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1970年代の洋楽史を徹底解説!§6. フュージョン〜ジャズの帝王は電化ジャズの夢を見るか?〜

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今回も今回とて1970年代洋楽史解説を進めていきます。

既に相当な量の文字数となっていますが是非とも最初から読むことを推奨しておきますので、バックナンバーはこちらから。お時間のある方は前シリーズとなる「1960年代洋楽史解説」もあわせて如何でしょう。

過去2回にわたって、ソウル、そしてファンクとブラック・ミュージックの進歩について解説してきた本シリーズですが、見落としてはならない重要なシーンが存在します。

それはジャズ

その歴史は戦前にまで遡るこのジャンルですが、1970年代における音楽の巨大な変質を目の当たりにし、時代に呼応した変化を見せていきます。

その変化もまた、1970年代という時代を定義する大きなムーヴメントとなっていくのです。

それでは早速参りましょう。

1960年代のジャズの歩み

さて、ジャズの話をするにあたって、いきなり1970年代からと都合のいい展開はできません。

何度も主張している通り、歴史とは連続性の営み。1970年代を理解するには、それまでの動向を最低限知らねばならないでしょう。

とはいえジャズ勃興にまで話を遡ることも不適切。それはもはやジャズの通史であり、本シリーズの目的を逸脱するものですから。

なのでここでは、あくまで概論として振り返るにとどめておきます。

戦後のジャズのごくごく大まかな歩みは、1960年代洋楽史解説§1.で扱っています。ジャズがアメリカにおいて愛好されていたジャンルであること、そしてマイルス・デイヴィスという最重要人物が1950年代に活躍したことについてです。

1959年発表の『カインド・オブ・ブルー』において、旧来のハード・バップから脱却しモード・ジャズを開拓。ここを基準に、1960年代のジャズを俯瞰することができるでしょう。

デイヴィスのバンドに在籍していたサクソフォン奏者のジョン・コルトレーンは、『カインド・オブ・ブルー』発表の翌年に『ジャイアント・ステップス』を発表。本作で見せた技巧的な演奏と緻密なコード・チェンジは「シーツ・オブ・サウンド(音の織布)」と呼ばれ絶賛されます。

John Coltrane – Giant Steps (2020 Remaster) [Full Album]
コルトレーンの傑作の1つ、『ジャイアント・ステップス』。「巨人の歩み」という題が示す通りに、力強く吹き鳴らされるサクソフォンは苛烈ですらあります。なるほど、このサウンドを称して「音の織布」とは言い得て妙でしょう。

その後もモード・ジャズの領域で探求を続けたコルトレーンですが、その集大成が1967年発表の『至上の愛』。本作にはインド音楽やアフリカ音楽の方法論を引用し、モダン・ジャズの最高到達点として高く評価されています。

A Love Supreme, Pt. I – Acknowledgement
コルトレーンの最高傑作、そして1960年代ジャズの最高潮を捉えた作品と名高い『至上の愛』。本作は神に捧げられた組曲であり、その原始的ですらあるアンサンブルはロックの領域にも多大な影響を与えています。

そして同時期には、フリー・ジャズという新たなスタイルも構築されていきます。原型となったのはオーネット・コールマンの1959年作『ジャズ来るべきもの』

Ornette Coleman – The Shape of Jazz to Come (1959) – [Smooth Jazz Sax Recordings]
オーネット・コールマンの『ジャズ來るべきもの』。従来の厳密なコードや構成を逸脱した展開は、正にフリー・ジャズ(自由なジャズ)と表現するのが適切です。コールマン自身は1960年代前半には隠遁生活を送りますが、この作品に影響されたジャズ・マンがフリー・ジャズを牽引していきました。

極めて進歩的、革新的なこのジャズはシーンの中で賛否両論を生みながらも着実に発展していきます。コルトレーンも『至上の愛』でモード・ジャズの極限を表現してからはフリー・ジャズに傾倒していくように。

1960年代におけるジャズは、概ねこの保守的「モード・ジャズ」革新的「フリー・ジャズ」の2つによって牽引されてきたと表現してよいでしょう。

ロックに「魂を売った」ジャズの帝王

もう少し1960年代の話を続けましょう。

1960年代のポピュラー音楽全般を見渡した時、ロックの存在を無視することはほとんど不可能です。

その発端は当然ザ・ビートルズの登場ですが、以降ポピュラー音楽の可能性は日を追う毎に広がり、僅か数年後にはもはや芸術としての風格すら纏い始めます。その足跡はこちらから。

また同時期には、前回取り上げたファンクが勃興。ポピュラー音楽におけるリズムの重要性に革命が起き、新たな扉が開かれていきます。

一方ジャズはというと、もちろん優れた作品は発表されていますが、その深化の速度においてロックを始めとした他ジャンルに遅れを取っていたことも事実。

こうしたジャズの外側の動向、そしてジャズの限界に目ざとく反応した人物こそ、何度も登場しているマイルス・デイヴィスなのです。

そもそも彼がモード・ジャズという分野を開拓せしめたのも、それまでのビバップに限界を感じたからでした。デイヴィスは元来、革新的な音楽感性の持ち主なのです。

実際デイヴィスはこの時期、ロックやファンクを好んで聴いていたと言いますし、1960年代末にはジミ・ヘンドリックスポール・マッカートニーを交えてのセッションを企画していたことも知られています。このプロジェクトはヘンドリックスの早逝で幻に終わってしまうのですが。

