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『kurayamisaka yori ai wo komete』/kurayamisaka (2025)~瞬間、ピエールの脳内に溢れ出した「存在しない記憶」~

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7月と8月の新譜レコメンドをまだ出せていませんが、これについては至急文章にした方がよさそうなので、取り急ぎ筆を取った次第であります。

皆さんお聴きになりましたでしょうか?kurayamisakaの1stフル『kurayamisaka yori ai wo komete』。いやぁ、とんでもねえものを聴かせてくれたもんです。

この前の水曜日にリリースされて以来、もうこのアルバムのことばっかり考えてます。初恋でもこうはならんという夢中っぷり。そしてそれは私に限らず、Xでもかなり騒がれ続けていますね。それが必ずしも健全なものばかりかとなるとちょっと首を捻る節もあるんですが、これについてはまた後ほど。

ということで、この感動を忘れないうちに、単体でのディスク・レビューやっちゃいましょう。

kurayamisaka tte nani ?

まずはこのkurayamisakaというバンドについて軽くおさらいしておきましょう。彼らが注目を集めたのは、2022年の1st EP『kimi wo omitte iru』でのことでした。

松井遥香と向井あかり、この2人の少女の高校卒業による別離を描いたコンセプト・アルバムです。これが音楽マニアの中でかなり跳ねたんですよ。ちょうどこの時期って国内では羊文学が大きくなった時期でもありますし、それだけに限らずシューゲイズを軸にしたインディーがしばらくトレンドなので、上手く風に乗ったという感じでしょうか。

リリースからのこの短い期間で、Xの音楽界隈ではお馴染みの「ワタコウ」(#私を構成するn枚)でも定期的に見かける作品にもなりましたしね。特に悪意なく表現しますけど、「他とはひと味違う音楽を聴いてる若者」の中での支持が厚いという印象でしたね。

そこから、2025年に1stフル・アルバムをリリースすることをアナウンスし、一連のシングルを先んじて発表。2年連続でのFUJI ROCK出演まで果たして、極めて順調な軌道を経て今回の作品に至った訳です。

この時点で、かなり期待値は高いですよね。この辺のシーンに軸を置いている訳ではない私ですら、それなりに楽しみにしていましたから。そういうことで、9月10日の0時を迎えるに至ります。

『kurayamisaka yori ai wo komete』レビュー

さあ、ここからは実際にレビューしていきましょうか。

……いきなりこれ載っけちゃうとみんなそっちにいくだろうから内心ヒヤヒヤしてるんですが、流石に公平にやった方がいいので。ほとんどの作詞作曲を担当している清水正太郎のセルフ・ライナーノーツもあるのでこっちも要チェックです。読み終わったら帰ってきてくださいね。

kurayamisaka yori ai wo komete 全曲解説|unnyonsan
はじめに おばんです。kurayamisakaでギターと作詞作曲を担当している清水です。 今回kurayamisakaの1stフルアルバムである『kurayamisaka yori ai wo komete』のリリースに伴って、俺なりの全曲の解説を記事にまとめたいと思います。 解説と言っても、作曲当時の思い出や小...

(言い訳がましいですが念のため追記。私は↑の解説を読む前にこの文章を書いております。出てくるバンド名なんかに共通項はありますが、微妙に言及するタイミングズレてたりするのはそういうカラクリです。)

オープナーは表題曲『kurayamisaka yori ai wo komete』。左右からギターのフィードバックが流れてきて、どこか物々しい表情でそれぞれの楽器が参加してきます。イントロダクションとしてすごくキャッチーですね。わかりやすくワクワクさせられる導入です。

で、煽るだけ煽って、一瞬の無音。息を吸い込んだかと思えば、どうしたことか凶暴なバンド・サウンドが左右から襲い掛かってきます。ギターの音なんてほとんどひしゃげていて、ナンバーガールのライヴ音源さながらの圧力がありますよ。『omoide in my head』のイントロみたいなニュアンスありません?

この控えめにいってかなりイカつい音の中で、ヴォーカルの存在感がまたいいんですよ。なんだろう、カラオケ的とでも言うのかな。サウンドのえげつなさに寄り添うということはしない、いくらか棒読みでさえある無関心さ。このトーンは声質にも由来すると思いますが、聴き進めると作為的なものだと気付かされます。他の曲ではちゃんと感情を乗せてきますからね。ここのところの違和感、ちゃんと説明されるので意識してほしいです。

続く『metro』、これが如何にも国産ギター・オルタナティヴな感じの名曲でね。一部の「残響系」とか初期のART-SCHOOLがやっていたような、ギターで表現できる感情の上限をずっと鳴らし続けるテンション感が痛快です。間奏のブリッジ・ミュートの掛け合いなんて、アジカンの『リライト』をとんでもなくハイパーにしたみたいな感覚さえあってね。

