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Thriller/Michael Jackson (1982) 〜「史上最も売れたアルバム」にして、ポップスの最高到達点〜

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さあ、MJ全アルバムのディスク・レビュー、『オフ・ザ・ウォール』に引き続き第二弾と参りましょう。当然扱う作品は『スリラー』です。

以前にレビューを敢行した作品ではありますが、この一連の企画の中で語るには少々物足りない部分もありましたので、元の記事は削除して再度取り掛かろうと思います。昔の記事で見にくかったですしね。

それに、今年でリリース40周年ということで。記念エディションもリリースされるみたいですね。(ぶっちゃけMJ死後のプロモートの銭ゲバ感とファンのニーズを理解していない感はかなりイヤなんですけど)

タイトルにもありますが、言わずと知れた「史上最も売れたアルバム」であるこの金字塔。今一度「音楽作品」として、『スリラー』によってMJが成し遂げた達成と共に考察していこうと思います。

“Thriller”でMJが目指したもの

前回とも重複する内容ですが、まずはここを語らないことには始まりませんね。

クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えて制作された、実質的なソロ1st『オフ・ザ・ウォール』(1979)。このアルバムは商業的には大きな成功を記録したものの、いわゆる批評筋からの評価はMJが想定していたものを下回る結果に終わります。

この挫折に、『スリラー』のインスピレーションはあると言っていいでしょう。今度こそ誰の目にも明らかな傑作を!この完璧主義はどういった軌跡を辿ったのか?簡潔に言うと、それは「ポップであること」の究極への挑戦です。

JBに憧れ、アポロ・シアターで数々の殿堂を目の当たりにし、ソウル/R&Bの真打たるモータウンのスターとして成功を収めたMJは、いわば「ブラック・ミュージックの寵児」。それ自体並外れたことなんですけど、そこに思わぬ落とし穴があったんですね。

それは一体なんなのか?どこまでいっても、MJの音楽は「ブラック・ミュージック」の領域でしか評価されないんです。実際、『オフ・ザ・ウォール』が獲得した唯一のグラミーは「最優秀男性リズム・アンド・ブルース・ヴォーカル・パフォーマンス賞」ですから。

これが実に厄介で。当時のブラック・ミュージックは、あくまで「アフリカン・アメリカンの音楽」として線引きされていたんです。作り手の側においても、聴き手の側においても。そこには人種差別という忌まわしい因習が横たわっている訳ですが。

その逆境に、MJは果敢にも挑戦します。「ブラック・ミュージック」であることの矜持は捨てず、その上で短絡的なラベリングは突っぱねる全人類的な普遍性を持った音楽を。それこそ、「ポップス」を。

これは言葉で表すより遥かに困難です。音楽作品によって、音楽業界、あるいはアメリカという国家に巣食う病を打破しようというんですから。そんな試み、おおよそ歴史上見たことがありません。

それを達成してしまった訳ですよ。それも次なる一手で、軽々と。なんなら数々の伝説という箔までつけて。それこそが、1982年に発表された『スリラー』なんです。

“Thriller”解説

白人音楽としての”Thriller”

さっき言ったように、MJはこのアルバムで「ブラック・ミュージック」というレッテルを引き剥がすつもりでいました。そのためにどうしたアプローチを取ったかというと、白人音楽的な要素の大胆な吸収

前作に引き続きプロデューサーはクインシー・ジョーンズですが、まずもって違うのが本作に携わった面々です。

バックの演奏を担当したのはAORバンド、TOTOのメンバーですし、ゲスト参加したアーティストには前作で『ガールフレンド』を提供したポール・マッカートニーに新世代のギター・ヒーロー、エディ・ヴァン・ヘイレンと錚々たる面々です。

この3アーティストに共通するのが、いずれもロックの文脈で語られる存在という点。ブラック・コンテンポラリーとして秀逸なサウンドを聴かせた『オフ・ザ・ウォール』との意識の違いが、この時点で感じられますよね。

さあ、実際に楽曲を見ていきながら話を進めましょう。『スリラー』における白人的感性の受容、その最大の象徴が、シングル・ヒットした彼の代表曲『今夜はビート・イット』

Michael Jackson – Beat It (Official Video)

これを「ブラック・ミュージック」と呼ぶのはあまりに強引ですよね。紛れもなくロック、それもハード・ロックの範疇にあるサウンド。まずもってアイコニックなギター・リフですよ。勘違いされがちですけど、演奏しているのはTOTOのスティーヴ・ルカサーです。

