローズのヴォーカルもメロディを主体としたものというよりは、バンド・アンサンブルとの相互作用を打ち出すスタイルです。ギター・リフを軸にしたHR/HMという大きな枠組みではグラム・メタル全般とも共通するのですが、注意深く観察すればガンズ・アンド・ローゼズの音楽性はシーンの他のバンド群とは異なっていることが理解できるでしょう。

そして歌詞においても彼らは特異的でした。ドラッグやセックスを歌ったナンバーも多くありますが、それこそ『ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル』で歌われるのは大都会ロサンゼルスのダーク・サイド。1980年代のLAは極めて緊迫した状態にあり、警察権力の暴走や人種差別が横行していました。それは1992年に発生した「ロス暴動」で爆発するのですが、そうした社会の歪みへの視座をも彼らは持ち合わせていたのです。そこには、ガンズがハード・ロックだけでなくパンクからも強く影響されていた事実も関係しているでしょう。

ガンズ・アンド・ローゼズのこうしたルーツ志向と単にハッピーなだけに終始しない表現力は、グラム・メタルが演じた狂騒に警鐘を鳴らすものだったのかもしれません。あるいはこう換言してもいいでしょう。グラム・メタルの持つ華美な「光」が生み出す色濃い「陰」を的確に指摘したものと。当然ガンズ・アンド・ローゼズは大ヒットを記録しましたし、「光」の側で語るべき存在ではあるのですが、そこには確かに「陰」の性格もあったことはここで強調しておきたいと思います。

HR/HMの「陰」を鳴らしたスラッシュ・メタル

では本稿の結びに、HR/HMの一群の中でもより「陰」の側にある、スラッシュ・メタルの動向を見ていきます。

スラッシュ・メタルの音楽的な起源を端的に説明するならば、ハード・ロック、とりわけNWOBHM以降のそれとハードコア・パンクの接続と表現するのが妥当でしょう。ハードコア・パンクに関しては次回でも解説する予定ですが、ここではパンクの過激さをより突き詰め、スピードと暴力性に重きを置いたサブ・ジャンルとだけ理解していただければ十分です。そのハードコア・パンクに、NWOBHMの様式美的なドラマ性とテクニカルな演奏を持ち出したのがスラッシュ・メタル。

ヴェノムを筆頭にスラッシュ・メタルへと繋がる音楽性を展開したバンドはいくつか存在するものの、本格的にこのジャンルを開闢せしめたバンドこそ、今日でも史上最高のメタル・バンドとの呼び声高いメタリカ。1982年のコンピレーション・アルバム『メタル・マサカー1』に提供された彼らの楽曲、『ヒット・ザ・ライツ』をスラッシュ・メタルの産声とする見方が一般的です。その後メタリカは『キル・エム・オール』でデビューすると、『ライド・ザ・ライトニング』、そしてヘヴィ・メタルの最高傑作と誉れ高い『メタル・マスター』といった重要作品を次々に発表。着実にその支持を盤石のものにしていきます。

Master of Puppets (Remastered)
メタリカの代表作にしてスラッシュ・メタルの金字塔、『メタル・マスター』より表題曲。抒情的な展開とアグレッシヴな演奏を兼ね備えた本作はスラッシュ・メタルの1つの到達点であり、メタリカはこの作品での達成に満足したかのように以降音楽性を変化させていきます。後続のメタル・バンドへの影響力も絶大な傑作。

また同時期には、メタリカのギタリストとして活動していた経歴を持つデイヴ・ムステインが結成したメガデス、そしてスレイヤーアンスラックスといったバンドが台頭してきます。メタリカとあわせ、スラッシュ・メタル草創期に活躍したこの4組を日本では「スラッシュ・メタル四天王」と呼称しますが、彼らの貢献を思えばこの称号は決して大袈裟ではありません。

Peace Sells (2004 Remaster)
メタリカを強引に解雇され、「メタリカを越えるバンドを作る」という決意に燃えたデイヴ・ムステインが結成したのがメガデス。「インテレクチュアル・スラッシュ・メタル」を標榜する通り、複雑なギター・プレイとシリアスなモチーフを特長とする彼らは、見事メタリカと人気を二分するスラッシュ・メタルのビッグ・バンドへと成長しました。
Angel Of Death
「スラッシュ・メタル四天王」の中でも最も暴力的な音楽性を展開したのがスレイヤー。バンドの存在を世に知らしめた3rd『レイン・イン・ブラッド』は狂暴なサウンドもさることながら、その過激な歌詞でも話題を集めました。その中でも最も波紋を呼んだこの『エンジェル・オブ・デス』は、ナチ・ドイツ政権下で非道な人体実験を繰り返したヨーゼフ・メンゲレを主題にしています。

