
いやはや、今回も遅刻気味で申し訳ないです。「オススメ新譜10選」、3月編をやっていきましょう。
さて、3月のリリースとなるとKanye Westの帰還が一番の話題だったと思うんですが、今回“Bully”は選外としました。できが悪いわけでは全くなかったですし、調子を戻してきているのは感じられたものの、ここでわざわざ2026年の新譜として紹介するほどの何かは見つからなかったかなと。ここから上手く軌道に乗ってかつての輝きを取り戻してくれれば、そのきっかけとして意味を帯びてくる作品になっていくんでしょうけどね。
それからHarry Stylesがまさかの失速。LCD Soundsystemに接近する野心は買いますけど、どうにも一本調子かつ乗りこなせていなかった印象です。あと巷では評価の高いJames Blakeの最新作もイマイチピンとこなかったな……ということで、話題作だけで10枚分組むということは今回しておりません。どうしたってこれは紹介せんといかんだろうというものは、もちろん順当に紹介していますけどね。
その分、あんまり言及されていないような作品にしっかり枠を割くことができたかなと。ジャンルも今回は結構幅広く扱えている気がするので、ぜひチェックしていただきたいものです。ではでは、ピエールが選ぶ2026年3月のオススメ新譜、こんな10枚でどうでしょう。
“This Music May Contain Hope.”/RAYE

3月はまずこれを語らないことには始まりません。イギリスのSSW、RAYEで“This Music May Contain Hope.”。前作“My 21st Century Blues”も当時の月間レコメンドでは選出しましたし、シーンの中で彼女への期待感が高まっていることも理解はしていましたが、まさかここまでホームラン級の傑作をかっ飛ばしてこようとは……紛れもなく、年間ベストの有力候補となり得る1枚でした。
アルバムを再生すると、彼女の独白とともに壮麗なオーケストレーションが登場。エレガントに歌い出せばコーラスも参加し、あっという間に彼女を中心とした歌劇の世界が広がっていきます。それにアルバム中後半には、ビッグ・バンドを率いてのクラシカルなソウル/R&Bのモードも。こうなるとどこか格式張った音楽にも思えてくるんですが、ところがどっこいそうじゃない。“Beware…The South London Lover Boy.”でのどこか古めかしくも素晴らしくエキサイティングなブギーや“Life Boat.”のハウス・ビート、“Skins & Bones.”のディスコ・パワーに明白ですが、本作のロケーションは格調高い歌劇場であると同時に、聴き手を容赦なく踊らせるダンスフロアでもある訳です。
それに曲が逐一よくできてるんだ。この手のゴージャスでマキシマムなクラシック音楽の援用となればRosalíaの“Lux”が昨年ありましたが、あちらはサウンドとアイデアのトゥー・マッチぶりゆえにいささかポップスとしての輪郭を欠いていると私は感じてしまっていてね。まあRosalíaはそもそもそういう過剰さを楽しむものではあるんでしょうけど。ただRAYEはどうです、サウンドスケープの華麗さもアイデアの多彩さも負けず劣らずでありながら、1曲1曲が文句なくキャッチーでパワフルだし、何より彼女の歌声の存在感が強い。流石はAmy Winehouseと比較されてきただけのことはありますし、さっき触れたビッグ・バンド形式の楽曲なんかではぐっと古典的な表現にも振り切っていくこともできます。Al Greenの歌声をそっくりサンプリングしちゃうんですからね。
とまあ、これだけてんこ盛りなアルバムなんですよ。ラン・タイムも70分オーバー、60’sの名盤2枚分ときたもんだ。だというのに全く集中が切れない、「次は何をやってくれるんだ!?」というワクワクをとうとう最後まで裏切ることがないんです。おまけにやはりミュージカル・ライクな“Fin.”で、エンド・クレジットを読み上げて幕切れという茶目っ気までも披露しやがる。ちょっと隙がなさすぎますね、いくらなんでも極まりすぎでしょう。あまり使わないようにしている表現なんですが、本作にはこれくらいの激賞を贈らねばなりません。2026年、必聴の1枚です。
“The Darkening Green”/ELIZA

