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1960年代の洋楽を徹底解説!§1. ロック勃興前夜のアメリカ音楽シーン

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今回から一大シリーズをお送りします。ズバリ、「1960年代洋楽史の徹底解説」

好きな音楽をただ聴く、それだってもちろん素晴らしいことです。でも「もっと深く理解したい」「もっと色んな音楽を知りたい」、そういう欲求だって誰もが持つと思うんです。

そのためには背景や縦横のつながりというものを知っておくのが非常に大事。音楽を「点」ではなく「線」で認識する、コレができれば今よりももっとずっと音楽を楽しめるようになるんですよ。実際私も、この価値観のおかげでたくさんの音楽を知ることができました。

そして何故1960年代なのか?それは、ポピュラー音楽の在り方が最も目まぐるしく変化したのがこの時代だからです。今日最も偉大とされるアーティストは、えてしてこの時代に活躍した人たちが多いですからね。

そんなポピュラー音楽の根幹をなす時代、1960年代を徹底的に振り返り、音楽をより深く楽しむ足がかりとしていきます。それでは、時計の針を1960年まで巻き戻していきましょう。

1960年代以前のポピュラー音楽

勢いよく啖呵を切ってなんですが、まずはここから。1960年代史を振り返るに当たって、それまでにどんな音楽があったのかを知る必要がありますね。歴史というのは連続的な時の流れの営みですから。

前提としておさえておきたいのが、当時のポピュラー音楽はアメリカが中心的な存在であるということ。ポピュラー音楽のグローバル化は、それこそザ・ビートルズの登場を待たねばなりません。

今後折に触れてアメリカ以外の国の音楽状況も見ていくことにはなりますが、ここではひとまずアメリカにおけるポピュラー音楽の歩みを大雑把に見ていきます。

ジャズ

アメリカで流行していた音楽としてまず挙げられるのがジャズの存在。世界恐慌の時期、1920年代を称して「ジャズ・エイジ」とされるほど、急速にアメリカ全土で人気を博した音楽です。

戦前のジャズは、ビッグ・バンド編成によるスウィング・ジャズが支配的でした。この時期の有名なジャズ・ミュージシャンとしては、「サッチモ」ことルイ・アームストロングらがいます。そこからビバップという、即興演奏に主軸を置いた少人数のスタイルに変遷していくことになります。

1950年代に入ると、このビバップがジャズの中心に。1950年代はジャズの全盛期ともされ、チャーリー・パーカーを筆頭に、バディ・リッチアート・ブレイキーといった現在でもジャズ・ファンに愛好されるレジェンドらはこの時期の人物。初期のマイルス・デイヴィスもビバップに傾倒しています。

そしてこの時期に、ジャズは多様化を見せていきます。1959年にマイルス・デイヴィスが発表した『カインド・オブ・ブルー』はジャズの最高傑作と名高く、モード・ジャズというスタイルを確立。フリー・ジャズといった、より革新的なスタイルもこの頃にオーネット・コールマンらによって開拓されていきました。

Miles Davis – So What (Official Audio)
巨匠マイルス・デイヴィスの傑作『カインド・オブ・ブルー』より。この作品はロック/ポップスの傑作と並び、史上最も優れたアルバム作品として高く評価されています。

正直なところ、ジャズの歴史に関してこのシリーズでそこまで深く追いかける予定はありません。なにせ次回以降、怪物級の才能がロックの世界から次々と登場しますから。ジャズの領域までをカバーしようとすると、それこそ支離滅裂になってしまいます。

この記事を読み進めるに際してはあくまで予備知識として、アメリカにおいてジャズは人気があるということをおさえておく程度で十分です。いずれはジャズ史にも手を出したいものですが、それはまたの機会に。

ブルースからR&B、そしてロックンロールへ

1960年代のポピュラー音楽を理解する上で、ロックンロールの成立から流行に至るまでの過程、これも是非ともおさえなければならないポイント。ここも見ておきましょう。

黒人層の労働歌にルーツを持つブルース、そしてアメリカ白人層の土着音楽であるカントリー、これらの融合によって生まれたロックンロールは当初黒人層を中心に注目され、その人気は次第に白人層にまで広がりを見せました。

Johnny B. Goode
ロックンロール黎明期の偉人、チャック・ベリーの代表曲。ブルースを高速で演奏するスタイルはロックンロールの雛形となり、ジョン・レノンは「ロックンロールに別の名前をつけるなら、それはチャック・ベリーだ」と絶賛しました。

