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1970年代の洋楽史を徹底解説!§9.(最終回)1970年代の終焉、あるいは1980年代の開幕

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いよいよ最終回を迎えた1970年代洋楽史解説。もう少しお付き合いください。

全5万字は優に超えているであろう本シリーズ、是非とも最初からというのも酷ではありますがあえておすすめしておきましょう。バックナンバーはこちらから。前シリーズにあたる「1960年代洋楽史解説」もあわせてどうぞ。相当な読み応えはあるかと。

さて、前回パンクの栄枯盛衰についてお話ししましたが、今回はパンクの巨大な衝撃の後、真空地帯となった1970年代末の音楽シーンを俯瞰していくこととしましょう。その動向は、そのまま1980年代に接続されていくのですが。

では前置きもそこそこに、本編へと参りましょう。

ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの勃興

まず語っていくのはパンク通過後のロックのあり方について。

前回の結びに、ロックはパンクに殺され、同時にパンクも自壊したというパンク・ムーヴメントの末路についてお話ししたかと思います。

その後興った音楽性が、ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴです。

ポスト・パンクはまさしく「パンク以降」という意味ですし、ニュー・ウェイヴも「新たな波」ですから、如何にパンクの衝撃が既存のスタイルや序列を破壊し尽くしたのか、その影響がうかがえます。

さて、この2つについて詳しく見ていく前に、両者の同異点について議論しておきましょう。

しばしば両者は同一視されますし、実際その性質は非常に近しいものでもあります。しかしながら、異なる名称が存在する以上、そこには線引きをしておくべきであるのもまた事実。

まずは共通点から。この2つの音楽性に共通するのは、当然パンク通過の影響を大きく受けているというものの他に、「ロックの脱構築」というものが挙げられます。

パンクによって露わになった既存のロックの綻び、そこに他ジャンルの引用斬新な表現という可能性を発見したことからこの両者は出発しているのです。

では相違点はというと、ここでは「商業的成功を勝ち取ったかどうか」、こうしておきます。ニュー・ウェイヴは1970年代末から1980年代にかけてチャート上で目立った成功を収めますが、一方のポスト・パンクはそうした結果を得ません。

また、英米両国で巻き起こったニュー・ウェイヴに対し、ポスト・パンクはイギリス国内に限定的な音楽性という指摘も可能です。

より十把一絡げに表現してしまえば、「アンダーグラウンドなものがポスト・パンク、オーバーグラウンドなものがニュー・ウェイヴ」、このような理解でも問題ないのではないでしょうか。

ポスト・パンク

ポスト・パンクであれば、その先駆けであるパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)をまずは紹介しておきましょう。セックス・ピストルズ解散後、ジョニー・ロットンが本名のジョン・ライドン名義で結成したバンドです。

Public Image (Remastered)
PiLの1stより、バンド名を関した『パブリック・イメージ』。セックス・ピストルズの元メンバーの新バンドとあって、人々は新たなパンクを心待ちにしましたが、ライドンが提示したのは正に「パンク以降」、ポスト・パンクの音楽でした。

パンクの激情とは程遠い無機質で冷淡なサウンド、レゲエやファンクの影響下にあるグルーヴ、これらは全て旧態依然としたロックにはなかった表現です。ライドンは、「パンクのその先」を見事に描出したのでした。

以降ポスト・パンクは主にイギリスを中心に展開されていきます。黎明期のポスト・パンクにおける著名なバンドとしては、ザ・ポップ・グループジョイ・ディヴィジョンワイアーらの名前が挙げられるでしょう。

She Is Beyond Good And Evil (Remastered)
バンド名に反し、ザ・ポップ・グループのサウンドはポップとは程遠い実験的で独創的なものです。ファンクやレゲエ、ダブにフリー・ジャズといった多様な音楽性をごった煮にし、パンク以降の音楽のあり方を貪欲に模索していきました。黎明期のヒップホップに接近したことも、彼らの功績の1つでしょう。
Joy Division – Love Will Tear Us Apart [OFFICIAL MUSIC VIDEO]
1980年リリースのジョイ・ディヴィジョンの傑作シングル『ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート』。バンドはポスト・パンクの旗手として注目を浴びるも、ヴォーカリストのイアン・カーティスの早逝によりバンドは解散。残されたメンバーがニュー・オーダーを結成し、1980年代以降も活躍します。

