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1980年代の洋楽史を徹底解説!§1. ニュー・ウェイヴと「第二次英国侵略」

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今回からいよいよ本編に突入する1980年代洋楽史解説、しばしの間お付き合いください。

歴史解説のシリーズで私が口を酸っぱくして言及してきた、「歴史とは連続性の営みである」という主張。当然この連載でも重要なものとなってきます。ひとまずは過去シリーズにあたる1960年代編1970年代編も合わせて目を通していただけると幸いです。バックナンバーはこちらからどうぞ。

§0.の結びでも触れましたが、1980年代は「光と陰の時代」であるという私の持説にのっとり、「光」と「陰」の2つにこの時代を区別しながら議論を進めていきたいと思います。まずはひとまず「光」について、そして1970年代からシームレスに繋がるトピックを。すなわち、ニュー・ウェイヴのムーヴメントに関してです。それでは参りましょう。

ニュー・ウェイヴの性質

1970年代編の最終回でも触れたトピックではありますが、改めてここから。ニュー・ウェイヴの発展です。

「新たな波」を意味するニュー・ウェイヴは、パンクによって旧来のロックが否定された後の「新世代のロック」として生を受けます。この成立過程の段階で、大いにニュー・ウェイヴの性格というのが読み取れるのです。

まず、多くのニュー・ウェイヴで積極的に取り入れられたのがシンセサイザー。この電子楽器は1970年代には高価で、一部のロック・レジェンドは早くから導入していましたがアマチュア・バンドには手の届かない代物でした。しかしながら、1980年代に入ると比較的安価で入手できるようになり、ニュー・ウェイヴはこぞって電子音によるサウンドスケープを構築していきます。

また、旧来のロックにはなかったエッセンスの導入にもニュー・ウェイヴは意欲的です。ザ・ポリスレゲエを、NYパンクからニュー・ウェイヴに転向したトーキング・ヘッズアフロ・ファンクをと、ブルース直系のロックでは介入できなかったサウンドを強みとしたバンドが多く登場します。それゆえに、ニュー・ウェイヴと一口に言ってもその包含する音楽性は実に多様。

The Police – Message In A Bottle
ザ・ポリスの名曲『孤独のメッセージ』。2nd『白いレガッタ』収録のナンバーですが、原題”Reggatta de Blanc”を訳すと「白いレゲエ」となり、バンドのレゲエへの関心が克明に記されています。
Talking Heads – Once in a Lifetime (Official Video)
トーキング・ヘッズの『ワンス・イン・ア・ライフタイム』。この楽曲が収録された『リメイン・イン・ライト』はプロデュースにB・イーノを招き、アフロ・ファンクを導入したニュー・ウェイヴの決定的名盤と誉高い1枚です。

これは補足ですが、こうした性質を持つニュー・ウェイヴの台頭は、ロックにおけるブルース・フィーリングの喪失を含意するものでもあります。とりわけハード・ロックに顕著だった、マイナー・ペンタトニックを主体としたロック・ギターは今後鳴りを潜めていくことになるのです。

そして、ニュー・ウェイヴはパンクを出発点としつつも大衆的である、この点をよく理解しておいてください。実際、先述のザ・ポリスやトーキング・ヘッズだけでなく、ブロンディジョー・ジャクソン、後述しますがニュー・ウェイヴの派生であるニュー・ロマンティックの一派はチャート・アクションでも成功を収めていますから。

如何に音楽的に革新的で秀逸であっても、商業的な成功がなければ人口には膾炙しない。これはヴェルヴェッツやNYパンクが示したポピュラー音楽の原則です。この点において、ニュー・ウェイヴはパンクを遥かに上回る規模で時代に受け入れられるのです。

イギリスで活性化するニュー・ウェイヴ

ここからはニュー・ウェイヴというスタイルの草創期の動向を追いかけていくことにします。

ここでは以前のハード・ロックのセクション同様、アメリカイギリスに分けて話を進めていきます。そう、ニュー・ウェイヴはハード・ロック以来の、英米で同時進行されたロックなのです。ルーツとなったパンクは発祥こそNYでしたが、商業的な成功はイギリスに限定的でしたから。

