さて、第5回ですね。そろそろ終わりも見えてくる頃でしょうか。今回も今回とて1960年代の洋楽の歴史を総ざらいしていきましょう。バックナンバーはこちらから。
今回見ていくのはズバリ「サイケデリック・ロック」の世界。実はサイケ特集は既に一度やっているんですよね。このブログの人気企画「5枚de入門」シリーズでサイケの名盤に関してトークしています。
ただ↑の記事では作品1つ1つにフォーカスしているので、サイケデリック・ロックのなんたるか、そしてその歴史的意義というのはあまり触れていないんですよね。なので今回はそっちを軸に語っていこうと思います。この記事と先に紹介した「5枚de入門」サイケ編をあわせてご覧いただければより楽しめるかと。
前置きもこの辺にしましょうか。いざ、目も眩むサイケデリックの極彩色の魅力を見ていきましょう。
西洋文化と「トリップ」の出会い
まずは「サイケデリック」とはなんぞや?ここからですね。
サイケデリック(英: Psychedelic )とは幻覚剤の服用によって生まれる精神的・知覚的イメージを表現した言葉です。流石にわかりにくいですね、むちゃくちゃ平たく言うと「ドラッグでブッとんだ時の感覚」のこと。そう、今回の裏テーマは「音楽とドラッグ」でもあるんです。
ドラッグはもちろん違法です。ただ、ここは誤解してほしくないんですが、1960年代当時、必ずしも全てのドラッグが法規制がされていた訳ではないんです。コカインやヘロインのようなハードドラッグは既に違法でしたが、今から見ていく「LSD」という薬物に関してはその限りではありませんでした。
さて、LSDという単語が出てきました。文脈からお察しの通りこれもドラッグなんですが、もう少し詳しく言うと幻覚剤の一種。摂取することで五感に影響を及ぼし、時間感覚すら拡張されると言います。
実はこのLSDによるトリップ、西洋社会以外には既に存在していたんです。マジックマッシュルームなんかが有名ですけど、LSDと似たような作用を持つものを摂取する文化はアジアやアフリカの土着的宗教文化で見られるもののようで。
ただ、禁欲的/文明的に発展していったキリスト教圏においてこうした経験は未知のものでした。その未知の経験は知識人の関心の的となり、学術的な研究がどんどん深められていきます。それは同時に、西洋文化とチベット仏教や老荘思想といった東洋哲学の交錯も意味していました。音楽の世界でも、インド音楽の受容というのはこの時期から見られる現象ですからね。
そして当然、このLSDはめざましい文化的進歩を成し遂げようとしていたポピュラー音楽の世界とも出会う訳です。これこそが、「サイケデリック・ロック」誕生の瞬間です。
サマー・オブ・ラヴ
音楽の話に入る前にここにも触れておきましょうか。1960年代中盤に巻き起こった「サマー・オブ・ラヴ」という現象について。
§3.で1960年代のアメリカにおける社会問題について言及しましたが、その中で「反ベトナム戦争運動」を見ていきましたよね。あの時はそれらがプロテスト・ソングと結びついていって……という文脈で話を進めましたが、この反戦運動のもう一つの象徴的な動きがこの「サマー・オブ・ラヴ」なんです。
ベトナム戦争の泥沼化は、アメリカ市民の中に不信感を生んでいきます。そうした人々の一部が、徴兵カードを焼き捨て、全身を花で飾り、「ラヴ&ピース」を声高に主張するようになります。このことから、この現象は「フラワー・ムーヴメント」とも呼ばれていますね。
さて、この「サマー・オブ・ラヴ」に同調した若者たちは、赤の他人とコミューンを形成したり、フリー・セックスを実行したりすることで新たな社会のあり方を模索します。こうした彼ら彼女らはヒッピーと呼ばれ、ヒッピーは当時最先端の音楽であるロックにも関心を寄せていきます。
従来の慣習に縛られない新たなスタイル、それはカウンター・カルチャーとして1960年代文化史の重要な要素となっていきます。ポピュラー音楽の場合、その表徴がサイケデリック・ロックだったんですね。
「サイケデリック・ロック」=精神拡張の音楽的表現
ここからはいよいよサイケデリック・ロックについて。
一言で言ってしまえば「ドラッグ服用によるトリップや幻覚を音楽で表現したロック音楽」のことです。これでは身も蓋もないですね、もう少し突っ込んで見ていきましょうか。
