今回は久しぶりにアルバム・レビュー。取り上げる作品はマイケル・ジャクソンが2001年に発表した『インヴィンシブル』です。MJの作品は以前『スリラー』を扱いましたね。
そこここで言及しているんですが、「マイケル・ジャクソンという音楽家」は本当に過小評価されていると思っていて。
80’sのスターとして双璧を成すプリンスはシーンへの影響力の観点から近年再評価目覚ましいですが、一方のMJはどうにも見過ごされがちというか。
結構な音楽ファンでも「『スリラー』はもちろん聴いたし、なんなら『オフ・ザ・ウォール』も通ったよ」で終わっちゃってる人、多いんじゃないでしょうか。
それ、無茶苦茶もったいないですからね。
むしろMJの本質というか、彼のアーティストとしてのプレゼンスってそれ以降の作品で強く発揮される部分だと思っています。
そのスルーされがちな彼の作品群の中でも、完成度と評価が一番噛み合っていないのがこの『インヴィンシブル』です。なんなら個人的な好みでいうと彼の作品の中でダントツに好きですから。
今回はこのあまりにも見過ごされてきた傑作、『インヴィンシブル』の魅力を深く深く語っていこうと思います。
『インヴィンシブル』の背景
オリジナル・アルバムだと1995年の『ヒストリー』以来実に6年ぶりの作品がこの『インヴィンシブル』。(1997年に5曲の新曲と既発曲のリミックスを収録した『ブラッド・オン・ザ・ダンス・フロア』はリリースしていますが)
6年と聞くとかなりのスパンに感じられるかもしれませんが、MJって元からアルバム毎の間隔がかなり大きいアーティストなので、そこは通常営業感があります。ほっとけば勝手にアルバム出してるプリンスとは好対照ですね。
この間隔の長さは、ひとえにMJの完璧主義に由来する部分だと思っていて。別に彼制作スピードが遅い訳ではないんですが、とにかくお蔵入りが多いんです。
この『インヴィンシブル』制作にあたり候補に挙がった曲はなんと100曲以上。これ、MJのアルバム制作では割と普通のことですからね。
さて、MJはモータウン出身ですし、本格的なソロ活動の初期にはクインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎え入れていたことからもお分りいただけると思いますが、彼の音楽制作はワンマン体制ではありません。
むしろ、優れたプロデューサーやコンポーザーをバリバリ招聘して、チームでいい曲をアルバム1枚分作ろう、そういう姿勢なんです。これ、割と現代のポップス・シーンのあり方を先取りしている感もあると思うんですが。
この『インヴィンシブル』でもその手法は健在で、『デンジャラス』からの付き合いとなるテディ・ライリーや前作『ヒストリー』で素晴らしい活躍を見せたR・ケリーを筆頭に、腕利きのミュージシャンが数多く参加しています。
1曲目の『アンブレイカブル』に作詞作曲でクレジットされているの、MJ含め8人ですからね。この辺も1人でなんでもやるプリンスとの比較ができるところかと。どっちが優れてるとかそういう話ではなく、アーティストとしての性質として。
環境の変化①「ネオ・ソウルの台頭」
ここからは『インヴィンシブル』リリースまでにあったMJと音楽シーンを取り巻く環境の変化について。
まずは音楽シーンから見ましょうか。当時のブラック・ミュージック(ここも見過ごされがちというか、「ポップス」という大きな枠でMJを捉えがちだと思うんですが、彼は骨の髄まで「ブラック・ミュージック」のアーティストです)には「ネオ・ソウル」の旋風が吹き荒れています。
これは以前ディアンジェロの『ヴードゥー』のレビューで触れた話なので詳細は割愛しますが、要するに1970年代のソウルと直接的な関わりを持つサウンドが当時は志向されていた訳です。
これ、MJにとってとんでもない追い風なんですよね。なにせ彼はソウルの殿堂アポロ・シアターで数々の伝説から技を盗み、ソウル生産工場モータウンで頭角を表し、ブラック・ミュージックの生き字引クインシー・ジョーンズと共に全盛期を迎えた訳ですから。
彼のDNAに刻み込まれたブラック・ミュージックのフィールを全面に押し出すことができる舞台が整った、これほど御誂え向きのことはないです。
この後音楽にフォーカスする時により詳細に語りますが、アップ・テンポの楽曲ではヒップホップ的ビートの上にクラシカルな「踊れる」グルーヴを追加していますし、バラードなんてもう彼の真骨頂と言わんばかりの名演揃い。時代に応じて音楽をアップデートしつつも、MJの「芯」の部分をフルパワーで発揮しています。
環境の変化②「実子プリンス、パリスの誕生」
