さあ、長らく続いたこの企画もいよいよ今回で最終回です。張り切って参りましょう。バックナンバーはこちらから。カテゴリからも飛べますが念のため。
前回までに見てきた内容で、1960年代に起こったポピュラー音楽の変化というのは大まかに捉えられたかと思います。ここからはむしろ「プレ1970年代」とでもいうべき時代ですね。
ただ、これは§1.でも触れましたが、歴史というのはあくまで連続的な概念です。1960年1月1日から1969年12月31日までが独立した意義を持つということはあり得ませんからね。音楽がどういった変遷を辿り、そして新時代に突入していくのか。そこの辺りを注意深く見ていくことにしましょう。
ファンクの勃興
ここまで数回にわたって、このシリーズではロックを中心に話を進めてきました。それはポピュラー音楽史を論じる上でごくごく自然な流れだと思いますし、事実この時代においてロックの躍進は目覚ましいものがありましたから。
ただ、ブラック・ミュージック(本来はロックもブラック・ミュージックと呼ぶべきかもしれませんが、便宜上このように区別しておきます)に関してはそこまで詳細な話をしてきませんでした。決してこのジャンルを蔑ろにしていた訳ではなく、双方を時系列で語るのはかえって解説がまどろっこしくなることを危惧しての措置なんですが。
とはいえこのブラック・ミュージックを無視することはできません。今日の音楽の様相を思えば、むしろここをこそ重点的に語るべきですらあります。ここからは駆け足ではありますが、1960年代におけるブラック・ミュージックに関して。
これはこのシリーズのどこかで触れたかと思いますが、ロックが芸術性の追求や表現の拡張を試みている間、R&Bやソウルの世界にそういった挑戦は持ち込まれませんでした。どちらかといえばよりポップに、商品としてのクオリティを求めていた側面が強かったんです。この2つの発展の仕方に貴賎は存在しませんが、その違いは理解しておきたい部分。
じゃあ10年にわたってブラック・ミュージックになんの変化もなかったのかというと、そういう訳でもないんですよね。この時代における重要なブレイクスルーとして、ジェームス・ブラウンによってファンクが確立されたというものが挙げられます。
ファンクの偉大さは、「リズム、メロディ、ハーモニー」の三原則によって成り立つ音楽において、「リズム」の部分を極端に強調した点にあります。同じブラック・ミュージックでも、モータウンのヒット曲と比較すればその違いは明らかですね。
そしてこのファンクの重要性、それからジェームス・ブラウンの偉大さというのはもっと音楽評論の中で議論されて然るべきテーマだと思っているんですよ。
1970年代以降このファンク・サウンドはディスコに発展し、1980年代にはマイケル・ジャクソンやプリンスといったフォロワーが一世を風靡。初期のヒップホップへの影響力も絶大です。こうした流れがさらに2000年代のネオ・ソウルに繋がり、今日の音楽シーンを形成していることを思えばその重要性は高く見積もって困るということはないでしょう。
もちろん1960年代当時の段階でファンク、というよりJBの音楽は人気を博してはいましたが、むしろ彼の存在が重要になってくるのは1970年代以降ということもできると思います。そういう意味では、このファンクも多分に「プレ1970年代」的な音楽と言ってしまっていいのではないかと。
1970年代ロックの萌芽
引き続いて視点を再びロックに向けてみましょう。ロックにおいても、1970年代を迎えるだけの用意が着々と進んでいます。
ここで重要になるのが、その出発点にはサイケデリック・ロックの存在があったということ。これは前回の「サイケデリックの衰退」というテーマでも触れましたが、サイケデリック・ロックによって生まれた様々な表現技法が、別個のサブ・ジャンルとしてオリジナリティを確立していくんです。
ここではその中から特に重要な2つのムーヴメントの萌芽となり得る動向をチェックしていきましょう。
サイケの強烈な眩惑、大音量のサウンド→ハード・ロックへ
サイケデリック・ロックの中でも、ジミ・ヘンドリックスやクリームが展開したサウンドはひときわ衝撃的でした。ブルース・フィーリングにのっとったパワフルなギター演奏を筆頭に、バンド・アンサンブルはそれまでになく大音量かつアグレッシヴなものだったんです。
その性格をより強め、よりハードなサウンドを追求したのがハード・ロック。1970年代に世界的な存在感を見せることになるジャンルですね。この原型が構築されたのが、1960年代末のことです。
その立役者として語るべきはやはり彼らでしょう。レッド・ツェッペリン。ザ・ビートルズ解散後空席となったロックの玉座についたモンスター・バンドですね。
彼らが1960年代に残した2枚のアルバムは、その後のハード・ロックのあり方を誰よりも早く、そして誰よりも優れた形で提示しています。ヘヴィな演奏に高音のシャウト、まさにハード・ロックかくあるべしと言わんばかりのサウンドは非常に衝撃的でした。
1970年代にはディープ・パープルやブラック・サバスといった面々も表れ、いよいよハード・ロックは黄金期に入る訳ですが、それは1970年代から動き出したのではなく、あくまで1960年代ロックの発展形であるということは理解しておかねばならないと思います。
サイケの実験性、即興性→プログレッシヴ・ロックへ
さて、続いてはサイケの持つ実験性や即興演奏の側面がどのように発展したかです。
サイケ・シーンの中からは、プロコル・ハルムやムーディー・ブルースといったバンドが現れていました。当時最先端の電子楽器だったメロトロンの積極的な導入やオーケストラの参加というそれまでにないアプローチは、ロックに新たな可能性を示すことに成功します。
それを受けて1969年にデビューしたのがキング・クリムゾン。デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』はジャズ的な即興演奏に壮大すぎるサウンドスケープ、そして複雑かつ難解で長すぎる楽曲と、ことごとくこれまでの常識に当てはまらないスタイルをとっています。
