ニュースとしてはやや古いですが、『ボヘミアン・ラプソディ』の地上波放送が決定しましたね。6月4日の「金曜ロードショー」です。
空前絶後の大ヒットを記録し、クイーンのリバイバル・ブームを巻き起こしたあの映画。観ていないという方はあまり多くないかもしれませんが、ブームも落ち着いた今となっては記憶が曖昧な方も多いのではないでしょうか?
今回は10年来のクイーン・ファンであり、劇場に20回以上足を運び、あの映画に出演?までした私が『ボヘミアン・ラプソディ』の魅力を語っていこうと思います。きたる地上波放送に備えて、是非お読みください。
『ボヘミアン・ラプソディ』とは?
まずはあの映画のおさらいを軽く。今更な部分も多いですがご了承をば。
『ボヘミアン・ラプソディ』は、1973年のデビューから現在に至るまで、世界中で愛される伝説のロック・バンド、クイーン。そしてそのフロント・マンであるフレディ・マーキュリーの物語です。
映画ではバンド結成から1985年の「ライヴ・エイド」までが描かれ、音楽プロデューサーはクイーンのブライアン・メイとロジャー・テイラー。作品中でクイーンの数々の名曲が印象的に使用されています。
2018年秋に公開されるや否や爆発的なヒットを記録。賞レースでも注目され、同年のアカデミー賞では主演男優賞を含む最多受賞作品となりました。
とりわけ日本でのヒットは凄まじく、クイーンの祖国イギリスを凌ぐ興行収入を記録。若年層を中心に新たなファンを獲得し、クイーンの再ブームを巻き起こしました。
……とまあ紋切り型の表現をすればこうなるでしょうか。とりあえず「とてつもなく売れたクイーンの映画」くらいの理解で問題ないと思います。ここからは実際に作品に触れていきましょう。
史実として見てはいけない
ここがまず大事です。あの映画を完全ノンフィクションのクイーンの正史として捉えることはナンセンス。「2時間のエンタメ作品」にするために大いに脚色や時系列の変更がなされています。
実際に例を挙げてみると
・デビュー直後の動向
映画ではデビューと共に成功したかのように描かれていますが、実際にはクイーンの1stはプレスに酷評され、決して華々しいデビューとは言えないものでした。
・「ロック・イン・リオ」
テレビに映る観衆の『ラヴ・オブ・マイ・ライフ』の大合唱。映画では『オペラ座の夜』の大ヒットの勢いのままのステージとなっていますが、クイーンがかの伝説的ライブを行なったのは1985年、第1回「ロック・イン・リオ」でのことです。
・『ウィ・ウィル・ロック・ユー』録音時期
口ひげをたくわえたマーキュリーの外見や字幕から、作品中でこの楽曲は1980年に制作されたとされていますが、『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のリリースは1977年。アルバム『世界に捧ぐ』の時期です。PVでも確認できますがまだマーキュリーはひげを生やしていませんね。
・マーキュリーのHIVポジティヴ発覚
映画のクライマックスとなる「ライヴ・エイド」。その直前にマーキュリーはHIVに感染し、そのことをメンバーに告白するシーンは印象的です。しかし実際には彼がHIVに感染したのは1987年頃とされており、少なくともこの段階での彼は死の運命に直面していませんでした。
このくらいでしょうか。特に1つ目と4つ目の脚色はかなり大幅なもので、この作品でクイーンの歴史を正確に理解するというのは難しいですね。
この点をあげつらって、「改悪」や「間違った描写」という批判をする方(えてして熱心なクイーン・ファンに多かったように思います)もいましたが、そもそも論点がズレているんですよね。
クイーンの歴史を完璧に記したものが見たいのであればドキュメンタリー映像でいいのです。この作品はあくまで『ボヘミアン・ラプソディ』という娯楽映画。その点を履き違えると映画の世界に入り込む妨げになるかもしれませんね。
ラミ・マレックの演技
とはいえ、あくまでこの作品は伝記でもある訳で。大枠のストーリーというのはクイーン・ファンならばほとんどが知っている展開ですし、「天才の栄光と孤独」「不治の病」「挫折からの復活」みたいなテーマって意地悪な表現をするとありがちなものじゃないですか。
では何がこの作品を劇的なものにしているのか。当然1つにはクイーンの音楽というものがありますが、これは後でたっぷり語るとして、ここでは主演のラミ・マレックの演技の凄まじさをご説明します。
この映画の売り文句の1つに、「ライヴ・エイド」の完全再現!というものがありました。そこに限らず、マーキュリーの唯一無二、唯我独尊のステージングをマレックは完璧に再現しているんですが、今回触れたいのはそこではないんです。
この映画でのマレックの再現性というのはむしろ、完全無欠のロック・スター、フレディ・マーキュリーが持つ素顔の部分。ここにあるんです。
