
先日、とうとう「1980年代洋楽史解説」を完結いたしまして。
ええ、まあ、このシリーズの文量がとんでもないことになるのは、過去2回を読んでいただければご理解いただけると思います。なのでそこはもう開き直っているんですがね……
反省と今後の改善のため、きちんと自己批判しておきましょう。時間かけすぎ。2年って……お前その間に転職して上京してるじゃねえか。何してんだよ。
連載だというのに、読みにくいったらないものにしてしまいました。大変申し訳ありません。次回の1990年代編は、きちんと全体の見通しを立ててスムーズに進めることをここに誓います。本当です信じてください。
とまあ、一通り情けない話を済ました上で。これだけ時間かけてしまいましたからね、ニュー・ウェイヴの話をしてる頃の記憶なんてもう皆さんないでしょ?だって私もないんですから。一応毎回投稿の冒頭にバックナンバーを掲載してはいましたがね。
ということで、今回は解説の総ざらいの意味も込めて。実際の音楽作品について余すことなく語っていきましょう。1980年代を最短で攻略するための10の名盤、その紹介です。
「1980年代は光と陰の時代である」なんて偉そうなこと主張してましたけど、結局音楽は聴いてナンボ。それが大前提です。それにこう言うと本末転倒ですが、私の文章などより40分のアルバムの方がよっぽど時代を的確に描写してくれますからね。
ただ、せっかくああだこうだ書いているので。よろしければ私の解説も踏まえて聴いていっていただければと思います。それにこれは意図せずですが、選出した10枚をリリース時期の順に並べると綺麗に解説と噛み合うような展開になりましたのでね。それでは前置きはこの辺りで、80’s最短攻略のための作品たちを見ていきましょうか。
- 『リメイン・イン・ライト』/トーキング・ヘッズ (1980)
- 『スリラー』/マイケル・ジャクソン (1982)
- 『パープル・レイン』/プリンス&ザ・レボリューション (1984)
- 『シャウト』/ティアーズ・フォー・フィアーズ (1985)
- 『ザ・クイーン・イズ・デッド』/ザ・スミス (1986)
- 『アペタイト・フォー・ディストラクション』/ガンズ・アンド・ローゼズ (1987)
- 『パブリック・エナミーII』/パブリック・エナミー (1988)
- 『ストレイト・アウタ・コンプトン』/N.W.A. (1989)
- 『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』/デ・ラ・ソウル (1989)
- 『ドリトル』/ピクシーズ (1989)
- まとめ
『リメイン・イン・ライト』/トーキング・ヘッズ (1980)

これまでのようにロックを軸に語っていくなら、1980年代はニュー・ウェイヴ真っ盛り。アーティストそれぞれに面白いことを模索している分野なので1枚で「こんな感じです!」と言い切るのは無理難題ではあるんですが、涙を飲んで厳選するならばトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』ということになるでしょうか。
既存のロックの解体と再構築、これがニュー・ウェイヴの指針であって、そこに別ジャンルを導入することもしばしばあった訳ですが、トーキング・ヘッズが採用したのはアフロ・ビート。とくれば情熱的で肉体的なサウンドになりそうなところを、流石はCBGB出身、あくまで知性的でシニカルな世界観の中でファンクするんですよ。おかげさまで、まるで無表情で踊り狂っているような謎めいた躍動感が発揮されているんですよね。
過去作に続いてプロデュースには、ヘンテコ・ロックやらせれば外さないでお馴染みのブライアン・イーノが参加しているのも注目ポイント。ボウイの「ベルリン3部作」なんかもそうですけど、得体の知れないプログレッシヴなことをやりたがっている空気を作品に纏わせるのが本当に上手くてね。ニュー・ウェイヴって商業的にも成功したムーヴメントでしたけど、根っこにある貪欲さや攻めの姿勢もやっぱり見落としたくはないので、そこのところもしっかり表現されたアルバムになっています。
決して大ヒットした訳ではないので、ニュー・ロマンティックの一群やザ・ポリス辺りを差し置いてまでトーキング・ヘッズというのは正直違和感もあります。ただ、「ロックってまだこんなに面白くできるんだぜ」ってな主張としての本作って破格ですからね。これに関しては、1970年代編の10選から地続きで見た時にチョイスした意味が見えてくる作品なのかなと思っています。
『スリラー』/マイケル・ジャクソン (1982)

