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1970年代の洋楽史を徹底解説!§7. 百花繚乱の1970年代、その功罪

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今回を含めてあと3回で完結予定の1970年代洋楽史解説、今日も今日とてやっていきましょう。

今回は過去6回にわたって見てきた洋楽史全体を総括しつつ、その意義や影響について論じていこうと思います。過去の内容をご理解いただけた方がより楽しめると思いますので、バックナンバーはこちらのカテゴリからご覧ください。前シリーズとなる「1960年代洋楽史解説」もあわせてどうぞ。

1960年代ロック小僧の「今」

さて、これまで本シリーズでは進歩的な音楽の動向について見てきました。

ただ、すべての音楽がそうした挙動を見せている訳ではありません。それこそ1960年代におけるR&B/ソウルのように、上質さ、堅実さを主体とした音楽もまた、シーンの中で支持を得ています。

それがシンガー・ソングライター(SSW)のムーヴメント。

ジェームス・テイラーがアルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』でヒットしたのを皮切りに、キャロル・キングジョニ・ミッチェルといったアーティストが成功を勝ち取っていきます。

James Taylor – Fire and Rain (Official Audio)
SSWムーヴメントの最初期の名盤と言えるジェームス・テイラーの2ndアルバムより名曲『ファイアー・アンド・レイン』。本作のピアノを演奏しているのは後述するキャロル・キングで、同ジャンルの最も上質なサウンドを提示した1枚と評価することができます。
Carole King – It's Too Late (Official Audio)
キャロル・キングの最高傑作にしてSSWムーヴメント最良の1枚、『つづれおり』より。彼女は1960年代から夫のジェリー・ゴフィンと共に数々の名曲を世に放ちましたが、1970年代にはソロ・アーティストとしての活動を開始します。レノン・マッカートニーも憧れた彼女の作曲能力が遺憾なく発揮されたグッド・ミュージックの代表例。

あるいはもう少しロック的なアプローチであれば、エルトン・ジョンビリー・ジョエル、ソロ・キャリア初期のニール・ヤングもこうした範疇で語ることができます。

Your Song
イギリスのシンガー、エルトン・ジョンがキャリア初期に放った『僕の歌は君の歌』。素朴なラヴ・バラードとしてSSWムーヴメントの中で評価されますが、彼はロック・スターとしても成功を収めます。もっとも、彼がひときわ優れたSSWであることも疑いようのない事実ではあるのですが。

さて、シンガー・ソングライターとは本来「自作曲を歌う歌手」という意味であり、特定の音楽性を示すものではありません。しかしながら、ジャンルとして、あるいは1970年代の音楽潮流を俯瞰するならば、この語句は「白人音楽における非ロック」を含意しています。

1960年代洋楽史解説の後半でも触れましたが、「1960年代の終焉」というのはロック・カルチャーにおいて単なる時間経過以上の意義を持つ出来事。「オルタモントの悲劇」によってラヴ&ピースは泡沫の如く消え去り、ザ・ビートルズの解散3Jの相次ぐ死によって舵取りを失ってしまいます。

そして1960年代ロック小僧の中には、一時代の終焉に1つの区切りを見出した者、激動の1960年代に疲弊した者が現れます。彼らは1970年代ロックが辿る天井知らずの膨張につき従うことなく、より素朴で、より実際的な音楽を求めるようになるのです。

その動きに見事に応えたのが、シンガー・ソングライターでした。彼らが紡ぐ音楽はどこまでも等身大で穏やか。楽曲のテーマも個人の繊細な心の機微や生活の中の出来事といったものが多く、かつてのロック小僧たちの心を鷲掴みにしたのです。

名盤続出、「アルバム文化」の絶頂期

ひとまず、1970年代前半における重要なムーヴメントはこの位でしょうか。「この位」と言っても、ハード・ロックにプログレッシヴ・ロック、グラムに・ロック、ニュー・ソウルにファンクにフュージョン、おまけにSSWと大ボリュームなのですが。

本セクションのタイトルにもあるように、「百花繚乱」と表現するのが相応しい時代。ポピュラー音楽の通史の中でも最も多彩で群雄割拠の時代でしょう。

その時代を支えたのが、私が命名するところの「アルバム文化」。何度も登場していますがもう一度説明しておくと、ザ・ビートルズの1967年作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に端を発する、音楽作品の最小単位を「アルバム」として捉える価値観のことです。