音楽を言葉で語るのも野暮なので、実際に聴いていただきましょうか。「世界初のサイケデリック音楽」とされている、ザ・バーズの『霧の8マイル』をどうぞ。
この退廃的なサウンドに、どこか尋常ならざる異質なムード、これぞまさしくサイケデリック・ロックといった趣の楽曲ですね。
余談ですけど、このザ・バーズって歴史的に見ると本当に重要な存在なんですよね。フォーク・ロックの文脈でも語り得るし、今回のようにサイケデリック・ロックの中でも先駆者ですし、もっと言えばのちにカントリーとロックの接続も彼らは試みる訳ですから。過小評価されているアーティストの筆頭だと思います。
閑話休題、このサイケデリック・サウンドは、革新的サウンドを求める当時のアーティストのニーズにマッチしていました。このことはザ・ビートルズの作品群でも最も重要視される『リボルバー』や『サージェント・ペパーズ』でサイケデリック・ロックが取り入れられていることからも明らかですね。
芸術としてのアプローチを探究する彼らがサイケデリックという手法を手に入れることで、以降のロック・シーンはサイケ一色に染まります。ここからはその具体例を見ていくこととしましょう。
サイケ・シーンから現れた伝説たち
このサイケ・ムーヴメントというのは本当に急速な勢いでポピュラー音楽を支配していきます。さっき例に挙げたザ・ビートルズはもちろんとして、それまで硬派なブルースやR&Bを発表してきたザ・ローリング・ストーンズすらもサイケ化しましたから。
そして、このムーヴメントは何もそれまでのスターだけのものではありません。ドラッグによる精神拡張は、多くの才能を音楽の世界に連れてきたんです。実際にいくつかのアーティストを個別に取り上げて見ていきましょう。
ジミ・ヘンドリックス
まずはこの人、ジミ・ヘンドリックス。日本では「ジミヘン」でお馴染みの伝説的ギタリストです。
さて、ヘンドリックスというとロック・ギターにおける伝説、満場一致で史上最も偉大なギタリストですが、彼の音楽もサイケ・シーンの文脈で語るべきアーティストの1人。
ヘンドリックスはアメリカ出身ですが、彼がデビューしたのはイギリス。まだ無名のヘンドリックスのプレイはしかし瞬く間にイギリスで評判を呼び、彼のギグにはザ・ビートルズを筆頭にUKロックの大御所が連日詰めかける事態に。
特に彼のプレイに衝撃を受けたのが、エリック・クラプトン。ロンドンの街中に「Clapton is god (クラプトンは神だ)」という落書きがされるほど当代随一のギタリストとされていた彼ですが、ヘンドリックスのプレイを一聴して愕然としたといいます。
彼のプレイは当時の他のギタリストと比較しても明らかに異質なんですよね、歪みまくったサウンドに独創的なコード、そしてブルース・フィーリングに根ざしたプレイ。白人が主役となっていた当時のロック・シーンにおいて、ブラック・アメリカンであるヘンドリックスの感性は到底真似できるものではなかったんです。これは優劣の話ではなく、あくまで文化的な背景の問題として。
彼の登場以降、ギタリストの中でブルースは至上命題になっていき、それこそクラプトンやジミー・ペイジ、ジェフ・ベックらが追いかけるようにブルース直系のギター・プレイを発展させていくんです。クリームにレッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック・グループで彼らが見せたギター・プレイは、その後のロック・ギターの聖典となっていきます。
ザ・ドアーズ
サイケの熱狂を語るならばザ・ドアーズに触れない訳にはいきません。彼らこそサイケデリック・ロック、もっと言えば狂熱の1960年代の象徴のようなバンドです。
極めてアイコニックなフロント・マン、ジム・モリソン擁するこのバンドは、ヘンドリックス同様1967年にセルフ・タイトル作でデビュー。ベーシストが所属していないという風変わりな編成もさることながら、あまりに過激な歌詞表現にギラついたサイケのサウンド、そしてモリソンの破滅的カリスマによって時代の注目を浴びます。
ザ・ドアーズを歴史的視点から評価するならば、彼らの楽曲は「「サマー・オブ・ラヴ」のテーマソング」のような存在感を持っているんですよね。モリソンの振る舞いや、文学や哲学書から引用した思索的な主張は、新時代を信じて邁進するヒッピーとの親和性が極めて高かったんです。