決してマレックはマーキュリーに似ている顔立ちという訳ではないんですが、映画の本当にふとした瞬間、レコーディング中に見せる横顔だったり、ジョークを言うおだけた顔だったり、そこにフレディ・マーキュリーその人が宿っている。わがままで繊細な天才の肖像が、その瞬間には確かに刻まれているように思えてならないんです。
実は初めてこの映画のティザーが公開された時、それを見てうっかり泣いてしまったんですよ。私が生まれた頃にはマーキュリーは既にこの世界にいなくて、どれだけ音楽を聴いても、どれだけ映像を見ても、生きた彼には会えない訳です。
でもティザー映像の中に、彼がいたんです。心から愛して、もう会えないと思っていた人をやっと見つけた。映画の予告編だと理解もしていたし、ラミ・マレックという人物が演じていることも知っていたというのに、見た途端に「あぁ、フレディだ」、そう思わされてしまった。こんな演技ができる人が、一体どれだけいるんでしょうね。
これはあくまでクイーン・ファンの視点なので、この映画で初めてクイーンやフレディ・マーキュリーを知ったという人にはあまり理解できない部分かもしれませんが、それでも彼の憑依的な演技の魅力は随所で感じられると思います。
個人的にはソロ作品レコーディング中のメアリー・オースティンとの再会、このシーンの演技は本当に素晴らしいので、そこにも注目していただきたいですね。
BGMがクイーン
これに関してはもう語る必要もないと思いますが、一応。
作中ではクイーンの数々の名曲の制作風景も描かれていますが、その都度流れる楽曲が本当に素晴らしい。当たり前ですよね、クイーンの音楽なんですから。
ここで彼らの音楽の魅力について詳細に語ると別の記事になってしまうのでやめておきますが、あえて取り上げるならば、本編外からこの2点。
「20世紀フォックス」ファンファーレ
「20世紀フォックス」配給の映画ならば必ず冒頭に出てくる、あの印象的なファンファーレ。そこに作品に寄り添ったアレンジを加えるのは映画界の一種のお約束ですが、『ボヘミアン・ラプソディ』のバージョンはスゴイですよ。
なにせ、そのファンファーレを演奏しているのがブライアン・メイ、ロジャー・テイラーその人。クイーンお得意の多重録音をこれでもかと使った壮麗極まりないギター・オーケストレーションを、これでもかと披露しています。
メイのギターというのは、ともするとマーキュリーの歌声以上にクイーン・サウンドを決定づける要素なんですよ。愛機「レッド・スペシャル」はメイと彼の父親で自作したギターで、他のどのギタリストにも出せない音色を奏でます。ちょっとクイーンをかじった程度の人でも、あのアイコニックなギターのトーンでブライアン・メイの演奏だと識別できちゃうくらいです。
ましてやファンにとってはもう耳にこびりついている音色ですからね、期待と不安を胸に初めて劇場に足を運んだファンはこのサウンドで一気に胸を撫で下ろしたことかと思います。私も当然その1人。
エンド・クレジット
映画本編が感動的なフィナーレで締め括られても、まだ気を緩めてはいけません。映画ですからエンド・クレジットがある訳ですが、当然その音楽もクイーン。名曲『ドント・ストップ・ミー・ナウ』のPVが映し出されます。
『ドント・ストップ・ミー・ナウ』の底抜けな明るさには、本当に救われる心地がしますね。決して大団円という訳でないこの作品の悲しさを吹き飛ばしてくれます。最後には誰もが笑顔になれる、この徹底的なエンターテイメント性はクイーンの活動にも通ずるものを感じます。
ただ、まだ終わらないんです。『ドント・ストップ・ミー・ナウ』がフェードアウトしたかと思えば、『ボヘミアン・ラプソディ』真の終幕、『ショウ・マスト・ゴー・オン』のイントロが荘厳にやってくるのです。
この曲、決してクイーンの楽曲群の中で有名な訳でもありませんし、大ヒットした訳でもありません。では何故この曲が映画のラストに使用されたのかというと、この曲はフレディ・マーキュリー存命時最後に発表されたアルバム、『イニュエンドウ』のラスト・トラックだから。
映画でも描かれた通り、マーキュリーはHIVに感染してしまいます。今でこそ発症を抑える治療法も確立されつつありますが、当時AIDSは文字通り「不治の病」。潜伏期間が10年に及ぶこともあるこの病ですが、不幸にも彼は感染から僅か2年ほどで症状が表れました。日に日に衰弱していき、最早全ては時間の問題、そうした状況で、彼の最後の作品として『イニュエンドウ』は制作されています。
その、遺言とも言えるアルバムの最後で彼はこう歌うのです。「ショウを続けなければならない」と。劇中での決意の言葉とまさしく同じ、死に直面しようとなお、「フレディ・ファッキン・マーキュリー」として最期まで生きる。その宣言によってこの映画は結ばれているんです。
そしてそれは同時に、フレディ・マーキュリーという絶対的存在を失ってもなお、クイーンであることをやめないバンドのあり方すらも表現していて。一度も解散声明を発表せず、一部には批判を受けながらも新たなシンガーを迎え、そしてレガシーを継承する映画を制作する。その永遠の伝説を、この曲は力強く示しています。
LIVE AID完全再現
