スポンサーリンク

1960年代の洋楽を徹底解説! §6. ラヴ&ピースは夢破れ、時代は巡る

Pocket

さて、1960年代徹底解説第6弾です。これまでの解説はこちらから。長いシリーズですが是非最初から読んでいただきたいですね。

前回見ていったのはサイケデリック・ミュージックの全盛期。社会的なムーヴメントとも結びつきながら巨大なうねりとなっていった部分を語っていきました。

今回はそのムーヴメントが頂点に達し、そしてその幻想が弾けてしまうところから。盛者必衰とはよく言ったもので、サイケの流行にも終わりが訪れます。ただ、終わりがなければ先に進むこともできませんから。どのようにして時代が移り変わっていったか、今からじっくりと見ていきましょう。

サイケ・ムーヴメントの頂点、ウッドストック

前回フラワー・ムーヴメントに関して言及する際に、「モンタレー・ポップ・フェスティバル」というものにチラリと触れたかと思います。

これ、実は音楽フェスの先駆けのようなイベントなんですよね。今日でも音楽産業において重要な位置を占めるフェスですけど、そのルーツにはサマー・オブ・ラヴの集会という側面もあったんです。

そしてこのフェスというのがもう熱狂的で。ドラッグを半ば公然と使用し、出演者もオーディエンスもトリップしながら音楽に身を委ねるという今ではあり得ない状況を人々は楽しんでいました。それこそヒッピーが唱えたおおらかな社会のあり方に直接つながるような状態ですね。

モントレー・ポップ・フェスティバルに出演したジミ・ヘンドリックスは、その情熱を表現するためにギターを燃やしました。その自由なステージングは、単なるパフォーマンスではなく、1960年代のモードを象徴しているとも言えるでしょう。

そしてこのヒッピー文化、そして1960年代カウンター・カルチャーのピークとなったのが「ウッドストック・フェスティバル」今なおポピュラー音楽の歴史に燦然と輝く伝説的イベントですね。

出演アーティストはジミ・ヘンドリックスグレイトフル・デッドザ・フージャニス・ジョプリンと1960年代を代表する錚々たる面々。このフェスティバルは当初チケット購入者しか入場できませんでしたが、会場のフェンスは群衆によってなぎ倒され、最終的にはフリー・コンサートと化しました。

ウッドストック・フェスティバルでのカット。当時の写真はステージ、観客共に多く残されていますが、そのいずれもこのフェスティバルの盛り上がりと時代の持つ温度感を生々しく現代に伝えています。

このフェスが伝説たる所以は、出演アーティストの数々の名演も当然理由の1つですが、それ以上に「愛と平和の祭典」を体現したからです。ヒッピーが望んでいた新たな世界の幕開けが、そこには確かに感じられたんですね。

「オルタモントの悲劇」

さあ、ウッドストック・フェスティバルが大成功を収めたのと時を同じくして、ザ・ローリング・ストーンズがアメリカで大規模なフリー・コンサートを開催します。「オルタモント・フリーコンサート」と銘打ったこのイベントは、ウッドストックとは違った意味でポピュラー音楽史に残る重要なもの

ずさんな計画にドラッグで暴徒化した観客、そして会場の警備をしたのは悪名高き犯罪組織「ヘルズ・エンジェルズ」。すべてのピースが不運にもはまってしまい、フェスティバル当日、観客がヘルズ・エンジェルズの構成員に殺されてしまうという最悪の事態に発展してしまったんです。この事件を称して、「オルタモントの悲劇」

Rolling Stones – Sympathy For The Devil (Live Altamont, 1969)
オルタモント・フリーコンサートの主催でありヘッドライナーでもあるストーンズのライヴ中、まさにその瞬間に悲劇は起きました。ヘルズ・エンジェルズの血走った目や観客の乱痴気騒ぎが、残された映像には残酷なほど克明に刻まれています。

