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人間失格/人間椅子(1990)

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今日紹介するのは人間椅子のデビュー・アルバム、『人間失格』です。もう人間椅子も売れないバンド扱いはできなくなりつつありますが、まだまだ多くの人に発見されるべきアーティストですね。

彼らもデビューから30年以上経つベテランですけど、デビューのタイミングはいわゆるバンド・ブームの時期と重なります。彼らが日の目を浴びたのは、「三宅裕司のいかすバンド天国」、通称「イカ天」への出演がきっかけでした。たまだったりBLANKY JET CITYだったり、日本のロック史において重要なバンドと同じところから出発してるんですね。

「イカ天」出身のバンドって一癖も二癖もあることが多いんですが、その中でも人間椅子の異端ぶりはもう凄まじいものがあって。ネズミ男のコスチュームに身を包んだ白塗りの男が白目を剥いて絶叫する映像はもはやホラーです。(「ピーター・ガブリエルを意識した」とは本人談。どっちにせよ衝撃的ですが。)そんな訳でイロモノとして目立ってしまった彼らですが、ただのコミック・バンドでは全くもってありません。むしろ、日本でも有数の硬派なバンドですね。その彼らの音楽性がデビュー作にして完成されているのが『人間失格』なんです。

陰獣 人間椅子 輝く!日本イカ天大賞より
初期の傑作『陰獣』。残念ながら本作には未収録です。

前置きはこの辺にして、音楽性を見ていきましょうか。彼らのサウンドのルーツは70年代のUKロックにあります。直接的な元ネタはというとブラック・サバスですね。まず日本のバンドでサバスが根っこにあるというのがかなり珍しい。どうしても日本ではツェッペリンやディープ・パープルに埋もれがちな存在ではありますから。ギターの和嶋慎治の愛機はトニー・アイオミと同じSGですし、楽曲も一聴すればサバス愛にあふれています。『あやかしの鼓』や『桜の森の満開の下』に顕著な引きずるようなリズムはオジー時代のサバスにそのままリンクしますし、ベースの絡みつき方のいやらしさなんかもかなりサバスを研究した痕跡を感じ取れますね。90年代の録音にしてはかなりチープなサウンドにも感じられますが、きっとそれも70年代の録音を再現しただけのことだと思います。

もちろんサバスのコピー・バンドという訳ではなく、他にも引用しているであろう洋楽ロックは至るところに発見できます。本作において特に目立っているのはプログレッシヴ・ロック、とりわけキング・クリムゾンの影響ですね。『天国に結ぶ恋』の中間部の変拍子とアルペジオなんてモロにクリムゾンです。プログレというところでいくなら、この時期にベースの鈴木研一が使っていたベースはリッケンバッカーですけど、これもイエスのクリス・スクワイアの影響みたいですし。

まだまだ彼らの洋楽愛は発見できますよ。古典的なハード・ロックへの造詣も当然深くて、『ヘヴィ・メタルの逆襲』という曲はタイトルこそヘヴィ・メタルなんて言ってますが、中身は70年代ロックのパロディのオンパレードです。アルバムの構成も古き良きハード・ロック的で、クライマックスの前に『アルンハイムの泉』という小品を挟み込む展開は如何にも70年代の名盤といった趣です。もっと露骨なところでいくと『針の山』はそのままバッジーの『ブレッドファン』のカバー。この曲、メタリカもカバーしているハード・ロック初期の名曲ですけど、ここにまで目をつけるのは流石ですね。しかも英詞のままでなく、自由律俳句の大家、種田山頭火風の日本語詞に改作しています。

NINGEN ISU/Hell's Mountain Of Needles (LIVE)〔人間椅子/針の山・ライブ映像〕
『針の山』のライヴ・テイク。歌詞は山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」のオマージュ。

さて、山頭火の名前を出しましたが、ここまでに出てきた楽曲のタイトル、あるいは人間椅子というバンド名やアルバム名『人間失格』あたりでお気付きの方も多いかと思います。このバンド、文学との関係性が非常に深いんです。バンド名は江戸川乱歩から、アルバム・タイトルは太宰治からの引用ですし、横溝正史に坂口安吾と日本文学の巨人が目白押しです。それも陰惨な作風を得意とする作家が目立ちますね。歌詞も元ネタの作品をなぞらえた猟奇的なものになっていて、この辺のおどろおどろしい世界観もやっぱりサバスからの影響なのでしょうね。

