さて、今回で第3回(厳密には§0.を勘定に入れて第4回ですが)を迎えた1970年代洋楽史解説特集。バックナンバーはこちらのカテゴリからどうぞ。まだまだ続きますので、定期的に読み返していただけると理解の一助になるかと。
今回扱うテーマはグラム・ロック。前回の予告でも申し上げた通り、1970年代初頭のUKロックに置いて、ハード・ロック、プログレッシヴ・ロックと並び人気を博したジャンルの1つです。
この2つと比べるとややマイナーな音楽性であることは事実ですが、それでも歴史的意義と結びつけると重要なテーマであることは疑いようがありません。
そしてこれまで何度か触れてきた、「ロックの商業化」という文脈にも今回はより踏み込んでいきたいと思います。それでは、参りましょう。
グラム・ロックとは?
まずここからお話せねばなりません。グラム・ロックとは何か?
ハード・ロックとプログレッシヴ・ロックは、そのルーツが同じサイケデリック・ロックのムーヴメントにあるというのは前シリーズにあたる1960年代洋楽史解説から何度も言及してきました。
しかし今回扱うグラム・ロックは、そうした流れとはやや距離があるものです。
そもそも、「グラム・ロック」は音楽ジャンルではありますが、その定義は音楽によるものではなく、アーティストの外見やステージングに依拠するもの。
中性的なメイクや派手な衣装というグラマラスで退廃的なアピール。これがグラム・ロックに共通する特徴です。なにせその語源は「glamarous(魅惑的な、グラマーな)」ですから。
こうした音楽性が流行した要因としてしばしば指摘されるのが、以前こちらで解説したヒッピーによるフラワー・ムーヴメントの揺り戻しです。
ヒッピーはフリー・セックスをはじめとした自然的な生活様式を打ち出し、そのファッションも非常に非人工的なものでした。しかし、彼らの目指した理想郷は、1960年代の終末と共に夢物語となってしまいます。
その反動として、如何にも人工的、如何にも作為的な美的センスが大衆に受け入れられたのではないか。そういった指摘です。
もっとも、私個人としては、そこに「ロックの商業化」というものも大いに関連していると考えています。それに関しては本章の最後に語るとしましょう。
グラム・ロックの台頭〜マーク・ボランとデヴィッド・ボウイ〜
ではここから、いよいよグラム・ロックの動向を見ていきましょう。
何を置いてもまず語るべくは彼でしょう。マーク・ボランです。そして、彼が率いたロック・バンド、Tレックス。
今日まで名を残すグラム・ロックのアーティストでは最も早くに成功を収めたのがこのTレックスです。
それまでもミック・ジャガーやジム・モリソンといった強烈なセックス・シンボルはロックの世界に存在しましたが、マーク・ボランのアピールはより大胆。
化粧を施し、これ以上なく派手な衣装に身を包み、どこまでも退廃的にロックを展開したこのバンドは紛れもなくグラム・ロックの雛形と言えるでしょう。
そしてこのTレックスの成功を契機に、多くのグラム・ロック・アーティストが登場します。
現代において最も著名なグラム・アーティスト、デヴィッド・ボウイもその1人。
しばしば彼をグラム・ロックの創始者とする記述が見られますが、これは完全なる誤りです。彼はあくまで、グラム・ロックという既存のスタイルに自身を埋没させていったと理解すべき。
もっとも、彼は単なる二匹目のどじょうを狙ったのではありません。グラム・ロックとしてのボウイで特筆すべきは、その極端な演劇性です。
ボウイの最高傑作と名高い『ジギー・スターダスト』でそれは顕著で、彼は最早「デヴィッド・ボウイ」であることすらやめ、火星からやってきたバイセクシャルのロック・スター「ジギー・スターダスト」を自称するようになります。
ザ・フーの『トミー』のようにアルバム作品の中で1つの物語を展開する例は以前からありました。しかしボウイは、その徹底が尋常ではありません。
ステージにおいても常に「ジギー・スターダスト」のペルソナを被り、山本寛斎の手がけたゴージャスでエキセントリックな衣装やパントマイムに着想を得たステージングで、一部の隙なく異星のロック・スターになりきったのです。
これはロックの性質である内的衝動の発露、魂の叫びとは正反対と言えます。なぜならそこにいるのは、この世に存在するはずもない火星人なのですから。
こうした外的な表現というのもグラム・ロックの個性と言っていいでしょう。そしてこれは、本章の最後で展開する自説の重要な論拠にもなってきます。
さて、話をD・ボウイに戻して。
ボウイはグラム・ロックのシーン全体においても活躍します。モット・ザ・フープルがグラム・ロックに転向し成功を収めたのもボウイの助言がきっかけで、バンド最大のヒット曲『全ての若き野郎ども』もボウイのプロデュース。
イギリスから離れアメリカに目を向けても、盟友であるイギー・ポップやルー・リードの作品にグラムの妖艶さを追加したのはボウイの働き。
また、ここでは名前を挙げるだけに留めますが、その他にもスウィートやスレイド、ザ・スパークスといったバンドがUKグラム・シーンでは人気を博しました。現代においてはややカルト的なバンド群ではあるものの、彼らがグラム・ロックの最盛期を現出したことは事実です。