UKの女性による見事なソウル・ミュージックとして、RAYEと並べて語っておきましょうか。とはいえ、向いている方向はまるっきり真逆の作品です。あちらが足し算の傑作ならば、こちらは引き算の名作でした。ELIZAというアーティストで“The Darkening Green”。ロンドン北部の出身とのことなんですが、調べてもあまり情報が見つからず。黒鳥社というコンテンツ・レーベルのXがレコメンドしているのをたまたま見かけて知ることができました。こういう、不意な名作との出会いがあるから油断ならないものです。
さてさて、作品像としてはストイックで簡素なプロダクションが目立ちます。必要最低限のアンサンブルに音数を絞り込み、プレイ・スタイルもかなりタイトで几帳面。その研ぎ澄まされたシンプルな造形は、全くの畑違いではありますがThe Strokesの1stを想起させられる代物です。ただ、その徹底した簡素さゆえに、各々のプレイの味わいが何気ない瞬間からでも実に雄弁に聴こえてきます。“Anyone Else”という曲でのギター・ピッキングの微妙な表情であったり、“Cheddar”の如何にも気が利いたベース・プレイ、“Pleasure Boy”の絶妙に跳ねたグルーヴであったりですね。派手なことは何一つしていないからこそ細部にまで意識を巡らせることができる、その余白というか見晴らしのよさというか、そこが堪らなく心地いい。
そして、The Strokesの例を持ち出しましたが、あちらが鋭角的なギターでしっかりロックしたのと同じく、ELIZAはそのUKらしいエレガントな歌唱でもって本作をしっかりソウル・ミュージックさせています。もちろん作品の美学にのっとっていますから、情熱的な絶唱というわけにはいきません。余韻を含ませたしっとりとした歌声が、隙間の多いグルーヴの中を静かに、そして透明に満たしていく、そんな印象を受けますね。昨年のOlivia Deanもだし、なんならAdeleとかに言及してもいいんでしょうけど、ああいう正統派UKソウル・シンガーの持つ淑やかさを、ヴォーカルの個性という枠から踏み出してアルバム全体のテクスチャとして馴染ませてしまう手法が鮮やかじゃないですか。
というように、本作はシンプルではあれど決して素朴ではないです。むしろアーティスト側の作為としても、聴き手の意識としても、ほどよい緊張感を保ちながら進行していく1枚ですね。この数年来続くUKフィメール・ソウルの好況、その決定盤がRAYEの最新作であることは間違いないにしろ、そことは性質を異にしながらも華を添える作品になっていると思います。数年前のウィンドミル・シーンにも同じことが言えますが、こういう層の厚みはシーンの豊かさの何よりの証拠ですから。同じ3月にリリースされたのも何かの縁ということで、是非あわせて聴いてみては。
“westside trapped”/heavensouls

Stickerbushとのコラボ・ワークでも高く評価されています、ナイジェリアにルーツを持つ弱冠19歳のheavensoulsによるソロ名義作品“westside trapped”。1月には件のコラボで“DARKLIGHT”というアルバムをリリースしていて、こちらもマニアから賞賛されていましたが、個人的には本作でぐっと彼への関心が強まりました。とはいえ、なかなか全貌の見えてこないアーティストではあるんですがね。
ジャズ・ファンクやアフロビートとして、一旦は理解しておきましょうか。トライバルな躍動感を煽る強烈なパーカッションが耳を引きますし、“creek ala”の後半部で奏でられる弦楽器はbandcampのクレジットを見るにギターらしいんですけど、どこか民族楽器的な響きがあります。ただ、冒頭の“heyjah obialo”や“traight rawhhhhhhhh”なんかで牙を向くカオティックなサウンドの奔流なんてのは、それこそ“DARKLIGHT”でも聴こえてきたようなエピック・コラージュ的な手口でもあって、得体の知れない才気が炸裂しています。現代の編集感覚と言いますか、PCミュージック的なセンスでもって、Fela KutiやらPharoah Sandersやらに接近してみせる。これにはなかなかたまげました。
その中でもラスト2曲、“shed a tear for me”から“o di gbere”はとりわけ素晴らしいと思います。どちらも9分に及ぼうかという大作なわけですが、パーカッションの熱狂とともにノイジーなギターや清浄なクワイアまでを調和させた“shed a tear for me”、そして呪いの如き女性ヴォーカルとギターの切なげなトーンによって神聖な表情を引き出す“o di gbere”と、その表現力ったらないです。エクスペリメンタルなアルバムではあるんですが、この2曲で混沌をすら包み込みしっかりと作品として着地するハンドリングがニクいですね。それにこの並びについてはあくまでバンドの音が軸なので、サウンドの馴染みやすさという観点でも嬉しいものがあります。
そしてbandcampに寄せられた彼のコメントには、ルーツであるナイジェリアの悲しい歴史、文化への敬意、そして「fuck trump」というごく真っ当なメッセージが込められています。そういう彼の精神の深度みたいなものが、このアルバムには反映されているようにも思うんですよね。アブストラクトに荒れ狂う瞬間にしろ、祈りを捧げるように静謐な瞬間にしろ。この作品が何やら心に突き刺さってしまうのは、意外とそういう情動的な普遍性に由来しているのかもしれません。
“WOR$T GIRL IN AMERICA”/Slayyyter