当初はロックにおいて支配的な価値観だったこの「アルバム文化」も、1970年代にはニュー・ソウルに持ち込まれ、SSWもアルバムとして秀逸な作品を数多く発表しています。

試しに1972年に発表された名盤を列挙してみましょうか。

  • 『メイン・ストリートのならず者』/ザ・ローリング・ストーンズ
  • 『ジギー・スターダスト』/デヴィッド・ボウイ
  • 『マシン・ヘッド』/ディープ・パープル
  • 『ブラック・サバス4』/ブラック・サバス
  • 『馬の耳に念仏』/フェイセズ
  • 『イート・ア・ピーチ』/オールマン・ブラザーズ・バンド
  • 『スモーキン』/ハンブル・パイ
  • 『危機』/イエス
  • 『フォックストロット』/ジェネシス
  • 『トランスフォーマー』/ルー・リード
  • 『スクールズ・アウト』/アリス・クーパー
  • 『ハーヴェスト』/ニール・ヤング
  • 『サムシング/エニシング?』/トッド・ラングレン
  • 『セイル・アウェイ』/ランディ・ニューマン
  • 『#1レコード』/ビッグ・スター
  • 『キャント・バイ・ア・スリル』/スティーリー・ダン
  • 『トーキング・ブック』/スティーヴィー・ワンダー
  • 『スーパーフライ』/カーティス・メイフィールド
  • 『ダニー・ハサウェイ・ライヴ』/ダニー・ハサウェイ
  • 『キャッチ・ア・ファイア』/ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ

……ひとまず思いつくままに20枚並べてみましたが、流石に圧巻です。これだけの作品がほんの1年の間に発表された、その事実たるや。

「名盤」と言えば名前の挙がる作品ばかりですし、その名声は今日においても全く色褪せていません。これほど巨大な作品が、ほとんど毎週のようにリリースされている、そういった時代なのです。

本質を見失い、巨大化するロック

ここで久方ぶりに、話をロックに向けていきます。といっても個別の音楽性に触れるのではなく、本シリーズで度々言及している「ロックの産業化」に関して。

1970年代のロック、それはロックの最繁栄期と言ってしまっていいでしょう。先ほども触れたように、極めて優れた音楽作品が毎月、あるいは毎週のようにリリースされ、そのセールスも当然巨大なものに。

それは勿論音楽ファンとしては歓迎すべき事態なのですが、手放しに喜べるものかというとそうでもありません。このロックの巨大化は、ロックの形骸化をも意味するからです。

ロックの起源、それは黒人奴隷の労働歌に遡ります。つまりロックの本質は、一個人の悲哀や嘆き、あるいは主張と端的に言い換えてもいいでしょう。そしてそれらは1950年代のロックンロールの流行で、若者の心理の代弁に昇華されます。

1960年代に入るとどうでしょう。ロックンロールはザ・ビートルズを筆頭にしたパイオニアの存在によって「ロック」へと変質しました。そこでロックは、革新性カウンター・カルチャーという性格を新たに獲得します。

1970年代初頭においてはこの1960年代的ロックの性格を引き継ぎ、様々な実験と革新がなされます。それはこれまでに見てきた通り。しかし、1970年代も中盤に入るとロックは行き詰まり、何かしらの枠にはまったサウンドを提示することしかできなくなっていくのです。

また楽曲に込められたメッセージも、プログレッシヴ・ロックのように抽象的で難解なもの、あるいはグラム・ロックのように過度にドラマティックなものに変質していきます。

こうした変遷を象徴する楽曲が、イーグルスの名曲『ホテル・カリフォルニア』の一節です。

Eagles – Hotel California (Lossless Audio)
イーグルスの傑作『ホテル・カリフォルニア』の表題曲。アウトロのツイン・ギターによるギター・ソロはロック史上最高の演奏の1つに数えられるものですが、詩世界には1970年代ロックを理解する上での重要な示唆が込められています。

So I called up the Captain

“Please bring me my wine”

He said,

“We haven’t had that spirit since 1969”

