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「マイケル・ジャクソンの伝記映画」に思うあれこれ

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色々準備している企画はあったんですけど、ちょっと先にこれについて語らせてください。

Yahoo!ニュース
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マイケル・ジャクソンの伝記映画の計画が進行しているようです。プロデューサーはあの『ボヘミアン・ラプソディ』のプロデューサー、グレアム・キングとのこと。

よくあるそれらしい話題性先行の誤情報もどき……でもなく、バックにはMJの遺言執行人がついているようですし、実の母親であるキャサリン・ジャクソンも好意的にこの企画を受け入れている旨のコメントを発表しています。どうやら本当に進行している企画みたいですね。

まあ、手放しに喜びたいというのが正直なところではあります。ただ、これを受けて何か引っかかるものがあるのも事実で。

ちょっと今回ばかりは、面倒臭いただのファンがくだを巻くところに付き合ってもらえればと思います。それでは参りましょうか。

「伝記映画多すぎ問題」には心配していない

多分この報道を受けて多くの方が思うであろうこと。

「『ボヘミアン・ラプソディ』成功したからって伝記映画やりすぎだろ」

……私も思いましたよ。いくらなんでも2匹目のドジョウを狙いすぎです。ここ数年で本当に増えましたからね。その中で、エルトン・ジョン『ロケットマン』はまだ話題にもなりましたけど、他は正直言って元々のファン層以外にはリーチせず。それもある種健全なんですけど、興行としてはどうなのかなとは確かに思います。

ただ、だからMJの伝記映画がコケるとは全く思っていなくて。

というのも、『ボヘミアン・ラプソディ』の大ヒットには、もちろん映画としてのクオリティ、わけてもラミ・マレックの迫真の演技、だって大きな要因なんですが、それ以上に

フレディ・マーキュリー/クイーンというアイコンの大衆性

フレディ・マーキュリーのレガシーがあまりに劇的

という、この2点が実に重要だったと思っています。

まず1つ目ですね。やっぱり、興行として成功するには「よくわからないけど名前は知ってるし観てみようかな」みたいな意識を煽る部分は重要だと思うんです。

そこへいくと、クイーンってとてつもないネームバリューがありますから。ツェッペリンやストーンズなんて、はっきり言って目じゃない。ロック・ファンを超えた一般的な価値観での話ですけどね。これ以上はザ・ビートルズくらいでしょうから。

で、もう1つが、フレディ・マーキュリーという人物の生涯、これがそもそもドラマティックだったんですよ。それも極めて現代的な意味で。

人種的にも性的にもマイノリティだったあるロック・スターの栄光と孤独、そして未知の病に冒されながら史上最大のコンサートで奇跡の復活を遂げる……映画のために脚色された部分もあったにせよ、事実ベースでコレというのははっきり言って出来過ぎです。

これほどまでに劇的かつ感動的な生涯を送ったスターって、他になかなかいないんですよ。ジョン・レノンも主夫生活の時代が長かったことを思うとここまで濃密ではないし、カート・コバーンはヒット映画にするにはあまりにシリアスすぎ。

そこへいくとMJの生涯って、フレディ・マーキュリーに比肩し得るドラマがあるほとんど唯一の題材だと思います。それは必ずしもいいものばかりとは言えないんですけど……

そこをどう料理するかは映画制作サイドの腕次第ですけど、素材としてはたいへん素晴らしいものではないかと。話題性もMJですからなんの問題もありませんしね。

それから、アーティストの伝記映画に必要不可欠な要素である「名曲」に関してもMJはオールOKです。「史上最も成功したエンターテイナー」はやっぱり伊達じゃない。映画自体の出来がそこそこでもうっかり感動しちゃうくらいの音楽的な充実がありますからね。

懸念①「彼の生涯のどこまでを描くの?」

で、ここからは私がこのプロジェクトに思う懸念点をいくつか。

まず第一に、マイケル・ジャクソンの生涯、それを一体どこまで切り取って映像化するのかという点です。

彼の人生は50年で幕を閉じました。これは一般的な観点から見ると早逝と言うべきものです。ただ、その密度というのが尋常ではない。

アーティストのレガシーというのは、基本的に表現者としての自我の目覚め、ここから始まるものだと思います。バンドを結成したり、プロとしてデビューしたり、その辺りですよね。これがマイケル・ジャクソンは極めて早い。モータウンからデビューした段階で、彼はまだ10歳ですから。

The Jackson 5 "Medley: Stand!, Who's Loving You, I Want You Back" on The Ed Sullivan Show

そこから紆余曲折を経て、彼は40年にわたって表現者であり続けた訳です。ここに彼のパーソナルな側面を絡めるとなると、映像作品としてまとめ上げるのは相当至難の業なんじゃないかと。

しかも、カットできる領域があるかと言われると極めて少ない。おそらく一般的に知名度が低い時期としては、モータウンからエピックに移籍してからのザ・ジャクソンズの時期、それから1990年代後半、アルバムでいうと『ヒストリー』以降の活動じゃないかと思うんですけど、ここって彼の人生においてすごく重要ですから。

前者であれば、マスコット的な立場から作曲も含めたフル・パッケージのアーティストになろうという自我をより強く持った時期ですし、後者なんてプライベートの諸問題や数々のゴシップが激化した、彼にとって正に波乱の時代。ここを描かずして「マイケル・ジャクソンの伝記」とは言い難いと思います。

そして伝記というからには彼の死までを描くべき(というより描いていただきたい)ので、そうなるとかなり構成は難しいんじゃないかなと……上手くやっていただきたいですけどね。

