邦楽の方ではまだいわゆる「名盤」扱いされている作品を扱っていませんでしたので、ベタな作品のレビューといきましょうか。今回レビューするのは邦楽界の女帝こと椎名林檎のデビュー作、『無罪モラトリアム』です。
椎名林檎の存在感というのも邦楽において本当に奇妙なものがありますよね。今でこそ紅白の常連で、「再生」した東京事変も人気ですし、職業作曲家としての楽曲提供にも枚挙にいとまがありません。挙句には東京五輪の演出チームに任命されるほどですから(こちらは残念なことにその任を退いてしまいましたが)。ただ、この『無罪モラトリアム』をリリース当初に聴いていた人にこんな未来はまず想像できなかったんじゃないでしょうか。
作品全体のトーンは一言で言えばオルタナティヴ・ロックで統一されています。1曲目の『正しい街』のイントロ、強烈なドラム・フィルとエフェクトをたっぷりとかけた歌声がこの作品の方向性を雄弁に語っていますね。日本のシーンでいくとNUMBER GIRLやBLANKEY JET CITYあたりからの系譜でしょうか、シンプルかつ荒いバンド・サウンドが推進力を生むタイプの、十把一絡げに言えばよくあるロック・ミュージック。ただ、それだけの作品が邦楽史に残る大名盤であるはずもなく、しっかりと聴き込めば驚くほど微妙で多彩な表情が見て取れるアルバムなんです。
楽曲レベルで見ていくと、まずは代表曲でもある『丸の内サディスティック』に注目してみましょう。メインのリフが鍵盤ハーモニカというエキセントリックな始まり方で、このチープなサウンドが退廃的な楽曲の空気感に寄り添っています。この鍵盤ハーモニカの役割は本当に大きくて、実はこの曲ギターが参加していないんです。ここまでオルタナな質感なのにギターを使わないというアプローチには驚かされますが、その代替として鍵盤ハーモニカが至るところで効果的に使われているんですね。楽曲のテイスト自体もスウィングしたリズム感から分かるようにジャズからの影響を感じさせますし、この辺りからこの作品の懐の深さは理解できるかと。
そもそも椎名の音楽的土壌というのがかなり広大で、オルタナティヴや欧米の古典的ロックに始まり、ジャズ、シャンソン、バレエ音楽と何でもありです。その数々の引き出しを、作品の温度感を損なわないようにコントロールしながらも絶妙に使い熟しているんですね。その端的な例としてこの『丸サ』はとても象徴的です。
引き出しというところでいくと、次曲『幸福論(悦楽編)』は面白いですよ。これ、『幸福論』という彼女のデビュー曲のセルフ・カバーというかアレンジ・ヴァージョンなんですが、原曲はかなりキャッチーに仕立ててあるんですね。ブラスのリフが印象的ですし、テンポもスロウでかなりJ-Pop的です。ところが、この『悦楽編』は最早全くの別物。歌メロ以外は完全に違う曲ですね。本作のテイストに近づけた強力なロック・チューンに変貌しています。こういう強引なまでのアレンジは、彼女の音楽の選択肢の広さを如実に表しています。この両極端な音楽性を彼女はごく自然に内包しているということですからね。
話は逸れますが、それこそ『丸サ』も彼女のキャリアの中で幾度となくアレンジを変えて披露されている曲ですからね。東京事変時代に発表したソロ作『三文ゴシップ』に収録された『EXPO Ver.』では一部を英詞にリライトし、よりアダルティな楽曲として再構築していますし、コンサートでも毎回大幅なアレンジを加えて演奏されています。むしろオリジナル通りの演奏で聴くことの方がレアなほど。
この彼女の才能を敷き詰めた、とびきり高尚な落書き帳のようなアルバムを可能にした立役者として忘れてはならないのが、本作のアレンジャーにしてベーシスト、そして東京事変のメンバーとして椎名とは長きにわたって音楽的パートナーとなる亀田誠治。今でこそJ-Pop職人として名の通っている彼ですが、プロデュース業はこの作品がほぼ初めてだったようです。椎名と亀田によって制作の大部分は進められたんですが、経験値の浅いこのタッグだからこそ、全くお利口さんではない尖った作品にできたという側面はあると思います。
