以前、弊ブログの威信を賭けた(そこそこの嘘をつきました)一大シリーズ、「1960年代洋楽解説特集」というものをお送りしました。
名前の通り、1960年代における洋楽の歩みを一挙に振り返ろうという、いわば歴史解説の企画です。
ただですよ。洋楽の歴史を見渡した時、その最盛期と呼べるのはむしろ1970年代ではないでしょうか?
少なくともロック中心史観に立てば、この考えはそう的外れではないと思います。試しに「ロックの名盤」をいくつか思い浮かべていただきたいんですがね。
……思い浮かべましたか?
『狂気』、『IV』、『ジギー・スターダスト』、『ホテル・カリフォルニア』、『ロンドン・コーリング』、この辺りが頭をよぎりませんでしたか?そうです、これがメンタリズムです。
冗談はさておき、今パッと思いつくだけでも歴史的な音楽作品がこれだけある時代なんですよ。しかもロックに限ってこれですからね。
そういった、いわば「黄金期」の時代背景、洋楽ファンならば是非ともチェックしておきたいところじゃないですか。
ということで今回からは洋楽歴史解説第2弾、1970年代編と参りましょう。
1960年代と1970年代をどう結びつけるか
まずはここから始めましょうか。以前解説した1960年代における変遷を、どのように今回からのシリーズに紐付けさせるのか。
何度か言及していますが、歴史というのは連続性の中にあります。そして文化も同様です。とくれば文化史だって当然そうなります。
縦軸と横軸、それぞれのトピックをあたかも独立したものかのように考えるのは危険です。何も難しい話ではなく、広大な時間のドラマを楽しむ喜びを損なってしまうという意味で。
ということで、音楽そのものの話とはやや照準がズレてしまいますが、まずはこの2つの時代を接続していきましょう。
結論から申し上げると、
1960年代は「芽吹き」の季節であり、1970年代は「開花」の季節である。
このシリーズではこう定義しておきたいと思います。
フィル・スペクターやザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、ジェームス・ブラウンといった1960年代の偉人たちはポピュラー音楽という未開の領域に様々な可能性の種を蒔いていた訳です。その種はいちいち名曲なんですが。
そしてその種は1960年代中盤に、『ペット・サウンズ』や『サージェント・ペパーズ』、あるいはヴェルヴェッツの1stやサイケ・ムーヴメントの諸作といった形で芽吹きます。言うまでもありませんが、この萌芽はどんな大輪の薔薇とも遜色なく素晴らしいものですね。
その芽吹きは1970年代に、それぞれが異なる彩りを見せ、異なる香りを放つ見事な花として結実します。その花はハード・ロックと呼ぶものだったり、プログレッシヴ・ロックと呼ぶものだったり、ニュー・ソウルと呼ぶものだったり、実に様々。
そしてその花々は成熟し見事な果実を実らせますが、やがてその果実は地に落ち、新たな芽吹きの種となる……比喩的な物言いですが、こうした歴史を1970年代は辿ると認識してほしいです。
つまり、今回の1970年代編において、その種であり芽である1960年代の音楽は常に意識しなければならない、そういう訳です。特に「アルバム文化」と「サイケ・ロック」はシリーズ序盤に何度か登場することになるでしょうからね。
「アルバム文化」とサイケ・ロックが生んだ、ロックの多様性
早速ですが、先ほど名前をあげた2つの潮流から1970年代の導入としましょう。
「アルバム文化」というのは1960年代編の§4.で取り上げたトピックです。『サージェント・ペパーズ』によって提示された「コンセプト・アルバム」という概念、言い換えればアルバム作品を音楽の最小単位とする価値観は、1970年代に入ってより存在感を主張していきます。
例えば、次回のハード・ロックのチャプターで登場するレッド・ツェッペリン。
彼らは1970年代のロック・シーンにおける頂点で、ザ・ビートルズ解散後のロックの玉座についた王者ですが、シングル・ヒットというものに縁遠いバンドもあります。
しかし一方で商業的には音楽史上屈指の成功を収めているバンドでもあるのです。つまりそれは、彼らのセールスがアルバムに特化したものであることを意味します。実際代表作である『IV』は、ロック・アルバムの中でも最大のセールスを記録した作品の1つです。
これは単にアーティストの側が「アルバム文化」を意識していたということを意味するだけでなく、聴衆の側もまた、アルバムで音楽を聴くというスタイルを了解していたとも理解できるでしょう。
その意味では世界第3位の売上を記録したピンク・フロイドの名盤、『狂気』も象徴的です。
何しろA面B面の切り替わり以外でこの作品には一切途切れるタイミングがこないという、極めて恣意的なアルバム単位での作品ですから。
現代であれば評価こそされてもヒット・アルバムにはなり得ないだろうこの『狂気』が史上最高峰のメガ・セールスを記録しているというのは、如何にも1970年代的と言えるでしょう。
そして興味深いのが、レッド・ツェッペリンを始めとしたハード・ロック、そしてピンク・フロイドらを中心に発展したプログレッシヴ・ロック、これらが共にサイケデリック・ロックという1つの水脈から発展した音楽性であるという点です。
サイケデリック・ロックが示した実験性や過激なアプローチに、それぞれハード・ロックならば大音量のバンド・サウンドとブルース・フィーリング、プログレッシヴ・ロックならばクラシック、ジャズのモードや数学的構造を取り入れることで分岐したと評価できる訳です。
これだけでも十分に、「アルバム文化」とサイケデリック・ロックが1970年代において重要なトピックかというのはおわかりいただけるのではないでしょうか。
「商品」から「表現」へ変質するブラック・ミュージック
ここでブラック・ミュージックについても軽く見ておきましょう。いずれ中心的に扱うテーマではありますが、ここで触れなければロック中心主義に陥りかねないので。
1960年代はロックが商品から芸術、内的表現に深化を遂げた時代だというのはこれまでのシリーズで何度も主張してきました。
一方でブラック・ミュージックは、そうしたドラスティックな変化をせず、ハイ・クオリティなポピュラー音楽としての道を進んできたと言えます。その違いに貴賎などあるはずもありませんが、この違いは意識しておきたい部分。
しかし1970年代には、ブラック・ミュージックも数々の躍進を見せることになります。
先ほど名前だけ挙げたニュー・ソウルもそうですし、JBやスライ・ストーンをパイオニアとするファンクの領域もより多様化を見せ、更にはこれまでポピュラー音楽全般と距離のあったジャズ・シーンもそのムーヴメントに参入します。
このシリーズはロック史解説でなくあくまで「洋楽」一般を取り扱うものですから、ブラック・ミュージックに関してもロックと同じだけの紙面を割いていくつもりです。
まとめ
どんなアーティストが登場するのかとご期待いただいていたら申し訳ありません。これまで以上に堅苦しい話になってしまいました。
というのも、1970年代というのは非常に多様な音楽が同時多発的に発展した時代です。その歩みはパラレルで、1960年代編のように1つのストーリーにのっとってご紹介するのが困難なテーマ。
だからこそ少なくとも1970年代初期の流れに関しては、1960年代と接続しつつ一旦包括的に見渡した方が今後の話を淀みなく展開できるような気がするんですよね。
次回からはキッチリ音楽そのものにフォーカスしていきますので、どうか見捨てずについてきていただけると幸いです。それでは次回、いよいよ§1.となる「3大ギタリストとハード・ロック 〜ギター小僧のゴールデン・エイジ〜」でお会いしましょう。
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