色々準備していたネタはあったんですが、順番抜かしで急遽扱いたいトピックが出てきました。
ズバリこれです。フジファブリックの『若者のすべて』が高校音楽の教科書に採用されるというニュース!
このニュースを目にした時、本当に言いようのない感情になりました。「志村さんよかったね……」とも思ったし、「3人もフジファブリックを続けてくれてありがとう」とも。
また『若者のすべて』っていうのがいいですよね。ミーハーかもしれませんが本当に大好きな曲だし、特別な曲です。
いつもアルバム中心に講釈を垂れている当ブログですが、今回は緊急企画。この『若者のすべて』が如何にいい曲かというのを語らせていただきます。それでは参りましょう。
『若者のすべて』はフジファブリックの「例外」
『若者のすべて』は2007年に発表されたシングルで、3枚目のアルバム『TEENAGER』にも収録されています。
フジファブリックの代表曲というと、多くの方はこの曲を連想するんじゃないでしょうか。バンドのレガシーを飛び越えた、スタンダードな名曲としての地位を獲得しつつあります。
ただ、この曲って実はフジファブリックらしいかと言われるとそんなことないんですよね。
彼らのサウンドって表現選ばずに言うと変態的というか、プログレ的な瞬間もあるような音楽性なんですよ。
キーボードだったりギターだったりのアプローチは一筋縄ではいかないんですけど、それでいて奇妙な収まりの良さがある。そういう歪なバランス感覚を持っているバンドだと、少なくとも私は認識しています。
でもこの『若者のすべて』はどうです?破茶滅茶に真っ直ぐでしょ?
もう「これが名曲じゃないなら何が名曲なんだ」とでも言いたくなるくらい、奇を衒わない真摯さがある楽曲ですよね。
サビに入る前のフレージングにフジファブリックらしさみたいなものはあるんですが、それもむしろこの曲の豪速球ストレートぶりにとっての隠し味のような作用で。
そういう真っ直ぐさがある楽曲だからこそ、教科書に採用されたんでしょうね。
素晴らしい歌詞世界
ぶっちゃけこの曲の良さって聴いてもらえれば十二分に伝わるのでここからは蛇足も甚だしいんですが、これは是非とも言及したい魅力です。
何かというと、この曲の歌詞ですね。
まず断っておくと、この曲の歌詞は「文学的」ではないと思っています。
文学的という言葉がそもそも文学的じゃないというか、安売りされすぎな感もあって個人的にあまり好きな表現ではないというのもあるんですが、それとは別に根拠があって。
この曲の歌詞の筆致というのは、どこまでも一人称的なんですよね。
飾ったところもなければ大袈裟なところもない、素朴なモノローグのようなんです。
そういう歌詞表現が、この楽曲の真摯さと合わさってとてつもなく胸を打つんだと思います。
さて、こっからは実際に歌詞を見ながら進めていきましょう。
真夏のピークが去った
天気予報士がテレビで言ってた
『若者のすべて』より引用
ああ、もうこの歌詞が最高です。
この投げやりさというか関心のなさ、これがいいですよね。
志村の歌声って、別に上手くもなんともないんですよ。声も伸びないし、音も結構外すし。
でもすごく魔法のかかった声なんですよね。この人が歌うだけで、そこには切実さが込められてしまう。最高の声の持ち主ですよ本当に。
歌詞を読むに、おそらくこの曲の主人公である「僕」は花火大会に向かうのでしょう。
夕方5時のチャイムが
今日はなんだか胸に響いて
『若者のすべて』より引用
この花火大会というのは彼にとって特別な意味を持つものみたいです。
そしてサビの歌詞、
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
きっとね いないよな
会ったら言えるかな
まぶた閉じて浮かべているよ
『若者のすべて』より引用
ここで明かされるのは、「僕」が何度もこの花火大会に足を運んでいること。そしてかつてこの花火大会で何某かがあり、「僕」にとってそれは忘れられない出来事だったということ。
無茶苦茶遠回しに表現しちゃいましたけど、まあ要するに想い人との別れでしょうね。
個人的にこういう甘酸っぺえ話は苦手な部類なんですけど、この歌詞のすごいところって「愛」とか「恋」とか「好き」とか一言も登場しないんですよ。
なのに凡百なラブソングなんかより、もっとずっと真に迫るものがある。本当に凄い歌詞だと思います。
続いて2番ですね。
世界の約束を知って
それなりになって また戻って
『若者のすべて』より引用
1番からある程度の時間が流れたことを予感させますね。それでもなお、「僕」は思い出の花火大会に戻ってくるようです。
途切れた夢の続きを
取り戻したくなって
『若者のすべて』より引用
この歌詞からは、私は漠然と『秒速5センチメートル』を想起するんですよね。過去が呪縛のように「僕」にまとわりついている、そんな印象です。
そして2回目のサビですけど、ここの歌詞は1番と全く同じ。つまり、これまで同様再開は果たせなかったということですね。
さあ楽曲もいよいよクライマックス。大サビに入ります。
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな
『若者のすべて』より引用
ああ、そうだよな、いないよな……と思うじゃないですか?思うんですよ。ただこっからですよね。
なんてね 思ってた
『若者のすべて』より引用
……ん?