懸念②「誰がやるの?」

次に、主演である「マイケル・ジャクソン」を誰が演じるのか?ここです。

何度も比較して恐縮ですが、やはり『ボヘミアン・ラプソディ』の大成功はラミ・マレックの貢献が大きかったと思うんです。「フレディ・マーキュリー」という余りに巨大なアイコンに、真っ正面から向かい合った素晴らしい演技。それがあの作品に誠実さをもたらしたことは間違いないですから。

そもそも伝記映画となれば、主役の魅力とその振る舞いは普通の映画より更に重要になります。「主演イマイチだけど脇役がカッコいい伝記映画」って訳わかんないですから。

そういう意味で、マイケル・ジャクソン役、非常に重要なんですけど……誰にできるんでしょうね?色んな意味で。

まず、ダンスどうするの?というところ。これは仕草や癖なんて次元じゃないですから。彼の人生を2時間半くらいにまとめたとして、やっぱり随所にパフォーマンスのシーンは必要でしょうからね。尋常じゃないハードルだと思います。

そしてこれをクリアしたとしても、「外見」の問題がつきまといます。あえてここに切り込んでみますね。

わかりやすいところで言うと、チャイルド・スターの時代と成長してからでは当然1人の俳優が演じられるはずもありませんからね。ただこれは、幼少期とそれ以降で役者を変えればいいだけです。そこは大した問題じゃあない。

ただ、彼の「異常」な外見の変化。ここをどう対応するのかは極めてセンシティヴですよ。

アフリカン・アメリカンであるはずの彼は、1980年代頃からその肌の色が徐々に明るく、白くなっていきます。そして1990年代には、肌の色は完全に白くなっているんですね。

度々この変化を指摘して、「マイケル・ジャクソンは白人への憧れと、黒人であることへのコンプレックスを抱いていた」なんてでっち上げをする人がいますが、これは尋常性白斑という皮膚の色素が破壊される病気によるものです。

それから、鼻や顎に顕著な美容整形ですね。たまに「マイケルは世間が言うほど整形していない!」なんて擁護するファンの方もいますが、事実として整形は何度かしていますから。私個人としては整形しようが何しようがどうでもいいし、個人の評価には何の影響も及ぼさないと思っているんですけどね。ただ、世間一般として美容整形に決してポジティヴなイメージがある訳でもないことも事実。

こうした外見の変化、これ1人の俳優じゃ絶対に対応できません。いやホント、どうするんでしょう。黒人俳優が演じるとやはり1990年代以降には無理が出ますし、かと言って白人が演じるとホワイトウォッシングだと炎上しますし。じゃあ俳優変えるのか?それもそれで違和感がやっぱりスゴイ。

ちょっと素人の私では考えても解決策が思いつかないんですけど、これもやっぱり上手いことしてくれるのを願うばかりです。

懸念③「どこまで踏み込むの?」

最後にここです。①と同じように思われるかもしれませんけど、微妙に違う問題なんですよ。

フレディ・マーキュリーやエルトン・ジョンを描く際に、彼らが同性愛者であることは避けようがないトピックです。実際、作中ではしっかりとそこへの言及が見られた。

ではMJの場合はと言うと、先に触れた外見の変化以外にも

・幼少期に父ジョセフ・ジャクソンから受けた虐待

・PEPSIのCM撮影時に負った頭部への甚大な火傷と、それにより続いた鎮痛剤への依存

・数々の「奇人変人」とのバッシング

・1993年の児童への性的虐待疑惑(示談により終結)

・2005年の「マイケル・ジャクソン裁判」

……とまあ、残念ながらこれだけシビアなトピックがある訳です。

ハッキリ言って、ここに切り込まずに健全な映像作品としてお上品にまとめ上げ、彼のエンターテイナーとしての偉業を振り返るだけのものにはしてほしくありません。それは彼の音楽や映像の中に、十分に刻み込まれていますから。

あくまでマイケル・ジャクソンという「人間」に言及する作品であるべきだと思うんですよ。となればここは避けては通れないんですけど、さあどうするか。

2019年に『ネバーランドにさよならを』という、彼の性的虐待に関するドキュメンタリーが発表されたんですけど、その作品内では「虐待はあった」という前提で話が進んでいます。実際この作品以降、彼へのバッシングは加速した向きもあったようで。

私がどれだけ声高に彼の偉大さ、あるいは彼の無垢さを主張したところで、関心のないほとんどの人にとってマイケル・ジャクソンは「疑惑のスーパースター」なんですよ。

だからこそ、この伝記映画がこの側面にどう向き合うのか。これは何よりも重要な問題だと認識しています。果たしてスキャンダラスに、センセーショナルに描き切るのか、それともリスペクトをもって誠実に慎重に表現するのか?願わくば後者であってほしいんですけどね。

まとめ

以前、「マイケル・ジャクソンは過小評価されている」という主張を行いました。

それも私の偽らざる本心なんですけど、ある意味で、マイケル・ジャクソンは肥大化しているとも思っていて。あまりに才能豊かで、あまりに成功を収めた人物であったが故に、最早現実の人間でないかのような、そんな錯覚すら覚えてしまう。

それがあまりに重い「有名税」として彼を苦しめたことは、残念ながら事実です。彼はスーパースターとして考え得る最大の成功を収め、同時にスーパースターが直面し得る最大の困難も強いられました。

このことを、ともすれば我々は忘れがちです。死は時に過去を美化しますが、美化すべきはマイケル・ジャクソン個人のレガシーであって、そこに向けて行われた数々の暴力と偏見と無関心、これをなかったことにしては絶対にならないと思っています。

そうした、ディープな「マイケル・ジャクソン」に迫ることを私はこの伝記映画に強く求めたいです。この際ヒットしなくてもいい。ただ、これ以上彼の平穏を傷つけるものにだけはしてほしくないですね。これ以上は現状何も言えないので、続報を待つばかりです。それでは、お付き合いいただきありがとうございました。またいずれ。

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