よく家に遊びに行く音楽好きの友人がいるんですけど、もうひっきりなしに好きな音楽垂れ流しているんですね。それでこの前行った時に何時間も流してたのがこのアルバムでした。リリース当時から騒がれてたので何度か聴きましたけど、改めて聴き直すとやっぱりスゴイ作品だったので今回はこちらをレビューしていこうかと思います。
今更言うことでもない気がしますが念のため。本作はYouTubeでの音楽活動から一気に火がつきあれよあれよと時の人になった、期待の新人藤井風のデビュー・アルバムです。ただ、もうこの作品の段階で貫禄がスゴイですね。若い才能に特有な荒削りな魅力だったりエッジィな野心みたいなものはまったく感じられません。ものすごく自然体に、ものすごくスムーズにこの名盤を生んでしまっているんです。
音楽的には和製R&Bというのが第一感でしょうか。日本人とブラック・ミュージックって根本的に相性が悪いと思っているんですけど(この辺の話はいずれ別記事でしようと思います)、それを丁寧に日本人の感性に引っかかるように再解釈しています。メロディは歌謡からの文脈だと思いますがかなりJ-Pop的で、トラックの洗練された「黒さ」の部分と悪びれない正直なポップスがしっかりと同居している。
トラックの部分をもう少し深掘りすると、古典的なR&B、ソウルのサウンド感という訳ではなくて、ヒップホップだったりジャズだったりからの影響もかなり色濃く出ています。言ってしまえばフランク・オーシャンみたいな、極めて現代的なブラック・ミュージックなんですよ。彼、アルバム制作以前に渡米しているんですが、そのタイミングでアメリカの先鋭的な音楽に触発されたというのはあるかもしれません。ただ、彼のこの引き出しの多さはずっと以前から培われていたものですね。幼少期から音楽に親しめる環境下で育ったらしいんですが、多分そういった環境が経験値的に彼に音楽の「気持ちいい」スポットを理解させていったんじゃないでしょうか。
「気持ちよさ」に関してさらに言及するなら、ここまでに説明したメロディだったりグルーヴだったりに加えて、楽曲に対する藤井の歌声の当て方、ここも注目すべきポイントです。声の良さは一聴すれば理解できますけど、メロディや歌詞に対する発音の仕方のニュアンスみたいなところ、ここへの配慮が効いていると思います。いい意味で日本人らしくないと言うか、気だるげなオーラみたいなものを纏った歌い方はやっぱりブラック・ミュージック的ですし、1曲目の『何なんw』ではすごくアーバンなトラックに岡山弁のヴォーカルを乗せるみたいなトリッキーなこともしてますからね。歌い方への意識はかなり強く感じられます。
この「気持ちよさ」っていうのが本作のキーワードだと思っていて、色んなジャンルを参照した音楽的に高度な1枚でありながらすごく大衆性もある作品なんですよ。評論筋では絶賛されるディープな作品ではなくて、むしろ若者を中心とした音楽に対してカジュアルな層からの支持がこの作品の知名度を牽引していったんですね。すごく偏見ですけど本作を気に入った若者はほとんどフランク・オーシャンは通ってないはずなんですが、そういう土台が見えてこなくてもシンプルに楽しめる、つまりは聴いていて「気持ちいい」というのが大きな魅力だと思います。
ちょっと話は逸れますけど、こういうブラック・ミュージックを下敷きにした音楽って最近すごく日本で支持される傾向にありますよね。星野源だったりOfficial髭男dismだったり。音楽シーンのガラパゴス化が進んで久しいこの国でも、こういう色んなルーツを持つ音楽が幅広く聴かれているというのはすごく健全なことだと思います。多分それって宇多田ヒカルの登場以降に形成された価値観だと思うんですけど、これ以上は脱線しすぎるのでこの辺にしておきましょうか。
さて、話を戻しまして。このアルバムを俯瞰で眺めた時に、ちょっと構成上面白い点があります。というのも、アルバム開幕から4曲がすべてシングル曲で、残りはすべて新曲なんですね。これってなかなか見ない構成だと思います。普通にアルバムを構築しようとした時、やっぱりシングル曲っていうのは作品に満遍なく配置すると思うんですね。アルバム・オリエンテッドな考え方かもしれませんけれど、シングル曲というのはアルバムのために存在している訳ではないのでアルバムの構成上難しい存在だと思っていて。楽曲単体として強いので、下手に扱うとアルバムのストーリー性を壊しかねないという危うさすらあるものなんですよ。