さて、このスラッシュ・メタルですが、商業的な規模を思えばグラム・メタルと勢力を二分するとは言い難いムーヴメントであったことは確認しておくべきでしょう。先述の『メタル・マスター』はゴールド・ディスクに輝いたものの、スラッシュ・メタル全体を見渡せばガンズやボン・ジョヴィのようなメガ・ヒットに恵まれた音楽性ではなかったことも事実。しかしその音楽的なスタンスを思えば、やはりグラム・メタルと比較してこそその意義が見えてくるのです。

特にスレイヤーに顕著ですが、彼らは政治や宗教、戦争に自殺といったヘヴィでシリアスな主題を作品に持ち込みます。そしてその音楽性は、先ほど説明した通り暴力的でダーク。そこにはポップスとしての煌びやかさは欠如していますし、視覚的なアピールも皆無と言っていいでしょう。このように、グラム・メタルが「光」のキャラクターによって流行したのとは対照的に、スラッシュ・メタルは「陰」の音楽性を打ち出しその勢力を拡大していったのです。「ダイナソー・ロック」、あるいは「産業ロック」という語彙からも見て取れますが、ロック・リスナーは過剰な商業化を忌避する傾向にあります。であれば、グラム・メタルの華々しさとポップ・アピールに辟易したメタル・ファンにとって、スラッシュ・メタルは実にお誂え向きの音楽性だったはずです。

また、1990年代以降のメタル・シーンの趨勢を見てみるとどうでしょう。グラム・メタルは時代の徒花として短命に終わった一方、スラッシュ・メタルを筆頭にしたエクストリーム・メタルの一群、あるいはオルタナティヴ・メタルという1990年代のトレンドに対応したメタル・サウンドは独自の勢力圏を獲得して生存していきます。これは次回語ることになる1980年代のロックのダーク・サイド全般に言えることでもありますが、1980年代の「陰」はむしろ1990年代以降にその存在感を増していくことになります。HR/HMの「陰」であるスラッシュ・メタルもこの性格を有していることは、今日から1980年代のポピュラー音楽史を鳥瞰する上で理解すべきポイントでしょう。

まとめ

  • 人気バンドの活動停滞やパンクの台頭によって失速していくブリティッシュ・ハード・ロックから、NWOBHMと称される新たな一群が登場。一定の成功を収め、1980年代のHR/HM流行の起点となる。
  • 同時期のアメリカでもハード・ロックの世代交代が進み、1970年代のバンドはシーンから後退する一方でヴァン・ヘイレンやAC/DCがメガ・ヒットを記録。ハード・ロックの根強い人気を示す。
  • MTVの勢力拡大に対応し、派手なヴィジュアルとキャッチ-な音楽性を展開するグラム・メタルのシーンが成立。次々にヒットを飛ばし、ハード・ロック第二の黄金期を創出する。
  • 一方で、NWOBHMとハードコア・パンクが接続して誕生したスラッシュ・メタルはその暴力性によってグラム・メタルとは対照的なサウンドを展開。当時のセールスではグラム・メタルに匹敵しないものの、以降のメタル・シーンに大きな影響を与える。

今回の内容を要約すれば以上の通り。正直なところHR/HMはそれほど明るくない分野ではあるのですが、かえって客観的で概観的な解説ができたのではないかと思います。

さて、今回のガンズ・アンド・ローゼズ、あるいはスラッシュ・メタルの解説で、ようやく1980年代の「陰」に踏み込むこととなりました。これまで「光」にクローズ・アップしてきたこのシリーズですが、現代からこの時代を振り返るのであればむしろ肝要なのはここから先、「陰」の部分であると言えるでしょう。残り数回ではありますが、その密度と重要性はこれまで以上になるとお考えください。

次回もロック史観的な解説にはなるのですが、パンク以降のロック・シーン、その中で「陰」を展開した音楽性を列挙しながら今日まで発揮されるその影響力を見ていくこととします。その多様性からいって長大なセクションになることが予想されますが、是非ともお楽しみいただければ。それではまた次回の解説でお会いしましょう。

コメント

  1. まっちゃん より:

    ボン・ジョヴィがビルボード1位を獲ったときの興奮を思いだしました。HR/HMは欧州では一定の市場があったものの、世界的に見れば一部のオタクの音楽でした。それが全米No.1となり、ホワイトスネイクやオジー・オズボーンもチャートを席巻。時代が巻き戻ったような気がしましたが、そこにガンズ・アンド・ローゼズがとどめを刺したのは確かです。

    しかし良い記事ですね。充実。的確。過去に読んだ音楽評論の中でも屈指の内容と感じました。

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