YouTuberとして活躍されているみの氏の著作、『戦いの音楽史』がこのほど発売されました。
音楽の話題をメインで扱う彼の処女作となる本作は、20世紀ポピュラー音楽の通史、ここに彼独自の観点を加えながら俯瞰的に解説・考察をしていくという内容です。
個人的にみの氏には多大なるリスペクトを持っていまして。YouTubeを見ていただければわかるかと思いますが、本当に知識と考察のレベルが一線を画しているんです。そんな彼の音楽史論とあって、非常に期待を寄せていた一冊です。
ファンの観点からこの作品を激賞することは容易です。ですが今回はあえて、批判的な立場からの書評に挑みたいと思います。テーマはタイトルにもある通り、この『戦いの音楽史』は教科書たり得るのか?
では参りましょう。
『戦いの音楽史』概要
20世紀ポップスの歴史にフォーカスし、世界そして日本の音楽がどのような発展を遂げてきたかを解説。社会問題、経済変革に立ち向かい、「芸術」へと昇華させた100年分の叡智を伝える。
TRC MARC商品解説より引用
上に引用した通り、この著作の特徴として、単なる音楽史の概論だけでなく、その背景にある社会的事象にも多くのページを割いている、というものが挙げられるかと思います。
ポピュラー音楽のイノヴェーターであり続けるブラック・アメリカンのバックボーンとして、黒人奴隷のシステムを生むに至った三角貿易にまで言及し、ベトナム戦争やオイル・ショックといった現代史を語る上では欠かすことのできないテーマも当然触れています。
そうした社会問題と音楽の発展の結びつき、その観点から20世紀のポピュラー音楽を論じた一冊である、そういう認識で問題ないかと思います。
また、基本的には洋楽(個人的にこのカテゴライズは最近好みではないのですが、便宜上こう表現します)に照準を合わせつつも、各章ごとに同時期の日本音楽の変遷に関してもメンションしている。これも大きな特徴でしょう。
英米の音楽と異なる質感や価値観を持ち形成された日本の音楽シーンを論じる、しかもあくまで通底した音楽史のうねりの中で。こうしたアプローチは日本人だからこそでしょうし、本書に特有のものではないでしょうか。
本作への指摘
あまり重箱の隅を突っつくのは趣味ではありませんが、批評という観点からあえて挑戦してみましょう。いくつか気になった点をピックアップしてみます。
『ペット・サウンズ』に言及していない
個人的に最も気になった点です。ザ・ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』(1966)に関してはこのブログでも最初に取り上げた作品ですが、この作品の意義というのはポピュラー音楽史の中で極めて重要なものだと思います。ただ、本書では、この作品への言及がなされていません。(厳密には巻頭の「名盤50選」にて触れられていますが)
『ペット・サウンズ』の重要性というものを改めて説明しておくと、それまでサーフ・ロックという大衆的な音楽性を持っていたバンドが、時代の潮流の中で音楽的に高度、高尚とも言っていいサウンドに挑戦した点にあります。
これは1960年代中盤に起こったロックのハイ・カルチャー化の最も最初期の例ですし、また「アート作品としてのアルバム」という観点から見ても非常に先鋭的な作品と言えるでしょう。
本作でもこうしたロックの深化には当然触れていますが、ゲームチェンジャーとして挙げられているのはザ・ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のみ。音楽史の中でも大きな価値観の転換であるこの動きへのメンションとしてはやや不十分な気もします。
『サージェント・ペパーズ』が世界初のコンセプト・アルバムとして絶対的な評価を得ている、このことは事実です。このことは以前R・ストーン誌の名盤ランキングに対するレビューでも触れました。
しかし、この作品が『ペット・サウンズ』に触発されたものであることも有名ですし、その点を説明しなければザ・ビートルズが突然変異的に、誰よりも先んじて独自にこの価値観を提示した、そういった誤解を生みかねないのではないかと感じます。
その後も本書では何度か「アルバム・アート」の提喩として『サージェント・ペパーズ』が引き合いに出されますが、2021年的評論としてややステレオタイプではないかという指摘はそう不自然なものではないでしょう。
80年代以降のロック・シーンの説明が希薄
本書は1940年代以前から始まり、その後10年ごとに区切って音楽史を論じる構造を取っています。その中で違和感を抱いたのが、80年代以降の解説です。
