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ピエールの選ぶ「オススメ新譜10選」2024年3月編

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夏真っ盛りですが皆さまいかがお過ごしでしょうか?今から3月の新譜をドヤ顔でレコメンドしようとする私ことピエールです。

我ながら呆れる筆の遅さですが、頑張ってこの1〜2ヶ月で遅れを取り戻していきたいと思います。ひとまず順当に3月編をやっていきましょう。私がサボっている間に、いったいどれだけの素晴らしい音楽が産み落とされたのか、今一度確認していただければ。それではどうぞ。

”Cowboy Carter”/Beyoncé

Beyoncé – TEXAS HOLD 'EM (Official Visualizer)

まずは順当に、一番の話題作からいきましょう。現代ポップスの女帝、Beyoncéの最新作”Cowboy Carter”。アメリカ筆頭に世界中で当然の大ヒット、イマイチ洋楽のトレンドに乗り遅れがちなこの日本でも、リリース直後にサプライズで行われた来日プロモーションが功を奏して話題沸騰といった感じでしたね。

「Beyoncéによるカントリー・アルバム」というのは、実は本作リリースの前から話題にはなっていたんですよ。前作“Renaissance”は彼女によるブラック・ミュージックの再訪の記録だった訳ですが、そこからの作品は3部作として展開されるという予告があったのでね。そして今回、彼女が見つめたのはカントリーだった、そういう流れです。ただここに一抹の不安があったことも事実なんですよ。私個人としてそこまでカントリーが得意ではないという部分もありますし、果たしてBeyoncéとカントリー・ミュージックの相性は如何なものかとね。しかしどうです、聴いてみたらばそんな不安が杞憂に過ぎないことは明らかでしょう?

あくまで彼女の強靭な存在感やブラックネスを大前提に、そこにカントリーをほどよくブレンドしていくというバランス感覚が巧みですね。このバランスを成立させるためには、単なるギミックとしてカントリーを導入するのではなく、先達への十分なリスペクトが必要になると思うんですけど、それも本作の至るところから感じられます。あのThe Beatlesの“Blackbird”のカバーなんてトラックをそのまま引用する丁寧さですし、Dolly PartonWillie Nelsonといった重鎮を招き入れる、この態度がものすごく誠実で。しかし一方で、コテコテのカントリーにはならない、現代のカントリーが持つインディー的な特質やその思想的キャラクターをアフリカン・アメリカンであるBeyoncéの立場から再構築してみせる、そういった手腕は流石の一言です。

自分のルーツがソウル/R&Bにあることを自覚しつつ、やすやすとそのボーダーを飛び越え、ひとつなぎに普遍的なポップスへと転換する。この3部作で彼女がしようとしていることって、かつてMichael Jackson“Thriller”で成し遂げたことと同質だと私は思っているんですよ。私はBeyoncéこそ長らく空位が続く「キング・オブ・ポップ」の玉座に相応しい人物だと長らく思っているんですけど、本作によってその思いはいっそう強いものになりましたね。それだけ誇り高い1枚ですよ。

“Tigers Blood”/Waxahatchee

Waxahatchee – "Right Back to It" (feat. MJ Lenderman)

カントリー繋がりということで続いてはこちらを。アラバマ出身のKatie Crutchfieldによるインディー・ロック・プロジェクト、Waxahatchee“Tigers Blood”です。私はこの作品で初めて触れるアーティストなんですが、Xでもインディー・ファンからの支持がすごく厚かった印象ですね。

カントリー・テイストの女性シンガー・ソングライターなんて、それ自体はもう掃いて捨てるほどにはいると思うんです。ただこの作品はカントリーとインディー・ロックのバランスがすごく絶妙。むしろどちらかというとロック的に聴いた方が楽しめるような気がしています。ややハスキーでゆるやかに伸びていく歌声はカントリーの軽やかさも認められるんですけど、そこにはロック特有の芯の強さみたいなものが感じられますし、オーガニックなバンド・アンサンブルはアメリカ南部の乾いた心地よさをほどよくダイナミックに表現しています。