ボーイ長を呼んで頼んだんだ

「ワインを持ってきてくれないか」と

彼はこう答えた

「当方、そのスピリットは1969年から切らしております」

『ホテル・カリフォルニア』より引用(抄訳:ピエール)

この”spirit”とは、文意に照らせば当然「酒精」の意です。

しかし、この1969年という時代の引用、そしてこの作品の意図を汲めばこうも意訳できるのです。

「我々は1969年以来、ロックが本来持っていた精神を失ってしまっている」、と。

ロックが持っていた前衛性や反骨精神、そうしたものは最早産業として膨れ上がってしまった今のロックにはないのだ。そうした主張の暗示なのです。皮肉にも『ホテル・カリフォルニア』は、この「ロックの産業化」の中で大ヒットを記録することになるのですが。

1970年代西洋諸国に広がる不況と疲弊

最後に当時の社会情勢に関しても。「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉が示す通りに、音楽とは時代の写し鏡であり、同時に社会が音楽に何かを要求することは珍しくないからです。今からしばらく社会科の授業のような話となりますが、どうかお付き合いください。

1970年代には、長期化したベトナム戦争が集結。公民権運動も公民権法の制定によって決着し、1960年代における諸問題はひとまず解決したと言っていいでしょう。

しかし一方で、この時代には新たな問題、世界規模の不況が起こりました。

西側諸国の中心であるアメリカは、長期化するベトナム戦争でかさむ軍事費や日本を筆頭とした諸外国の産業の活性化の煽りを受けて国家財政が悪化。失業が社会問題に発展します。

この状況を打破すべく、時のアメリカ大統領ニクソンが打ち出したのが米ドルと金の兌換停止。国際経済の基盤となっていたブレトン・ウッズ体制は終焉を迎え、世界中に衝撃が走ります。

西側諸国はスミソニアン協定により市場経済の安定を図ろうとするもこれに失敗、ドルへの信頼は低下し、結果として国際経済にとって大きな打撃となりました。この出来事を指して、「ドル・ショック」と言います。

また、立て続けにもう1つの不況が発生します。第4次中東戦争に端を発する、「オイル・ショック」です。

石油の主要原産国であるアラブ諸国が、石油価格の引き上げと西側諸国に対する厳しい輸出規制をかけます。これにより中東からの石油の輸入に依存していた先進国は甚大な被害を受け、物価の上昇や生産力の低下といった状態に陥ります。

この国際的な不況は、人々の疲弊とフラストレーションの種を蒔いていきます。その種はブラック・ミュージックを愛好する人々の足をディスコへと向かわせ、かの文化の隆盛にも寄与したのですが、一方でロック・ファンはどうか。

社会は低迷し先の見えない不景気に喘ぐ中、ロックは浮世離れした享楽的なムードのまま。音楽性も最早代わり映えせず、大衆の苦境を代弁する者も現れない。

「ロックへの不信感」とでも表現すべきこの状況は、1970年代後半のロックを語る上で極めて重要なものです。それに関しては、次回語ることとしましょう。

まとめ

  • 1970年代にはシンガー・ソングライターの作品がヒットを記録。素朴な音楽によりロックとは異なる支持層を獲得した。
  • ロックの世界で広がりを見せていた「アルバム文化」が1970年代にはブラック・ミュージックやSSWにも持ち込まれ、数々の名盤が発表される。
  • 1970年代前半のポピュラー音楽は進歩的な活況にあったが、中頃になるとその発展は行き詰まり、ロックの分野では形骸化が見られるように。
  • 国際的な不況にある中、現実を反映しない巨大産業となったロックへの不信感が一部のリスナーの間で広がる。

今回の内容はこういったもの。これまでのセクションとは違い、時代背景の説明に終始した感もありますがご容赦を。この内容を確認せずして、次のトピックには移れないのです。

さて、次回はおそらくこのシリーズで最も重要なセクションになるでしょう。それすなわち、「ロックの崩壊」です。栄枯盛衰は世の常、非凡な発展を続けてきたロックにもとうとうピリオドが打たれることになるのです。

ザ・ビートルズの登場以来最大の転換となるその只中、次回はその動向を余すところなく見ていこうと思います。それでは、「パンク〜ロックはロックによって崩壊した」でお会いしましょう。

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