では1980年代の真っ只中に身を置いた時、最もあの時代を体現する1枚とは?これに関しては決まりきった答えを返させていだきます。マイケル・ジャクソンの1982年作『スリラー』です。これまでに少なくとも7000万枚、一説には1億枚以上のセールスを叩き出した、言わずと知れた「史上最も売れたアルバム」。人類文化における最大最高の遺産の1つです。
MJシンパでもある私ことピエール、このアルバムは過去に単独でディスク・レビューしていまして。
徹底的に考察・分析・ベタ褒めする内容となっておりますので、音楽的な話は↑を読んでもらえればと思います。ということでここでは、1980年代洋楽の中での『スリラー』の立ち位置みたいな話をしようかな。
本編のヒップホップに関するセクションでも書きましたが、1980年代って黒人差別が本当に激しくて。ゲットーの過酷な環境はその最も悲惨な例ですが、そうでなくとも社会のそこここに黒人への軽視というのは浮かび上がっています。初期のMTVが取った「黒人アーティストのビデオは放送しない」なんて方針はそのいい例です。
そんな中で、アフリカン・アメリカンであるマイケル・ジャクソンが、黒人音楽/白人音楽というレッテルを飛び越えた完全無欠のポップ・アルバムによってアメリカの頂点に君臨した、この事実は巨大です。「MJがいなければオバマは大統領になれなかった」なんてことすら言われたりもしますが、これは決して大袈裟な賞賛ではありませんよ。それくらい、黒人がアメリカで成功するのいうのは困難なことなんですから。
私は1980年代を「光と陰の時代」と定義しましたが、このアルバムはあらゆる意味でその「光」の象徴です。ド級のセールス、革新的なビデオ、グラミー賞総なめ、そんな文脈だけでなくもっとシンプルに、人々を高揚させたエンターテイメント、そして無限の可能性を照らした希望としてもね。
『パープル・レイン』/プリンス&ザ・レボリューション (1984)

で、MJについて語ったのならお次はプリンスを。現代的な価値観で見れば『サイン・O・ザ・タイムス』が殿下の最高傑作なんですけど、あくまで1980年代というテーマに沿わせるならこっちですね。最大のヒット作となった『パープル・レイン』です。
聴けば聴くほど不思議な作品だなぁと思うんですよ。なんでこれがそんなに売れたんでしょうね?いえね、音楽的にはとんでもなくハイ・クオリティですけど、ポップスと呼ぶにはあまりに奇天烈じゃないですか。年間1位のヒット『ビートに抱かれて』はベースレスのファンクという相当尖ったアプローチだし、『ダーリン・ニッキー』なんて「ペアレンタル・アドバイザリー」を生むきっかけとなった程度にはエロティックな曲。
そのアクの強さを無理くり華やかなポップスとして捩じ込む、『パープル・レイン』って実はそんな力業のアルバムです。ただ、プリンスというカリスマと音楽的な切れ味がその中で一切ブレずに紫の光を放っているから、決してチープにもあざとくもならない。80’sのヒットには今日的には時代がかって聴こえるものも少なくない中、「売れるけど尖ってる」をきちんと実践したプリンスってオンリー・ワンなんですよ。
いきおいプリンスってアーティスティックな素質だけに注目されがちな印象もあるんですけど、私に言わせれば商業的に成功したという事実も踏まえてようやく彼を評価したことになる。だからこそ、MJとプリンスを対比して語れるんです。そんな孤高のポップ・スターとしてのプリンスを知るにはもってこいの1枚ですね。
『シャウト』/ティアーズ・フォー・フィアーズ (1985)

これは今回唯一の、ちょっと思想の強いチョイスかもしれません。「第二次英国侵略」のムーヴメントでイギリスのアーティストがどんどんビッグ・ヒットを記録したなんて話をしましたね。で、そこにはデュラン・デュランやワムといった「ベストヒットUSA」的アーティストもたくさんいるんですけど、今日的にまず聴かれるべきUKポップスはこれです。ティアーズ・フォー・フィアーズで『シャウト』(原題: “Songs From The Big Chair”)。
シンセ・ポップから派生したソフィスティ・ポップという音楽性、それを代表する1枚です。sophistyの意味するところは「洗練」ですから、その言葉の通り滑らかで洗練されたサウンドを聴かせるポップス。とはいえ派手なインパクトのビートに顕著な、80’sのにぎやかさもそれなりに感じられはするんですけどね。それでも、80’sポップスのパブリック・イメージからすると相当にシックでタイムレスな聴き味になっているのも事実でしょう。
なのでもっと「1980年代っぽい」サウンドの作品は他にもあるんですが、この10年くらいで発展していった80’sリバイバル、その参照元として多大な尊敬を集めた結果名盤としての地位を近年向上させている点は見逃せません。これは歴史修正になりかねないという懸念もあるんですけど、でも2025年から1980年代を振り返るのであればこのサウンドを無視することはできないのでね。
それにこの作品、リアルタイムでも爆発的なヒットを記録してますから。『ルール・ザ・ワールド』に『シャウト』、それから『ヘッド・オーヴァー・ヒールズ』、この辺りのポップ・ソングとしてのポテンシャルは今も昔も変わらず最高品質です。そしてギッタンバッタンした80’sの音が苦手という方には、それこそ攻略のきっかけとしてはこのくらい洗練された塩梅の方がベストかもしれませんしね。
『ザ・クイーン・イズ・デッド』/ザ・スミス (1986)