この「オルタモントの悲劇」は、ウッドストックによって実現されたかのように思えた「ラヴ&ピース」が単なるドラッグの幻想に過ぎないことを象徴するかのような事件でした。人が死に、暴動同然となった会場の様子は、おおよそヒッピーが目指したものとは程遠かったのです。

これは次のチャプターで語りますが、同時期に音楽界においてもサイケデリック・ムーヴメントは衰退を見せていきます。これは決してラヴ&ピースの崩壊に直接の影響を受けてではないかもしれませんが、皮肉にもこの2つの動きが同じタイミングで起こったことで、音楽界は大きく変容していきます。ポップスもまた、サイケの夢から醒め、新たな道を進み始めのです

ルーツ・ロック

さて、タイムラインは少し前後しますが、ここからはサイケ・ムーヴメント絶頂の頃のポピュラー音楽の話をしていきましょう。しかし、ここで見ていくのはサイケではなく、むしろサイケとは真逆のスタイルを取る音楽性、ルーツ・ロックに関して。

これは言葉通り、ルーツ音楽へのリスペクトをはっきりと表明したロックのことです。悪し様に言えば真新しさのないサウンドな訳ですが、誰も彼もがサイケの眩惑に取り憑かれていたこの時代には、それがむしろ斬新かつ魅力的に響いたんです。

ルーツ・ロックと言うのですから、その発端は戦後ポピュラー音楽の故郷であるアメリカ。サイケが躍動する傍らで、ザ・バンドクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)らが地に足のついた泥臭いロックを展開していきました。前回紹介したサイケデリック音楽の例と聴き比べれば、ルーツ・ロックの人間味溢れる温度感には驚かされることかと思います。

The Weight (Remastered)
ザ・バンドはかつてボブ・ディランのバック・バンドを務めており、デビュー作で既にそのサウンドは円熟味を見せています。この作品をいたく気に入ったジョージ・ハリスンが、アメリカで買い占めたレコードを知人に配って回ったというエピソードも。
Creedence Clearwater Revival – Fortunate Son
CCRで『フォーチュネイト・サン』。彼らはサイケデリック・ロック全盛期にあって、時代に逆らいサザン・ロックやスワンプのサウンドで人気を博しました。彼らの乾いたサウンドは、ドラッグの幻想に溺れるロック・シーンにとってのオアシスだったのかもしれません。

加えて、同時期のザ・バーズの動向も見ておきましょう。このシリーズでザ・ビートルズに並んで登場頻度の高い彼らですが、この時期にバンドにはグラム・パーソンズという人物が加入します。

新顔のパーソンズはしかし加入するや否やバンドを乗っ取り、カントリーとロックを結びつけたサウンドを展開します。こうして制作された『ロデオの恋人』は、カントリー・ロックの発明という点で重要な1枚。

The Byrds – One Hundred Years From Now (Audio/Gram Vocal)
以前にも触れましたが、ポピュラー音楽史におけるザ・バーズの存在感は無視できないものがあります。カントリー・ロックというスタイルの確立もこのバンドの功績の1つで、中心人物であるグラム・パーソンズはバンド脱退以降もカントリー・ロックの優れた作品を発表しました。

アメリカでのこうした動きは、大西洋を渡りイギリスにも伝わります。その影響をいち早く受けたのが、ザ・ビートルズザ・ローリング・ストーンズ。やはり1960年代のイギリスにおいて、この2組の感受性は抜きんでたものがありますね。即座にこうした流れをキャッチし、彼らは作品に取り入れていきます。

特にストーンズはこのムーヴメントの恩恵を直接に受けました。サイケの波に呑まれて発表した数作は批評的にも商業的にも失敗でしたが、彼らの本領であるブルースやR&Bといった泥臭さを再び押し出すことで、バンドは過去にないキャリア・ハイをマークしていくことになります