で、サバスといえば悪魔崇拝に代表されるオカルトチックな世界観も特徴ですけど、なんとそれすらも踏襲しています。それも純和風に。さっきも例に挙げた『針の山』の歌詞は言わずもがな地獄の針の山を歌ったものですし、『賽の河原』なんていう楽曲もあるくらいですからね。同じ地獄を描くにしても、「hell」ではなく仏教的な「地獄」なんです。こういうところが、人間椅子のオリジナリティに繋がってくるんですよ。

そう、オリジナリティという話をするんであれば、音楽性の話に戻ってみても、確かに洋楽ロックのオマージュや影響はとても色濃く表れている上で、それをあくまで日本人的な感性で再構築しているんですね。それこそ歌唱法なんかに目を向けると、鈴木の唸るような一本調子はまるで経文を唱えるようですし、和嶋の素っ頓狂な節回しなんかには民謡の影響を見て取れます。バンドの核となるこの2人は青森出身なんですが、そういった土着性が大いに取り入れられているんですよね。さっきサバス的と表現した『あやかしの鼓』には青森のねぷた祭の囃子のリズムが採用されていますし、『りんごの泪』のギター・ソロには津軽三味線の奏法を導入しています。こういうエッセンスは絶対に洋楽では味わえませんね。

Ningen Isu / Apple's Tear (人間椅子/りんごの泪)(from「疾風怒濤~人間椅子ライブ!ライブ!!」より)
2009年頃のライブ映像から『りんごの泪』。ギター・ソロは必聴です。

正直言って、ロックというのはどこまでいっても欧米の文化でしかなくて、それを単に模倣したところで本家本元には敵わないんですよ。これは邦楽蔑視とかではなく、日本人と欧米人の感性の問題です。イギリス人のフィーリングを100%日本人が再現することはどうしたって不可能でしょう。それをどうやって「日本人の音楽」に昇華するか、そこが日本のロックの命題だと思うんですが、この作品はそこへの一つの答えですらあります。真似できるかと言われれば無理なんですが。

この土着性を取り入れるのってかなりの冒険だと思うんですよ。それこそ欧米的な価値観とは真っ向からぶつかるもののはずですからね。下手をすれば本当にコミック・バンドのようになりかねない。ただ、『人間失格』にそういった外しは全く感じられません。『りんごの泪』で和嶋が津軽弁の訛りで語りを入れる部分があるんですが、それすらも違和感なく受け止めることができます。それはやっぱり、前提として演奏技術や作曲能力が高いっていうところに加えて、洋楽への深いリスペクトのなせる業なんだと思います。そのバックボーンが強靭だからこそ、ここまで大胆に日本的な感性を織り交ぜることができているんですね。

普通こういうルーツからの発展と独自性の獲得って、活動の中で時間をかけて行われるものだと思うんですけど、人間椅子はデビュー・アルバムの段階で完成させてしまっているんですよ。よっぽど緻密に洋楽の研究をしていたんでしょう。そしてそれを高い演奏力でもって魅力的に出力してしまっている。実際、未だに『人間失格』の収録曲はライブの定番だったりベスト盤にも多く選出されたりしていますし、30年経っても音楽性がまるで変わっていません。それほど完成されてるんですよ、楽曲レベルでもアルバム単位でも。

ただ、この完成度の高さっていうのは出典元である70年代ロックをある程度理解していないとわかりにくいものでもあって。洋楽ロックを通っていない人にいきなりこのアルバムを聴いてもらったとしても、結構な確率で拒絶反応が出ると思います。基本的に曲の展開は洋楽のマナーにのっとっていますから、わかりやすいサビみたいなものもないですしね。日本的な要素も祭囃子だったり津軽三味線ですから、決して日本でも人口に膾炙しているとはいえません。だからそもそも、人間椅子を邦ロックのベテランどころとして聴くのはオススメできません。あくまで洋楽的に捉えるべきですね。

でもここまでしつこいくらいに書いてますけど、ただの洋楽の真似事でもない訳で。人間椅子というハード・ロックの突然変異種を100%楽しめるのは日本人の特権です。海外の方には詩世界がどうしてもわかりにくいものが多いでしょうからね。そんな彼らの原点にして1つの到達点である『人間失格』、是非とも聴いていただきたいです。

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