新譜レコメンドではあんまりやらない語り口なんですが、ここからの2作は個人的にセットなので続けて紹介しますね。まずはこちら、Slayyyterの“WOR$T GIRL IN AMERICA”です。ハイパーポップの文脈で成功を獲得した彼女ですが(初期2作のアートワークの色調なんてまさしくですね)、本作はそこと地続きでありつつ、より多くのリスナーに刺さるポップ・アルバムとしての地肩を感じさせる1枚でした。
一言で言ってしまえば、ガラの悪いアルバムなんですよ。いや悪口じゃなくてね。作品の中で反響しているエレクトロはドギツくビビッドだし、ビートも如何にもクラブ・パーティー仕様といった味付けで、全体的にけばけばしく、乱痴気騒ぎをそのまま抜粋したような印象を受けます。とりわけアルバムの序盤にこの個性は強くて、“CANNIBALISM!”や“OLD TECHNOLOGY”で聴こえてくる、EDMのアタック感にも通ずるバリバリとした質感が分かりやすいところかな。ハイパーポップのある種の美学にのっとった過剰さではなく、もっと享楽的で直感的なテンションの高さ。これをしてガラが悪いと言わせていただいたわけですね。
ただ、このガラの悪さにぴったりと寄り添うポップネスがニクいじゃないですか。いい意味で手の込んでいない、サウンドのやかましさの中にスッと馴染みながらも意識を向けたくなるいいメロディがちゃんと共存しているんですね。さっきのテンションの高さにしろこの親しみにしろ、本作を「パンク的」と表現している方をお見かけして、なるほどなと膝を打ちました。それにアルバムの後半には、それこそハイパーポップ的な、あの超然的なサウンドスケープも確かに聴こえてきて。聴き始めて数分で抱いた印象とは裏腹に、存外飽きのこないクレヴァーな作りにもなっている気がします。
総じて、いよいよポスト“brat”の時代を感じさせるエレクトロ・ポップ、そう解釈してよいでしょうね。「ブラット・サマー」は「コロナへの勝利宣言」という向きもあったんでしょうけど、きちんとシーンの中で、サウンドとして爪痕を残している、そんな時流を端的に示す1枚なのかもしれません。そしてそれをまた違った切り口で鳴らしたのが、次にご紹介する作品という訳です。
“U”/Underscores

そんなわけで、続いてはこちら。2021年の“fishmonger”のアートワークが印象に残っているという方も多いでしょう、Underscoresの最新作“U”です。“fishmonger”当時はまだまだエレクトロへの関心も薄くて全然掴めていなかったんですが、2月くらいだったかな?にXのデイリー・レビューでも扱いましたし、こうして最新作を5年越しにきちんと紹介できるのが嬉しくもあります。
Underscoresもやはりハイパーポップとして評価を高めたアーティストなので、先ほどのSlayyyterと類似している部分はあります。その上で言葉遊びをするならば、「ハイパー」(テンションの高さという意味で)を突き詰めたSlayyyterと、「ポップ」を突き詰めたUnderscoresというような比較が可能なのかなと。意表を突いたプロダクションの面白みはきちんとキャッチーで楽曲それぞれにフックがあり、そこに骨格となるメロディの強さがきちんと伴っていますから。“Lovefield”なんてかなりコテコテですけど、歌モノとしての魅力がぐっと増したように思います。
楽曲それぞれはコンパクトだし、アルバムとしても9曲34分というお手軽さ。これを「サブスク時代」や「Z世代」みたいなトピックで扱うことも可能なんだろうなと思いつつ、やっぱりここにもポスト“brat”の影響があるような気はしています。やっぱりあのアルバムすげえんだな。ただ、サウンドの引き出しの多彩さゆえに、あそこまで直感的/肉体的に楽しめるというよりは、1人でじっくりと向き合いたい、ある種の余白みたいなものがあるのもいいですね。スノッブ気取りたい私みたいな人間にとってはなおさらに。
3月は他にもエレクトロ関連がなかなか豊作で、事実この後も紹介するんですけど、個人的にこの領域で一番のお気に入りは本作かなと。さっき書いたスノッブな聴き方をしてもそうだし、同時になんだかんだポップなものに育ててもらった自覚があるリスナーとしても。そこを両立できるってことは、リーチする領域がすごく広いってことだし、それってつまり名作ということですからね。
“Sentence Structure In The Country”/More Eaze