(余談ですが、この『クリムゾン・キングの宮殿』はアルバム個別のレビューを敢行しています。興味のある方はそちらも是非。)
このあまりに先進的なロックは、そのままプログレッシヴ・ロックと呼称されることになります。このジャンルもハード・ロック同様、1970年代にはヨーロッパを中心に世界的規模に拡大していくのです。
今でこそプログレッシヴ・ロックは音楽シーンからは後退したと言わざるを得ないジャンルですが、1970年代における人気はそれこそハード・ロックと二分するものがありました。そのロックを代表するスタイルの両方が、1つの音楽潮流の中から発展したというのはなかなか興味深いポイントではないでしょうか。
「アルバム文化」の浸透
ここまでに見てきた1970年代への伏線の数々、これらの背景には「アルバム文化」という価値観が重要な役割を果たしているんです。
これは§4.で登場した『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が提示したもので、「シングルやラジオ・ヒットといった楽曲単位での音楽ではなく、アルバム1枚で1つの作品である」といった価値観なんですが、この『サージェント・ペパーズ』の後に続けとばかりに多くのアーティストがこの価値観を音楽に取り入れていくんです。
わかりやすい例で言えばザ・フーが1969年に発表した『トミー』。これは精神的トラウマから三重苦となってしまった少年トミーの数奇な人生を描いた作品ですが、ストーリー仕立てのアルバムというのはそれまで類を見ないものです。
この「アルバム文化」も、1970年代の音楽シーンにおける重要なモチーフの1つ。それこそさっき触れたプログレッシヴ・ロックなんかで顕著ですが、アルバムを中心とした活動を展開するアーティストが目立つようになります。レッド・ツェッペリンだってシングルのプロモーションはほとんど行っていなかった訳ですし。
それに1970年代における「名盤」、例えばピンク・フロイドの『狂気』やデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』はこういった価値観に根ざした作品ですからね。そうした価値観もまた、1960年代が残した遺産の1つです。
ザ・ビートルズの解散
あまり個別のアーティストに注目しすぎるのもよくないとは思うのですが、これは触れておいた方がいいポイントだと思うので。
何かというと、ザ・ビートルズの解散です。これ、単なるバンドの解散以上に重要な意味を持つような気がするんです。というのも、ポピュラー音楽のフロンティアをひた走り続けたザ・ビートルズが解散することで、舵取りがいなくなるんですよね。
決して過大評価はしたくありませんが、自作自演の浸透に始まり、「アルバム文化」にしろサイケデリック・ロックにしろ、1960年代の変革はほとんど彼らによってもたらされているんです。その彼らが解散してしまうことで、ある意味ではポピュラー音楽の発展は無秩序になります。
この「無秩序」というのは1970年代を象徴するフレーズだと思うんですが、その混沌を生んだのはザ・ビートルズの解散にも理由があるのではないかと。だからこそ、この事実も1960年代洋楽史を語る上では重要だと思うんです。
まとめ〜1960年代とは如何なる時代だったのか〜
さて、まとめです。
- ロックの深化と同時期にブラック・ミュージックではジェームス・ブラウンがファンクを確立。1970年代以降にも影響を及ぼすことに。
- 1960年代末には、サイケデリック・ロックから発展する形でプログレッシヴ・ロックやハード・ロックの原型が形成される。
- 1970年にはザ・ビートルズが解散。ひとつの時代の終焉を象徴すると共に、1970年代に見られる多種多様な音楽性の芽吹きの遠因の1つとも。
こういった具合でしょうかね。繰り返しにはなりますが、今回はどちらかというと1970年代に向けて、というような趣です。
今回で最終回ですし、このシリーズ全体の総括もここでしておきましょうか。
1960年代とは如何なる時代だったのか?それは、以降のどの時代よりも活気に溢れ、変化に溢れ、驚異的な生命力に満ち溢れていた時代です。まだまだポピュラー音楽がプリミティヴであったからこそ、どのアーティストからも開拓者としての気概を感じるんですね。
そのエネルギーというのは、彼らの作品からもはっきりと伝わってきます。こういうエネルギーというのは歌声や演奏といった音楽的な要素の外側のものではありますが、それらに匹敵する大事な魅力の1つだと思うんです。
それを理解するためには、こうした歴史を知ることが不可欠。「なんとなくいい」で済ませず、その「いい」がどういった根拠に支えられているのかを知ることで音楽に対する見通しが格段に良くなります。
「古い音楽は偉大かもしれないがいい音楽とは思わない」、こういった意見を耳にすることもありますね。好き嫌いはあくまで個人の感性ですからそれを否定することはしませんが、一概に古い音楽を化石同然と切り捨てるのはナンセンスなんです。そこに込められた力強さや情熱は、おそらく今日のポップスとは質的に異なるものでしょうから。
そういった理屈を理解していただければ、この企画も完遂した価値があるというものです。そのための企画ですからね。「音楽の聴き方をアップデートする」なんて銘打ったブログですが、その目的をこの記事は少なからず果たせているという自負があります。
さて、次回はこの記事で振り返った1960年代史を抑えつつ、実際に音楽作品でこの時代を振り返ろうという企画を予定しています。解説も歩くないですが、やはり音楽を聴いてみないと見えてこないものはありますからね。それではまた。
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