さて、ここいらで箸休め的な記事にしましょう。
まだまだ終わる気配のない1970年代洋楽史解説ですが、この中で登場しない(させなかった)重要アーティストがいます。
それはクイーン。
ロックに限って言えばザ・ビートルズに次ぐ成功を収め、本国イギリスのみならず日本や南米でも絶大な支持を集める、正にポピュラー音楽における金字塔。
イギリスで最も売れたアルバム作品はクイーンのシングル集『グレイテスト・ヒッツ』ですし、数年前の伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』で世界的なリバイバルを起こしたことからもその人気の高さは今なお健在です。
だというのに、クイーンはデビューから現在に至るまでプレスにないがしろにされ続けています。
この事実を示す面白い例があってですね。まずはこちら、お馴染みローリング・ストーン誌が選定した「最も偉大なアーティスト100」ではクイーンは第52位です。これ、批評全般に目を通すとむしろむしろ健闘している方ですよ。
で、お次に見ていただくのがウォール・ストリート・ジャーナルが発表した「史上最も人気のある100のロック・バンド」というリスト。タイトルからわかる通り、評価軸を「人気」に絞った企画です。
ここでのクイーンの順位は、なんと第3位。ビートルズとZEPに次ぐ位置なんですよ。いや、そりゃそうだろって感じなんですが。ここまで「評価」と「人気」が乖離したバンドって他にないと思います。
馬鹿げた話でしょ?だってクイーンですよ?渋谷のギャルだってクイーンが優れたアーティストだとわかるのに、偉ぶった批評家には何故わからないんでしょう。
ただ、これは批評の観点から見ていくと色々面白い理由があったりするんですよ。
今回は洋楽史解説のアイスブレイクとでもいいましょうか、このクイーンの批評における不遇の内実を見ていきましょう。
要因①「デビューが遅い」
これがまず致命的ですね、彼らデビューが遅いんです。
クイーンの1st『戦慄の女王』は1973年リリースなんですが、この当時のブリティッシュ・ロックの勢力図はというと、これまでに本編で解説した通りですね、ハード・ロックとプログレとグラム・ロックの三つ巴です。
ただ1973年ともなると、そのそれぞれが円熟期に差し掛かっているというか。
もっとわかりやすくいうと、シーンを代表するアーティストや革新的名盤が出揃ってしまってるんです。
ハード・ロックならZEPは既に『IV』を発表して『聖なる館』の時期ですし、サバスの黄金期の傑作群もちょうど『サバス・ブラッディ・サバス』の発表を終えたタイミング。
プログレなんてもっと酷くて、『危機』に『狂気』に『タルカス』に『太陽と戦慄』、この辺の重要作は全部1973年には発表されちゃってます。
グラムもボウイが『ジギー・スターダスト』出しちゃって、モット・ザ・フープルによるグラム賛歌『全ての若き野郎ども』も1972年のリリースです。
さあ、この状態でデビュー!……つったって、何しろっていうですか。
それにクイーンのデビューって契約の関係でかなりもたついて、1stも完成自体はもっと前にしてるんですね。そりゃ遅きに失してしまうのも無理からぬ話です。
で、音楽批評においてとかく重視されるのが、「先進性」だったり「新たなスタイルの提示」なんです。
ザ・ビートルズやボブ・ディランが今に至るまで最高のロック・アーティストとされているのはこういった向きも大いに関連しています。
だというのに、クイーンはこの「先進性」がまるでない。煮詰まったロックの世界で、それらをいいとこどりした絶品のサウンドを奏でてしまってる訳ですから。
要因②「ジャンルに分けて考えにくい」
これも批評しにくい要因でしょうね。
「クイーンってなんなの?」って質問に誰も答えられないんですよ。
「ロック」……というのはあまりに間口が広すぎるし、ギターが目立つからハード・ロックだ!って言いたくてもブルース臭はまるでしない。じゃあ壮大だからプログレだ!となったらなったで初期の段階で『ストーン・コールド・クレイジー』なんてやっちゃってる。
個人的に初期のクイーンはグラム・ロックに分類するのが一番妥当だとは思ってるんですけど、それにしたってクイーンの華やかさってギラギラした退廃の美学というよりは、優雅な王子様的ですしね。
これってクイーンの音楽性の最大の魅力なんですよ。ジャンルに縛られない、なんでもできちゃう底抜けの器用さ。
ただそれってものすごく意地悪に解釈しちゃうと、没個性というか、どっちつかず、そんな表現もできなくない訳で。(私はそんな風に思ってませんが、論調としての話です。念のため。)
私の歴史解説でも登場させられなかった理由ってそこなんです。ジャンル毎に分けて話を展開してると、クイーンってどこでも語ることができないんですね。
そうなると批評の場でクイーンを持ち出すこと自体が難しくなる。いいのはいいんだけど、お前らどこに括って議論すればいいの?みたいなね。
しかも1980年代にはボーカルが突如ヒゲオヤジ化して、サウンドもまるっきりアメリカンになっちゃって。挙句ディスコ・ファンクやって総叩きにあっちゃって。「ライヴ・エイド」で復活してからはスタジアム・ロックの大御所みたいなポジションに落ち着いたんですけど、その頃のクイーンが創作のピークかというとそうでもない。
……ね?もはやロックの歴史の中で語れないでしょ?
