まだまだ続くこの企画、今回は第4弾です。ここらで折り返しくらいになるでしょうか……バックナンバーはこちらのカテゴリからどうぞ。歴史解説なので最初からお読みいただくことをオススメします。
今回見ていくのはタイトルにある通り、「ロックが芸術になった日」。前回見ていったロックとフォークの出会いを契機にロックは更なる深化を見せていくようになりますが、その部分をじっくり見ていきたいと思います。
今回の主役はまたしてもザ・ビートルズ。贔屓に思えてしまうかもしれませんが、もう彼らのスペックと存在感は一昔前のライトノベルの主人公ばりにぶっ飛んでしまっているので、彼らに注目するのは仕方ありません。あくまで客観的な視点からの解説であるという点だけはご理解ください。それでは、参りましょう。
ザ・ビートルズの脱アイドル化
ザ・ビートルズの成功は§2.で既にお話しした通りです。アメリカ進出後、世界中で熱狂的な人気を獲得した彼らですが、それが決していいことづくめかというとそうでもなく。
どういうことかと言うと、彼らの人気はアイドル的なものだったんですね。マーケティングとしてアドル的側面を押し出した事実もあるんですが、とはいえその熱狂は少々いきすぎたものになっていました。「ビートルマニア」と呼ばれる女性ファンがツアー中のメンバーの宿泊先にまで押しかけ、ライヴ中は彼女たちの悲鳴にも似た絶叫で演奏はまともに聴こえていなかったほどです。
デビュー時からオリジナル曲を発表している段階でわかると思うんですが、ザ・ビートルズはあくまで音楽家なんですよ。彼らにとってこうした人気は本意ではありませんでした。そうした状況で出会ったのが、前回お話ししたボブ・ディランです。
特にジョン・レノンは彼の姿勢に影響を受け、ザ・ビートルズに内省的な視座が持ち込まれます。にこやかにラヴ・ソングを歌うアイドルから、徐々に表現者としての方向にシフトしていこうとした訳ですね。
そしてザ・ビートルズは、1966年にアルバム『ラバー・ソウル』を発表。この作品で彼らは本格的に「脱アイドル化」を図ります。それまでのポップなロックンロールの要素は抑えられ、アコースティックなサウンドやインド音楽の導入、多様なアプローチを見せたこの作品は、彼らの大きな転換点となりました。
そして同年に続けざまに発表されたのが『リボルバー』。この作品以降、彼らはステージに立つことをやめ、スタジオワークに専念していくのですが、この作品はその影響もあって実験的な姿勢がより強く見られるアーティスティックな1枚です。
サイケデリック・ロック(次回のテーマとなる部分です)を取り入れ、より貪欲にインド音楽を突き詰めてみたり、あるいはテープの逆再生やクラシック音楽の要素を取り入れてみたりと、ライヴでの再現を考慮していないどこまでも自由な楽曲群には、もはやアイドルだった彼らの片鱗はありません。彼らはこの『リボルバー』をもって、完全にアーティスト化したと言っていいでしょう。
(余談ですが『リボルバー』に関しては以前アルバム単体のレビュー記事をアップしています。そちらでこの作品の詳細は語っているので、そちらもあわせてお読みください。)
世界的アイドルだった彼らが僅か1年の間に高尚な芸術家のような佇まいを纏い出したことで、音楽界に激震が走ります。それまでは、誰もポピュラー音楽がそうした高尚さと結びつき得るとは考えていなかったんですね。
なのに、世界最高のポピュラー音楽家であるザ・ビートルズが率先して芸術に向かっていこうとしている。イメージとしては乃木坂46がいきなりシューゲイザーやり出したくらいのもんですよ、やっべえってなるでしょ?この驚きと焦燥が音楽界全体に作用し、ロックの深化を促進していくことになります。
『ラバー・ソウル』から『ペット・サウンズ』へ
少し話は前後しますが、先ほど紹介した『ラバー・ソウル』は何もザ・ビートルズにとってだけ重要な作品という訳ではありません。1人の男もまた、この作品にとてつもない影響を受けます。彼の名はブライアン・ウィルソン。§2.に登場したザ・ビーチ・ボーイズのメンバーです。
ザ・ビートルズとザ・ビーチ・ボーイズはある種のライバル関係にあったんです。言ってしまえば関東芸人と関西芸人のようなものでしょうか、それぞれに音楽性が確立されており、その実力は伯仲。2バンドともアイドル的人気もあり、チャート上でもしばしば競争を見せてきた、そんな関係です。
そんなライバルであったザ・ビートルズの突然の変化、これにウィルソンは大きく動揺します。決してザ・ビーチ・ボーイズが低俗ということではありませんが、『ラバー・ソウル』で両者には音楽家としての姿勢に決定的な差が生まれてしまったのです。