アメリカでのグラム・ロック
ここまでに見てきたのはイギリスでの動向ですが、グラム・ロックはハード・ロックほどではないもののアメリカでも一定の発展を見せます。
その動向の重要人物として真っ先に名前が挙がるのが、アリス・クーパー。
「ジギー・スターダスト」の誕生とほとんど同じタイミングで、彼はステージに首吊りにギロチンに電気椅子といった衝撃的な舞台装置を持ち込みます。
そのシアトリカルなステージングは「ショック・ロック」とも形容されますが、その過激で心踊るエンターテイメントはアメリカのロック・シーンの1つのフォーマットになっていきます。
グラム・ロックとは言えないものの、§1.でも登場したキッスの痛快なステージ(ジーン・シモンズは火を吹き、ポール・スタンレーは空を飛び回ります)はアリス・クーパーの直系に位置付けられるでしょう。
そしてかなり時代は下りますが、ブラック・サバス脱退後のオジー・オズボーンや、ガンズ・アンド・ローゼズを筆頭にしたLAメタルにもその影響は色濃く見られます。
そしてアメリカでは、先ほど名前を挙げたイギー・ポップやルー・リードも、この時期にデヴィッド・ボウイの影響でグラム・ロック的な表情を作品に取り入れるように。
興味深いことに、イギー・ポップもルー・リードも、本シリーズのハイライトとなるパンクを始めとしたオルタナティヴ・ロックの草分け的存在として評価されている人物です。
このことからわかるように、グラム・ロックは単に華やかな虚仮威しではなく、表現としての確かな奥行きを持っています。
退廃的な表現はヨーロピアンな美学に根ざしたものでしょうし、そもそも黒人奴隷の嘆きに端を発したロックンロール、そしてロックがここまで大々的にその表現の対象を外部に向けたこと自体画期的。
このことから、グラム・ロックも紛れもなく、ロックの多様化の軌跡の重要な足跡として評価すべきと私は考えています。
グラム・ロックに見る、「ロックの商業化」
さて、ここからはグラム・ロックが1970年代初頭のポピュラー音楽において如何なる意味を持つかについて。
結論から申し上げると、冒頭で触れた通りグラム・ロックは「ロックの商業化」の象徴として認識することができるのではないかと私は考えています。
断っておくと、決してグラム・ロックは世界的ヒットを連発したムーヴメントとは必ずしも言えません。むしろそれはハード・ロックやプログレッシヴ・ロックにこそ当てはまる性質でしょう。
ただグラム・ロックのスタイルは、1970年代におけるロックの性格の変化を示唆していると思うのです。
1960年代には、ロックは「娯楽」から「芸術」に変質しました。この歩みはこちらで解説していますので詳細は割愛します。
そしてその変質は、優れた音楽作品によって人口に膾炙されていきました。その奥行きを踏まえ、ロックが「娯楽」より更に巨大で資本主義的な「商業」として成立したのが1970年代。
レコードのセールスもライヴ会場の規模も、この時期にはかつてないほど巨大になっていきます。この時期にはロックは消費財的に、大量生産・大量消費されていきました。
そうした前提を踏まえると、これまでの如何なるロックより外向きでゴージャスでセクシーなグラム・ロックは、この「ロックの商業化」の流れを受けて支持されたのではないかと。
前回のプログレッシヴ・ロックの解説でも、かのジャンルが成功した要因に「時代の空気を反映した」という点を指摘しましたが、これはグラム・ロックにも当てはまります。グラム・ロックもまた、1970年代的なムーヴメントと言えるのです。
まとめ
今回のまとめです。
- イギリスにおいて、ハード・ロック、プログレッシヴ・ロックと鼎立する形でグラム・ロックがシーンに台頭する。
- グラム・ロックはマーク・ボラン率いるTレックスの成功を契機に、デヴィッド・ボウイらによって盛り上がりを見せる。
- アメリカでもグラム・ロックは一定の成功を収め、その過激なステージングは様々な形で後続に影響を及ぼすこととなる。
今回に関して、内容自体はややこじんまりとしてしまっています。グラム・ロックの勢力自体が、やはりこれまでに触れたジャンルと比較すると小さいものではありましたから。
それでも最後に触れたように、1970年代洋楽史という本シリーズの中で1970年代初頭のロックを議論するにあたって、グラム・ロックは軽んじてはならないと私は思います。
数回先で一大テーマになるであろうパンクも、その成立の背景にグラム・ロックが少なからず存在していますから。ニュー・ヨーク・ドールズなどはその典型です。
さて、今回をもってこのシリーズの第1部完というのが私の感覚です。「UKロック三竦み」とでも命名しておきましょうか。
ということで、次回はやや箸休め的なコラム記事を。この3回の中で触れずにいた、あるいは触れられないでいたバンドが存在します。誰もが知るビッグ・ネームなのですが。
次回は彼らを音楽史評論の観点から分析してみようかと思います。それではまた次回。
コメント