そうした彼の嗜好は、1960年代末期の作品から如実に表れるようになります。

1968ねんの『マイルス・イン・ザ・スカイ』で初めてエレクトリック・サウンドを導入して以降、彼はいわゆる「電化マイルス」と呼ばれる時期に突入。

次作『イン・ア・サイレント・ウェイ』で、その挑戦はより高次の成果を見せます。

In A Silent Way/It's About That Time (Original)
『イン・ア・サイレント・ウェイ』のB面収録のメドレーです。エレクトリック・ピアノの音像やレガートを伴わないドラムのリズムは、ジャズ的着想の埒外にあるもの。デイヴィスの革新的な挑戦の第一歩と言える作品でしょう。

この作品ではチック・コリアジョン・マクラフリンジョー・ザヴィヌルといった1970年代ジャズ・シーンにおける重要人物が一堂に会し、ジャズの新たな可能性を提示することに成功します。

ジャズとで電子サウンドの邂逅、そしてロックやファンクの方法論の導入、これらによって生まれた新たな音楽性を、2つの音楽の「融合」として、「フュージョン」と呼ばれるように。

そしてこのフュージョンこそ、1970年代ポピュラー音楽史を論じる上でのジャズの一大トピックなのです。

とはいえ、このフュージョンは成立と共に歓待された訳ではありません。

保守的なジャズ・ファンは、ロックのモードをジャズに持ち込んだデイヴィスを「ロックに魂を売った」と糾弾し、あくまでジャズの本質はアコースティックなアンサンブルにこそあると主張します。

そうした批判を跳ね除けるように、デイヴィスとその一派は1970年代においても電子ジャズ、フュージョンの可能性を模索していくのです。

フュージョンの開拓

さて、ようやく1970年代の動向に話題を運ぶことができます。

やはりまず語るべきは、「電化マイルス」の集大成とされる傑作、『ビッチェズ・ブリュー』でしょう。

Bitches Brew (Audio)
『ビッチェズ・ブリュー』より表題曲。もはや本作には『カインド・オブ・ブルー』で見せた「モダン・ジャズの帝王」の姿はなく、気鋭のジャズ・マンと共に全く未知の領域に踏み込む求道者としてのマイルス・デイヴィスが存在しています。

『イン・ア・サイレント・ウェイ」に続く電化ジャズの作品として1970年に発表された本作をもって、デイヴィスのフュージョンへの探求は1つの結論を見ることになります。

前作の顔触れに更に気鋭のジャズ・マンを追加し、大編成で制作された本作は、よりロックやファンクの影響が色濃く表れ、今日においてフュージョン開闢の傑作として高く評価されています。

以降のデイヴィスの作品は、基本的にこの『ビッチェズ・ブリュー』のスタイルを踏襲したものになり、更にファンク的なアプローチを加えていくのですが、1970年代中盤に健康上の理由から彼は一時表舞台から姿を消します。

この「帝王」の不在、その穴を埋めて余りある活躍を見せるのが、「電化マイルス」を支えた数々のプレイヤーだったのです。

例えばピアニストのチック・コリア。彼は自身のアルバム名を冠したフュージョン・バンド、リターン・トゥ・フォーエヴァーを結成し、技巧的なプレイによってフュージョンの深化を試みます。

Spain
チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァーの名曲『スペイン』。静謐な世界観はジャズ的ですが、その世界観を紡ぐのはコリアのエレクトリック・ピアノです。今日ではジャズ・スタンダードとして広く愛されるフュージョン屈指の傑作。

あるいは同じくピアニストのジョー・ザヴィヌル。彼は同じく「電化マイルス」期の作品に参加していたウェイン・ショーターらとウェザー・リポートを結成。後に加入する天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスの存在感と共に、フュージョン最大最高のバンドとなっていきます。

Birdland
ウェザー・リポートの傑作『ヘヴィ・ウェザー』の開幕を飾る『バードランド』。この楽曲のリフはパストリアスのベースによるもので、彼の天才性がうかがえる好演です。パストリアスはしばしばジョン・エントウィッスルやポール・マッカートニーらと並び、「史上最高のベーシスト」に数えられる傑物。

そしてあるいはギタリストのジョン・マクラフリン。彼はマハヴィシュヌ・オーケストラを主宰し、ジャズとロックの融合のみならず、インド音楽の色彩を加えた濃密なサウンドを展開していきます。