しかし時は1950年代。人種差別は半ば公然に認められている時代です。黒人らが展開するロックンロールは「レース・ミュージック」として保守層には受け入れられず、断絶は続いていました。

その状況を打破した人物こそが、「キング・オブ・ロックンロール」ことエルヴィス・プレスリー。ポピュラー音楽史上最初のスターです。彼は瞬く間に人気を集め、ロックンロールは商業的な成功を収めることになります。

Elvis Presley – Jailhouse Rock (Audio)
エルヴィス・プレスリー初期の名曲、『監獄ロック』。ブラック・アメリカンのスタイルを真似たプレスリーに若者は熱狂し、保守的な大人たちは激しく反発しました。「ロックンロールは不良の音楽」というイメージはこの時期に形作られたと言えます。

しかし、50年代の末にロックンロールは突如として衰退していくことになります。黎明期を支えたスターの多くが表舞台を去り、大スターであるプレスリーも徴兵されてしまいます。まだまだ新興ジャンルに過ぎなかったロックンロールは、担い手を失うことで一気に沈静化してしまったのです。

以上が60年代に至るまでのポピュラー音楽の大まかな歩み。もちろんこれで全てを語れたとは思いませんが、それがこの記事のメインではないのでこの辺りで一旦終わっておきます。

1960〜1961年までの音楽シーン

前置きが長くなってしまいましたが、ここからいよいよ1960年代の音楽について迫っていくとしましょうか。

ポップスの流行/ロックンロールの反動

1つ前のチャプターでロックンロールの人気が後退していったという話をしましたが、その空いた穴を何が埋めたかというと、「ポップス」と表現するのが適切な音楽。ロックンロールのようにホットで過激なものではなく、丁寧に作られたお利口さんな楽曲です。これはロックンロール・ブームの反動と理解していいかもしれません。

実際にいくつかの楽曲を例に挙げて当時の音楽シーンを振り返ってみましょう。本来ならアーティストや音楽ジャンルに絞って話を進めたいんですけど、正直言ってこの時期って音楽シーンが停滞気味というか、真空地帯なんですよね。あくまで1960年代全体と比較して、ですが。

なのでここでは当時のヒット曲を見ていきながら時代感覚を掴んでいけたらと思います。アルバム文化なんてものもない時代ですからね。

まずは1960年の年間トップ・セールスを記録したこの曲、パーシー・フェイス『夏の日の恋』

Percy Faith & His Orchestra and Chorus – Theme from "A Summer Place" (Audio)
パーシー・フェイスはムード音楽の世界において活躍したミュージシャン。この『夏の日の恋』を始め、複数のヒットをこの時期に出しています。今日のポピュラー音楽とはスタイルが異なるので注目されることは少ないですが、重要な音楽家の1人。

前年公開の映画の主題歌のインストゥルメンタル・カバーなんですが、どこかで聴いたことのある方も多いかと思います。まだまだクラシック音楽的なサウンドがポップスとして認識されていた時代なんだということがこの曲から見えてきますよね。今の時代にこういった曲調が大ヒットというのは考えにくいですから。

次に見るのは同じく1960年のヒット・シングル、エルヴィス・プレスリー『イッツ・ナウ・オア・ネヴァー』プレスリーのキャリアの中でも最大のヒットとなった楽曲です。

Elvis Presley – It's Now or Never (Official Audio)
5週にわたってチャート首位を獲得した大ヒット・ナンバー。除隊後の彼は映画界をフィールドとしていきましたが、まだまだその人気は音楽界でも健在。「キング」の貫禄を見せつけました。

さっき「プレスリーは徴兵されて音楽シーンから遠のいた」なんて話しましたよね。いきなり矛盾するじゃないかという話なんですが、実はこの年にプレスリーは除隊しているんです。要するに彼のカムバックがちょうど1960年なんですよ。

で、この曲を筆頭にプレスリーは1年間で3曲のナンバー・ワン・シングルを発表しているんですね。チャート首位をなんと15週も独占しているんです。ちなみに翌1961年の第1週のチャート首位もプレスリー。流石は「キング」というか、絶対的ですね。

ただ、楽曲を聴くと面白い発見があるんです。この年にヒットしたシングルって、どれもロックンロール色の薄いものなんですよ。それこそ先に紹介した『監獄ロック』と比較すればその違いは明らか。エネルギッシュなロックンロールからは距離のある、甘いメロディが主体の優しい楽曲ばかりです。