そこへいくとこのシングル曲をすべて吐き出した後でアルバム曲を展開する、という手法は結構衝撃的です。と同時に、本当に現代的なアルバムなんだとも。まずもって、今音楽を聴く人、乱暴な言い方かもしれませんけど特に流行りの音楽を追っかけている人が果たしてどれだけアルバム1枚通して聴くかって話ですよね。サブスクリプションも普及して、作品の入り口でリスナーを引き込まなくてはいけないという時代になったことをきちんと反映しています。
それでいてアルバムとしてのまとまりに欠けるということもなくて。曲順や展開に関しても、やっぱり自然で流れるように心地いいんです。なぜかというと、アルバム曲がシングル群とまったく聴き劣りしないからなんですね。楽曲の持つパワーというのが負けていない。だから尻すぼみになることなく、シングル連発の高揚感のままに聴き終えることができます。シングル曲クラスの楽曲をアルバムのサイズで提示し続けることができるという自信なんだと思いますし、この強気な姿勢はこの作品唯一の若さみたいなところと言ってもいいかもしれません。
そもそもシングル曲がそれぞれテイストの違うもので、特に目立っているのは4曲目の『キリがないから』じゃないでしょうか。デジタルな質感があるトラックとまくし立てるようなヴォーカルはヒップホップにかなり接近しているんですけど、スキャットでしっかりキャッチーさも演出していて。ピアノをフィーチャーしてきた優しい最初の3曲のイメージをここで裏切ってくるというのはインパクトとしては強烈ですよ。こういう手札を切ってくるというのがズルい。しっかりと作品の緩急を意識していないとできない展開ですからね。
さらにその『キリがないから』が終わった直後に始まる5曲目の『罪の香り』。この作品の中でもかなり異質な楽曲で、イントロからブラスを導入してゴージャスな展開を見せています。しかもちょっと変拍子な感もあるセクションでプログレっぽさみたいなものも出してきます。全体的にシックな色彩感のある作品ですけど、ここで瞬間的に明度が強くなるような感覚すら覚えますね。ただそれが浮いているのかというとそういうことではなくて、作品に溶け込みながらもシングルに負けないフックをしっかり獲得しています。
アルバムの中での異質さというところだと、終盤に収録された『さよならべいべ』も面白い。本作で一番ロックな質感があります。メロディはやっぱり歌謡チックですけど、打ち込み主体のリズム・メイキングが目立つ中でしっかり生ドラムのサウンドを堪能できますし、後半から歌に被ってギターが存在感を発揮してきます。歌声にもたっぷりとエフェクトをかけて、意図的にうるさいサウンドにしています。こういうところですよね、この作品の抜け目ないところは。この曲がアルバムのトータリティの面で果たしている役割というのはかなり大きいと思いますね。
第一に、さっきの『キリがないから』でもありましたが聴き手の意表を突いてくるというもの。まさかこの作品でロックを聴くことになるとはリスナーは思っていない訳です。そこをクライマックス直前で裏切ってくる。作品のバランスを崩しかねない挑戦ですけど、そこは何度も言うように前提にあるメロディの気持ちよさがあるので破綻していないんですね。で、ここで唐突なロック・チューンがきたことで聴き手は身構える訳ですが、その警戒心すら裏切ってとびきりに優しいバラード『帰ろう』でこともなげに作品を締めくくるという。作品のトーンだけでなく聴き手の受け取り方までコントロールしてくる新人アーティストってもはや怖さすら覚えますよ。
この辺のカラクリはあまり説明しすぎるとかえってこの作品を陳腐にしてしまう気がするのでこのくらいにしておきますけど、そういう繊細な配慮が本作ではいくつか見受けられます。言ってしまえばそれは違和感とも表現できますけど、音楽のクオリティ、本当に何度も何度も出てきますが「気持ちよさ」と言う一種のコンセプトがその違和感すら魅力に変えてしまうんですね。これを意識的にやっていそうなのが本当に素晴らしいと思います。
メディアからも大衆からも支持された音楽作品、それもロックの文脈以外で、となるとこのアルバムはもう10年に一度くらいの大傑作です。結構隅々までつついて粗探ししてみましたけど残念ながら見つけられませんでしたし、こうなったら私も世論に乗じて褒めちぎるしかありません。こういう若手がいるというのは音楽にとって前途有望ですし、10年後に藤井風がとんでもない存在になった時、1stから追っていたと自慢するためにもこの作品を手に取ってみてはどうでしょうか。今ならまだ間に合いますよ。
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