そして何より、この素晴らしいギター・ソロ!ちょっとでもロックをかじっていれば、こんなソロを弾くギタリストはこの世にEVHを置いて他にいないことはわかると思います。必殺のライトハンド奏法が炸裂した、オール・タイムでも屈指の名ギター・ソロですね。

数年前までは『ロック・ウィズ・ユー』を歌っていたモータウン出身のシンガーが、突然ギター・ヒーローを従えたロック・アイコンのような風格を見せつけた。この衝撃ってとてつもないと思いますね。それこそ不文律としてあった人種による音楽性のカテゴライズをまるで無視している訳ですから。

『スリラー』における白人的エッセンスだと、もう1人の大物ゲスト、ポール・マッカートニーとのデュエット、『ガール・イズ・マイン』についても触れておきましょう。

Michael Jackson – The Girl Is Mine (Audio)

意外なことに作曲はMJなんですよね。ただ、ポール・マッカートニーに寄り添ったかのようなキャッチーでキュートなラヴ・ソングに仕上がっています。とはいえ、ぶっちゃけ楽曲としては『スリラー』の中では地味な部類なのも事実で。同時期に『セイ・セイ・セイ』なんていうバケモノ級のポップスがあったんですから、そっちを収録してればもう1000万枚くらい売れたんじゃないですかね。

ただ、この曲って『スリラー』からの先行シングルに抜擢されているんですよ。ここには単純に「あのポール・マッカートニーとのデュエット!」という宣伝効果への期待もあったでしょうけど、それ以上の意味があるはずだと私は考察していて。

それは、「『スリラー』は単なるブラック・ミュージックではありません」という宣言。そういう前時代的な価値観、マイケル・ジャクソンに対するレッテルは、こと『スリラー』には通用しないということを、このコラボレーションによって明らかにしたかったのではないかと。何しろポール・マッカートニーは白人音楽における最大最高の才能の持ち主な訳でね。

で、こういう前提を持った上で『ヒューマン・ネイチャー』を聴いてもらいましょうか。作曲はTOTOのスティーヴ・ポーカロですね。

Michael Jackson – Human Nature (Audio)

バラードではあるんですが、やはりこの楽曲にもソウル/R&Bのテイストは希薄です。もっと都会的に洗練されていて、AOR的でもあり、シンセサイザーの醸し出す色気なんてソフィスティ・ポップとしての成熟を感じさせますからね。

その上で注目してほしいのがMJの歌唱なんですよ。夜のNYを女性に見立てた蠱惑的な歌詞に寄り添うメロウな歌声には、前作の『あの娘が消えた』や、『スリラー』直前にリリースされたソロ・シングル『想い出の一日』で聴くことのできる甘いソウル的な表情は見て取れませんから。

それでいえば、『今夜はビート・イット』の歌唱も見つめ直すべきですね。この楽曲がMJの代表曲なだけに見落としがちですけど、冷静になって考えてほしい。モータウン出身のR&Bシンガーがここまで違和感なくロックを歌いこなしている事実、はっきり言って異常だと思いませんか?

そう、制作の布陣や作曲の域にとどまらず、『スリラー』という作品の軸となるマイケル・ジャクソンのプレゼンス、ここに対しても自覚的にメスを入れているんですよ。実際、MJのキャリアを横断していくと、彼の歌唱法はこのアルバムで明確に変化しています。よりエッジィでパンチの効いた、甘いソウルネスからは離れていく性格へとね。

黒人音楽としての”Thriller”

さて、せっかく歌唱の部分に注目したので。もう少しその方向で話を進めてみましょうか。ただし、ここから見ていくのは『スリラー』のブラック・ミュージック的な要素について。

例えばアルバムの開幕を飾るファンキーな『スタート・サムシング』というナンバー。

Michael Jackson – Wanna Be Startin' Somethin' (Audio)

ポスト・ディスコ的なフィールの強い楽曲ですけど、ポスト・ディスコだってディスコの延長線上ですからブラック・ミュージックと言って差し支えないものです。その上で彼の歌唱に注目してもらえれば、ブラックネスの成分が希薄な点にお気づきいただけるかと。あくまで、いわゆるソウル/R&B的なニュアンス、という意味ではあるんですけど。

ただこれ、短絡的に「ブラック・ミュージックへの背信」とみなすのはあまりに危険です。だって、音楽性の上では極めてファンキーでしょ?着目すべきは、骨子となる音楽性が黒いにも関わらず、MJのパフォーマンスに通例的な黒さがない、そのバランス感覚です。