次に見るのは彼の私生活の部分。アルバム『デンジャラス』以降、彼の音楽は私小説的な要素を多分に含んでいますから。彼自身の環境というのも音楽に色濃く反映されてきます。
とはいえ、最大のトピックはやはりこれに尽きるでしょうね。デビー・ロウとの間に授かったプリンス、パリスという2人の子供の存在です。
一応音楽ブログなのでマイケル・ジャクソンという個人の善性にここで踏み込む気はないんですが、生来の子供好きである彼が父親になったというのはすごく精神的に大きな変化だと思っていて。
これが強く出ているのは歌詞の部分でしょうね。深読みしすぎかもしれませんが、私はこの作品の楽曲のほとんどに「父親としてのマイケル・ジャクソン」の宣誓を感じられると思っていて。これも後で語りますが。
強気な歌詞であれ慈愛に満ちたものであれ、これまでの彼の楽曲にはない筆致がそこにはあるような気がします。特に前作『ヒストリー』が彼の絶望や怒りにフォーカスしたものだったが故に、そのコントラストというのは実に強烈で。
さっき触れた彼のブラックネスの発揮の部分とも実は関係してくるトピックだと思うんですよね。流行のニュー・ジャック・スウィングからより本質的なソウルに立ち返ることで、彼の力強さだったり繊細さだったりがよりリアルに表現できている感がありますから。
『インヴィンシブル』解説
随分と前置きが長くなってしまいました。いかんせん大好きなもので、ついつい脱線してしまいます。
このアルバムの楽曲の性格は、2つのタイプに大別できると思います。「ポップスター的マイケル・ジャクソン」と「ソウル・アーティスト的マイケル・ジャクソン」にです。
この2つのカテゴリに分けて、そのそれぞれを分析する形でこの作品の内容に迫るとしましょう。
「ポップスター的マイケル・ジャクソン」
最も分かりやすい部分でいくと、『アンブレイカブル』、『ハートブレイカー』、そして表題曲『インヴィンシブル』の冒頭3曲がこのタイプの楽曲ですね。
特に『アンブレイカブル』に関しては当初シングルにする予定だったくらいで、MJにとっても渾身の出来栄えだったみたいです。伝説のラッパー、ノトーリアスB.I.G.の同名楽曲を参照した楽曲で、凶弾に倒れたビギーのラップが楽曲中に登場するというサプライズも。
それまでもMJの楽曲にはしばしばラップの要素というのはあったんですが、このネオ・ソウルを受けての作品ではより自然な印象があります。ロックでいうギター・ソロのような、「必殺技」感が無理なくポップスの中に調和しているというか。
それで、このタイプの楽曲群に共通するデジタルなビート感というのは、ひとまず『バッド』や『スムーズ・クリミナル』のようなナンバーから地続きに評価することもできます。マイケル・ジャクソン的ビートのお家芸ですね。
その上で、このアルバムの楽曲って全体的にテンポがゆっくりなんですよ。リズムの取り方がかなり大きくなっているというか、これまでの俊敏に刻むビートとはかなり質感が違うと思います。
『ハートブレイカー』にそれが顕著ですね。リズムを構築するサウンドの手数自体はかなり多いんですけど、実際にリズムを取ってみると結構ゆったりしたものであることに気づくと思います。
これこそ、さっき触れたMJのブラック・アメリカンとしてのフィールの部分なのかなと。『バッド』以降薄らいだ「グルーヴ」の要素を、現代的サウンドとMJ印の中にしっかり主張することに成功していると言えると思います。
ただ、単にR&Bのアルバムかというとそうでもないんですよね。スラッシュをゲストに迎えてのヘヴィなロック・ナンバー『プライバシー』も収録されていて、総合音楽エンターテイメントとしてのバラエティもキープしています。その辺の如才なさというのが、彼が「キング・オブ・ポップ」たる所以でしょうね。
「ソウル・アーティスト的マイケル・ジャクソン」
ここまでに紹介した「ポップスター的マイケル・ジャクソン」の楽曲も絶品なんですが、このアルバムの醍醐味はむしろこっち。彼のルーツたるブラック・ミュージックの部分が全面に出てきた楽曲群です。
手始めにこの曲、アルバムのリード・トラックとなった『ユー・ロック・マイ・ワールド』から見ていきましょう。
このグルーヴィーでセクシーなサウンド、クラシカルなソウルにそのまま接続できると思いませんか?それこそ21世紀的モータウン・クラシックのような心地よさと隙のなさ。
このメロウかつダンサブルなサウンド感の極致が、前述のアッパー・チューン3連続の直後に始まる『ブレーク・オブ・ドーン』。