このポスト・パンクという音楽性は、1980年代においても非常に重要です。ザ・スミスU2エコー&ザ・バニーメンといった1980年代UKロックを代表するアーティストは、このポスト・パンクの文脈から出発していますから。

ニュー・ウェイヴ

次に見ていくのはニュー・ウェイヴについて。

ニュー・ウェイヴ的「ロックの脱構築」の最も顕著な例として、ここではディーヴォによるストーンズの『サティスファクション』のカバーを聴いてみましょう。

[I Can't Get No] Satisfaction
オリジナルは言わずと知れたザ・ローリング・ストーンズの傑作シングル。象徴的なギター・リフに導かれるロックンロールを、どこかユーモラスで近未来的な質感に仕立ててみせた手腕には脱帽です。ニュー・ウェイヴの性質を理解する上でこれ以上に端的な例はないでしょう。

あの稀代のロック・クラシックをこれほどに大胆に解体し、そして再構築する。この大胆さと実験性、これこそがニュー・ウェイヴなのです。

NYパンクのバンド、トーキング・ヘッズブロンディもこのムーヴメントに呼応し、ニュー・ウェイヴとして商業的成功を収めるに至ります。その他にもザ・カーズThe B-52’s、イギリスからはザ・ポリスエルヴィス・コステロらも登場し、シーンは活況を見せることに。

Talking Heads – Once in a Lifetime (Official Video)
トーキング・ヘッズの大傑作『リメイン・イン・ライト』より『ライフ・イン・ザ・ライフタイム』。このアルバムではアフリカン・ファンクを大胆に導入し、都会的な無機質さに原始的グルーヴを融和させることに成功しています。ちなみにこの時期のバンドのプロデュースはあのブライアン・イーノ。
The Police – Message In A Bottle
イギリスを代表するニュー・ウェイヴ・バンド、ザ・ポリスの名曲『孤独のメッセージ』。この楽曲のギター・リフは非常に有名ですが、ハード・ロック的質感ではなく、新時代のロックを思わせる脱構築的発想によるものです。レゲエとパンクの融合というスタイルも大胆で、この楽曲収録の2ndのタイトルは「白いレゲエ」という意味。

同時に、ロンドン・パンクのアーティストも時代に取り残されることなくニュー・ウェイヴ化を図ります。その結実と言えるのが、ザ・クラッシュの2枚組アルバム『ロンドン・コーリング』

The Clash – London Calling (Official Video)
『ロンドン・コーリング』はロック史上最高のアルバム作品の1つに数えられる歴史的傑作です。多様な創作性もその一因ですが、それ以上にパンクとポスト・パンクを繋ぐ、ポピュラー音楽史上における最重要資料という側面も大いにあります。1970年代の終焉を飾るに相応しい大名盤。

パンクの直線性を損なわず、同時にロカビリースカレゲエといった多様な音楽性を閉じ込め「パンクのその先」を提示することに成功したこの作品は、PiL同様に時代の連続性の中で極めて重要でしょう。

このニュー・ウェイヴは1980年代にも支持を集め、時代のサウンドとして多くのアーティストが取り入れるものとなっていきます。それに関しては、いずれ企画するであろう「1980年代洋楽史解説」に譲ることとしますが。

ノー・ウェイヴ

最後に補足として、ノー・ウェイヴにも触れておきましょう。

この音楽性もここまでに触れた2つと同様にパンクを起点としたものですが、ノー・ウェイヴはニュー・ウェイヴに反発する形で登場しました。これはニュー・ウェイヴの商業的成功故の反発です。

ノー・ウェイヴの精神的先達として評価されているのが、あのブライアン・イーノが手がけたコンピレーション盤『ノー・ニューヨーク』。当時ニュー・ヨークにいた最もアヴァンギャルドで最もアーティスティックなバンド4組が参加したこの作品によって、ノー・ウェイヴのスタイルが提示されます。