さて、MJからTFFまで、ポップスが本当に元気だった1980年代。しかしその水面下ではさらにユニーク、そして今日的な意義の大きなサウンドも醸成されていました。イギリスにおけるその動向を代表する1枚は、やっぱりザ・スミスの『ザ・クイーン・イズ・デッド』で決まりでしょう。
どこからどう聴いたってヒット・チャートには食い込まなさそうな、とことんまでネガティヴなアルバムですよね。そりゃあジョニー・マーの瑞々しいギター・サウンドは美麗だし、モリッシーの艶やかなヴォーカルだって魅力的ですよ?でもMJや殿下、イギリスに限った話でもワム!やカルチャー・クラブがいる中で、「君といる時にバスに轢かれたらなんて幸せだろう」なんて歌うバンドが支持される訳が……と思うんですが、全英2位というヒット作品になったのが実に面白い。
私自身そういう少年時代だったので気持ちは分かるんですが、流行に乗っかれない面倒臭いこだわりの強いリスナーというのは古今東西いるもので。そんな彼ら彼女らに対する80’sUKシーンの最高の回答こそがザ・スミスであり『ザ・クイーン・イズ・デッド』だったんだと思います。それになにしろ、彼らはポップスとしての地肩が強いですから。モリッシー/マーという「陰気なジャガー/リチャーズ」の作曲が卓越していないと、ただジメジメした音楽というだけではそんな支持はあり得ません。
アメリカではほとんど見向きもされなかったというのも、後のブリットポップに繋がる伏線のようでもあってね。その辺りは1990年代編で上手く接続する予定ではありますが、UK贔屓な感性が伝統的に根付く日本のリスナーとして、この如何にもイギリスっぽいサウンドの80’sにおける決定盤として是非とも聴いていただきたいものです。
『アペタイト・フォー・ディストラクション』/ガンズ・アンド・ローゼズ (1987)

グラム・メタルからはやはりこの1枚。ガンズ・アンド・ローゼズの1st『アペタイト・フォー・ディストラクション』です。もうこれに関しては、オール・タイムでHR/HMのアルバム10選なんかをやったとしても問答無用で入ってくる別格の名盤だと思っています。
ただ、これもトーキング・ヘッズと同じく「シーンを代表する1枚か?」と聞かれるとちょっと怪しいアルバムではあるんですよね。この辺も本編で語っていますが、当時のグラム・メタルってもっと華やかなものが目立った中、この作品ってサウンド的には意外とワイルドでダーティーですから。そりゃあ『スウィート・チャイルド・オブ・マイン』や『パラダイス・シティ』のようなアンセミックな楽曲もありますけど、作品全体の骨格としてはパンキッシュというか。
この、ヒーローであってスターではない感覚とでもいうんでしょうか、それがガンズの魅力であり、80’sの中で異彩を放ちながら今日まで支持される要因なのではないかと。以降の解説を先取りする格好にはなりますが、グランジから始まるロックの転換に既にアジャストしたサウンドな気がするんですよ。これは偶然の産物なんでしょうけど、でもこのアルバムが未だに名盤ランキングなんかでも常連なのはこうした時の試練に打ち勝てる音像も一役買っていると思っています。
そしてレッド・ツェッペリン、エアロスミス、AC/DCと繋がってきた「最高のリフとやかましい金切り声で突進するハード・ロック」という様式美、あるいはもっと遡って、ジミヘンから始まるロック・ギターの伝統、その最後の花火こそがこの1枚。ほら、某レディオヘッドが某『キッドA』で「僕らもうギターでどうこうとか興味ないんで」って宣言しちゃって、ギター・ロックの意味合いって変容してしまったので。最後の花火がこんなに大傑作というのは、それはそれで出来すぎた話ですが。
『パブリック・エナミーII』/パブリック・エナミー (1988)