この『スタート・サムシング』は、そういう意味でも『スリラー』のオープニングに最適ですね。あくまでブラック・ミュージックではあるんですけど、その聴き味は旧来のものとは違う。この作品でMJが挑んだ途方もない挑戦を、楽曲というミュージシャンとして最も誠実な形態でアピールしている訳ですから。

そうそう、アルバムの方向性として、『今夜はビート・イット』のようなロック・チューンもありつつ、旧来のブラック・ミュージック的MJにも忠実になることだってできたはずなんですよ。例えば、ロッド・テンパートンが提供した楽曲、『ベイビー・ビー・マイン』『レディ・イン・マイ・ライフ』のような。

Michael Jackson – Baby Be Mine (Audio)
Michael Jackson – The Lady in My Life (Audio)

これらの楽曲には「『オフ・ザ・ウォール』の延長線上としての『スリラー』」を感じられるんです。AOR風味にサウンドは味付けされているけれど、メロディの運び方だったり、それこそそのメロディを紡ぐMJの歌唱はグッと甘くてソウル的に思えてきます。

『レディ・イン・マイ・ライフ』は特にそれが顕著で。同じくバラードである『ヒューマン・ネイチャー』と比較すると、その微妙な差異は明らかだと思うんです。こういうニュアンスのつけ方ができる才能がやっぱりド級だなと感動しつつ、さっき提唱した本作からの歌唱の変化が作為的だったことの証拠にもなってますね。

ただ、大ヒットした『ロック・ウィズ・ユー』を書いたロッド・テンパートンによるナンバーで、楽曲として実に上質で洗練されたこの2曲が、揃ってシングル・カットされていない事実。ここもすごく勘繰れる部分です。

だってこの『スリラー』、全9曲のうち7曲はシングル・カットしているんですよ?つまり、『ベイビー・ビー・マイン』と『レディ・イン・マイ・ライフ』以外の楽曲はすべてシングルになっている。じゃあなんでこの2曲はシングルにならないのかというと、どちらも「ブラック・ミュージック」だから。

音楽的には優れているし、旧来のファンのニーズに応えるために必要なピースではある。それに彼のキャリアを考えれば得意分野なんですから。一方で『スリラー』というアルバムの方向性を鑑みれば、その看板を背負うシングル楽曲に「『オフ・ザ・ウォール』っぽさ」は不要と判断したんだと思うんです。だって『オフ・ザ・ウォール』はMJの中である意味では「失敗作」なんですから。

白人音楽+黒人音楽=「ポップス」としての”Thriller”

そんでもって、あくまで「ブラック・ミュージック」にもたれかからない、ユニヴァーサルなアーティストとしてのMJの存在証明。この方向性が決定的なのが、本作に収められた代表曲である2つ。『スリラー』『ビリー・ジーン』です。

Michael Jackson – Thriller (Official Video – Shortened Version)
Michael Jackson – Billie Jean (Official Video)

もう今更絶賛する必要ありますか……?と思わず責務を放棄しかねないバツグンの名曲です。2曲に共通するのは、印象的なベース・ラインに導かれる洗練されたグルーヴですね。楽曲の軸にベースがあるというのがブラック・ミュージック的でもあり、リフとして機能している辺りにはロック的な解釈が加わっているとも分析できるかと。

もっと踏み込んでしまうと、『スリラー』と『ビリー・ジーン』の2曲を特定のジャンルの文脈で語るのって非常に困難です。R&Bと大きく括ってしまうのはやや逃げ腰だとして、ファンクというにはあまりに洗練されているし、ディスコと形容するには時代の上での乖離が大きい。当然ロックでもないですし。

そこなんですよ、この作品の凄まじさは。最早このアルバムに、人種というものは感じられない。当然ルーツとなる音楽性はあるけれど、「ポップス」としか表現できない次元にまで徹底的に磨きをかけている。それは彼の歌声にしろ、これまでとは違う方向性への洗練が加わったサウンド・プロダクションにしろ。

この実験性に、多くの人は気づいていないと思うんですよ。なにぶんとてつもなくポップなアルバムですし、これ以降のすべてのポップスは「ポスト『スリラー』」ですから。さも当たり前のように受け入れてしまうと思うんですけど、この達成を理解しないことには本作の偉大さって見えてきません。