Birds of Fire – Mahavishnu Orchestra
マハヴィシュヌ・オーケストラの『火の鳥』です。マクラフリンのギター・サウンドを主体とした熱烈なアンサンブルは、ここまでに紹介した2人の活動に比してロック的に解釈できるでしょう。生命力漲るサウンドはロックのエネルギーだけでなく、インド音楽特有の熱量の賜物でもあります。

こうして「電化マイルス」期の作品に参加した面々の動向を追うだけで、それはすなわち1970年代フュージョンの俯瞰となり得るほど、彼らの貢献は大きいのです。

ロックからジャズへの接近

ここでこのような疑問をお持ちの方もいるかもしれません。

「何故1960年代洋楽史解説ではジャズに言及しなかったのに、このシリーズではセクションを割いてまで解説を加えているのか?」

この疑問への回答は実に簡単。それは、フュージョンというムーヴメントは、ジャズ内部での動向に留まらず、ロックからジャズへの歩み寄りを引き起こした、ポピュラー音楽全体に波及する現象だったから。

それこそ§1.で登場したジェフ・ベック。彼はキャリア初期にはブルースをルーツとしたロック・ギターを志向していましたが、フュージョンの目覚ましい発展を目の当たりにし、フュージョン的ロック・ギターの探求に関心を示すようになります。

いわゆる第2期ジェフ・ベック・グループで既にジャズの吸収は見られたのですが、1975年にソロ名義で発表した『ブロウ・バイ・ブロウ』で本格的にフュージョン化。続く『ワイアード』と共に、フュージョンの隆盛にロックの側から貢献します。

Jeff Beck – Led Boots (Jeff Beck: Performing This Week…Live at Ronnie Scott's)
前回は『ブロウ・バイ・ブロウ』より楽曲を紹介しましたので、今回は『ワイアード』より代表曲『レッド・ブーツ』を。よりフュージョンに傾倒したサウンドを展開し、ロック・ギターの多様性に大いに貢献しました。

そして§2.で扱ったプログレッシヴ・ロックでもジャズは重要なモチーフです。キング・クリムゾンもジャジーなアンサンブルを展開する作品を発表していますし、イギリス・カンタベリーで巻き起こったプログレッシヴ・ロックのサブ・ジャンル、その名もカンタベリー・ロックはより貪欲にジャズの九州を試みています。

Moon In June
カンタベリー・ロックの代表格、ソフト・マシーンの第3作より。プログレッシヴ・ロックと言えど、キング・クリムゾンやイエスのようなバンドよりは先述のフュージョン・バンドにより近しいサウンド感を認めることができるでしょう。ジャズとロックの出会い、主体がどちらにあるかの差こそあれど、起きている現象自体は同一だからこその類似です。

また、これは次回のテーマとなるシンガー・ソングライターのムーヴメントやソフト・ロックの影響下にもあるものではありますが、AORというシックでアーバンなロックのスタイルでも、ジャズは一定の存在感を示しています。

Black Cow
スティーリー・ダンの傑作『彩』の冒頭を飾る『ブラック・カウ』。腕利きのセッション・ミュージシャンを招聘し、徹底した完璧主義の元制作された楽曲ですが、その演奏はロック的ダイナミズムではなく、ジャズ的正確性に依拠したものです。

このように、1960年代まではあくまで閉鎖的だったジャズ・シーンが、その殻を破り、ポピュラー音楽全般と接続され得る状況に、1970年代はあったのです。

だからこそ、「1970年代洋楽史解説」と銘打った本シリーズにおいて、ジャズの歩みは語らねばならなkった。そうご理解ください。

まとめ

  • 1960年代のジャズ・シーンは、これまで支配的だったビバップを脱し、モード・ジャズやフリー・ジャズといった新たなスタイルを開拓していった。
  • 同時期に驚異的な発展を見せるロックやファンクのシーンに影響され、また現行のジャズの限界を感じたマイルス・デイヴィスによって、ジャズにロックのアプローチを取り入れたフュージョンが成立。
  • 1970年代には、「電化マイルス」期の作品に参加したジャズ・マンが中心となってフュージョンが隆盛を見せる。
  • ジャズとロックの融合は、ロック・シーンにおいても試みられた挑戦であり、その影響はポピュラー音楽全般に波及した。

今回の内容を要約するとこういったものになるでしょうか。

ジャズに関しては以前こちらの記事で名盤5枚をレコメンドしたのですが、

この記事のタイトルにもある通り、ジャズはどうにも難解な音楽というイメージを持たれがちです。

そして、どこかロックやソウルといったポピュラー音楽とは距離のある音楽とも認識されがちなのも事実。

しかし今回解説した内容でわかる通り、ジャズもまた、歴史の中で多様に変化し、相互反応によって発展したれっきとしたポピュラー音楽の分野なのです。こうした性格を理解した上でジャズに挑戦するというのも一興かもしれません。

さて、次回は1970年代前半の総括として、ここまで取りこぼしたムーヴメントにも目配せしつつ、以降の伏線を張ることとします。それでは、「百花繚乱の1970年代、その功罪」でお会いしましょう。

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