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夕日信仰ヒガシズム/amazarashi (2014)

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前回人間椅子を取り上げた時に青森出身の尖ったアーティストという意味で共通するなとふと思ったので、今日はamazarashiの作品を扱っていきます。2014年発表の2枚目のフル・アルバム、『夕日信仰ヒガシズム』です。

最初に確認しておきたいんですけど、amazarashiの存在感ってかなりシーンの中でオンリー・ワンなんですよね。多様化した今日の邦ロックの中でも特にエッジィな部分で表現してると思います。そもそもロックなのかも怪しい部分がありますからね。編成はデュオですし、そこまでバンド・サウンドを押し出すタイプでもないですし。どちらかというとシンガー・ソングライターみたいな認識の方が正しいかもしれません。

冒頭で触れたように本作はフル・アルバムとしては第2作ですが、これが活動初期の作品という訳でもなく、それまでの彼らの活動はミニ・アルバムが主体だったんですね。本作リリースの段階でインディーズ時代含め7枚くらいはミニ・アルバムで音源を発表してます。なのでこの段階でamazarashiの表現というのは確立されていて、それをアルバム作品のフォーマットでしっかりやり切ったのが本作、というのが個人的な印象です。1つ前のフル・アルバム『千年幸福論』で獲得したであろう方法論を発展させて一皮剥けたような感があるんですよね。

音楽的には基本的にピアノをフィーチャーしたサウンドが特徴ですね。ストーリーテリングみたいな手法もよく取りますし、楽曲によってはポエトリーリーディングもするので、演奏で聴かせるというよりはあくまで歌声で世界観を構築するというイメージです。でも、ただ単に伴奏というのでは52分の作品を聴かせるには単調すぎてしまうので、スパイスとしてリズム・セクションで結構気持ち悪いことを仕掛けてきます。アップ・テンポな楽曲、例えばリード・トラックの『スターライト』を聴けばドラムの絶妙な違和感みたいなところはわかっていただけるかと。

amazarashi 『スターライト』

もちろん、前提として歌唱、もっと言えば後で言及する詩の部分を強調したいというのがあるので、しっかり控えめになるところは抑えられています。この辺りの緩急の妙がこの作品では格段に洗練されているんです。30分くらいのミニ・アルバムだとある程度楽曲のパンチだけで乗り越えられてしまう部分ではありますし、『千年幸福論』は全体的にグラデーションが希薄な気がするんですよね。でも本作ではそのバランスがすごくよく取れていて。古いロックをメーンで聴く人間としては50分を超えてくるとちょっと聴くのが辛いこともありますが、この作品はそこをきっちりクリアしているんですよ。

で、少し触れましたけどamazarashi最大の魅力はやっぱり歌詞。公式サイトには全曲の歌詞が載ってますし、アーティスト側から歌詞を楽しんでほしいというメッセージが強烈に発信されてます。そんな態度のアーティストの歌詞がまさか凡百なラブ・ソングというはずもなく。通底するテーマとしては「不条理」や「絶望」、「自己嫌悪」みたいなところが挙げられると思います。この辺は同郷の太宰治からの影響だと作詞を手掛ける秋田ひろむが公言しているようですね。『人間失格』に引き続き太宰の名が出てきましたが、青森人にとってやっぱり特別な作家なんですかね?もちろん青森のみならず日本が誇る文豪ではありますけど。

いくつか本作収録の楽曲の歌詞を引いてみましょうか。amazarashiらしい部分がわかりやすく出ているところだと、まずは『穴を掘っている』からこの一節。

親父がよく言っていた 「悪人も天国に行けるぜ」

だって神様も悪人 だって事はガキだって知ってるぜ
泣いても喚いても祈っても こんな世界に生れ落ちたのが証拠
人生そんなもんなのかもね 諦めは早けりゃ早い方がいい
僕は僕を諦めたぜ 生まれてすぐさま諦めたぜ

もう一読していやらしい歌詞ですよね。秋田の厭世観みたいなものがこれでもかと表現されてます。現状に不満を言うんではなく、諦念が滲んだ投げやりな歌詞表現がamazarashiらしいというかなんというか。人生への虚無感ならこれもえげつないですね。

夢は必ず叶うから って夢を叶えた人達が
臆面もなく歌うから 僕らの居場所はなくなった
ヨクトは散々失った 人としての最小単位だ
カビ臭い部屋に寝転んで 世界が終わるのを夢想する