この曲なんてもろにネオ・ソウルですよね。MJの歌声もR&B的な「粘り気」の成分が強めですし、ここまでアダルトなサウンドを展開する楽曲ってこれまでのディスコグラフィーではほとんど見られないと思います。
そう、この「アダルト」というのもこの作品を語る上で外せないモチーフですね。言い換えれば、これまでになくセクシーなアルバム。
歌唱の部分で言うと、『ヘヴン・キャン・ウェイト』という楽曲ですかね。この曲の後半部のMJのフェイクなんて、実に男性的でパワフルです。
ちょっと話は逸れますが、『2000ワッツ』のデジタル処理されたという噂も流れたほどの低音ヴォーカルから、『バタフライズ』の2番で聴けるとびきりのファルセットまで、この作品で聴ける音域の振れ幅というのは過去最高なんですよね。
MJの歌声って基本的に中性的で、高音やファルセットの清浄さにその個性を見出している方も多いと思います。ただこのアルバムでの歌唱は、その魅力を保存した上でそこにタフネスの要素を追加しています。
これ、先に触れた実子の誕生が関係していると個人的には思っているんですがどうでしょう。彼の父性が、歌声の男性性に浮かび上がっているんじゃないかと。流石に邪推でしょうか。
バラード・アルバムとしての『インヴィンシブル』
ここまでに見てきた2つの性格の楽曲で、『インヴィンシブル』が従来のMJ像と、そして時代に対応しつつも彼のルーツを反映させた新機軸が共存するアルバムであることはお分りいただけたと思います。
ただ、まだこの作品には聴きどころがあるんですよね。この両方の性質を備えているとでもいうべき楽曲群、バラードです。
ジャクソン5時代の『アイル・ビー・ゼア』やソロ最初期の『ベンのテーマ』に始まり、マイケル・ジャクソンはバラードの名手です。もちろん卓越した歌唱力と表現力あってのことですが。
そのMJのバラードの完成形が垣間見えるのが、この『インヴィンシブル』というアルバムだと思います。ここまでに紹介した数々の名曲がありながら、私は『インヴィンシブル』を「バラード・アルバム」と認識しているくらいで。
実際、バラードとは言い切れないまでもメロウなスロウ・ナンバーも入れれば、アルバムの半分くらいはそういうテイストの楽曲なんですよね。
さて、そのバラード群から2曲連続で紹介しておきたいんですが、この『スピーチレス』と『ユー・アー・マイ・ライフ』を聴いていただきたいと思います。ちなみに両方作曲はMJ本人。
さっきも出てきた男性的なヴォーカルの成分もありつつ、慈しみがたっぷり込められたその表現力たるや。名シンガーとされる歌手は数多いますが、この表現力は正直他の追随を許さないものじゃないでしょうか。
特に『スピーチレス』のイントロとアウトロのアカペラなんてすごいでしょ?無茶苦茶個人的な好みの話なんですが、イントロでは低く繊細に歌い出す一方で、アウトロでは音程と声量をグッと上げて「言葉にできない愛」というテーマを歌声で表現している部分なんてもう天才的です。
この2曲はMJにとってもフェイバリットのようで、「生涯で1曲しか歌えないとしたら?」という質問に悩んだ挙句この2曲と『ヒール・ザ・ワールド』を挙げているんですね。『ヒール・ザ・ワールド』は彼の設立したチャリティ団体の名にもなるほど彼にとって象徴的な楽曲ですから、そこに並ぶほどのお気に入りというのは大きな意味があります。
他にも『ドント・ウォーク・アウェイ』に『ザ・ロスト・チルドレン』に、とにかく優しい名バラード揃い。バラードに関してはMJ単独の作曲も多いですし、メロディ・メーカーとして、シンガーとして、すなわち1人のアーティストとしての彼の才能が溢れ出ている部分だと思いますね。
「遺作」ではなく、「新たなMJ」の宣言
ここまで音楽的な内容を思いっきり主観的に語りましたが、ここからは彼のキャリアの中での『インヴィンシブル』というアルバムの持つ意味合いについて。
ここのところを理解しておかないと、『インヴィンシブル』というアルバムを誤解してしまう気がするんですよね。
どういうことかと言うと、この作品は結果的に「遺作」になっただけで、内容にそういった性質は感じられません。それこそフレディ・マーキュリーにとっての『イニュエンドウ』やデヴィッド・ボウイにとっての『★』、あるいはザ・ビートルズにとっての『アビー・ロード』とは性質的に異なります。
1つに、『インヴィンシブル』は当時の音楽にアップデートされた、極めて現代的な志向の音楽作品です。キャリアの総決算的な要素は確かにあるんですが、それと同時に新たなフェーズに突入しようという気概が感じられるんですよ。
すごく象徴的なのが最終曲『スレトゥンド』。前述の2つのキャラクターでいうと前者、「ポップスター的MJ」のタイプの楽曲なんですが、ホラーを題材にしています。
