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1980年代の洋楽史を徹底解説!§0. 1980年代は「光と陰の時代」である

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2021年に敢行した洋楽史解説、ご覧になっていただいたでしょうか?

1960年代編1970年代編、それぞれかなりの長編にはなっていますが、それだけ読み応えのある自信作です。まだお読みでないという方は是非。一度ご覧になったという方も改めてお読みいただけると幸いです。

さて、ここまでくれば最後まで駆け抜ける他ありません。続編となる1980年代編にも着手していきます。

今回はその初回ですが、§0.とある通り、個別の音楽ジャンルやある瞬間の変遷に注目するのではなく、1980年代を俯瞰した時に見えてくる時代の特質についての概論となります。今後の解説を理解する上での骨子となる部分ですので、退屈に思われるかもしれませんがお付き合いください。それでは参ります。

1980年代の社会

まずは1980年代というディケイドにおける社会のムードを理解していきましょう。このブログでも何度か引いている「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉、これは音楽史において何より重要な価値観ですから。

1980年代という十年紀は、戦後最もめまぐるしい時代と言っていいでしょう。国際社会最大のトピックだった東西冷戦は1980年のソ連によるアフガン侵攻で緊張が走りますが、ソ連の改革により緊張は緩和、1989年にはベルリンの壁が崩壊し冷戦は終結に向かいます。

西側諸国ではアメリカやイギリス、日本で新自由主義が採用され社会のあり方が大きく変容していきますし、アジアでは民主化が進みASEAN諸国は経済的に大いに発展します。その一方で、中南米の経済破綻は最悪と言える状況ですし、アフリカの飢餓や貧困は目を覆いたくなるほどの惨状です。

あくまでこのシリーズは音楽史解説ですのでこれ以上の言及は控えますが、これほどにめまぐるしい時代であること、その只中に人々は生きていたことは1980年代ポピュラー音楽を理解する上で肝要であることを、ここで改めて主張しておきます。

1980年代の「光」

ここからは音楽の話題に移ります。とはいえ、あくまで概論に過ぎないものではありますが。

先に触れた時代性、これを当然反映して1980年代のポピュラー音楽は展開されていきます。そしてそこには、対照的な2つの性質を認めることができるでしょう。それすなわち、タイトルにも冠した「光と陰」です。

まずは「光」の部分。一般に1980年代の音楽を懐古する時、こちらに注目されることが多いように思います。これは華やかでショウアップされた音楽、いっそう大衆的になり産業化した音楽です。

その象徴こそ、1980年代を、あるいはポピュラー音楽を代表する偉人、マイケル・ジャクソンです。彼が1982年に発表したアルバムスリラー7000万枚にものぼる史上最大のセールスは、1980年代ポピュラー音楽の「光」を端的に示しています。

Michael Jackson – Thriller (Official Video)

MJに関連して言えば、MTVはこの「光」を支えた格好のステージです。かつてラジオで、あるいはディスコで体験するものだった音楽は、自宅のリビングでテレビを通して体験するものへと変容していきます。これは明らかに音楽の大衆化を促進した出来事でしょう。

a-ha – Take On Me (Official Video) [Remastered in 4K]

また、ロックの世界でもこの「光」は強烈です。いわゆる「産業ロック」に顕著な親しみやすく大衆的なロックは1980年代の初頭に隆盛を誇りましたし、「第2次英国侵略」と呼ばれるイギリスのニュー・ウェイヴ・シーンのアメリカでの台頭も、やはり華やかでキャッチーなアピールを特徴としています。

Duran Duran – Hungry like the Wolf (Official Music Video)

ハード・ロック的なアプローチのバンド群も、このMTVのステージを利用すべく戦略を練ります。グラム・ロックを彷彿とさせる派手な衣装やゴージャスなサウンドによって、彼らはテレビの向こうの大衆にリーチしていくように。日本ではLAメタルと呼ばれるジャンルがこれに該当します。

この「光」はなるほど確かに華やかですが、時代性を鑑みれば私はそこに「虚しさ」を認めることができると考えています。いわば空元気、疲弊する空気を強引に吹き飛ばすための強烈な光だったのではないかと。

1980年代の「陰」

次に見ていくのは1980年代の「陰」の部分です。

1980年代には前述した華やかなオーバーグラウンドのシーンの裏で、ひっそりと醸成されていたサウンドがいくつもあるのです。

例えばパンクをルーツとする新世代のロックでも、ニュー・ウェイヴが「光」としてチャートを席巻した一方で、アンダーグラウンドな方向に進んだ音楽があります。ポスト・パンクの一群や、ハードコア・パンクが該当するのですが。

Joy Division – Love Will Tear Us Apart [OFFICIAL MUSIC VIDEO]

また、今触れたハードコア・パンクに触発されて誕生したスラッシュ・メタルも、ルーツとしてはLAメタルと同じNWOBHMでありながら必ずしも「光」とは呼べないサウンドを展開していきます。より暴力的、より攻撃的なこの音楽性は、リビングでくつろぐファミリー層に受け入れやすいものとは到底言えませんから。

Seek & Destroy

ポストパンク、ハードコア、そしてスラッシュ・メタル、今挙げたこれらの例は、ある共通の音楽潮流を元に時代性の反映の過程で分岐したと言えます。しかしながら、当然独自の「陰」というのも存在しています。それは、オルタナティヴ/インディーの萌芽となる数々の音楽です。

インディー・シーンから登場したバンドの中でも、イギリスのザ・スミスとアメリカのR.E.M.は今日までインディー・ロックの先駆者として高く評価されていますし、アメリカではジーザス&メリー・チェーンらを嚆矢としてオルタナティヴ・ロックのスタイルが水面下で形成されています。

「陰」と表現するだけあって、一般的にこうした音楽性が1980年代のポピュラー音楽を代表するものとは必ずしも言えません。しかしながら、このシリーズを単にベストヒットUSAのオマージュに終わらせないためにも、この側面は「光」と同じだけ頻繁に取り上げることになるでしょう。

ヒップホップの存在

さて、過去2回のシリーズにおいて追いかけてきた音楽ジャンルというのは、大きく分類してロックソウル、この2つです。

どちらにも分類し難いポップス全般や、あるいは1970年代編で個別に扱ったジャズといった例外もありますが、それまでのポピュラー音楽はこの2大勢力によって牽引されてきたことは紛れもない事実。

しかしながら、1980年代にはその2大勢力に割って入る音楽が登場します。そう、ヒップホップです。

ヒップホップは1970年代から存在こそしていましたが、音楽としてシーンに台頭し存在感を発揮するのは1980年代に入ってから。そしてこのヒップホップは、今日に至るまで極めて重要な音楽性です。

この突如現れたヒップホップの意義や変遷に関しても、当然このシリーズでは慎重かつ詳細に語っていくつもりです。

まとめ

冗長な議論になってしまった感も否めませんが、今回の内容は以降の解説の中で基盤となる価値観です。「光と陰」の時代、1980年代。この前提を理解していただけると今後の解説がより明瞭になるのではないかと思います。

それに伴い、次回以降展開するテーマ毎の解説は、単にタイムラインを追いかける構造を取らないことを予め明らかにしておきましょう。一度「光」の側面に注目し、その後に「陰」の側面を振り返る。同じ10年を、違った角度から二度に分けて追想する予定です。

ということで次回から本編、まずは1970年代と地続きになるニュー・ウェイヴの歩みからスタートさせます。長丁場にはなりますが、よろしければお付き合いください。

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