The Rolling Stones – Sympathy For The Devil (Official Video) [4K]
ストーンズは1968年にアルバム『ベガーズ・バンケット』を発表。それまでの迷走を断ち切るかの如くブルースに回帰したこの作品をきっかけに、バンドは全盛期に突入していきます。以降、彼らは古き良きロックンロールの守護神として50年にわたって活躍することになるのです。

また、これは前回ヘンドリックスについての記述でメンションしましたが、ロック・ギターにおけるブルースの存在感の増大、これにもルーツ・ロックは少なからず作用していると見てもいいでしょう。最も原始的なギターのあり方、そしてそこに潜む本質的な魅力は、こうしたムーヴメントなくしては見過ごされていたものかもしれません。

ガレージ・ロック

こちらもポスト・サイケというよりは水面下で同時進行していた音楽潮流ではあるのですが、ここからはガレージ・ロックについて。

ガレージ・ロックというのはロックンロールやブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストを参照したシンプルなロックなんですが、ルーツ・ロックと違うのはこのジャンルにはサイケの足跡もしっかりと残っているという点。

サイケ・ロックの持つ性質の1つに、ギラギラとしたサウンド感というのがあります。これはザ・ドアーズなんかに顕著に見られるエッセンスですが、ガレージ・ロックはそれをシンプルなロック・サウンドに取り入れているんですね。

高価な機材も必要とせず、情熱さえあれば誰でも始めることのできたこの音楽は、シーンの中心にくることこそなかったものの水面下で着々とその勢力を拡大していきました。

You're Gonna Miss Me
ガレージ・ロック黎明期のバンド、13thフロア・エレベーターズの代表曲。当時はこのバンドを筆頭に、ローカルなガレージ・バンドが無数に結成されていましたが、1970年代に『ナゲッツ』という編集盤によってそれらの一部が日の目を見ることとなりました。この『ナゲッツ』はガレージ・ロックの聖典として今日でも存在感を発揮しています。

このガレージ・ロックの拡大、個人的には§2.で触れたスキッフルにも通ずるものがあると思うんですよ。いわば60’s版のスキッフルというか、DIY精神溢れるアマチュア・バンドがゴロゴロと登場したその様子は非常に似ていると思います。

その中で特に有名な存在が、ザ・ストゥージズMC5。同じレーベル会社に所属していたこの2バンドは共に過激なパフォーマンスで知られ、ガレージ・ロックの代表格とされています。

I Wanna Be Your Dog
初期のザ・ストゥージズを代表する楽曲がこの『アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ』。ナンセンスな歌詞に如何にもガレージ・ロック然としたざらついたサウンドは極めてアイコニックです。特にリーダーのイギー・ポップの影響力は凄まじく、パンク・シーンへの貢献から「パンクのゴッドファーザー」と呼ばれています。
Kick Out the Jams
MC5のデビュー・アルバムより表題曲。デビュー作がライブ盤というのも画期的ですが、放送禁止用語を叫ぶ過激なステージはそれ以上に斬新かつアヴァンギャルドです。その過激さはパンクを始め、ハード・コアやメタルにまで影響を残しました。

さてこのガレージ・ロック、商業的な成功を収めたとは言い難いサブ・ジャンルなんですがポピュラー音楽史においては極めて重要な伏線の1つなんですね。彼らが打ち出したサウンドやアティチュードというのは、1970年代にパンクとして花開くことになるんです。

あくまでこのシリーズは1960年代史のみにフォーカスしているのでここでパンクについて詳細に語ることはしませんが、パンクの持つ影響力というのはもう今日に至るまで強烈なものがありますからね。こういう、小さなムーヴメントから波及した動きが結実するというのもスキッフルとの類似点です。ちょうどスキッフル・ブームから、ザ・ビートルズだったりストーンズだったりは登場した訳ですから。

