日本人の洋楽観って結構UK贔屓な部分があると思っていて、アメリカのメディアではそこまで評価されないけど日本では人気、みたいな作品やアーティストはいくつか思いつきます。有名どころでいうとオアシスやクイーンなんかがそうですね。
今回取り上げる『ザ・ストーン・ローゼズ』もそういうタイプの作品だと思っていて、この作品自体は1989年リリースですけど、90年代のUKロックを語る上で巨大な存在感を持つ一枚です。ただその頃になるとUSとUKの音楽カルチャーってかなり分離しつつあるので、どうしても世界的な評価には繋がっていない印象があるのも事実。本国イギリスや日本での評価は絶大なんですけどね。
さて、この作品を語る上でまず抑えておかないといけないのがマッドチェスターというムーヴメント。詳しくはwikiなんかを参照してもらえればと思いますが、ものすごく大雑把な解釈をすると「80年代版サイケデリック」みたいなもので、アシッド・ハウスからの影響を感じるダンサブルなビート感に、ドラッグ文化を反映させた浮遊感のある享楽的なサウンドが特徴のカルチャーです。そして、そのマッドチェスター・ムーヴメントを代表する作品こそが、セルフ・タイトル作でもあるバンドの1st、『ザ・ストーン・ローゼズ』な訳です。
ただ、これは後追いの私だからかもしれませんが、この作品にハウスのように踊れる感覚はあまりないんです。ビート自体はあとで詳しく書きますけどとても耳を引くものなんですが、全体としてはむしろじっくりと聴き入ってしまう、そういった印象があります。というのも、ロックの名盤としてこの作品を捉えた時に個人的に一番近い存在がサイケ・フォークの頃のザ・バーズで。『ドント・ストップ』なんて1967年にタイムスリップしたかと思うほどにサイケですからね。
さっきも書いた通り、マッドチェスターはサイケデリアと文化的背景がかなり近しいので似てくるのはある種当然なんですが、繊細なメロディや大きくメロディを包み込むサウンドスケープもそうですし、何よりこの霧に包まれたような切なさがとても似ている。アルバム・ジャケットにはレモンの輪切りがあしらわれていますが、すごくイメージにマッチしていると思います。甘酸っぱく、そしてほろ苦い、そういったロックの普遍的な魅力をこそこの作品には感じるんです。
作品の内容に関して細かく見ていくと、まず耳を引くのはギターだと思います。この作品を聴くたびに、本当に器用なプレイだなと感心してしまいますね。強烈な主張をするスタイルではなく、基本的にはアルペジオを主体にして作品を支えるようなポジションにはあるんですが、これが実に印象的で。かと思えば『エリザベス・マイ・ディア』ではパンチのあるリフを披露していたりなんかもするんですよね。この楽曲自体はこれぞザ・ストーン・ローゼズという心地よい浮遊感に溢れていますが、如何にも不穏なこの毒々しいイントロがいいアクセントになっています。
ただ、やはり特筆すべきは『ウォーターフォール』なんかに顕著な瑞々しいサウンドでしょう。まるで水晶が煌めくような美しさは、伴奏に徹しているとは思えないほどに目立っています。気だるげなヴォーカルや切ないメロディをクリアに引き立てる、作品に奉仕するタイプの素晴らしいプレイ。さっき表現した甘酸っぱさやほろ苦さ、そういった本作のカラーの成立にはかなりこのギター・サウンドの貢献が大きいのではないでしょうか。
そのギターが引き立たせているのが、イアン・ブラウンの歌声ですね。このヴォーカルもとても面白くて、作品全体を通して薄いヴェールがかけられたような距離感と曖昧さがあるんです。1曲目の『アイ・ワナ・ビー・アドアード』からその特長は表現されていて、バンド・サウンドに包まれて謎めいた響きがありますよね。アレンジの部分でもここは強調されているとは思いますが、それ以上に彼の歌唱法から意識的なものを感じます。この辺りはやはりサイケデリック・ロック、それこそさっき例に挙げたザ・バーズにも通ずるところを感じる訳ですが、その浮遊感がルーツなのでしょうけど、それを80年代のサウンド、ましてやロックとハウス両方のテイストを持つ作品の中で聴くと本当に特別な響きになります。