「『ラバー・ソウル』を超える作品を作らなければならない」
ブライアン・ウィルソンはこう決意し、ツアーにも帯同せず1人スタジオに籠ります。以前登場したフィル・スペクターの楽曲群で演奏を担当していた「レッキング・クルー」というスタジオ・ミュージシャン集団を集め、彼はアルバム制作に没頭。そうして生まれたのが、『ペット・サウンズ』です。
この『ペット・サウンズ』に関しては『リボルバー』同様個別レビューを敢行していますが、この作品ではバロック・ポップといわれる絢爛豪華なサウンドを構築。フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」を参照しつつも、それまでのポップスではあり得ない美麗なサウンドスケープを見せています。
『ペット・サウンズ』はそれまでのバンドのスタイルとは全く違った作品だったため賛否両論を生みましたが、音楽業界からは絶賛されます。今日に至るまでこの作品は音楽史上の傑作と名高い1枚ですが、こういった革新性もその理由の1つでしょう。
そして、この作品にインスピレーションを受けたのが、ウィルソンに衝撃を与えた張本人でもあるザ・ビートルズのポール・マッカートニー。
『リボルバー』収録の楽曲にも既に『ペット・サウンズ』からの影響は感じられますが、マッカートニーはウィルソンが見せた「芸術的ロック」のサウンドに非常に感激し、また同時に焦燥感にも駆られました。
少し話は逸れますが、この両者のシーソーゲームのような関係性は実に1960年代的だと思うんです。1970年代以降のポピュラー音楽は細分化されていき、シーン全体を覆うような影響力を持った作品やアーティストが登場しにくい状態になっていきますから。
ただ、ある意味ではポピュラー音楽が未開だった1960年代ならば、こうした包括的な存在感というものが生まれ得るんです。当然、ザ・ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズが並外れた名アーティストであるという前提の上での話ではあるのですが。
さて、話を戻しましょう。『ペット・サウンズ』に触発されたマッカートニーは、『ペット・サウンズ』に追いつくべく次の一手を考えます。そこで彼が思いついたのが、「楽曲レベルでではなく、アルバムを1つの単位とした音楽」というアイデアでした。
金字塔『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ』
マッカートニーのアイデアをより具体的に説明するとこうです。
「架空のバンドのライブ演奏という設定の上でアルバムを制作する」
このコンセプトを基に、ザ・ビートルズが1967年に発表した作品こそが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。音楽史に残る大傑作の誕生です。
今でこそ「名盤」という概念は人口に膾炙していますが、それまでのポピュラー音楽の主体はあくまで楽曲。シングル主体の活動がほとんどでしたし、アルバムも「シングル集プラスα」といった趣のものでした。
しかし『サージェント・ペパーズ』はその常識を破壊し、アルバム全体で1つの音楽作品、「コンセプト・アルバム」という価値観を提示してみせたんです。もちろん『ペット・サウンズ』や『リボルバー』だってアルバム全体で鑑賞すべき美意識のある作品なんですが、この『サージェント・ペパーズ』は「アルバム作品」であることにより自覚的なんですよ。
この価値観の転換の衝撃といったら、想像を絶するものがあると思います。言ってしまえば、音楽の在り方そのものを根本的に変えてしまった訳ですからね。
この作品に影響を受け、以降のロック・シーンは一変します。アルバムに通底するストーリーや美学、そういったものをアーティストは追究し、また聴き手もそういった作品をこそ優れた作品だと認識するようになります。
『サージェント・ペパーズ』がしばしば史上最も偉大なアルバムとされるのはこれが理由なんです。作品の内容ももちろん圧倒的なんですが、それ以上に歴史的価値があまりに高い。少なくとも10年くらい前までは『サージェント・ペパーズ』が音楽史上の最高傑作だという認識はごくごく一般的なものでしたから。
アートとしてのロックを開拓したザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