ということでこちらもエレクトロから。もっとも、先の2作のようなエレクトロ・ポップとはかなり距離のある作品ではありますが。More Eazeで“Sentence Structure In The Country”です。彼女はclaire rousayとのコラボレートでも知られる人物とのことですが、私は不勉強につき初めて聴くアーティストです。同じく3月にリリースされたFlorian TM Zeisigの作品にも参加していて(タイトル冗談みたいに長いので割愛します)、当初そちらを紹介するつもりだったんですが、こちらがいっそうぐっときたのでソロ名義の方を扱いましょう。
本作に関する言及で非常に多かったのが、「彼女のカタログ中、最もポップな作品」というものでしてね……え、これで?というのが正直な感想です。確かに“the producer”や“healing attempt”のようなフォークトロニカ的ナンバーもあるし、そこで聴けるメロディは豊かではあるものの、控えめに言って本作で鳴っている電子音は相当に摩訶不思議、それに“crunch the numbers”でのインプロビゼーション的なドラムの語らいなんかもあって、かなり全体像を捉えにくい作品じゃないかなぁ。少なくとも私のようなエレクトロ初学者にとってはね。ただ、決して難解ではない、これもまた率直な感想で。というのも、サウンドの1つ1つの輪郭、これははっきりしているんです。なので聴いていて、作品とずっと目が合っている印象を受けるんですね。
“biters”という楽曲が本作の性格を象徴していると思うんですが、冒頭は飲み込まれそうな電子音が聴手の意識を深く沈み込ませ、そこに肉声がコラージュされていきます。3分以上にわたってこの観念的な情景は続くわけですが、そこへドラムやアコースティック・ギターという生の楽器が加わって、さらにはストリングスまでも登場、そしてとうとうヘヴンリーな壮大さが響き渡る……もう電脳世界の叙事詩かのような圧巻の1曲なわけですが、メリハリがすごく効いているんですね。そしてその直後に、先ほど紹介した“the producer”という、本作の中ではかなり聴きやすい楽曲が配置されている、この緩急も見事だと思います。
とはいえ、この作品をしてポップと言わしめる彼女のキャリア、俄然気になるものがありますね。claire rousayは確か新譜レコメンドでも扱った記憶がありますし、かなり掘り下げがいがある人物のような気がしています。まして最近の私の関心がエレクトロ方面に向いていることもあり、絶好のタイミングで聴くことのできた1枚でした。SlayyyterやUnderscoresと続けて聴くとひっくり返るとは思うんですが、エレクトロ豊作の3月を語る上ではマストの作品だと思います。
“You’re Free To Go”/Anjimile