この語りかけるような霞んだ歌声に関しては、私はザ・スミスのモリッシーの影響を指摘したいです。作品の中心にいるのに、どこか遠くからこともなげにこちらを見ているような、そんな感覚がこの両者には共通しているような気がします。爽やかなはずのメロディを気だるげに鬱々と表現してみせるアプローチにも近しいものを感じますね。特に参照したインタビューや文献はありませんが、UKインディーの文脈で見ればザ・スミスはゴッドファーザーのような存在なので、当然ブラウンも彼の影響下にあると見ていいでしょう。
そして、個人的にこのアルバムで最も重要なエッセンスだと認識しているのがドラムです。先程述べた私の感覚はさておき、今作がダンス・ミュージックの影響下にあることは事実な訳で、その要素が最も色濃く表現されるのはやはりビート。しかもここまでに書いたように、ギターやヴォーカルが主役を張るような表現を敢えて取っていないからこそ、この作品の中でのリズムの存在感は必然的に強くなるんです。その高い要求値をドラマーのレニは軽々とクリアしていて、最高のドラム・プレイがどの曲でも聴けます。
具体的な例を挙げればキリがないほどに名演揃いですが、その多彩さが素晴らしいんです。最終曲『アイ・アム・ザ・レザレクション』では直線的な演奏でフィナーレに相応しい力強さを演出していますが、『バイ・バイ・バッドマン』の軽快なシャッフル・ビートも秀逸です。ギター同様、楽曲に寄り添ったプレイなんですよね。かつビートの重要性を理解したアイコニックなサウンドも獲得しているという。ここまで巧いドラムはそうそう聴けるものではないと思います。そしてそのドラムを補強するかのようなベースもニクい。リズム隊としてはかなり理想に近いんじゃないでしょうか。
ギター、ヴォーカル、そしてリズム。これらがアルバムという空間の中に見事に配置され、サイケとハウスという音楽性によって縫い合わされ、閉鎖的な広がりを見せているのがこの作品の見事な点なんです。そう、閉鎖的な広がり。それこそ60年代のサイケの名作を思えば、極彩色のパラレル・ワールドにトリップさせることこそあれど、この作品のようにあくまで閉じた空間で飽和するかのように展開する音像はなかなか出会えません。ロックではなかなかないアプローチだと思いますが、この辺りもハウスからの影響なのでしょうかね。息苦しさはないですし、むしろ多幸感に満ちた作品ではあるんですが、密室感も確かにそこにあります。
この独特の密室感が90年代のUKロックに与えた影響というのはとても大きいと思うんですよね。80年代のロックというのはMTVの存在もあって、かなり大衆的でオーバーなものが支配的でした。ヘヴィ・メタルやニュー・ロマンティックはまさにそういう流れを汲んだものですけど、そこから離脱して、ロックの持つ影や陶酔、そしてごく小さい規模での爽やかさというものを取り戻した作品だと思うんです。マッドチェスター自体はそこまで長く続いた文化ではないですし、この作品に似たサウンドが90年代に跋扈したという訳ではないんですが、80年代との決別という意味において非常にエポック・メイキングな1枚であることは紛れもない事実でしょう。
ベーシストのマニは本作を会心の出来と認めるとともに、ピンク・フロイドの『狂気』と本作は時代の中で同じ性質を持っているとも言及しています。当時を生きる多感なティーンエイジャーならば必ず触発される、ロックの通過儀礼のような作品であると。その通過儀礼を経た結果こそがザ・ラーズであったりオアシスやブラーであったりするんですね。90年代のUKロックといえばブリットポップですし、その背景に60年代ロックやモッズ文化があることは明らかですけど、この『ザ・ストーン・ローゼズ』という作品が示した時代のあり方というものも是非意識してみてほしいと思います。そのあり方というのは案外今日のロック・シーンでも通用するものですからね。
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