MJでホラーというと当然『スリラー』を想起すると思いますし、彼自身そのことには自覚的でしょう。そういう、過去作品へのオマージュの部分も感じさせる楽曲ではあるんですよ。(それとは別にMJは根っからのホラー映画ファンなので、単に彼の趣味という側面もあるでしょうが)
で、この曲のイントロとアウトロには如何にもイヤな予感のするナレーションが挿入されているんですが、その最後の最後、つまりアルバムのラストをナレーションはこう結んでいます。
What you have just witnessed
could be the end of a particularly terrifying nightmare
it isn’t
it’s the beginning
貴方がたった今目撃したものは
実に恐ろしい悪夢の終焉とお思いかもしれません
しかしそうではありません
これは始まりに過ぎないのです……
“Threatened”より引用(抄訳:ピエール)
表面的にはホラー映画にありがちな意味深なラストの演出ってところでしょうが、久々のアルバムのラストの文言となるとその印象は変わってくると思います。
「これは始まりに過ぎない」、つまりこの作品は新たなマイケル・ジャクソンのレガシーの始まりであると宣言しているように思えませんか?
それこそアルバム・タイトルだって「無敵」を意味する”invincible”ですし、1曲目は「僕は誰にも打ち砕かれない」と挑発的に宣言する『アンブレイカブル』。キャリアをまとめる気がさらさらない、前のめりかつ自信満々な姿勢です。
それに、アルバムに込められた彼の想いならば、何度か取り上げた彼の父性の部分も重要ですね。
「無敵」だったり「誰にも打ち砕かれない」というのは父親として子供を守るという意気込みとも取れますし、「まだ天国には行けないんだ」と歌う『ヘヴン・キャン・ウェイト』に「君たちの愛は魔法みたいだ」と慈愛に満ちた告白をする『スピーチレス』、『ユー・アー・マイ・ライフ』なんて「君は僕の昼であり僕の夜、僕の世界そのもの」とまで歌っていますから。
もちろんどれもラヴ・ソングの体裁をとってはいるんですが、ある種のダブル・ミーニングというか、より広義での「愛」をテーマにした作品のような気がするんですよね。
そんな強い決意や自信を表明した作品が、遺作な訳がありません。その後彼は忌まわしい陰謀に巻き込まれ最悪の時期を迎え、そして復活をかけたステージの直前にこの世を去ってしまうのですが、それはあくまで結果論。
彼はあくまでこの作品で再起を図ろうとしていますし、そうするに足る素晴らしい作品なんですよ。悲劇的な目線でこの作品に向き合うのは間違いだと、ここで主張しておきます。
まとめ
久しぶりのアルバム・レビューでしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
この『インヴィンシブル』は、彼のキャリアの中では最も影が薄く、商業的にも失敗とされているのは残念ながら事実です。
とはいえ現在までに1200万枚を売り上げているんですよね。あくまでMJのバケモノじみたセールスの中で比較すればという話でしかないんです。そりゃ『スリラー』と比べたらだいたいの作品は売れてない扱いになりますから。
それに、この作品リリース後にはワールド・ツアーも企画されていたんですが、911同時多発テロの影響で白紙になってしまったんですよね。音楽業界全体も自粛ムードで、満足なプロモートができなかったという側面もあります。
MJと所属レーベルであるソニーとの対立もこの不振に影響しているでしょうね。この話は無茶苦茶ややこしいのでここで話すことでもないんですが、とにかくそういった様々な外的要因がこの作品の当時の評価を貶めていた事実はあるんです。
でも、現代においてこの作品を批評するのであればそうした部分は大いに無視してしまっていいと思うんです。厄介な話を抜きに、単に音楽作品として『インヴィンシブル』に向き合うべきでしょう。
そうすれば、如何にこの作品が軽んじられているか、そして如何にこの作品が優れたポップス・アルバムであるか、それは簡単に理解できるのではないでしょうか。
そのガイドとしてこのレビューが参考になれば嬉しいですね。埋れてしまった名作を思う1人の音楽マニアとしてもそうですし、マイケル・ジャクソンというアーティストを心から尊敬する1人のファンとしても。それではまた。
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