電子音が続いたのでここらでSSW的な作品も紹介しましょうか。ボストンを拠点とするAnjimileの“You’re Free To Go”です。前作に続いて、名門4ADからのリリース。黒人で、クィアで、薬物依存との戦いの最中で書かれたアルバムということで、そのシビアな環境をサヴァイヴした経験がしっかりと聴き取れる深みある1枚に仕上がっているんではないでしょうか。
インディー・フォークというフォーマットも、数年前まではそれはそれは盛んでしたが、ゆえに2026年に新譜として聴くにはハードルが上がっちゃってるというか、新鮮さで勝負できなくなってきている感があってね。それ去年も聴いたよ……みたいな感覚になることも少なくなかったんです。そしてこの作品、ハーモニーやダブリングといった肉声の重なり、あるいは幻想的なエレクトロを効果的に挟み込み、柔らかに聴かせる手心は心憎くはありますが、やはり鮮烈と言えるほどのものではない。ならばなぜピックアップしたか?これはもう単純に、曲がよく書けているからに他なりません。
Sufjan Stevensのアコースティック・モードが、あるいはJoni Mitchellの数ある傑作がそうであるように、惚れ惚れする繊細な作曲をアルバム1枚分やりきってしまえば、それはもう名盤な訳ですよ。この作品は今名前を上げたような天才たちと並べたってなんら遜色ないペンの走り方を感じますね。1分半にも満たない“Point Of View”の、不吉な違和感を伴ったメロディと和音の響き方なんてのは大したものです。そして、そういうアコースティック・ギター1本で成立する作曲の魅力を、しっかりとプロダクションで増幅させているのも抜け目ない。
ここまでしっかり曲が書けているインディー・フォーク、ずいぶん久しぶりに聴いたような気がします。別にこれが2016年のリリースであろうと、1996年のリリースであろうと、文句なく名作として記憶できてしまう、そんな普遍性があるんですよね。ソングライティングに対する個人的評価としては、今のところ2026年でもトップ・クラスかもしれません。
“Memory Be A Blade”/waterbaby

こちらはストックホルムの女性アーティスト、waterbabyの1stフル“Memory Be A Blade”。Anjimileは4ADからのリリースでしたが、彼女もかのSub Popと契約しています。これは余談ですが、「このレーベルなら期待できそう」みたいな感覚って大なり小なりあると思います。Ninja Tuneなんかもそうかな。この辺、今度ブログでまとめてみたいなぁと思っていたり。
閑話休題、彼女の場合レーベル名以上に目を引いたのがこんな謳い文句です。「Cleo Sol、Clairo、Oklouのハイブリッド」。3人とも、20’sのシーンにおいてそれぞれ極めて重大な存在感を放つ才媛ですよね。それをハイブリッドしたというんだから否応なしに興味をそそられますよ。実際聴いてみた印象としては、まずは録音ブースの閉ざされたニュアンスがよく出た音響が美しいなと。かすかな掠れまでを捉えた“Minnie Too”での歌声や、弦楽/管楽を大々的に導入しつつもスケールをいたずらに大きくしない“Clay”の侘しさ、このあたりのプロダクションで楽曲の半径を上手くコントロールするのがひときわ素敵です。
で、そういう録音の鮮やかさもさることながら、きっちりインディー・ポップとして楽しめる楽曲のバラエティも確保しています。“Sink”で厳かに開幕しつつ、表題曲“Memory Be A Blade”でのヴィンテージ感と歌声の軽さの妙にはそれこそClairoを連想することもできますし、 鍵盤が楽しげに弾む“Beck n Call”なんてのもいいじゃないですか。アルバム全体のひっそりとした、それでいて温もりのあるオーガニックな質感にいっそうの奥行きをもたらす、見事な作曲ぶりではないでしょうか。コンパクトな作品が好きな質なのであまりこういう感想は抱かないんですが、欲を言えばもうあと10分、3曲分くらいの広がりを聴いてみたかったところですね。
とはいえ、これは物足りないというよりは「まだまだやれるでしょ?」という期待の裏返しと思っていただければ。それくらい1曲1曲に引き込まれるし、Cleo Sol、Clairo、Oklouを引き合いに出すのもむべなるかなといった感じです。真新しいサウンドというわけではないですが、プロダクション/作曲の両方を高い水準でクリアしているクオリティはぜひとも評価したいです。特にClairoって日本の若いリスナー層にも受けている印象があるので、そんな方にはぜひオススメしたい1枚。
“No Ritmo da Terra”/Antropoceno