そしてサウンド面で特筆すべきがギター。演奏しているのはMJ Lendermanという人物ですね。彼の名前、どこかで見覚えがあったんですが、あれです。Wednesdayのギタリストですよ。昨年リリースの“Rat Saw God”が絶賛されていたのも記憶に新しい、オルタナティヴの新星バンドですね。私もしっかり年間ベストでピックアップしたんですが、バンドそのものは本作と同じくカントリーを素地としていたものの、Lendermanのプレイはシューゲイズに根差したものでしたよね。そこはしっかりと彼も本作に寄り添い、あくまでカントリーのモードに接近した穏やかなものになっています。それでもサウンドの上でしっかりと個性を発揮しているんですから、なかなか抜け目のないギタリストですね。

Beyoncéのところでも触れたんですけど、私そもそもカントリーがあんまり得意じゃないんですよね。ただ、Beyoncéの「R&Bから見たカントリー」だったり、あるいは本作の「インディー・ロックから見たカントリー」だったり、そういう成分としてのカントリーはどうやら好物の類らしいですね。我ながら嬉しい発見でしたし、そういう発見ってそもそも聴いた音楽が上質でないと成立しないので。いやはや。恵まれましたね。

“Underdressed At The Sympathy”/Faye Webster

Underdressed at the Symphony

ここのところ毎回な気がしますが、女性アーティストが続きます。彼女はもうインディー・ファンからするとすごく安定感のあるアーティストとして認知されている気がしますね、Faye Webster“Underdressed At The Sympathy”です。これまた期待に違わぬ名作で、インディー・チャートでも好評だったようです。

骨格としてはSSW的な、丁寧かつ繊細な作曲で進行していくスタイルですね。私はコード進行とか作曲論みたいな方面にはてんで疎いんですけど、かのCarole Kingを彷彿とさせるみたいな評価も目にしました。ただ、そういう私みたいな感度の低い人間でもすぐさま反応できるのが、そのサウンドの凝りようです。90’sのインディー、私はなぜだかThe Verveを連想したんですけど(これが聴き直すとそこまで似てなかったので、我ながら不思議なものです)、もの寂しく揺らめくような曖昧さ、そういう情緒を軸としつつ、ゴリっとしたギターが参加する瞬間もあれば、Lil Yachtyの客演に特に顕著なサイケデリックな色彩もあり。

彼女の作曲を丁寧かつ繊細と表現しましたけど、それをもう少し具体的かつ言葉を選ばずに書くならば、ふらふらと寄る辺ない旋律なんですね。これってともすると輪郭がぼやけて中途半端な印象にもなりかねないと思うんですけど、むしろそこを助長するようなサウンド・プロダクションの遊び心、これが作曲とリンクすることでものすごく鮮やかな作品に化けていますよ。かつ、Websterの歌声に含まれる可憐さが、その中でもメロディへの意識をリスナーに持続させる働きをしています。

インディー方面のアーティストにしばしば見られるプロダクション偏重の傾向、これは別に悪いことではないですけど、私は一リスナーとしてやっぱり普遍的な強度であったりメロディの主張だったりを大事にしているので。たまにそこが噛み合わなくて飲み込めない作品もあるんですけど、Faye Websterに関してはその両立がお見事でしたね。

“Keeper Of The Shepherd”/Hannah Frances

Hannah Frances – Keeper of the Shepherd (Official Video)

新譜についてメンションするたびに「女性インディー・フォーク」という語彙を持ち出している気がします。そろそろゲシュタルト崩壊を起こしそうで怖いんですけど、まあそれくらい面白い作品がコンスタントに出ているんでは仕方ない。しっかり紹介しますよ。Hannah Frances“Keeper Of The Shepherd”です。

アコースティック・ギターの爪弾きを伴奏とした、如何にもお上品なフォーク・アルバム。第一印象としてはそんな感じですし、正直言ってその時点ではピックアップするほどの魅力は感じませんでした。ただ、聴き進めるうちにそのサウンドの質感に気が取られるんですね。ものすごく残響が豊かで、肉体的なリアリティがある。とりわけ強調されているのが、彼女が奏でるアコースティック・ギターから出るフィンガリング・ノイズ。もうあざといくらいに主張されていて、これギタリストが聴いたらどう思うんだろうと疑問に思いすらしたんですけど、これがまた時折挿入されるエレキ的なダイナミズムとあわせて、ただ上品なだけでないある種の野性味みたいなものを演出しています。