“Thriller”の構造に見る、MJの大胆不敵な自信

さて、アルバム収録曲をなぞりつつの解説はこんな具合なんですけど、もう1つ触れておきたい点があるんです。それは『スリラー』という音楽アルバムの構造に関して。

前提として言いたいのが、この『スリラー』は紛れもなく大名盤です。音楽史上の偉業と言い換えてもいいレベルで。ただ、誤解を恐れずに言えば、ことアルバムの様式美において、『スリラー』はロック・クラシックと比較したときに一段劣るというのも事実。

確かにアルバム1曲目をその名も『スタート・サムシング』が飾っているのは象徴的ではあるんですが、全体を俯瞰した時に、展開の緩急アルバムというストーリーの中でのドラマ性にやや欠けている作品で。

何しろ、『今夜はビート・イット』、『スリラー』、『ビリー・ジーン』、『ヒューマン・ネイチャー』というこのアルバムでも最も上質と呼ぶべき楽曲を立て続けに収録しています。レコードでは『スリラー』でA面が終わるので完全にシームレスではないにしろ、乱暴にも思える火の玉ストレートの連続。

こういう構成って実はとっても危険で。つまり、アルバムの中で楽曲間の勢力関係がになってしまいかねないんです。ある一カ所にこれほどの名曲が密に集まっているということは、他のところは必然的に疎になる訳で。

ただ、病的なまでに完璧主義者であるMJが、ことアルバムの構成にぬかるはずがありません。確かにソウル/R&Bの世界でアルバム単位の価値観はロックと比べて希薄ではありますが、勢い余ってザ・ビートルズの版権を買い占め、ポール・マッカートニーと疎遠になってしまう程度にはロックにも関心を持っている訳でね。

絶対にここにも意図があるはずです。それも、「完全無欠のポップス」を目指した『スリラー』という音楽作品であればなおさらに。

そこで私が提唱したいのは、「全ての楽曲が同じレベルで名曲ならばその問題は生じ得ない」という、MJの不敵極まる主張があるのではないかという推測です。

さっき私が挙げた脆弱性って、「アルバム作品に収録される楽曲のクオリティはアンバランスである」という前提に基づいているんですよ。なら、前提を覆してしまえば問題は問題たり得ない。

ドラマ性や全体としての緩急、確かにそれは『スリラー』にはあまり感じられません。ただ、「アタマからケツまで一瞬の隙もなく全部名曲」という、ド迫力のアトラクションとしての楽しませ方でそこを代替しているんですね。

……自分で書いててドン引きです。こんなとてつもない力業、普通は実現できっこないですから。ただここで嬉しいお知らせなんですけど、マイケル・ジャクソンって普通じゃない才能の持ち主なんですよ。

繰り返しになりますけど、『スリラー』というアルバムの根底にある「完全無欠のポップス」というコンセプト。ここに立ち返ると、この乱雑にも思える構成には今提唱したような美学があるのではないかと。

“Thriller”の達成と評価

革新的ミュージック・ビデオと天文学的セールス

音楽作品としての『スリラー』の解説は一旦この辺で締めるとして。こっから先は、この作品が成し遂げた数々の偉業についてです。

まずはミュージック・ビデオですかね。「音楽作品」としての『スリラー』に言及する投稿である以上、ここを掘り下げるのは軸がブレる懸念もないではないんですけど、とはいえスルーもできないですし。

以前にこの投稿でも触れたんですけど、

マイケル・ジャクソンという偉人の功績の1つに、音楽というエンターテイメントを「観る」ものに変えたというものが挙げられます。そして、その革新が初めて行われたのがちょうど『スリラー』の時期なんですよね。

ここにはちょっとした幸運もあって、『スリラー』発表の前年にあたる1981年にMTVが開設しているんですよ。つまり、ここに関してはMJが一人で切り開いた分野という訳でもなく、時代のムードに誰よりも高い次元で適応した結果と言った方が適切なんですよね。

ただ、この「高い次元」というのがちょっと桁違い。わずか1年の間に、『ビリー・ジーン』、『今夜はビート・イット』、『スリラー』のクリップを発表しているんですよ。言うまでもなく、どのビデオも極めてアイコニックでMTV時代の象徴と言っていい傑作です。

で、そのそれぞれの偉大さや後続への影響は一旦置いておいて。より短絡的にこれらが『スリラー』にとってどう作用したかをここでは見ていきましょう。結論から言うと、この映像革新によって、『スリラー』は「史上最も売れたアルバム」になったと言ってしまっていいと私は考えています。

面白い資料があるんですよ。MJのソロ・キャリアのセールスを、各アルバムをグラフ化して時系列で追っていくという動画なんですけどね。

Michael Jackson's Album Sales (1972-2020) | the detail.