そしてシームレスに始まる『sunday driver』!オタクはこういうベタに弱いです。この「ベタ」というのもキーワードになってくるので、覚えておいてください。大きく取ったリズムに、どこか聴き覚えのあるギターのフレーズ。たっぷり溜めを作ってヴォーカルが入ってくるんですが、なんとなく椎名林檎っぽさを感じました。東京事変にこういうラインあった気がするんだけど、なんだったかな。

さて、ここで一旦アルバムとしてはギア・チェンジ、メロディで聴かせる展開が続きます。男性ヴォーカルが入る『modify Yourh』はギターのユニゾン・ソロにも惹き込まれるキャッチーな1曲だし(対比としてサビで女の子っぽさを強調してくる狙いがあざとくていいですね)、涼やかなメロディに乗せられた、「夏が足りないね」という2025年的にはかなり無理のある歌詞のリフレインが印象的な『evergreen』、この辺は端的にポップスとしてよくできています。もちろん、要所要所でのバンドの鳴りもカッチョイイですが。

そもそもEPの時点で、メロディの強いバンドでしたからね。むしろ、今作の序盤3曲での加虐性が異端的。実際、バカみたいにデカイ音でウソみたいにギターを歪ませてるだけで、よく聴くとダサいところスレスレの素直さがある『sekisei inko』、本作における内藤さちのヴォーカル・パフォーマンスとしては白眉の『ハイウェイ』と、依然としてポップな名曲が続きますから。

ただ、この時点で若干の警戒心はありました。しょっぱなに最大出力(エネルギー的にも、単純に音量的にも)を持ってきてしまって、尻すぼみになるのではないかと。そんな気持ちで、アコースティックの弾き語り『theme (kurayamisaka yori ai wo komete)』を聴いていました。3分後に、これが杞憂だと思い知らされる訳ですが。

『jitensha』、本作で一番よくできた曲じゃないかな。それに、この位置でやらないとダメな曲です。これもこれでずいぶんと色んな意味でスレスレだと思うんですよね。まずもってイントロのギター、これを臆面もなく採用したの度胸あると思いますよ。単音リフとかそういう次元じゃないですから。

で、ストレートな構成の曲が目立つ本作においては、比較的展開がラディカルなんですよ。「自転車で行くには少しだけ遠すぎるから」、これまた歌詞とメロディの両面で印象に残るフレーズなんですが、ヴォーカルが中座しての演奏パート、スネアの連打だけで盛り上げる展開が個人的にはツボです。

そしてご丁寧に落ちサビまで準備してもらって、歌が終わったと思えば2分にわたるアウトロ。ロック・キッズが一番好きなタイプのギターを弾き倒します。

ここは本作でも屈指の心が震えるポイントでしたね。それに、盛り上げ方からしても全体のラン・タイムからしても、作品を締め括りにかかったっておかしくない。だというのに、意外なことにフェードアウトし、『あなたが生まれた日に』無遠慮なツー・ビートが始まった時、正直言ってちょっと残念ではありました。余韻に浸る間もなく、ですからね。

でも、ここで一旦前のめりに疾走する必要があるんですよ。「ラウド・クワイエット・ラウド」という、オルタナの必殺技的な構成をやるためにはね。まあ本作の場合「ラウド・ラウダー・クワイエット」なんですけど。

楽曲自体は2分くらいでまとめられているんですが、そこから一気に作品を寄せにかかります。サウンドの重心ををグッと後ろに倒して、徐々に徐々に作品の世界観を轟音で埋め尽くしていき、『kurayamisaka yori ai wo komete』で歌われた歌詞の語りが差し込まれる。しかしそれもギターの炸裂によって掻き消され、いよいよ全ての音が潰れてしまったところでピーク・アウトです。

いいですね、分かりやすくクライマックスじゃないですか。個人的には聴いていて、小説『アルジャーノンに花束を』の終盤、文体が一気に観念的になる展開を想起しましたね。本作のコンセプトは「人が生まれてから死ぬまで」とのことですが、命の超新星爆発とでも言うのかな、その眩さと驚異的なエネルギーの表現として、近い温度感を覚えました。

そして、ギターの残響を引きずりながら、再び語りが戻ってきて言うことには。

私の身体が朽ちるまで 命燃え尽きるまで

思い出が思い出せなくなるまで

私の身体が見た全て

財布の中身全て

使い果たして眠る その時まで

 

 

 

「kurayamisaka yori ai wo komete」

……静寂。ふとスマホを見たらば、花束を持った少女の幼さとアンニュイさが入り混じった表情と共に、そこには「kurayamisaka yori ai wo komete」の文字が。うーん、傑作です。

ベタで青い、だから愛おしい

……とまあ、一旦作品の流れに沿って語っていきましたが。こっからはもうちょっと俯瞰的に見ていきます。

この『kurayamisaka yori ai wo komete』、一言で言うならば「ベタなアルバム」です。

だって、オープニングこそ意表を突かれはしましたが、そこからはロック・リスナーなら何かしらどこかしらで聴いたことのあるサウンドや展開だったと思うんですよ。さっきのレビューでサウンドの具体的な類似例を持ち出したのは、そこのところをクリアーにするためです。