そして装飾として登場するストリングスブラス、あるいはFrances自身の歌声もその範疇で語っていいかなと思うんですけど、すごく大地に根差した印象、言い換えれば生命力みたいなものをありありと感じさせるんですね。牧歌的と表現するにはあまりにパワフル、展開によっては祝祭的ですらある瞬間まである訳ですから。アンビエント・フォークみたいな文脈で登場する、すごく自然的なサウンドの美しさでもないんですよ。あくまで人間的な息づきが中心にあって、広大で剥き出しの自然の畏怖に敢然と立ち向かう、そのエネルギー。ずいぶん詩的な表現で恐縮ですが、そんなものを私は感じます。

この作品が「羊飼いの守り人」と題されていたり、大地に平伏すアート・ワークだったりも、なんとなくそうした私の印象を補強してくれる気がしますね。実にふくよかでたくましく、そして美しい。女性インディー・フォークは何も繊細さだけが持ち味ではないということを示してくれる1枚でした。

“Bright Future”/Adrianne Lenker

adrianne lenker – fool (official video)

女性インディー・フォークであれば、こちらも3月注目の1枚でした。USインディーの雄、2022年に発表した大作“Dragon New Warm Mountain I Believe In You”での大絶賛も記憶に新しいBig Thiefのリード・シンガー、Adrianne Lenkerのソロ作品、“Bright Future”です。

Big ThiefではポストRadioheadらしい音響感覚やトリッキーなアプローチをアメリカーナの温もりの中にブレンドするという手法を取る訳ですけど、ことソロ・ワークとなるとそうしたインディー・ロック的な意匠はずいぶん控えめですね。もちろんギターを巧みに使ったサウンドの装飾は単なるフォークにはないバンド・マンゆえの独特の発想ではあるんですけど、ハーモニカやストリングスも登場する中であくまで一要素としてそうしたセンスを持ち出している印象です。

そして、Lenkerのか細く震える歌声のキャラクター。これがもうひょっとするとBig Thiefの作品よりも輝いて聴こえてしまうというか。繰り返しになりますけど、BIg Thiefの強みであるサウンド・プロダクションの妙、その中に溶け込む1つの要素として機能していた彼女の歌唱が、こと本作のような素朴なフォーク・アルバムでは際立って主張されています。そして歌声が際立つということは、それによって紡がれるメロディの上質さにも意識が向くということ。非常に嫋やかな質感で、ジャズに大接近するまでのJoni Mitchellにも通ずる柔らかなソング・ライティングです。

バンド畑でこういう率直な作曲ができるのって、ものすごく重要な素養だと思うんですよ。サウンドだったり表層的な音楽性ってどうしても流行り廃りがあるので、そこに乗り遅れないためにはそもそもの作曲のレベルが高くないと話にならない。そのあたりBig Thiefはそれこそ“U.F.O.F.”くらいからずっと、「いい曲が書けるインディー・ロック」としての評価を確固たるものにはしていたんですが、こうして一旦ロックから離れて表現することでその実力がくっきりと見えるようになりました。

“Diamond Jubilee”/Cindy Lee

Cindy Lee – Diamond Jubilee (2024) Full Album HQ

記事の流れからいってこの中途半端なタイミングでのご紹介にはなるんですが、個人的に3月の作品で一番食らったのはこれですね。かつてWomenというバンドでカルト的な活躍を見せたPatrick Flegelのソロ・バンド、Cindy Leeによる2時間を超える大作“Diamond Jubilee”。各種サブスクリプション・サービスにはないんですけど、YouTube上ではオフィシャルに聴くことができます。

2時間に及ぶ、20世紀ポピュラー音楽再訪のタイムスリップ。さしずめ本作を評価するならばこのようになるでしょうね。50’sのオールディーズ、60’sのサイケデリック・ロック、70’sのグラム・ロック、80’sのカレッジ・ロック、90’sのローファイ・インディー……そうした時代的なテクスチャ、それも一見してまるで接続され得ないようなそれぞれを、走馬灯のように展開していきながら、ノスタルジックかつ幻惑的なプロダクションでどういう訳だか1枚の作品に内包してみせる。これはちょっと驚異的なことですよ。