端的に言うと、ニルヴァーナをアイコンとする90年代のグランジ・ムーヴメント、それから同じく90年代のイギリスで巻き起こったブリットポップ、これらが80年代のセクションでまとめられていると言う部分。
70年代末にパンクによってロックがロックによって否定され、そのパンクも時代の徒花として短命に終わった。その後に模索されたロックの存在意義、その成果としてのオルタナティヴ・ロック、こういった考察が本書ではなされているのですが、その軸をもってしてもこれらのムーヴメントを80年代の枠組みの中で語るのにはやや疑問が残ります。
パンクの衰退から『ネヴァーマインド』(1991)までは10年以上の歳月を要している訳ですから、その間にも微妙な変遷というのは常にあったはずです。こうした直情的なオルタナティヴ・ロックの原型となったピクシーズやジーザス・アンド・メリー・チェインが話題にのぼらない点も物足りなさを感じてしまいます。
音楽媒体としてのMTV
本書は20世紀ポピュラー音楽の解説ではありますが、終章として2000年代以降の音楽シーンにも言及しています。ここでは具体的なアーティスト名や音楽的トレンドにフォーカスするのではなく、音楽の在り方そのものの変化を扱っています。
みの氏は、音楽媒体が技術発展によって変化する中で音楽の消費のされ方もまた変化してきたと指摘しています。この考察には個人的にも全面的に同意しますが、一点見落としている点があるように思います。
それは、80年代の音楽シーンを定義づけた巨大な変革でもあるMTVの存在。断っておくと、MTVに触れていない訳ではなく、80年台を扱うセクションでマイケル・ジャクソンやマドンナらを例に挙げ正確に記述されてはいるのです。
ただ、終章で触れられた媒体の変化による音楽観の変化。ここでもMTV、媒体という観点ならばビデオでしょうか、は大きな意味があると私は考えています。
「音楽を聴覚以外で楽しむ」、MTVの隆盛によって成立したこの価値観が持つ意味は決して小さくないと思います。現代でもK-Popのようにダンスやヴィジュアルを魅力の1つとする音楽の在り方は親しまれているものですし、本書の範疇でないにしろ、00年代におけるバックストリート・ボーイズやブリトニー・スピアーズらの爆発的な人気の背後にはこうした価値観は大いにあったでしょうから。
ただ、この指摘は個人的な考察や意見に基づくものですのでここまでの史実による指摘とは性格は異なります。媒体に言及するという試みは非常に関心をそそられたものでしたし、ここまで触れていてくれたら嬉しかったという願望もあった、というべきかもしれません。
本書の価値
ここまでともすれば否定的な物言いが続いてしまいましたが、いよいよ本題、この著作は「ポピュラー音楽の教科書」たり得るのか?ここに触れていきましょう。
ブラック・アメリカンへの敬意
本書の素晴らしい点は、1つに通底したブラック・アメリカンへのリスペクトと、そこから獲得すべき教訓が散りばめられているという部分にあります。
日本人はえてして白人、乱暴な言い方をすればアングロ・サクソン系への憧憬にとらわれがちです。それはおそらく明治以降の近代化に際して、政府が全面的に白人文化を接収したことに端を発するものでしょう。それゆえ、どうしても白人アーティストの動向にばかり目がいってしまうという側面は否定できません。
そもそも、ポピュラー音楽の歴史を知ろうとしない限りブラック・アメリカンの貢献というのはなかなか見えてこないのが現状です。ザ・ビートルズの偉大さが声高に語られたとしても、ファッツ・ドミノにまでその賞賛が及ぶことは少なくとも一般的ではない。
ですが本書では音楽の担い手が白人になる以前、平たく言うとエルヴィス・プレスリーの登場以前の音楽史をかなり厚く見ています。この観点はポピュラー音楽史を論じる上で必須でありながら、あまりライトな音楽ファンには浸透していないものでもあると思います。
また、ヒップホップの歴史を詳細に記述しているのも魅力的です。どうにもロック中心の史観が一般的ですが、現代からポピュラー音楽を評論する上で避けては通れない道ではありますから。
そして、「洋楽」の世界にとって外様である日本人にとっても、ブラック・アメリカンの姿勢や意識は示唆的であると本書は主張しています。そう遠くない未来に邦楽が世界へ輸出される、来たるその時に、文化の担い手である日本人の意識はその後の邦楽を左右し得るものだと。
ブラック・アメリカンのエネルギーと誇りが音楽に与えた推進力を蔑ろにしていない、どころかそこにフォーカスしているというのはそれだけでポピュラー音楽概論として上質であると言えると思います。
「日本の若者」の見る音楽史