アメリカのニュー・ウェイヴ

アメリカで最初にニュー・ウェイヴに反応したのは、パンク誕生の地CBGBに出演していたバンド群でした。彼らはどこまでも先進的で貪欲な表現性を有していましたから、パンクからニュー・ウェイヴへの転身も実に軽やかなのです。

パンクの発展形としてのニュー・ウェイヴであれば、先ほども名前を挙げたトーキング・ヘッズブロンディはその代表例として重く見るべきアーティスト。両者ともにチャート・アクションの上で成功を収めたという点も重要です。

Blondie – Call Me (Official Video)
ブランディの大ヒット『コール・ミー』。NYパンクのエッジを残しつつ、ダンサブルなビート、時代のセックス・シンボルとなったデボラ・ハリーの存在感によって大衆的なロック・ナンバーになりました。

また、ザ・カーズThe B-52’s、あるいはディーヴォといったバンドもこのムーヴメントを彩ります。正統派のパワー・ポップを展開したザ・カーズに、ロックンロールをキッチュに再解釈したThe B-52’s、奇妙なエレクトロ・サウンドに傾いたディーヴォと、それぞれに音楽性は大きく異なりますが、パンク通過後のより独創的なロックという点において、三者三様にニュー・ウェイヴの本質を捉えたアーティストです。

[I Can't Get No] Satisfaction
ディーヴォによるストーンズの『サティスファクション』の好カバー。ロックの大名曲を大胆に解体・再構築してみせたこのテイクは、文字通り「新しい波」としてのニュー・ウェイヴを象徴しています。

イギリスのニュー・ウェイヴ

さて、次に見ていくのはイギリスでのニュー・ウェイヴの動向です。

先ほどニュー・ウェイヴは英米両国で支持された音楽性だと述べましたが、より主流だったのはイギリスです。ザ・ビートルズを生み、ハード・ロックとプログレッシヴ・ロックの旋風吹き荒れ、パンクがチャートを席巻したかの国には、先進的ロックへの抗体がありますから。

エレクトロとロックの結びつき、そしてユニークなロックの初期段階を表現したのはデヴィッド・ボウイ。グラム・ロックの旗手だった彼は、元ロキシー・ミュージックでアンビエント音楽の開祖となるブライアン・イーノをプロデューサーに招いて「ベルリン3部作」と呼ばれる作品群を発表します。これらはクラウトロックへの接近を特徴としつつも、ニュー・ウェイヴを先取りした音楽性と評価することも可能です。

David bowie-Sound and vision
「ベルリン3部作」の第1作、『ロウ』からのナンバー。レコードB面は全編インストゥルメンタルの難解な作品ですが、A面のヴォーカル楽曲から漂う退廃的な未来性はニュー・ウェイヴの嚆矢としても解釈し得る代物。

さて、おそらくイギリス産のニュー・ウェイヴとして最大の成功を収めたバンドは、先ほど名前を紹介したザ・ポリスでしょう。美丈夫スティングをフロント・マンとした技巧派スリー・ピースだった彼らは、パンクの推進力をニュー・ウェイヴ的に再構築し、さらにはレゲエの要素を取り入れることで新たなロックを提示します

UKニュー・ウェイヴであれば、エルヴィス・コステロの存在を忘れる訳にもいきません。今日ではパワー・ポップブリットポップの祖としての評価も高い彼ですが、パンクの暴力性とナイーヴさ、そしてストレートでポップなソング・ライティングを併せ持ち、ニュー・ウェイヴの重要アーティストとしてそのキャリア初期を駆け抜けます。

Elvis Costello & The Attractions – Pump It Up (Official Music Video)
1977年というパンク・イヤーにデビューしたエルヴィス・コステロ。直線的なビートにはパンクの残滓を確かに感じさせながら、ポップスも難なく手がけるその才覚は「パンクのその先」を描くに足るものです。