ここからはヒップホップを3枚。まずは本編の最終回でも特別に強調した、東西両雄による2作品ですね。東海岸からはデフ・ジャムよりパブリック・エナミーの2ndです。原題は“It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back”ですね。このシリーズでの個人的なルールにのっとって邦題で記載してますけど、このアルバムを『パブリック・エナミーII』と呼ぶ人には今まで出会ったことがありません。
閑話休題、ジャンル横断の名盤ランキングをやると、ヒップホップの中での最高順位はだいたいこの作品になっている印象ですね。それくらい圧倒的な存在感があるんですが、じゃあこれを現代USヒップホップ、それこそドレイクとケンドリック・ラマーのビーフで盛り上がっていたリスナーが聴いて魂が震えるかとなると……必ずしもそうではないような気がしますね。やっぱりオールド・スクールの時代ということもあって、現代のサウンドとの乖離はどうしてもありますから。
ターミネーターXの強烈なスクラッチなんてその好例ですね。スクラッチって如何にもヒップホップ的な手法ですけど、今日なかなか聴く機会もないじゃないですか。ただ、そういう剥き出しなトラックだからこその名盤でもあるんです。PEがヒップホップに込めた怒り、それはチャックDの叩きつけるようなフロウにしても、自己顕示と社会への警告を兼ね備えたリリックにしても、それが極めてタフに映えているんですね。
ロックの歴史の中でボブ・ディランがことさら重要視されるのは、ロックというエンターテイメントに社会性を持ち込んだ功績があるからです。PEがヒップホップに与えた影響は正にディランと同じ、いわば本作はヒップホップにおける『追憶のハイウェイ61』と言えるのかもしれません。そうなると俄然、何故この作品がマスターピースとされるのかが理解できる気がしませんか?
『ストレイト・アウタ・コンプトン』/N.W.A. (1989)

お次は西海岸、カリフォルニアはコンプトンから現れたN.W.A.で『ストレイト・アウタ・コンプトン』。ギャングスタ・ラップの傑作と誉高い名作です。やっぱりPEの2ndとN.W.A.のこれが立て続けにリリースされた事実には特別な意味を感じてしまうんですよねぇ……それに関しては本編最終セクションを参照してください。
さて、PEの紹介の時に「現代のリスナーがこれに反応できるかというと……」みたいなちょっとネガティヴな表現をしましたが、この作品もかなりクラシカルではあります。ただ私の感覚の上では、N.W.A.の方が現代的に聴こえるのかなと。まずはマイク・リレーのスタイルですよね。アイス・キューブ、ドクター・ドレー、イージーE、MCレン、この四者四様のラップが代わる代わるに飛んでくることで生まれるスリルというのは今に通ずるものでしょう。
で、これもPEとの比較で恐縮なんですが、チャックDのラップがあくまで怒りや不満を知性の上で発露させている一方、N.W.A.に関してはただキレている無慈悲さや凶暴さが感じられると思っていて。そしてそのおっかなさや迫力が、ギャングスタ・ラップのパンチとして欠かすことのできないエッセンスでもあるんですよね。見てくださいよこのアート・ワーク、1人残らず怖いでしょ?
この過激さというのは、現在にも残っている「ヒップホップって治安の悪い音楽なんでしょ?」という偏見を大いに助長させるものでもあります。でも実際、そうした危うさや生々しさがヒップホップという新興ジャンルのインパクトに貢献した節もありますからね。ですのでここはあえてその偏見に乗っかって、「世界一危険なグループ」のヤバさを全面に押し出したレコメンドとさせていただきましょう。
『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』/デ・ラ・ソウル (1989)