Various Artists – No New York
公式音源ではありませんがご了承を、本作参加の4バンドは歴史の中でも極めてアンダーグラウンドな存在ですから無理からぬことです。長年廃盤状態でマニア垂涎のアイテムでしたが、現在は1970年代末を知る重要な資料として高く評価されています。是非一聴を。

商業的には全く見向きもされなかったこのジャンルですが、ニュー・ウェイヴに反応して登場した音楽性である点、また後のインダストリアルや80’s以降のオルタナティヴ/インディーのインスピレーションとして理解しておくべきトピックでしょう。

ハード・ロック新時代の到来

ここからはニュー・ウェイヴに比して「オールド・ウェイヴ」とされる1970年代前中期に隆盛を見せた音楽性の中から、ハード・ロックの様子についてです。

まずハード・ロック誕生の地イギリスではNWOBHMのムーヴメントが巻き起こります。これは「New Wave Of British Heavy Metal」の頭文字を取ったもので、その意味するところは「英国産ヘヴィ・メタルの新勢力」とでもいったところでしょうか。

このNWOBHMの特徴には、パンクからの影響というものが挙げられます。パンクが一大旋風を巻き起こしたイギリスでは、その影響はハード・ロックのような旧来の音楽性にまで波及していたのです。

レッド・ツェッペリン由来のハード・ロックパンク由来の暴力性や直線性をブレンドしたこのサウンドは、パンク以降の音楽としての前進性を示しつつ古き良きロックの魅力を保存していました。アイアン・メイデンジューダス・プリースト、少し時代を下ればデフ・レパードらが商業的成功を収めます。

Phantom of the Opera (2015 Remaster)
アイアン・メイデンの1stより『オペラの怪人』。NWOBHMの急先鋒として注目を浴び、ブルース・ディッキンソンの加入以降世界規模のヘヴィ・メタル・バンドへと成長しました。とはいえ時代性の理解の上ではディッキンソン加入以前の初期作品も重要です。

また、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル(HR/HMとも記します)は同時期にイギリス以外でも台頭してくるようになります。アメリカからは、スーパー・ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレン率いるヴァン・ヘイレンが登場。新時代のギター・ヒーローとして瞬く間に脚光を浴びます。

Eruption (2015 Remaster)
ヴァン・ヘイレンの1st収録の『暗闇の爆撃』。ライトハンド奏法(日本ではタッピングとも)による超高速のギター・プレイはロック・ギターにおける革命で、世界中のギタリストがエディ・ヴァン・ヘイレンに憧れライトハンド奏法の習得に励みました。

また、オーストラリアのロック・バンド、AC/DCはこうした状況を追い風に1970年代後半からセールスの規模を拡大。1980年発表の『バック・イン・ブラック』で史上第3位の売上を記録しました。

AC/DC – Back In Black (Official Video)
AC/DCのメガ・ヒット作『バック・イン・ブラック』は、ヴォーカリストであるボン・スコットの急死を受け、新たにブライアン・ジョンソンをシンガーに迎えた新体制での初の作品でした。そうした苦境にあって、この作品は史上空前の大ヒットを記録してみせたのです。

こうした新時代のHR/HMの登場と共に、ハード・ロック黎明期を支えたバンドはその姿を決していくことに。レッド・ツェッペリンはドラマーのジョン・ボーナムの急逝により1980年に解散し、ブラック・サバスではヴォーカリストのオジー・オズボーンが脱退。

あるいはアメリカン・ハードの代表格、エアロスミスキッスも1970年代末にメンバーの脱退が相次いでいます。これは単に偶然の一致ではあるのですが、まるで時代の波に淘汰されるように、HR/HMは1970年代の終焉と共に1つの時代を終えることとなります。

ディスコ・ムーヴメントの終焉

ここで話題をブラック・ミュージックに向けます。以前こちらで解説したディスコのムーヴメントについてです。

1970年代最大の流行、それはパンクではなくディスコです。パンクはあくまでカウンター・カルチャーであったのに対し、ディスコはどこまでも享楽的。踊るための音楽に終始し、意のままに人々を熱狂させていました。