さて、この映画を評価するならばここは外せませんね。映画のクライマックスを飾る、「ライヴ・エイド」の完全再現。このシーンが『ボヘミアン・ラプソディ』を名作足らしめていると言っても過言ではないでしょう。
ライヴ・エイドがどういったものかは劇中でも触れられているので細かくは語りませんが、英米二カ国で開催され錚々たる面々が出演した中で、クイーンのステージは格別の存在感があった、このことは映画の脚色でもなんでもなく事実です。
このクイーンのステージは「史上最も素晴らしいライヴ・パフォーマンス」とすら形容されていますし、クイーンの後に出番を控えていたエルトン・ジョンが「お前たちに食われた!」と冗談交じりに怒った、なんてエピソードも残っているくらいです。クイーンの伝記作品のラストにこれ以上なく相応しいモチーフですね。
しかしながら、当然それだけ完璧なステージ、世界最高のパフォーマンスとあれば、それを再現することの重みもまた計り知れないものがあります。その高すぎるハードルを、見事にこの映画、そしてクイーンを演じた4人は乗り越えているんです。これに関してはしのごの言うより見てもらった方が早いでしょうね。
ただ、完全再現と謳っておきながら、実は再現していない部分もあります。実際の「ライヴ・エイド」で演奏された曲のうち、『愛という名の欲望』と『ウィ・ウィル・ロック・ユー』はフィルムに収められていません。撮影はしたようで、Blu-rayの特典に収録されてはいますが、他のシーンを多少カットしてでもここは是非再現してほしかった、というのがファンの本音ではあります。
もちろんそれを差し引いてもあの再現度が凄まじいことに変わりはありません。マイクについているテープ、ピアノの上のドリンク、なんなら映画ではほとんど映らないバックヤードに至るまで、1985年のあの瞬間を完璧に再現しているんです。主催者のボブ・ゲルドフが撮影に訪れた時「まるでタイムスリップしたようだった」とコメントするほどには緻密です。
これは是非実際のライヴ映像と交互に見比べて見ていただきたい。クイーンを知らない知人から、この映画を観るに当たって何か予習することはないか?みたいな質問も当時されたんですが、私は「とりあえずライヴ・エイドだけ見ておけ」と答えるようにしていました。あのシーンだけは本家本元の素晴らしさ、そしてそれを大胆にも再現してみせた映画スタッフの挑戦を理解していただきたいんです。
実は声の出演しています
ここからは自慢になりますので、興味ない方は次のチャプターに飛んでください。映画の価値とは無関係の話をしますので。
さっき話した「ライヴ・エイド」のシーン、実は私声の出演しているんですよ。というのも、ファンから『ボヘミアン・ラプソディ』を歌った音源を集めて、それをライヴ・シーンに使用するみたいな企画がありまして。それを見て当時私も応募したんですよね。ほとんど宝くじを買うような、記念受験みたいなものだったんですが。
それがなんとびっくり、20世紀フォックスからいきなりメールがきまして。「あなたの歌声が映画に採用されました!」みたいな内容でもうビックリしましたね。
クイーンって本当にファンとのコミュニケーションの中で発展したバンドだと思うんです。媚びることに悪びれないというか、流行りのサウンドもどんどん取り入れていきましたし、それでディスコに走ってズッコケたりもしましたけど、それでも基本的に「喜ばれることをする」ことを信条にしている数少ないバンドな気がしていまして。
この企画も大袈裟に言うと、彼らのそのあけすけなポピュラリティの一部なのかと思えます。当然耳を皿にして聴いたところで自分の声の判別はできなかった訳ですが、あの『ボヘミアン・ラプソディ』に、その本当の隅の隅に、自分がいるというのはなんとも言えない高揚感がある自慢です。
まとめ
正直ここまで語ったことはクイーン・ファンであれば「何を今更」という内容ですし、そもそもあそこまで売れた映画を観ていない方もそう多くはないとは思うんです。
それでも、すごく斜に構えた見方をすると、なまじヒットしてブームになっただけに、ブームとして消費されすぎていたような感覚もあるんですよ。テレビでも特集が組まれて、みんながみんなクイーンの話をして、飽きたらそれでおしまい、みたいな。
クイーンというバンド、ひいては彼らの生み出した巨大なカルチャーというのは決してそういう一方的な消化で終わっていいものではないはずです。押し付けがましいかもしれませんが、あそこまで門戸を開いた作品がありながら「数年前のヒット映画」みたいな認識でスルーするのはあまりにもったいない。
是非ともこの地上波放送の機会に、『ボヘミアン・ラプソディ』をもう一度、改めてしっかりと鑑賞していただきたいんです。それに耐え得る情熱と完成度のある作品だと思いますし、その先にはクイーンの万華鏡のような音楽が待っていますからね。ともかく、6月4日、夜9時から、どうかお忘れなきよう。
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