質感としてはヴェルヴェッツの1stだったりある時期のThe Byrdsの作品だったりが持つ、意図的というよりは当時の機材やテクノロジーゆえに自然発生したローファイ・サウンドに似ていると思うんです。ただ、そこに当時ではあり得ない、それこそPavementなんかが示したノイジーでオルタナティヴな感性が乗っかかる。ここではないどこか、幽玄の世界観とでも評すべき異質さが、カー・ステレオを通したような荒く古ぼけた音響によってポピュラー音楽の歴史の中に捏造されているような感覚ですね。ただの懐古趣味ではない、確かな意図とクリエイテイヴィティを感じるおそろしく貪欲なプロダクションです。

60周年のアニバーサリーを意味する”Diamond Jubilee”という題が指すところ、それはきっと戦後ポピュラー音楽の歩みそのものでしょう。その60年の軌跡のどこにも属さない、ほんの数か月前に産み落とされただけの作品のはずなんですが、既に我が物顔で不朽の名作が如き佇まいを見せている大胆不敵なこの1枚。ここで断言してしまいましょう、間違いなく2024年の年間ベスト、その筆頭候補となる震撼の傑作が誕生しました。

“Mika’s Laundry”/Matt Champion

Matt Champion & JENNIE – Slow Motion

Matt Champion“Mika’s Laundry”も、X上でレコメンドされるのをよく見かけましたね。2月Mk.geeが発表した“Two Star & The Dream Police”との比較も目立った気がします。BROCKHAMPTONというヒップホップ・グループのメンバーだったようですが、同グループは現在活動停止中、ソロ・ワークとしては1stにあたる作品です。

ヒップホップの領域にいるアーティストではあるんですけど、本作のイメージってどちらかというとベッドルーム・ポップに似ていると思います。それもベッドルームという物理的な空間になぞらえるのであれば、ずいぶんと散らかった部屋の印象でね。サウンドスケープそのものはこじんまりとしたものではあるんですけど、その中で繰り広げられる表現の多彩さには目を見張るものがあります。部屋中を引っ搔き回して、思いつくままにサウンドを配置していく、そんな奔放な創作意欲と自由な表現性が感じられるんですね。

その多彩さというのが、たとえば密室ファンク的な音の空白であったり、80’sソフィスティ・ポップに通ずるセピア色のメランコリーであったり、静謐の中繰り広げられる細やかなトラック・メイキングであったり。こうしたとっ散らかりの中に共通項を見出すのであれば、それはトラックを構成する楽器の鳴り方、その1つ1つがすごく我が強いという点でしょうね。調和の中に美学を見出すというよりは、各々が個性を主張することで、全体としては閉じた世界観の本作に一気に奥行きと先の読めない楽しさを与えているように思います。

Mk.geeとの比較というのも、この点に起因するのかなと思うんですよ。別の名前を挙げるのであれば、本作にも客演しているDijonでしょうかね、彼らに共通する文脈があるような気がしていて。それというのが、ハンドメイド感溢れる、パーソナルで独創的、かつ緻密なポップスというものです。それこそDijonの“Absolutely”は近年のシーンを語るうえでしばしば引用される1枚ですけど、そういった潮流が今後巨大なものになることを予期させる作品でした。

“AUDIO VERTIGO”/Elbow

さて、ここいらでロックの作品も触れてみましょう。まずはこちら、Elbow“AUDIO VERTIGO”です。2008年発表の“The Seldom Seen Kid”はしばしば名盤ガイドでも目にしますし、記憶が確かなら「死ぬまでに聴きたい1001枚のアルバム」リストにも登場する作品なんですが、彼らの活動自体は1990年代からと結構なベテラン・バンドですね。

もともとすごくシックでディープなロック、テイストとしてはニュー・ウェイヴ/ポストパンクを参照した00’sインディーってな感じの彼ら。時代的にもテクスチャの上でもThe Nationalと重なるところが大きいんですけど、Elbowは誤解を恐れずに表現するともっと地味。いや、滋味豊かと表現しておきましょうか。そんな控えめな魅力は、本作でも遺憾なく発揮されていますね。それは艶やかなメロディの気品にしろ、引き出しの多いサウンド・プロダクションにしろ。