ここで少し英米におけるサイケデリックのニュアンスの違いに言及してみましょうか。イギリスのサイケデリック・ロックにはアート的な側面が認められます。それこそザ・ビートルズのサイケ期の諸作から見て取れますが、彼らはサイケのサウンドというのをあくまでロックの躍進のエンジンとして取り入れているんです。
一方、アメリカのサイケデリアというのはより思想的な側面が強く押し出されている印象があります。これはアメリカがヒッピー・ムーヴメントの総本山であるという背景も大いに影響している部分でしょう。だからこそザ・ドアーズは時代の寵児になり得たというのが私の考察。
ザ・ドアーズの他にもジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドといったバンドもヒッピーからの支持を集め、サイケの時代を代表するアーティストとしてアメリカで成功していきました。
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
さて、ロックの動向ばかりを追いかけてもいいのですが、ここでブラック・ミュージックにも目配せしておきましょう。取り上げるアーティストはスライ&ザ・ファミリー・ストーン。ジェームス・ブラウンと並びファンクの偉人として名声を獲得している彼らも、実はサイケ・ムーヴメントと関連性の深いアーティストなんです。
そもそも斬新だったのが、このグループには男性も女性も、そして黒人も白人もいたという点。性別、人種の壁を超えた編成というのは当時では珍しいものでしたし、ヒッピーが目指した集団のあり方を具現化したようなスタイルです。
音楽面においても彼らは斬新でした。ロックでもあり、ポップスでもあり、ソウルでもあり、ファンクでもある。これまでの音楽ではカテゴライズできない、彼らだけのアイコニックな世界観です。
思想の面においても彼らはこの時代をよく反映していますね。大ヒットした『エヴリデイ・ピープル』で歌われる内容は、正に1960年代カウンター・カルチャーそのもの。おおらかで自由を愛し、差別を取り払おうとするその歌詞は時代のアンセムの1つと言っていいでしょう。
ブラック・ミュージックはそれこそモータウンやJBが商業的成功を収めていたものの、ポピュラー音楽の躍進にそこまで乗り切れていない感もあったんです。ロック以上に商業的な路線を突き進んでいたというか、どちらかというとロックとは別の方向を向いていたと言うべきでしょうか。
だからこそ、サイケ的にアップデートされたブラック・ミュージックであるスライ&ザ・ファミリー・ストーンの成功は非常に意義のあることでした。同時期にモータウンのザ・テンプテーションズがサイケデリック・ソウルに転換したこともあわせて、音楽史の理解のためにおさえておきたい動きですね。
まとめ
今回のまとめです。
- LSDという薬物が1960年代にカルチャーと融合。サイケデリックな表現がポップ・カルチャー全般で模索される。
- ベトナム反戦運動から派生し、新たなライフスタイルを求めるヒッピーという若年層が増加。「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれるムーヴメントに発展する。
- ロック音楽の発展の流れを追い風に、サイケデリック・ロックから様々なアーティストがシーンに登場。サウンド、アティチュードの両面において影響を及ぼした。
今回も今回とて濃密な内容でしたね。なにせ時間的には今回の記事、たった2年くらいの話しかできてませんから。情報社会の遥か以前にもかかわらずめくるめく変化がわずかな期間で巻き起こっていたというのは、1960年代の面白さでもあり、同時に不思議な点でもあります。
さて、次回はサイケ熱にうかされた当時のシーンが夢から醒め、音楽が新たな歩みを見せる状況に関してです。1960年代が終焉を迎えようとし、新たな時代の幕開けが近づく、そんな時代。「ラヴ&ピースの幻想は破れ、時代は巡る」をお楽しみに。
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