今回扱うコンテンツは『ペット・サウンズ』。目敏い読者の方なら、「お前のブログにはもう『ペット・サウンズ』のレビュー記事があるじゃないか」と思ってらっしゃるかと思います。
ただ今回紹介する『ペット・サウンズ』はザ・ビーチ・ボーイズのアルバムではないんです。勿論密接に関わってくるものではあるんですが。今回はジム・フジーリというアメリカの作家の著作『ペット・サウンズ』のレビュー、つまりは久方ぶりの書評です。
『ペット・サウンズ』というアルバムに対する関心は皆さん高いようで、「ペットサウンズ わからない」みたいな検索ワードでこのブログにお越しになる方もよくいるんですよね。
なので、ちょっと趣向を変えて、書籍からかの名作アルバムに迫ってみようかと。それでは、参ります。
『ペット・サウンズ』の内容
さて、早速この著作の内容に関して。当然アルバム『ペット・サウンズ』にフォーカスした文章ではあるんですけど、ディスク・レビューや評論とはちょっと毛色が違うんですよね。
この本を一言で言い表すならば、「ブライアン・ウィルソンの半生を通して分析した『ペット・サウンズ』論」。あるいは「『ペット・サウンズ』を通して分析したブライアン・ウィルソンの伝記」、そう表現してもいいでしょうね。あのアルバムとブライアン・ウィルソンはある意味において同義ですから。
音楽の内容だったり『ペット・サウンズ』が後進の音楽シーンに与えた影響だったりを俯瞰的に論じるというスタイルではなく、この作品の魅力とブライアン・ウィルソンの人生をクロスフェードさせながら展開する、そういう随筆のような構造です。
だから、この著作でゼロから『ペット・サウンズ』を理解しようというのは少し難しいと思います。一度チャレンジしたもののイマイチ咀嚼できない、そういう方にこそオススメしたい1冊です。
ジム・フジーリ氏が定義する『ペット・サウンズ』
ネタバレみたいになるのもイヤなので、この記事で逐一内容に言及することは避けようと思うんですが、それでも一点だけ。
第6章「自分にぴったりの場所を僕は探している」の冒頭で、フジーリ氏は『ペット・サウンズ』を「愛、そしてそれが青年の生活の中に占める場所への、きわめて個人的な省察」と定義しています。この定義、個人的にものすごくしっくりきたんですよね。
もちろん『ペット・サウンズ』はポピュラー音楽史に永遠に残るマスターピース、偉業の1つですが、それはあくまでこの作品が持つ途方もない音楽的魅力の結果に他ならないと思うんです。だって音楽的に優れていなければどれだけ革新的であっても金字塔たり得ませんから。
で、その音楽的魅力の根本にあるものこそ、さっき引用した「愛、そしてそれが青年の生活の中に占める場所への、きわめて個人的な省察」なんだと思います。ここまで普遍的でありながら、『ペット・サウンズ』はどこまでも個人的な音楽作品なんです。
僭越ながら私のレビューでも、「楽しげな楽曲も収録されていながら、『ペット・サウンズ』には悲壮的なムードがある。それはブライアン・ウィルソンの精神のかけらが見せる風景なのだろう」というようなことを偉そうに書いています。我田引水かもしれませんが、大意においてこの2つの主張は同じものだと思っていて。
当然、音楽として自立した作品でもあるんですよ『ペット・サウンズ』って。それはこの著作の中でもしきりに音楽理論の話題があがることからも明らかです。ただ、我々一介のリスナーはそこまで理論的に音楽を楽しむ訳ではありませんよね。もっと直感的、感覚的に音楽に触れるのが常です。
ただ、その音楽が極めて個人的なものだった場合、理解は困難になると思います。しかもこのアルバムで語られる言葉は決して直接的ではありませんしね、むしろ非常に抽象的で概念的です。となると歌詞からはブライアン・ウィルソンに迫ることはどうやら難しそう。
だからこそ、この作品に立ち向かうためには「愛、そしてそれが青年の生活の中に占める場所への、きわめて個人的な省察」であるということを踏まえておくことが重要なのではないかと。通奏低音としてのウィルソンの心情に耳を傾けるべき作品である、そう氏は言っているんですね。これには私も大いに賛同します。
村上春樹の「らしくない」邦訳
日本人としてはこの本に関してもう1つ触れておきたいトピックがあります。というのも、この本の邦訳はあの村上春樹なんです。
もしここまででこの本に関心を寄せている方の一部は、こう聞いて面食らってしまうかもしれませんね。村上春樹といえば、非常に個性的で難解な表現が特徴ですから。苦手な人はきっぱりダメ、かなり好き嫌いの分かれるタイプの作家です。
ただご安心を。この『ペット・サウンズ』に関していえば、「村上春樹イズム」みたいなものはほとんど感じられません。非常にナチュラルで平易な表現に徹しています。正直、村上春樹の愛読者である私なんかには物足りなかったくらいです。
この本はあくまでジム・フジーリ氏の著作ですし、その内容は稀代の名盤『ペット・サウンズ』。そこに水を差してはなるまいと言わんばかりに読みやすい名訳ですので、どうぞ身構えないでください。
それと、訳者あとがき「神さまだけが知っていること」では村上春樹にとっての『ペット・サウンズ』が触れられています。面白いのが、あの村上春樹をして、『ペット・サウンズ』の魅力にすぐさま反応できなかったと告白しています。つまり、ほとんど全ての音楽ファンが通過する道を彼もまた経験しているということなんです。
それに村上氏といえば熱心な音楽ファンとしても知られていますからね。『ノルウェイの森』なんて小説を上梓するくらいですから。ノーベル文学賞候補の小説家の論評というより、「音楽に造詣の深い、やや捻くれたセンスのあるおじさん」の『ペット・サウンズ』論として読み応えがありました。
まとめ
ここ最近とにかくヘヴィな記事が続いているので、今回は箸休め的に軽い内容にしてみました。
ただ、決してそれはこの『ペット・サウンズ』という書籍を軽んじている訳ではありません。是非皆さんに読んでいただきたい、そのためにあえて詳細な内容には触れていないんです。音楽のように「ただそこにある」ものではなく、書籍は客観的な内容がより重要ですからね。あまり先入観を持ってほしくもなかったんですよ。
くどいようですけど、『ペット・サウンズ』というアルバムを理解できないのは本当にもったいないことだと思っています。あれほどピュアで美しく絶望的な名盤がありながら、そこに踏み込みきれないというのは損失と言い切ってもいいでしょう。
少なくともこのブログの読者の方にはその損失は是非とも回避してほしいんです。そのために色々策を弄してこの名盤を紹介していますが、今回もその一環。『ペット・サウンズ』を聴きながら、是非ともこの『ペット・サウンズ』を読んでいただければと思います。じっくりとじっくりと、1人の才能ある繊細な青年のひととなりを知るかのように。それではまた。
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