この点も本書の重要な点です。20世紀ポピュラー音楽の主要な担い手であった英米では、日本以上にこうした音楽評論は活発ですし、各種ランキングなどで歴史的意義を序列づける試みは盛んに行われています。
しかし、それらは多かれ少なかれ自国贔屓の性質を孕むものでもあります。それ自体は否定すべきものではなく、むしろ文化への誇りからくるものですからその自意識は気高いものです。ただ、客観性という観点に立った時、その誇りは危うさ、不確実さを内包します。
ですが、この『戦いの音楽史』は日本人であるみの氏によって著述されたものです。彼の人種的ルーツはアメリカにありますし、またアメリカでの活動期間もありますが、あくまで彼は日本人として自覚的。英米を中心とした20世紀ポピュラー音楽を語る上で、フラットな立場と言えます。
ザ・ビートルズとザ・ビーチ・ボーイズ、ピストルズとラモーンズ、オアシスとニルヴァーナ、そういったある種の対立構造を生みかねない部分に対しても、バイアスを持たずに考察をすることができる。これは英米の評論では困難であり、かつこの視点こそが歴史を省みる時に重要なものであるように思います。
また、バイアスという点で語るならば、彼の年齢にも注目せねばなりません。1990年生まれとのことですが、これはつまり本書の内容であるところの20世紀ポピュラー音楽をリアルタイムで体験していないということになります。
だからこそ、彼の個人的体験に基づくバイアス、これが生じない。彼の中では『サージェント・ペパーズ』も『勝手にしやがれ!』も『ネヴァーマインド』も等しく衝撃的な作品なのでしょう。歴史のタイムラインの中に彼自身が介在しないことで、時代のうねりを限りなく普遍的に描写することが可能になっています。
この「公平性」というのが本書の特質なのかと思います。バイアスのかかった教科書ほど恐ろしいものはありませんから。その点において、みの氏は教科書を書く上でこれ以上ない立場にあるでしょう。
音楽ライト層にこそ読んでほしい一冊
本書の中でも度々主張されているのが、「音楽を単体ではなく、その背景や歴史的意義を踏まえて捉えることで見えてくるものがある」という思想。
この価値観は、音楽に慣れ親しんだ方なら違和感なく受け止められると思います。作品の良し悪しの評価、いわば好き嫌いの観点だけでなく、その作品の影響や時代における存在感といったものを意識する楽しさは音楽の醍醐味と言えるでしょう。
ただ、現代のライトな音楽ユーザーにこの魅力が果たしてどこまで見えているのか、それは疑問視すべきです。現代は極めて消費の激しい時代です。その中で、音楽の本質的な価値やそこに潜む意義のようなものを意識する余裕を持てないという人も多くいるかと思います。
だからこそ、この『戦いの音楽史』は教科書になり得る。それは単に事実を正確に羅列しているからではなく、音楽の好き嫌いを超えた部分にある意義を提示しているから。
さらに言うならば、みの氏がYouTuberであるというのもそこに意味があると思っていて。名前も聞いたこともない音楽評論家の本には、なかなかライト・ユーザーは手を出しにくい部分があると思いますが、みの氏はYouTubeでカジュアルに音楽を発信している。その距離感の近さも、本書の教科書としての有意義さではないでしょうか。
まとめ
この記事の冒頭に提示したテーマ、「本書はポピュラー音楽の教科書たり得るか?」。ここまでお読みいただけた方ならばお分りでしょう。その答えは「イエス」です。
もちろん単にポピュラー音楽の通史としても非常に優れたものではあります。先に指摘したように補強すべき記述もないとは言えませんが(「名盤50選」においてNWAの『ストレイト・アウタ・コンプトン』(1988)を90年代の作品として紹介していたのは早急に修正していただきたいです)、それでも概論として有用であることは明らかです。
ただ、本書はそれだけに留まらない、音楽に向き合うための指南書としての役割も果たしています。ここにこそ、我々、ひいては全ての音楽ファンが学び取らねばならないものがあるように感じています。
本書の結びで、みの氏はこう語っています。
私は、現代に生きるすべての人にこの本を読んでほしいと思っています。
『戦いの音楽史』より引用
私もまったくの同意見。本書こそ、21世紀に生きる我々にとって、そしてこれから生まれるであろう無数の音楽ファンにとって、20世紀の音楽を学ぶ上での教科書になり得る1冊です。
戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語
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