お利口さんではない、とは言いましたが、本作ってあくまでポップでもあるんですね。だからこそミリオン・セールスを記録した訳ですし。そこには椎名の天性のメロディ・センスもあったでしょうけど、亀田の手腕によるところも大きいんじゃないかと思います。彼のその後のキャリアや、それこそ東京事変時代の作曲を見ればわかりますが、この人はアーティストの個性を消さない範囲でポップにするというバランス感覚に非常に長けているんです。その能力が本作でも発揮されていたとして何の不思議もありませんからね。
亀田の貢献は演奏面でも冴え渡っていて、さっき例に出した『丸の内サディスティック』のベース・ソロに始まり、『積木遊び』のファズ・ベースであるとか、『シドと白昼夢』の歌うようなベース・ラインであるとか、印象的なプレイを数多く提供しています。これらが果たして椎名の構想の段階からこれほどベースが主張する楽曲だったのかどうかはわかりませんが、亀田への信頼が垣間見えるようですね。それに、本作のレコーディング・メンバーの采配も亀田に一任されていたそうですし、彼なくして『無罪モラトリアム』はなかったとすら言えると思います。
さて、そうは言っても本作はあくまで椎名林檎の作品。彼女がこの作品で見せている魅力に戻りましょうか。作曲面での多彩さというのは既に書いた通りなんですが、次に注目したいのは彼女の歌唱です。
この人のメロディの拾い方って本当に独特だと思っていて、ちょっと上ずったような部分をかすめていくんです。先行シングルとしてヒットした『ここでキスして。』のAメロなんかは結構顕著だと思うんですが、違和感は与えない程度にふらついた音程をしている気がします。まっすぐ歌う曲もあるのでこの歌唱法は間違いなく意図的なものなんですけど、それをデビュー作の段階で表現しているというのがもう流石です。明るくないので断定はできませんが、この気ままな歌唱にはどことなくシャンソンとの関連を感じてしまいます。それでいてこの作品の前提であるところの破滅的なロック・ヴォーカルもしっかりとこなしている訳ですからね。
歌唱法に目を向けましたが、その根本にある彼女の声というのもかなりの個性があります。少なくとも一般的な女性シンガーからイメージされる声質ではないですよね。もっと毒々しく、狂気的で、背筋がゾクゾクするような魔性の歌声です。そこに加えて今作ではどこか少女のようなあどけなさ、あるいは淋しさのようなものも感じられて。『積木遊び』なんかで感じ取れるエッセンスですね。どんどん魔女のような超然としたスタイルを確立していった彼女のカタログの中で、こうした可愛らしさは結構レアなんじゃないかと思います。
ここまでに示した作曲や表現における変幻自在のしなやかさというのは椎名林檎というアーティストの特筆すべき才能で、それはキャリアを貫いて主張されている訳ですが、本作が特別に高い評価を受ける理由としては、そのしなやかさの中に若さ故の意固地さが見え隠れしているという部分があると私は睨んでいます。
どういうことかというと、本作は椎名が10代の時に書いた楽曲を中心としていて、それまでの彼女の集大成なんです。つまり、この作品では「椎名林檎」が主張している。それは例えば『茜さす 帰路照らされど…』で見せる脆さだったり、『丸の内サディスティック』で見せるベンジーへの憧憬だったり、そういう彼女そのものの感情というのは次作『勝訴ストリップ』以降極端に減ります。それを意固地さと表現した訳ですが、その生々しさが聴き手の心に刺さるんだと思います。
実際タイトルの『無罪モラトリアム』もモラトリアム、つまるところ未熟さや漠然とした不安の肯定ですからね。こういったメッセージ性も彼女には珍しいものがありますし、歌詞だって随分と「等身大の女子」像を描いているものが多い。『ここでキスして。』や『モルヒネ』なんかの歌詞には共感を得た女性もいたのではないでしょうか。もっとも『歌舞伎町の女王』のようなかなり突き抜けたフィクションもあるんですが。
そうした彼女の人格の部分をこの作品では余すことなく描いているし、同時にこの作品の中で捨て去ってしまったとも言えると思います。アーティストとしての「椎名林檎」を確立するための決別。だからこそ『無罪モラトリアム』は特別な作品となり、単に椎名林檎の衝撃のデビュー・アルバム以上の普遍的な価値を持つに至ったのではないでしょうか。何にせよ名盤であることに疑いの余地はありませんし、あまり邦楽を聴かない方への入門としても胸を張って薦められる作品です。もし未聴という方があれば、是非。
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