それに、じゃあ演奏を取っ払って歌モノとして聴いてみれば、こちらも一貫してキャッチー。記憶に引っ掛かるのはエキセントリックさではなく、そのノスタルジックぶりの方でしょ?これはまあ、EP時点で分かっていたことではありますが。

そして最も大事なのが、作品全体としての聴かせ方ですね。タイトル・ナンバーから始めて、エンディングでその歌詞が再登場し、アルバム・タイトルの独白で締め括る……この起点と終点をとにかく印象づけるやり口っていうのが、いやはや実にあざとい。それをブーストするために、さっき触れた1曲目でのヴォーカルの違和感が機能してると思っています。1曲目のこと忘れられたら、この仕掛けに意味はない訳ですからね。

これ、言っちゃえばアレですよ。アニメの最終回でタイトル回収して、しかも作中で主題歌が流れるやつ男の子が一番好きなアレです。あるいは、もうちょっと弊ブログらしく言い換えるなら、『Ziggy Stardust』的。極めて明示的なフィナーレであり、ストーリーやコンセプトのこれ以上ない親切な説明です。

こういうのがちゃんとウケるの、なんかいいですね。個人的には、バンド・ミュージックってこれくらい分かりやすいものであってほしいので。デケエ音でギター鳴っててメロいいなら、それでいいじゃん?みたいなね。そういう、ひょっとすると軽んじられがちなロックのある一側面をバカ正直にやり切った1枚として、すこぶる好感が持てます。

そして、このベタっぷりが誘発するもう1つのテクスチャ。それが「青さ」ですね。『kimi wo omitte iru』も舞台設定からして青い訳でしたが、本作でその痛いくらいの瑞々しさはより鮮烈になっています。

東堂葵ではないですが、このアルバムを聴いている46分間、私の脳裏には存在しない記憶が絶えず過っていました。私はこのジャケットの女の子と高校生の時にきっと同じクラスで、多分ライヴとかにも一緒に何回か行ってて、でも今は疎遠になっているはず。男子校出身者にこの偽りの記憶植え付けてくるの、えげつねえですよ。甘酸っぱさと残酷さで脳が壊れるかと思った。

そう、これこそ本作最大の魅力なんですよね。どうしようもなく青春なんです。少なくとも、ある人々にとって。それは実際の経験や世代や環境がどうこうということではなく、精神のありようとしての話ですよ。かつてParannoul『To See The Next Part Of Dream』で見せてくれた危うい輝きとひどく近いものがあると思っています。

これを青春ど真ん中の10代で聴ける人たちが本当に羨ましいですね。きっと彼ら彼女らにとって、このアルバムはあの日々のサウンドトラックとして生涯大切なものになると思うんです。30年ほど前に『スリーアウトチェンジ』を抱きしめていた、今の40代の皆さんと同じように。

私にはありありと浮かびますよ、20〜30年経って、Xで「俺の若い頃にはkurayamisakaってバンドがいて〜」と鼻息荒く語る人々の姿が。そういうのが若干のめんどくささを内包しているのは事実として、でも風化させないというのは大事なことなので。それに、そういう作品が時の試練を超えて「名盤」の格を纏っていくんだと思います。

で、この作品に対するコメントや感想が案の定水曜日以降爆発的にネットに出回った訳ですが(偉大なりやSNS文化)、そこに対する、いわゆる「冷笑」も付随して見受けられた印象があります。ポエミーだのイタいだの、そんな感じのね。

私に言わせれば、これを聴いてポエミーにならぬ方が無作法というものです。ここまで青臭いアルバムへのメンションが青臭いものになるのは当たり前のことですよ。そして、「これは俺の、私の音楽なんだ!」という感動を素直に出力するのは何より尊いし、それが四角四面な文章になる方がよっぽど気取ってさえいる。

なので私はハッキリ言って、ここしばらくの「『kurayamisaka yori ai wo komete』はシューゲイザーか否か問題」には辟易としてます。これがシューゲイズだろうとなんだろうと、いいもんはいいんだからそれでいいじゃん。少なくとも、このアルバムに挑む時の態度としてはこれくらい無邪気でいいはずなんです。

……とはいえ、私も「『狂気』ってプログレじゃないですよね?」という投稿してますので。そういうジャンルに関する議論が無意味とは思いませんよ。音楽への理解や心の中での配置の際に整理整頓がつきやすいし(本質ではないですから、あくまで整理整頓までです)、それが思わぬ未知の作品に繋がることだってありますから。

それでも、このアルバムに対するコメントは、もっとアツくてもっとイタくて、そしてもっと愛おしいものであってほしいです。主語をデカくしますが、ロックってアツいものだし、イタイものだし、愛おしいものなので。

ということで、こういう風なことを書いた手前、私もキチンと青臭く締めましょう。多分みんな思いついた上で、ベタすぎてやってないと思うんですが、この作品に敬意を払うならばそれくらいやっていいでしょうからね。この傑作に心から感謝して、私ピエールより。

kurayamisaka e ai wo komete

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