で、ここまでの2枚で体感できるシリアスな圧力や気合の入ったタフっぷり、それを踏まえてネイティヴ・タンの作品に触れてもらえばその革新性はよりくっきり見えてくるのではないかと。ご紹介するのは当然、デ・ラ・ソウルの傑作『3フィート・ハイ・アンド・ライジング』です。
何を置いても、やはりトラックのセンスがズバ抜けています。ネイティヴ・タンの登場でヒップホップはオールド・スクール/ニュー・スクールに二分されると語りましたが、確かにこの作品には現代のシーンまでサウンドの観点で直接リンクする鮮やかさがありますからね。サンプリング・ソースの幅も実に広くて、ソウルやファンクは勿論、スティーリー・ダンやジョニー・キャッシュ、ダリル・ホール&ジョン・オーツまで、無節操かつクレヴァーな引用の数々には驚かされますよ。
それにポス、トゥルーゴイ、メイスのラップ、これがまたなんともユル〜く、陽気で、しかし同時にスマートでもあるんですね。それこそチャックDやアイス・キューブ、あの人たち怖いじゃないですか。少なくとも友達にはなれなさそうな雰囲気をひしひしと感じますけど、デ・ラ・ソウルは実にフレンドリーなヒップホップを展開します。これがサウンドに限らず、アティチュードやキャラクターとしてのヒップホップのレンジを大きく広げていくんです。
ロックやポップスのファンの方々からすると、ヒップホップに3作品も割くならもっと紹介すべき作品があるだろうとお叱りを受けるかもしれません。でも、だからこそ私はしっかりとヒップホップに言及したい。現代のシーンに繋がってくる文脈としては、こっちの方がひょっとすると大きい訳で。それに少なくともデ・ラ・ソウルに関しては、ヒップホップ苦手な方でもすんなり聴けちゃう懐の広い名盤ですから。
『ドリトル』/ピクシーズ (1989)

本編の展開とリンクさせるならヒップホップで締めくくるべきかもしれませんが、リリース・タイミングの都合上最後にこちらを紹介しておきましょう。ただ、これはこれで示唆的な並びになったかな。この時代のUSギター・オルタナティヴでも飛び抜けた影響力を誇る、ピクシーズの2nd『ドリトル』です。
本編でも触れた「ラウド・クワイエット・ラウド」のメソッド、後の様々なオルタナティヴ・ロックで参照されるものですけど、やっぱりピクシーズのそれはとりわけ振り切っていて痛快ですね。激しいとか強烈とか、そういう次元を超えて狂気じみたところまで一撃でテンションを持っていく、この一聴してひしひしと伝わる「ヤバいバンド」の印象は、1980年代のオルタナティヴ・ロックの表情として実に相応しいと思います。
そしてそこまで極端なことをしても、実はしっかりポップなメロディを聴かせてくれるというのもこの『ドリトル』の魅力です。さっきザ・スミスのところで触れたポップスの地肩、それがピクシーズにもありますからね。キム・ディールの可憐なハーモニーだったり、ヘンテコだけどキャッチーなギター・フレーズだったり、ギミック的な部分でも破天荒になりすぎないバランスを取っていて、ちゃんと計算のうえでトチ狂ってることが伝わってきます。
で、この作品で締めくくることが示唆的と書きましたが、そこについての説明を。このアルバムの1曲目であります『ディベイサー』、それに着想を得て生まれたとある楽曲があるんですね。そしてその楽曲が、1990年代のロック・シーンのトーンを決定づけてしまうことになるんですが……本編でも書いた「プレ1990年代」としての性格、それもよく表現した1枚なんですね。
まとめ
さあ、こんな感じで、私ピエールの思う1980年代マストの10枚をお届けしました。
あれ?『ヨシュア・トゥリー』の姿がありませんね。それにメタリカはどこにいったんでしょう。マドンナは?デュラン・デュランは?ジャーニーやTOTOだっていないじゃないか。こんなチョイスで何が攻略だ笑わせるな!……と言いたい気持ちはよく分かります。
でも過去2回でも書きましたけどね、たかだか10枚で紹介しきるというのは土台無理な話です。あくまで最低限ここは抑えとくとよろしいかと、という導入に過ぎません。なのでここからは、リスナーの皆さんそれぞれが探究していく作業が必要になります。ただ、賢明なる皆様は当然理解されていることかと思いますが、その探究こそが一番楽しいじゃないですか。
そのための具体的なバンド名やキーワードというのは、解説本編の至るところに散りばめたつもりです。なので是非とも、この10枚に飽き足らず、さらなる挑戦を続けていただきたい、そう思います。
まして1980年代なんて、そうするだけの価値がある時代ですからね。ビルボード・チャートを賑わせたヒット・アルバムにしてもそうだし、ちょっと掘ってやればヘンテコなアルバムが山ほど出てきます。何でもありの度合いでいけば、1960年代や1970年代よりよっぽど混沌としてますよ。
ということで、晴れて1980年代洋楽史解説特集、正真正銘完結です。長きにわたるお付き合い、誠にありがとうございました。今年中には1990年代編の連載をスタートする予定ですので、もしよろしければそちらもお楽しみください。それではこの辺りで。
コメント