まいったな まいったな
『若者のすべて』より引用
……んん??
話すことに迷うな
『若者のすべて』より引用
…………会えたぁぁ!!!!
いや、そりゃありきたりと言えばありきたりですよ。ただわかってても感動するじゃないですか。何回聴いてもここで鳥肌が立つんですよ。感動屋なもんでして。
で、ここまで感動的に再会まで描いたというのに
最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな
同じ空を見上げているよ
『若者のすべて』より引用
でサラッと終わっちゃうんですよ。
「僕」と「僕」の待ち人がどうなったのか、それを一切明かさないんです。「同じ空を見上げているよ」と歌っている以上、同じところにはいられないんでしょうけれど。
これで『若者のすべて』の歌詞は一通り噛み砕いてみましたが、もう一点。
この曲のワードセンスで特記しておきたいのが、この楽曲のタイトル。『若者のすべて』という言葉です。
一度も登場しない言葉なんですよ、『若者のすべて』なんてのは。でもこのタイトルでしかありえないと思わせる的確な表現は本当にシビれます。
別に楽曲に出てこない言葉をタイトルにしている例はそう珍しいものでもないですよね。『ボヘミアン・ラプソディ』だったり『ロビンソン』だったり。
ただ、『若者のすべて』はこの曲の世界観を一切の抽象性を持たず、ストレートに描いています。その言葉選びの見事さたるや。
おわりに
実はこのブログで1つの楽曲だけを取り上げる記事というのは初めての試みでしたが、お楽しみいただけたでしょうか。いつになく行き当たりばったりな内容の自覚もあるんですけど、それはご愛嬌。
この時期に『若者のすべて』を取り上げることができたのも何か運命じみたものを感じますよね。まあ、「「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて」と歌われているんですけど。
『若者のすべて』はBANK BANDや槇原敬之、藤井風といった面々にカバーされて歌い継がれてきましたし、志村の故郷である富士吉田では期間限定ではありますが「夕方5時のチャイム」がこの曲になっています。もう日本人の原風景になりつつあるのは事実なんですよね。
ただ、教科書となると規模も変わってくるでしょ?日本のポピュラー音楽で教科書に載った例って他にあまり耳にしませんし、洋楽でもビートルズとかカーペンターズとか、そのレベルの伝説じゃないとない話です。
そこに、言ってしまえばJ-Rockの一派であるフジファブリックの楽曲が仲間入りするって凄いことだと思います。同時に、『若者のすべて』なら当然だぜっていう他人事ながら誇らしさもあったりして。
どうかこれからも『若者のすべて』が歌い継がれますように。それではまた。
コメント
はじめまして!フジファ好きには堪らない丁寧な1曲解説でした……!
サカナクションの「目が明く藍色」もよければ解説していただきたいです。あの映画かと思うような曲の運び方、サカナクションファンや山口さんからの愛の強さ等も含めて解説していただけたらと思います。よろしくお願い致します。
コメントありがとうございます!お楽しみいただけて嬉しいです。
『目が明く藍色』、私も大好きな楽曲です。すぐにでも執筆いたしますので、お楽しみいただければ!
こちらこそありがとうございます!
楽しみにお待ちしております!