私は恥ずかしながらElbowのカタログは前述の”Seldom~”しか聴いていないんですけど、あの作品から15年以上の歳月を経ても地続きに聴くことができる、そのステディな表現性って素晴らしいと思います。もっとも、本作に関してはよりアダルティな円熟味を増している印象があるんですが。なんとなくLed Zeppelinの“No Quarter”を連想させるサウンドの揺らめきと、Guy Garveyのたっぷりとした歌声の相性にフォーカスが向けられていて、じっくりと腰を据えて聴きたくなるような作品です。

ここまでのレビューでおわかりいただけるかとは思うんですけど、鮮烈なる傑作!みたいなアルバムではまったくないんです。ただ、フォークやカントリーとも違う、あくまでロック・スタイルの中で生まれる妙な耳馴染みのよさ若干の歪さを孕みつつも聴かせてくる盤石な滑らかさ、ここがすごく魅力的で。こういうスモーキーなアルバムがしれっとチャート1位を飾るイギリスの文化土壌って、やっぱり素敵だなと思いません?

“corpos de água”/sonhos tomam conta

oração do mar

続いてはブラジルから。サン・パウロで活動する宅録シューゲイズ・アーティスト、sonhos tomam conta“corpos de água”ParannoulAsian Glowといった、韓国産シューゲイズの面々とも交流の深いアーティストですね。実際、連名でアルバムを発表していたりします。

宅録シューゲイズというのが音楽ファンから国際的に注目を集めている、その現象の背景をぴしゃりと証明する1枚ではないでしょうか。嵐のように迫りくるギターの轟音に包まれ、今にも搔き消えそうなメロディ・ラインが切迫したムードを演出する。これだけなら90’sシューゲイズの典型なんですが、そこにエモブラック・メタルの要素を取り入れた激情がブレンドされています。この手法は先ほど名前を挙げたparannoulとも共通していますね。

そこにsonhos tomam contaの独自性、あるいは彼の在するブラジルの土着性を見出すならば、そうした激情の隙間に挟み込まれるメロディ・ラインの甘さ、これがものすごくブラジル音楽的という点でしょうか。ボサノヴァとまではいかないんですけど、クラシカルなMPBの名作にも通ずる伸び伸びとした柔らかさとおおらかさがあってね。そのうえでデス・ヴォイスのような破滅的なロック・アプローチを共存させているのは、なかなか如才ないと思いますよ。

これはものすごく乱暴な主張ですけど、シューゲイズって“Loveless”の時点である程度完結している音楽性といいますか。そこにどういう独自性を持たせるかというのが重要なテーゼだと私は思っているんですけど、土着性というアプローチは巧いなと思いますね。そしてこれって最早シューゲイズに限らず、現代ロック全般において参照し得る解決策なのかなと思ったりもして。

“Underlight & Aftertime”/downt

downt – 13月 (Official Music Video)

さあ、最後に邦楽からも。これはXである方が称賛してらっしゃったのを見かけて知ることができた1枚です。2021年から東京で活動しているスリーピース・バンド、downtの1stフル“Underlight & Aftertime”です。海外でも徐々に評価が高まっているみたいで、インディー・シーンにとって待望の1枚という感じでしょうか。

これまた実に私好みのオルタナティヴ・ロックが生まれたじゃないですか。ギターが繊細なアルペジオや生々しく歪んだファズ・サウンドを鳴らす一方、ベースとドラムは極力シンプルにタイトなリズムを刻む。全体としてかなり重心の低いヘヴィな仕上がりで、サウンドはものすごくローファイ。アニソンやボカロと結びついた今日のJ-Popが見せる音の密度とはまるで対極に位置する、これっきゃないという音だけを配列していく侘しさすらある音楽性です。

その侘しさとともに去来する激情の成分、これは主にギターだったりヴォーカルの切迫した表現だったりに感じる部分ですが、これが実にエモーショナルでゾクゾクさせられますね。この作品を聴いた時に、凛として時雨を連想させられたんですよ。彼らのように技巧やスピードで圧倒する訳でもなく、ハイ・トーンのヴォーカルで切り裂く訳でもないんですけど、ギター・オルタナティヴの枠内で描く焦燥の情景が一致しているという印象です。

このdowntももちろんそうですし、少し前にXでやたらメンションされてた札幌のテレビ大陸音頭もそうですが、日本のこういうインディー・シーンも追いかけていくとやっぱり面白いですね。Xでは書いたんですけど諸々の事情で今東京に移り住んだので、この辺りは実際に体験して見聞を深めていきたいと思います。

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