見てほしいのは当然『スリラー』の動向。動画の1分頃からですね。リリース直後から飛ぶように売れてはいるんですけど、翌年のある瞬間からとんでもない加速を見せるでしょう?これ、『ビリー・ジーン』のシングル・カットとミュージック・ビデオ公開のタイミングなんですよね。(もっと厳密に言うと、モータウン25周年記念式典での「ムーンウォーク」初披露のタイミングでもあるんですが)

MJの中で音楽は芸術であると同時に娯楽でも商品でもある訳ですから、マスにリーチする必要があります。それがMTV時代と噛み合い、そこに生来の映画好き並外れたパフォーマー・シップが合わさった結果、『スリラー』は最低でも7000万枚のセールスを記録する、音楽史上最も成功した「商品」になったんです。

第26回グラミー賞における「伝説」

さて、最後にここにも触れないといけません。『スリラー』という音楽作品の批評的な評価について。

だってそうでしょ?『オフ・ザ・ウォール』に対する軽視、その挫折から生まれたのが『スリラー』ですから。リベンジを果たせたかどうかというのは本作の達成として理解すべき部分です。

で、これは結果を見てもらった方が早いでしょうね。第26回グラミー賞での『スリラー』の受賞一覧、こちらです。

  • Record of the Year
  • Album of the Year
  • Best Pop Vocal Performance, Male
  • Best R&B Vocal Performance, Male
  • Best Rhythm & Blues Song
  • Best Rock Vocal Performance, Male
  • Best Engineered Recording, Non-Classical
  • Producer of the Year (Non-Classical)
Michael Jackson Wins Best Pop Vocal Performance For 'Thriller' | GRAMMY Rewind

はい、主要4部門のうち2部門を含む、8部門での受賞です。ちなみにノミネートだけなら11部門にまで増えます……なんだこれ。

もっと言うと、名作映画『E.T.』のストーリーブックでMJとQ・ジョーンズはBest Recording for Childrenも受賞しているので、この年MJが獲得したグラミーは9つということになりますね。言うまでもなく、ノミネート数/受賞数のどちらも未だ破られていない前人未到の記録です。

しかもこの年、リリースの内容だけならば『スリラー』一強とも言えないんですよ。主要部門の対抗馬には、プリンスビリー・ジョエルライオネル・リッチーザ・ポリスと、かなりの強者揃い。そんな中彼らをちぎっての独走な訳です。

で、この結果だけでも笑っちゃうくらい凄いんですけど、受賞内容をよく見てほしいんです。R&Bロックポップスと、異なる3つのジャンルでグラミーを獲得しているじゃないですか。それぞれヴォーカル・パフォーマンス部門での受賞ですね。

そう、ここが重要です。何故なら、私が前半で何度も言ってきた「ラベリングを拒む、普遍的で完全無欠のポピュラー音楽」としての『スリラー』が評価された決定的な証拠だから。

あるいは、「キング・オブ・ポップ」誕生の瞬間と言ってもいいでしょう。彼の代名詞となったこの称号、由来は1989年のBREアワードでポップ、ロック、ソウルの三部門を獲得した際にプレゼンターだったエリザベス・テイラーが言った「ポップ、ロック、ソウルの真の王者」という表現なんですけど。

でも、この3部門での獲得、既にこのグラミーで成し遂げている訳ですよ。全てを包含したポピュラー音楽、「ポップス」の覇者としてのマイケル・ジャクソンは、やはりこの『スリラー』なくして存在しなかったと言っていいでしょうね。

まとめ

さて、今回は『スリラー』のレビューを敢行していきました。

まさかブログで同じアルバムのレビューを2回することになるとは思ってなかったんですけど、最初にも書いた通り昔の記事が読みにくくてかなわんのでね……いい機会でした。それに『スリラー』は私にとってすごく大事なアルバムなので、以前に増してみっちり考察することができて満足です。

マイケル・ジャクソンのレガシーにおいても、ブラック・ミュージック、あるいはポピュラー音楽の歴史においてもなお、この作品の存在感は途方もなく巨大です。多くの方が一度は聴いたことのある作品でしょうけど、もう一度この投稿を機に向かい合ってくれるととても嬉しいですね。

さて、次回は『バッド』ですね。Twitterでの全曲レビューが完了し次第の投稿なのでいつになるかは私にもわかってませんが、どうぞお楽しみに。それでは今回はこの辺で。

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