その他にも多彩な音楽的土壌によってロックンロールからクラシックまでを横断した才人ジョー・ジャクソン、1980年代を席巻したシンセ・ポップを代表するバンドであるヒューマン・リーグらも、イギリスにおけるニュー・ウェイヴの重要なトピックと言えるでしょう。

The Human League – Don't You Want Me (Official Music Video)
ヒューマン・リーグ最大のヒットとなった『愛の残り火』。1970年代には未来的で高尚なサウンドを生み出した電子音を艶やかなポップスと結びつけたこの楽曲は、シンセ・ポップの傑作として高く評価されています。

UKニュー・ウェイヴは必然だった

さて、やや脇道にそれますが、なぜイギリスにおいてこれほどニュー・ウェイヴは広く受容されたのかについての言及をもう少し深めましょう。

当然、先に触れたようにイギリスには先進的ロックを受容するだけの抗体が歴史の中で培われてきた事実も無視できませんが、ここで私が指摘したいのは、「UKニュー・ウェイヴは必然性のムーヴメント」であるという側面。

1970年代初頭から中盤にかけて、イギリスではハード・ロックやプログレッシヴ・ロック、あるいはグラム・ロックが隆盛を誇りました。しかしシーンの巨大化に辟易する群衆の声を代弁するかのように、セックス・ピストルズが殴り込みをかけ、UKロックはパンクが席巻します。かつてカウンター・カルチャーだったはずのロックを、ロックから生じたパンクが討伐した瞬間です。

しかしロンドン・パンクは、旧世代の打倒の先の構想を持ち合わせてはいませんでした。燃え尽きるようにピストルズは解散し、パンク・ムーヴメントは短命に終わります。このことで、UKロックは真空地帯とでも形容すべき状況に陥ります。オールド・ウェイヴの価値は薄らいだ、しかしそれに代わるパンクも最早衰退している。

その真空地帯が生み出したロックへの乾き、これに応えるようにして、ニュー・ウェイヴは登場したのです。ニュー・ウェイヴがパンクと地続きだったことも大衆には嬉しかったことでしょう、ある種シームレスに、しかし発展的にロックの未来が提示されたのですから。

ニュー・ロマンティックが巻き起こした、「第二次英国侵略」

グラム・ロックとニュー・ウェイヴの接続

もう少しイギリスの話を続けましょう。ニュー・ウェイヴが注目を浴びるUKシーンから、派生するように1つのサブ・ジャンルが誕生します。その名も、ニュー・ロマンティック

ニュー・ウェイヴにすら飽き足らず、さらに新奇な音楽を求める一派が集うパーティーから誕生したこのムーヴメントは、1980年代の「光」を象徴するものの1つです。

音楽性として共通するのは、先ほどヒューマン・リーグを紹介する際に触れたシンセ・ポップ。ニュー・ウェイヴの特徴だったシンセサイザーの導入を全面に押し出し、キャッチーな楽曲を展開するというものです。

しかし音楽性以上に重要なニュー・ロマンティックの共通項は、けばけばしいほどに華美なファッションやメイク、そしてカテゴリの名にも冠される通りのロマンティックな美学

このスタイルのルーツを語るならば、再びD・ボウイの名を挙げることになります。1970年代のグラム・ロックが持っていた外見上でのアピールが、先祖返りするようにニュー・ロマンティックには取り入れられます。ここには、「ベルリン3部作」によってボウイが先進的なアーティストからも注目を浴びた背景があると考えてもいいでしょう。

ニュー・ロマンティックの代表格として挙げられるのは、アイドル的な美貌とキャッチーな楽曲で人気を博したバーミンガム出身のデュラン・デュラン、ユニセックスなビジュアルとセクシーな歌声を持つボーイ・ジョージ擁するカルチャー・クラブらがあります。