要因③「主張がない、徹底した娯楽音楽」
これもねぇ……仕方ないんですけど批評的にはマイナスなんでしょうね。
やっぱり批評家って、批判精神を持った、社会派でしかめっ面、あるいはどこか影を感じるロック・ヒーローが好きなんですよ。ジョン・レノンだったりボブ・ディランだったり、モリッシーだったりカート・コバーンだったりね。
でもどうです、クイーンってどこまでいっても「スター」なんですよね。彼らって最高のロック・バンドである以上に最高のエンタメ集団なんです。
というより、これはフレディ・マーキュリーの存在が大きいんでしょうね。そもそもこの芸名、源氏名かって勢いでカッコつけてるでしょ?「彗星」ですからね。この清々しいナルシシズムは、そういうロック・ヒーロー像からはかなり距離があります。
でもって音楽の中でもネガティヴな感情をほとんど感じません。楽曲のテーマとしてそういったものを扱った例はないじゃないんですけど、フレディ・マーキュリーが歌っちゃうとそれって即座にポップになっちゃうんです。これ、彼の最大の才能なんですけどね。
それに、クイーンって全力で売れようとするバンドなんですよ。1980年代の彼らの挙動なんていい例です。
アメリカ進出を目指すとなったらロカビリーとファンクに手を出して、それがうまくいったら味をしめてファンク一色のアルバム出すくらいですからね。「セル・アウト」に悪びれないんです。「だってみんなコレ好きでしょ?」みたいな。
さらに言うと、マーキュリーはそもそも音楽に政治や社会批判を持ち込むのを嫌ってたんです。彼は徹頭徹尾、クイーンを娯楽として提供しようとしてました。それは遺作である『イニュエンドウ』ですら。
さっき話題に出した「ライヴ・エイド」だって、音楽史上最大のチャリティ・コンサートな訳ですけど、発起人のボブ・ゲルドフが出演を打診した際、ドラムのロジャー・テイラーは「フレディは音楽に政治を持ち込むのを嫌うから注意した方がいい」なんて忠告したくらいでね。
もうハナっから社会派になる気がない、「僕ら娯楽音楽でいいでーす」という姿勢はどうしたって批評家には煙たがられるのかなと。それでちゃんと破格の成功をしちゃうのがクイーンのやっばいところです。
要因④「後続への影響が皆無(=オンリー・ワン過ぎて誰にも真似できない)」
これも大いに影響しているでしょうね。クイーンってその後のロック・シーンに与えた影響がほぼほぼ見当たりません。
おかしな話じゃないですか。あんだけアホみたいに売れて、内容だって驚くほど素晴らしい。それなのに、いわゆる「クイーン・フォロワー」ってロックの歴史の幹となる部分には全く登場しません。
これ、私は「フォロワーがいない」のではなくて「誰もフォロワーになれなかった」が正しいと思ってます。
真似できない理由の1つは、その多彩さですね。多分クイーンってロック史上唯一、「メンバー全員の単独作曲でNo.1ヒット・シングルを獲得している」バンドだと思うんです。
これ、ザ・ビートルズですら達成してませんからね。ここまで多彩だと、何を模倣していいのかもわからん訳です。
第二に、サウンドが特殊すぎる。ブライアン・メイのハンドメイド・ギターにとてつもなくゴージャスなコーラス、やり過ぎなほど高らかなサウンドスケープ。こういうの真似しちゃうと、もうモノマネ大会みたいになるんだと思います。
クイーンはそれを「クイーンのスタイル」としてなぜか確立しちゃったんですが、それができたのは残念なことにクイーンだけでしたね。
それって当然クイーンのオリジナリティでありとてつもない強みなんですけど、「影響力」みたいな側面で論じがちな音楽批評の場だとクイーンって存在感が本当にないんです。
クイーン過小評価、好転の兆し
ここまでに語ったように、とにかくクイーンは批評において不利な存在なんですね。
「批評なんかどうでもいいわい!いいもんはいいでええじゃろ!」って意見もわかるんですけど、私のような後追いからすると音楽発掘の主たる手段が名盤ランキングのような批評媒体になってしまいますから。そこで黙殺されているというのは、やっぱりもったいないし腑に落ちません。
でも最近になって、この境遇に好ましい変化が生じたように思います。
というのは、今年ローリング・ストーン誌が発表した「ローリング・ストーン誌の選ぶ史上最も偉大な500曲」の改訂版において、クイーン最大のヒット曲『ボヘミアン・ラプソディ』が第17位にランク・インしたんですよ。
こんな順位、一昔前なら考えられませんよ。だって改訂前のリストだと『ボヘミアン・ラプソディ』は第163位ですから。150位近くジャンプアップ、正にごぼう抜きです。
まあこのRS誌の改訂に乱暴なきらいがあるのは事実なんですが、それにしたって批評媒体でクイーンがこういう位置にくるというのは過去に例を見ないことです。
RS誌の権威は現代においても計り知れない訳ですから、これをきっかけにクイーンの再評価が進んでくれてもいいんじゃないかなとは思ってるんですよね。いや、再評価したくても評価が難しいバンドなのはここまでに見てきた通りなんですけど。
まとめ
幕間のつもりがまあまあ語り過ぎてしまいましたか?まあそれは平常運転ということで、気にしない方向で。
こういう風に、批評の観点から見つめると面白い性質が見えてくるアーティストって多いんですよ。大体が過小評価のパターンなんですけど、例えばザ・キンクスだったりマイケル・ジャクソンだったりね。
このシリーズ、今後も続けてみても面白いかもしれません。「いいものはいい」みたいな言説に一定の理解はあるんですが、それで思考放棄しちゃうのはナンセンスだと思っているので。
とはいえまだ弊ブログは1970年代洋楽史解説の真っ只中、新シリーズに取り掛かる余裕はもちろんございません。また次回も、1970年代洋楽史解説§4.でお会いしましょう。(タイトルの予告をしてないのはどっから攻めるかすら未定だからです。ご容赦を。)
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