さてさて、こちらは紛れもなく新しいサウンドですよ。ブラジルのアーティストAntropocenoで“No Ritmo da Terra”。誰だこいつ?となる方も多いでしょうが、sonhos tomam contaことLua Vianaの別名義と言えばピンときたりするのでは。ParannoulやAsian Glowといった韓国シューゲイズの一派とのコラボレートもしている、ブラジルのシューゲイズ・アーティストですね。Bandcampなんかを見たところ昨年からこの名義でのリリースが続いているようですが、今回の作品で初めて出会いました。
そしてこれがまた、sonhos tomam contaとは別ベクトルに冴えた1枚でね。なにしろ、ラテン×アヴァンギャルド・メタルですから。そのかけ算アリなんだ……それも、聴き心地としてはラテンがメインですらあります。パーカッシヴなノリであったり、伸び伸びとしたメロディの開放感というのは、なんともブラジルらしい濃密さを感じさせる仕上がり。ただ、sonhos tomam contaをフィーチャリングした(同一人物ですから、sonhos tomam contaの方法論を導入してますというアピールなのかなと解釈してます)“Ayaba Oxum”のサウンドスケープ、あるいは“Oyá Dewo”での慟哭なんかを聴けば、そのカオスぶりは明らかだと思います。
それに加えて、環境音の導入による自然性、そして宗教家のPai Vinyをフィーチャリングしたスピリチュアルなテクスチャといった要素にも手を出している。これだけ貪欲なチャレンジを、同時に、違和感なく鳴らすバランスの取り方がとてつもなくキレているじゃないですか。聴き始めこそアイデアのインパクトに面食らうものの、アルバムが進むにつれてすっかり馴染んでしまって、「そういうブラジル音楽」として受け入れざるを得ないまとまりのよさがあります。高速のツーバスがアマゾンの熱帯雨林で木霊する“Futuro Ancestal”なんて実に象徴的ですよ。
昨年のチリ・インディー・シーンの大豊作も記憶に新しいかと思いますが、本作でますます南米ロックのポテンシャルに驚かされましたね。特にブラジルなんて、Caetano VelosoやMilton Nascimentoといった古典的MPB、ロックであってもOs Mutantesみたいなトロピカーナ文脈に言及が留まりがちな感もあるじゃないですか。私自身まだまだ掘り下げは足りていないので大きな口は叩けないんですけど、もっとリアルタイムの動向、そしてそこに繋がっていくオルタナティヴな南米音楽の足跡というのは、勉強しがいがあるんじゃないでしょうか。
“videocassettes”/teselaria

最後に紹介するのは、2月のなるぎれ同様、滑り込みで発見できた1枚です。なので上記のAntropocenoのレビューは本作を聴く前に書き終えていたんですが、なんたる偶然、ここでも南米のオルタナティヴ・シーンの豊かさを主張することになります。チリのアーティスト、teselariaで“videocassettes”です。
案の定軽く調べた程度では全く情報が出てこないんですが、聴いた印象としては、それこそsonhos tomam contaがそうであるように、宅録による制作だとは思うんです。ただ、teselariaがシューゲイズなのかというと全くそんなことはなくて。オープナーの“25”のほか“para ti, algún día”なんかはひときわその風合いが強いですが、アンビエントの匂いもありつつ、私が一聴して連想したのは「残響系」です。teselariaがthe cabsを知っているかはさておき、“abara”に“tomoi!!”という序盤の2連チャン、ブレイクを詰め込まないと気が済まないこのハイ・カロリーなサウンドのやり口なんてのはずいぶん近しいものがあると思うんですよ。
ポスト・ロックやポスト・ハードコア、それからミッドウェスト・エモ辺りをブレンドすればこういった激烈なサウンドにはなるでしょうから、恐らくは偶然の一致というか、たまたま同じ方程式に行き合ったのだろうと私は解釈しています。それにしても強烈ですね、“antesala”という曲があるんですが、これなんていわゆるJ-ROCKリスナーにもブッ刺さる類の切れ味です。そしてその直後にくるラスト・ナンバー“yume (I intentar hacer las visas bien)”での如何にもあざといノイズとともに広がるドリーミーなアンビエントは、RYMとかに生息してるややこしいオタクにも十分リーチする観念的な美しさもあり。その共存ってオルタナとして最高じゃないですか。
アニメ調のアートワークも、それ自体はインターネットを経由した宅録系の作品なんかではよく見られる意匠ですが、「残響系」との関連に思い至った私からするとさらなるリンクを邪推したくなります。ほら、さっきも触れたチリのインディー・シーンって、どちらかというとロンドンのウィンドミル・シーンへの呼応という側面が強かったじゃないですか。そことはまた別の切り口、それこそParannoul的な文脈のチリ的解釈というのが出てきたというのが面白い。とりわけインディー・ミュージックはもはや国籍で区分するのも野暮になりつつありますが、南米がここまでアツいというのは何かカラクリがあるような気がしてなりません。

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