サイケ・ブームの終焉

ここまで見てきたような音楽の動向を受けて、サイケの存在感は急速にしぼんでいきます。サマー・オブ・ラヴになぞらえて表現するならば、それこそ一夏の夢のように

その理由として考えられるものには、一つにはサイケ・ロックの多様化と発展というものが挙げられます。これは次回で詳細に語りたいのですが、サイケデリアが示したポピュラー音楽の表現の自由は、この後より様々な形に変化していくんです。たとえばそれはハード・ロックだったり、あるいはプログレッシヴ・ロックだったりというように。

サイケは進化の過程で見られた一つの形態だった、そう言ってもいいのかもしれません。あくまでアーティストにとって、サイケデリックというのは革新的表現の手段の1つに過ぎなかった訳ですから。そこから新たな一歩を踏み出すというのは自然ですし、健全です。

ただ、ここではもう一つの理由についても見ていきましょう。それは何かというと、ドラッグの危険性がはっきりと顕在化され、闇に呑まれたアーティストが出てしまったという点

2つ前のセクションで登場した『ペット・サウンズ』、この傑作を生み出したブライアン・ウィルソンなどはその好例でしょう。彼は元来繊細なメンタルの持ち主でしたが、ドラッグの服用でそれが悪化し、以降隠遁生活を余儀なくされます。

他にもピンク・フロイドのリーダーだったシド・バレットはLSDの過剰摂取が仇となり廃人と化し、イギリスを代表するブルース・ロック・バンド、フリートウッド・マックの看板ギタリストであるピーター・グリーンもドラッグに依存してしまいます。

Pink Floyd – Interstellar Overdrive (The Roundhouse) ['Science Fiction – Das Universum Des Ichs']
1970年代以降、プログレッシヴ・ロックの代表格としてメガ・ヒットを記録するピンク・フロイドですが、そのキャリアはサイケデリック・ロックから出発しています。その中心にはシド・バレットという天才の存在があったのですが、彼は1stアルバム発表後程なくドラッグによって精神を病み、表舞台から去ることになってしまいました。

極め付けは、ジミ・ヘンドリックスジム・モリソンジャニス・ジョプリンの、いわゆる「3J」の死。彼ら彼女らはサイケ・ムーヴメントの代表的な存在でしたが、1960年代末に相次いでこの世を去ってしまいます。そしてその影には、常にドラッグの存在が横たわっていました。

こうした度重なる才能の喪失が、もはやサイケデリック・ミュージックを素晴らしい音楽革新だと手放しに褒めることを許さない状況をもたらしたようにも思うのです。誰もが見て見ぬ振りをしてきたそのあからさまな危うさが、最悪の形で表れてしまったのですから。

まとめ

少し暗い話題で締め括ることになってしまいましたが、ここで今回のまとめとしましょう。

  • ヒッピー文化と共鳴して音楽フェスティバルの文化が成長し、その頂点としてウッドストック・フェスティバルが開催。「愛と平和の祭典」として歴史的イベントに。
  • ウッドストックと同時期に開催されたオルタモント・フリーコンサートにて観客が殺害される「オルタモントの悲劇」が起こる。「ラヴ&ピース」の崩壊の象徴となる。
  • サイケデリック・ロックの隆盛と時を同じくしてルーツ・ロックが、またサイケから派生する形でガレージ・ロックが確立。以降のシーンに影響を与える。
  • 音楽シーンの加速、そしてミュージシャンの度重なる死や精神の荒廃によってサイケデリック・ミュージックが後退。ポピュラー音楽が新たな局面を迎える。

今回は音楽作品に言及するというよりは、全体としての動きや流れを俯瞰で眺めていく展開になっているかと思います。少し退屈に感じる方もあるかもしれませんが、こういった視点も重要なものなんです。音楽というのは多分に時代性を含む文化ですからね。

さあ、次回はいよいよこのシリーズの最終回。1960年代が終わり、1970年代に向けて舵を切る様子を解説していきます。ここまでお付き合いいただいたからには、是非とも最後までご覧ください。最終回「1960年代の終焉、あるいは1970年代の開幕」でお会いしましょう。それでは。

コメント

タイトルとURLをコピーしました