これは私の推測ですが、大衆は「エルヴィス・プレスリー」という偶像を待ち望んではいたけれど、決して「ロックンロール」を求めていた訳ではなかったのではないでしょうか。それが如実に楽曲のスタイルに表れているように思えるんですよね。

他にもジ・エヴァリー・ブラザーズをはじめとして、チャート上で成功している楽曲はどれもこういった大衆受けのするものなんです。最初に触れたロックンロールの反動というのが、わかりやすくヒット・チャートに反映されています。

Cathy's Clown (Remastered)
ジ・エヴァリー・ブラザーズはカントリーの伝統的ハーモニーを引用した豊かなコーラス・ワークで人気を集めたデュオ。ザ・ビートルズやサイモン&ガーファンクルといったコーラスが特徴的なアーティストは、口を揃えて彼らからの影響を口にしています。

ブラック・ミュージックに「目覚めた」大衆

さあ、続いて1961年に目を向けてみましょう。この年最大のヒットはボビー・ルイス『トッシン&ターニング』。一旦聴いてみてください。

Tossin' and Turnin'
同時期にはレイ・チャールズが『我が心のジョージア』を始めいくつかの楽曲でチャート首位を獲得していますが、年間最大ヒットがブラック・アメリカンによるロックンロールというのは当時では快挙と言っていいでしょう。

どうです、一気にロックンロールっぽくなったと思いませんか?ブラック・ミュージック的な野生を感じる楽曲です。現代の耳にはどちらかというとR&B的かもしれませんが、当時この2つにそこまで明確な差はありませんでしたからね。

もう1つ1961年のヒット曲を取り上げてみましょう。ザ・マーヴェレッツ『プリーズ・ミスター・ポストマン』です。

Please Mr. Postman (Stereo Version)
ザ・マーヴェレッツはガールズ・グループ。こうしたブラック・アメリカンの女性グループというスタイルは1960年代において人気で、同じモータウンにはザ・スプリームスらがいる他、次回登場するザ・ロネッツもガールズ・グループ。

この曲、記念すべきモータウン初のNo.1シングルなんですよ(厳密には前年にR&Bチャートでは首位を獲得しているんですが)。モータウンとは何か、簡単に説明しておきます。

モータウンというのはR&B/ソウル専門のインディーズ・レーベル。1960年代から多くのヒットを飛ばし、音楽史に残る数々のスターを輩出してきました。スティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイダイアナ・ロスマイケル・ジャクソン、こういった錚々たる面々がモータウン出身です。

モータウン・サウンドの特徴は、それまで黒人層の中で楽しまれていたR&Bを白人に向けて発信した部分にあります。具体的に言うと、甘くてソフトな質感のブラック・ミュージックを提供したんです。それはこの『プリーズ・ミスター・ポストマン』を聴けばわかりますよね。同じブラック・ミュージックでも、ボビー・ルイスとは随分違ったタッチです。

で、この2曲を取り上げたのには理由があってですね。こういった楽曲のヒットは、「大衆がブラック・ミュージックを欲している」証拠と言っていいのではないかと思うんですよ。

1960年の段階でこうした兆候はそこまで見られなかった訳ですが、1年も経つと大衆は今度はお上品なポップスに飽きたということです。そこで思い出すのが、数年前に流行したロックンロール。あの熱烈な音楽を再び欲するようになったと解釈していいのではないでしょうか。

そのニーズに完璧に応え、それどころか全く新しい音楽を生み出したイギリスの若造4人組がしばらくすると登場しますが、このチャートの動向はその伏線として認識できると私は思います。そこのところは次回ガッツリ見ていきますのでご安心を。

まとめ

さあ、この辺で第1回のまとめとしましょう。

  • アメリカの音楽シーンが非常に支配的な時代である。
  • ロックンロールが1950年代に成立。エルヴィス・プレスリーの成功で若者を中心に人気を博する。
  • 1950年代末に、担い手を失いロックンロールが衰退。
  • その反動としてポップスが流行。
  • その後、さらにその反動としてブラック・ミュージックに再び注目が集まる。

今回見てきた時代を大雑把にまとめるとこんな具合。

正直言って、皆様が期待する1960年代の音楽にはまだ触れられていないと思います。ただ、その不満は次回で解消できるんじゃないでしょうか。なにせ奴らがリヴァプールからやってきますからね。ヤァ!ヤァ!ヤァ!ですよ。

それでは今回はこの辺りで。第2回「「ウォール・オブ・サウンド」と「英国侵略」」でお会いしましょう。

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