『ヨクト』という楽曲のサビの歌詞ですけど、仮にも歌手が「夢は必ず叶うから」って歌うことにやるせなさを感じてしまうという。こういう劇毒のような歌詞が至るところに出てくる訳ですよ。幸せな人にとっては辛気臭いことこの上ないんですけど、生き辛さみたいなものを抱えている人には深いところに突き刺さりますね。このレビュー書いている段階でおわかりいただけると思いますが私は後者なのでこういうのは大好物です。共感はしないんですけど、共鳴するものはあるというか。

amazarashi『穴を掘っている』“Digging Holes”

ただ、全編通してこういう憂鬱なことを言われると流石に食傷気味になります。そこを歌いたい訳でもないようですしね。濃い影を歌うことはあくまでもamazarashiの側面の1つ、あるいはよりカタルシスを生むための舞台装置のようなもので、本当に歌おうとするのはそこから這い上がろうとする希望や光。「ヨクト」の歌詞に出てきた「夢を叶えた人」ではない、救われない、どうしようもない立場からそれでも最後に希望を歌う優しさだったり力強さみたいな部分が本作に温もりを生んでいるんです。

こういったスタンスはキャリアを通じて一貫してますが、それがアルバムの構成や楽曲としてより明白になったのが今作で、それこそさっき名前を挙げた『スターライト』だって宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を引用しながら夜の終わりを高らかに歌っています。この曲以前の彼らのリード曲にこういう色彩のものがきたことってあんまりなくて、どうしても鬱蒼としたものが多かったんですよね。その中で、この『スターライト』をアルバムの顔の1つに据えたという点はこの作品の表情を決定づけるものがあると思っています。

もう1つ象徴的な楽曲を挙げるなら、アルバムのクライマックスとも言えるだろう『ひろ』。若くして亡くなったという秋田の友人を歌ったナンバーですけど、ここまで一人称で描かれた歌詞もこれまでにはなくて。一人称視点自体は昔からずっとありますが、自身の経験に基づいたものとなると、さらに言うとそこから前向きなメッセージを発信したものというのは珍しい。この曲も歌詞がいいんです。

ガキみたいって言われた 無謀だって言われた それなら僕も捨てたもんじゃないよな
誰も歩かない道を選んだ僕らだから 人の言う事に耳を貸す暇はないよな

クサイ、と言われればそれまでですよ。ただここまで人生や世界みたいなものに絶望していた語り部が最後にこう歌ってくれることはこの作品において本当に安心感を与えてくれます。それは本質的には語り部である秋田の救いでしかないとは思うんですが、ここまで彼の見る世界を楽曲を通じて共有してきた聴き手にとっても救いたり得るんです。彼の卓越した詩世界や朴実な歌い方が、発信者と受信者を同一化させたが故の感動がある訳です。

amazarashi 『ひろ acoustic Live Ver.』

この『ひろ』という楽曲からもう一つ引用すると、この曲の最後にこう歌われています。

僕は歌うよ 変わらずに19歳のまま

amazarashiの決意表明みたいなこの1文ですけど、やっぱりこの辺も聴き手と感覚を共にする部分があると思っていて。基本的に「大人」に向けられた音楽ではないんですね。年齢的な意味ではなくて、不条理に慣れて、それなりに上手くやれてしまうような人、そしてそのことに疑いだったり苦しさだったりを見出さない人、そういう人には向けられていない。そうあることへの憧憬は滲ませつつも、そうなれない人に捧げられた音楽です。

それをしっかり表現しきったのが本作『夕日信仰ヒガシズム』なんだと思います。なにせ最後の歌詞が

明日の事とか それはまた別のお話

ですからね。この刹那的な一文を最後の曲に相応しい子守唄のような旋律の中で歌うんです。太宰を引用するなら、『人間失格』の主人公、葉蔵は様々な不条理や自身の愚かさ故に破滅し、とうとう人間として落伍してしまう。ただそういう未来をamazarashiは歌おうとしないんですね。そのことを、架空の世界観に頼らず、ネイキッドな状態で表明した。その点でこの作品はamazarashiのカタログでも特別な存在です。

断っておきますが、別にこの作品は聴いていて楽しいものではないです。前向きなメッセージを残してはくれますけど、そこまでの前置きがどうしてもヘヴィーですからね。抵抗のある人もいるかもしれません。ただ、アルバム全体の温度感だったり、やっぱり秋田ひろむというアーティストの表現力だったりが、同じ悲しさや同じ絶望を我々にも一旦教えてくれます。その上で最後に淡いけれども確かな光を提示して終わる作品なんです。是非ご一聴を。

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