しかし、この「踊るための音楽に終始した」というディスコ最大の特質は、次第に一定の層から疎んじられるようになるのです。彼らはディスコ・ミュージックを画一化された音楽として、その発展性のなさを批判しました。

その不平が頂点に達したのが、1979年に起こった「ディスコ・デモリッション・ナイト」事件です。

The Note Episode 4 | Disco Demolition: Riot to Rebirth
この事件は当時テレビでも中継され、アメリカ国内に反ディスコ、あるいは反黒人・反同性愛者の種をばらまくことに成功します。無秩序な乱痴気騒ぎの末路でしかない「オルタモントの悲劇」以上に、明確な悪意によって引き起こされた暴力であるこの一件はポピュラー音楽史上における最悪の汚点の1つ。

反ディスコ派閥の急先鋒だったラジオDJスティーヴ・ダールという人物が、野球場に大量のディスコ・レコードを集め、それらを爆破してみせるという過激なパフォーマンスを企画します。

この催しに詰めかけた人数はおよそ75,000人。野球観戦に関心のないディスコ嫌いが一堂に会し、野球の試合中にも「disco sucks!(ディスコなんてクソだ!)」とディスコへの罵声が飛び交っていたと言います。

そのディスコへの憎悪は、単に批評的音楽分析の結果ではなく、ディスコ・ムーヴメントを支えたアフリカン・アメリカンや同性愛者に対する差別意識からくるものでした。結果的に暴動に発展し、多数の逮捕者を出したこの騒動は、ディスコ版「オルタモントの悲劇」と解釈できる最悪の事件です。

「ディスコ・デモリッション・ナイト」が全てのきっかけという理解は些か恣意的に過ぎるというものですが、それでも1970年代末にディスコ・ムーヴメントは急速に沈静化します。ブラック・ミュージックもロック同様、1970年代の終焉と共に1つの区切りを迎えるのです。

まとめ

  • パンク・ムーヴメント収束後、「ロックの脱構築」を掲げてポスト・パンク/ニュー・ウェイヴがシーンに登場。他ジャンルからの影響や旧来のロックにない質感を打ち出し、1980年代ロックの萌芽となる。
  • ハード・ロックのシーンでは、これまでに活躍したバンドがシーンから後退する一方で、NWOBHMの台頭や新世代のハード・ロックの提示が1970年代末に見られた。
  • 1970年代最大の文化トレンドであるディスコも、画一化される音楽性が疎んじられ収束していく。「ディスコ・デモリッション・ナイト」はその顕著な例。

今回の内容を要約するとこのようになります。

これにて全10回(幕間を含むと11回)に及んだ一大シリーズ、「1970年代洋楽史解説」は終了です。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。いやはや長かった。

ここで最後に、1970年代は如何なる時代だったのかを総括しておきましょう。

§0.で定義した通り、1970年代は開花の季節です。1960年代に示された音楽の可能性が絶えず拡張され、魅力的な音楽が次々に登場しました。

しかしながらその満開の花々はあまりに可憐で、かつての萌芽が持っていた地に根差す生命力を失ってしまったのです。その状況にノーを突きつけたのがパンクであり、あるいは反ディスコでした。

この新旧世代の闘争抗えぬ新陳代謝、これはポピュラー音楽のみならずありとあらゆる文化において見られる性ですが、それを初めて描出したのもこの時代なのです。繰り返しになりますが、それは1970年代が百花繚乱を演じた開花の季節なればこそ。

わずか10年、わずか10年で音楽は全盛期と衰退、そして次なる可能性の模索を展開します。この溢れんばかりのバイタリティこそが、1970年代がポピュラー音楽史上最も充実した10年であることの根拠なのでしょう。

当然、こうした小難しい話を理解せずとも音楽は不変です。しかしながら、ほんのちょっぴり見方を変えてやる、ほんのちょっぴり見晴らしをよくしてやる、それだけで音楽への理解や楽しみ方は格段に豊かになると私は信じています。

この遠大なシリーズが、1人でも多くの方にそうした気づきを与えられていればこれ以上の幸せはありません。最後になりますが、ご覧いただきありがとうございました。

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