「ロックと芸術」というテーマであれば、少し話は飛びますが彼らにも触れないといけませんね。ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(以下ヴェルヴェッツ)というバンドについてです。
アメリカはニューヨークといえば、今日まで知られる芸術の街ですよね。そんなニューヨークのディープなカルチャーから登場したのがヴェルヴェッツでした。現代アートの大家、アンディ・ウォーホルのプロデュースによって1967年に『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』でデビューします。
この作品も「ロックのアート化」の過程で極めて重要な役割を果たした1枚ですが、これまでに見てきたザ・ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズの作品群との決定的な違いは、ヴェルヴェッツは全くと言っていいほど商業的に成功しなかったんですね。
発表当時は3万枚程度しかプレスされず、決して音楽シーンの中で注目を浴びることもなかった作品なんです。では何故この作品が重要なのか、それはこの作品がこれまでに見たどのアルバムよりも、「アート作品」であり「オルタナティヴ」だったから。
このアルバムで題材にされているのはSMやドラッグといった過激なものばかり。§3.で「ロックに文学性がもたらされた」なんて話もしましたが、ここまでアヴァンギャルドなテーマというのはこれまでに例のないものだったんですよ。
こうした旧来の観念をことごとく裏切る不敵な音楽は、「商業」としての性格も強いザ・ビートルズには真似できないものでした。彼らの作品はどこまでいっても「ヒットする」ことも至上命題な訳ですからね。
しかし、ニューヨークのコアな世界にいるヴェルヴェッツにとって売上などは瑣末な問題な訳です。「表現したいものを表現する」というアートの本質に彼らは肉薄しています。
音楽シーンに長らくはびこる、「売れ線はダサい」「アンダーグラウンドな音楽こそがイケてる」みたいな価値観を生み出したのが他でもないこのヴェルヴェッツなんですよ。商業としてでない、ピュアな表現方法としてのロックのあり方をこの作品は示しているんです。
事実彼らはヒットこそしませんでしたが、パンクにオルタナティヴにインディー、つまるところ「売れ線でない音楽」のほとんどは彼らのサウンドと姿勢に影響を受けていますから。その影響力たるや、ザ・ビートルズに匹敵するものがあると言っても過言ではありません。
まとめ
さあ、今回のまとめと参りましょう。
- ザ・ビートルズがアイドル人気に疲弊し、音楽的な深化を図る諸作を発表。
- この流れに触発され、ザ・ビーチ・ボーイズが『ペット・サウンズ』をリリース。さらにこの作品の影響を受け、ザ・ビートルズがコンセプト・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表。「アルバム文化」を確立し、音楽シーンに絶大な影響を与える。
- アメリカではザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがデビュー。商業的成功には程遠いものの、後のアーティストに絶大な影響を与え、ロックのアート化を推し進める。
今回の内容はこういった感じでしょうか。いやあ、やっぱり濃密な時代ですね1960年代って。だって今回名前の挙がった作品なんて、もれなく必聴級のマスターピースですから。
作品として優れているのももちろんですけど、やっぱりこうした作品が及ぼした影響というのはもう途方もなく巨大です。ロックがもし娯楽音楽のままだったら、その後50年にもわたる発展はなかったと思うんですよ。どこかで頭打ちがきちゃうというか。
その行き詰まりを打開し、後のあらゆる可能性を提示した彼らの功績というのは絶対に理解しておかないといけませんね。好き嫌いはともかくとして、彼らをなんてことない過去の遺物なんて風に認識するなんて勘違いも甚だしい。
さて、次回は今回の内容ともオーバーラップするんですが、1960年代中期に一世を風靡したサイケデリック・ロックについて言及していきます。これも本当に大事なムーブメントですし、今日の音楽を形成する上で見逃せないトピック。次回「「サマー・オブ・ラヴ」の狂騒とサイケデリック・ロック」でお会いしましょう。それでは。
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