Duran Duran – Hungry like the Wolf (Official Music Video)
デュラン・デュランの代表曲『ハングリー・ライク・ザ・ウルフ』。シンセ・ポップでありながらロック・バンドとしてのタフネスも兼ね備え、ビジュアル/音楽性の両面においてとびきりキャッチーな彼らはニュー・ロマンティックを牽引する存在となりました。
Culture Club – Karma Chameleon (Official Music Video)
英米含め、16ヵ国でチャート1位を記録したカルチャー・クラブの『カーマは気まぐれ』。ボーイ・ジョージの個性的な出立ちに反し、丁寧でエヴァーグリーンなソング・ライティングが光るポップ・クラシックです。

「第二次英国侵略」の発生と背景

さて、ニュー・ウェイヴという多義的なスタイルの中で、なぜこのニュー・ロマンティックにこれほど注意を向けているのか。それは、ニュー・ロマンティックが商業的に極めて大きな成功を獲得したからに他なりません。それも、本国イギリスを飛び越え、ポピュラー音楽の総本山、アメリカで。

イギリスからやってきたニュー・ロマンティックの一派、そしてそれに続けとばかりにビリー・アイドルユーリズミックスといったニュー・ウェイヴのアーティストや、バナナラマのようなガールズ・グループまでがビルボード・チャートを席巻します。

Eurythmics, Annie Lennox, Dave Stewart – Sweet Dreams (Are Made Of This) (Official Video)
ユーリズミックスより『スウィート・ドリームス』。アニー・レノックスの妖艶でソウルフルな歌唱、そして気品あるシンセ・ポップのサウンドが美しい、1980年代の名曲です。

この大躍進は、人々に1960年代に発生した「あの現象」を思い出させます。そう、ザ・ビートルズを起点に多くのイギリスのロック・バンドがアメリカ市場に登場した、「ブリティッシュ・インヴェイジョン(英国侵略)」を。そしてその符合から、1980年代前半のこの一連の動向を「第二次英国侵略」と呼ぶことになるのです。

ここで、なぜ「第二次英国侵略」が発生したのかについて考えてみましょう。オリジナルである1960年代の「英国侵略」に関しては以前「1960年代洋楽解説特集」§2.で解説しましたが、そこには1950年代末のロックンロールの衰退、そして返答としてのブリティッシュ・ビートという背景がありました。巨大な現象には必ず理由があるのです。

しかし、「第二次英国侵略」当時のUSシーンが退屈だったかというとそうではありません。先に触れた通りアメリカでもニュー・ウェイヴは既に支持されていましたし、ジャーニーフォリナーといった「産業ロック」もセールス的に好調。国外からのカンフル剤を必要とする状況ではないと言えます。

では何が原因なのか?それこそが、音楽専門のケーブル・チャンネル、MTVの存在です。そしてこのMTVこそ、1980年代の「光」そのものでもあります。

MTVに関しては次回大々的に解説することになりますが、ニュー・ロマンティックの華やかなビジュアル性はMTVと高い親和性を持っていました。こうした時代のムードとの合致、需要と供給のタッグ・ワークによって、「第二次英国侵略」は起こるに至ったと考えることができるのです。

まとめ

今回の解説をまとめると、以下の通りです。

  • パンクからシームレスに、より発展的で多彩な音楽性を持ったニュー・ウェイヴが成立
  • 英米両国で支持されるムーヴメントだったものの、イギリスにおいてより大きな盛り上がりを見せる
  • ニュー・ウェイヴから派生したニュー・ロマンティックがMTVの隆盛と共にUSシーンでも成功を収める(「第二次英国侵略」)

今回は主にイギリスに注目しながら解説を進行しましたが、次回は舞台をアメリカに移します。ニュー・ロマンティックの項で触れたMTVをより深掘りしつつ、1980年代初頭のUSシーンを解剖していければと思っています。そしてそこには、音楽史上最大のスターの姿があるのですが。それでは次回をお楽しみに。

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