スポンサーリンク

1970年代の洋楽史を徹底解説!§2. プログレッシヴ・ロック〜ロックの芸術性と前衛性、その極致〜

Pocket

前回に引き続き、今回も1970年代の洋楽史の解説です。

今回見ていくのはプログレッシヴ・ロックについて。

個人的にかなり愛着の深いジャンルで、過去に何度となくテーマとして扱ってきたものです。以前にはプログレッシヴ・ロックの50枚の名盤をレコメンドするnote記事を投稿したほど。

50枚deマスター! プログレッシヴ・ロック編|ピエール
こんにちは。ピエールと申します。Twitter(@pierre_review)では毎日名盤レビューを、ブログ()では音楽関係の記事を投稿している、一介のしがない音楽ファンです。 ブログの人気企画に「5枚de入門!」というシリーズがありまして。ある音楽ジャンルの入門に是非とも聴いてほしいアルバムを、極めてベタなチョイス...

現在でこそその影響力や文化圏はかなり衰退していますが、1970年代という時代においてこの音楽性が持つ意義や存在感は決して軽んじていいものではありません。

むしろ時代性を象徴するムーヴメントとして、重要な意味を持つ音楽性と認識すべきだとすら私は認識しています。

今回はこの難解極まる音楽の歴史的意義やその動向について見ていきましょう。それでは参ります。

サイケデリック・ロックで生まれた芸術性の志向

まずはプログレッシヴ・ロックの始点となる歴史の動きに関して。

ここでも前回のハード・ロック同様、サイケデリック・ロックが登場します。

確認しておくと、ドラッグによって拡張された精神、そして録音技術やポピュラー音楽の表現の発展、これらがサイケデリック・ロックの意義だと定義づけることができます。

その中で、より芸術的なロックを目指す一派が登場するのです。

たとえばプロコル・ハルム。1960年代を代表するヒット曲、『青い影』で知られる彼らですが、当時最先端の電子楽器であるシンセサイザーを大々的に導入し、ブルースの手法を取り入れつつもより未来的なサウンドを提示します。

A Whiter Shade of Pale
大ヒットを記録したプロコル・ハルムの名曲『青い影』。バッハの『G線上のアリア』に着想を得たとされ、ジョン・レノンのような同時代のアーティストをはじめ、ここ日本でも山下達郎や荒井由実といった音楽家に影響を与えた時代を代表する楽曲です。

あるいは同時代に活躍したムーディー・ブルースは、オーケストラとの共演を試みます。オーケストラの導入自体はザ・ビートルズの諸作にも見られますが、彼らはシンフォニックなクラシック音楽のモードをそのまま採用した点が先駆的と評価できるでしょう。

Nights In White Satin
プログレッシヴ・ロック最初期の名盤とされる『デイズ・オブ・フューチャー・パスト』より『サテンの夜』。本作ではオーケストラとの共演に挑戦し、シンフォニックなロックの草分け的な作品として評価されています。

こうしたアーティストは、当時「プログレッシヴ・ロック」というカテゴリが存在しなかったため、あくまでもサイケデリック・ロックとして、あるいはアート・ロックのような枠組みで語られます。

しかし彼らの挑戦がプログレッシヴ・ロックの成立に大いに貢献したことは疑いようのない事実。今日では彼らの音楽を「プロト・プログレッシヴ・ロック」とも言いますが、まさにこの表現が適切ではないかと思います。

プログレッシヴ・ロックを定義した、キング・クリムゾン

さて、サイケデリック・ロックから発展してプログレッシヴ・ロックの源流が生まれたことはお話した通りですが、現在における「プログレッシヴ・ロック」の音楽性を突如として定義する存在が現れます。

彼らの名は、キング・クリムゾン

King Crimson – 21st Century Schizoid Man (Including "Mirrors")
処女作『クリムゾン・キングの宮殿』の序曲『21世紀の精神異常者』。サックスとギターによる凶悪なイントロ、ファズで執拗に加工したヴォーカル、ジャズ的な即興演奏、そのどれもが新奇なサウンドで、正に「プログレッシヴ」です。

1969年にアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』で彗星の如くデビューした彼らは、ブリティッシュ・ロックにおける特異点。同年に発表されたザ・ビートルズの『アビー・ロード』を蹴落としてチャート1位を獲得したというのは今でも語り草です。

ただ、この企画はあくまで歴史解説ですので、重箱の隅をつつくようですが注意を加えておきます。キング・クリムゾンの1stがチャート1位を獲得した史実はなく、このエピソードは後に生まれた偽史なのです。それほどにこの作品が衝撃的だったという理解は決して間違いではないのですが。

(余談ですが『クリムゾン・キングの宮殿』に関しては個別でディスク・レビューを以前敢行しています。そちらも合わせてどうぞ。)

そして、この虚構は1970年代の到来の象徴でもあると私は評価しています。

1960年代におけるポピュラー音楽の頂点であるザ・ビートルズの集大成、それを極めて進歩的な無名バンドの1stが乗り越えるという図式。これこそ、§0.でお話した「開花の季節」である1970年代の歴史的意義そのものと言えるのではないかと。

ここで今更な感もありますが、プログレッシヴ・ロックを音楽的に解読していきましょう。

第一に、ロックという新興文化(ザ・ビートルズの登場からキング・クリムゾンのデビューまで、驚くべきことに7年しか経過していないのです)と他ジャンルの融合が挙げられます。

前回ディープ・パープルに言及した際にも、このバンドがロックにクラシック音楽の手法を導入したとお話しましたが、プログレッシヴ・ロックでのこうした吸収はより直接的かつ大々的。

ヴァイオリンフルートといったクラシック音楽の楽器が登場することは珍しいことではなく、楽曲によっては組曲の体裁を取り複数の楽章によって展開される例もしばしばです。

Atom Heart Mother Suite
ピンク・フロイドがプログレッシヴ・ロックを導入した最初期の名盤『原子心母』の表題曲は、外部の作曲家やオーケストラを招聘したシンフォニック・ロックの代表的作品です。余談ですが、「プログレッシヴ・ロック」の語源は本作の日本盤の帯の記述「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」に由来しています。

また、クラシック音楽と並んでジャズのエッセンスも重要。ブルース由来のジャム的な即興演奏はハード・ロックをはじめ様々なロックにおいて踏襲されていますが、プログレッシヴ・ロックの即興性はジャズのアドリブ・ソロにより類似しています。

そして、「アルバム文化」の中で醸成された文化であることもプログレッシヴ・ロックの個性と言えます。

これも同時代のロック全般に共通する特質ではありますが、クラシックやジャズのモードを取り入れたこのジャンルにおいてシングル性の高い楽曲というのは稀。LPレコードの全てをもって1枚の作品とする意識が多くのバンドに共通し、アルバムに1曲のみの収録というのもままあります。

Tubular Bells (Pt. I)
マイク・オールドフィールドの傑作『チューブラー・ベルズ』。映画『エクソシスト』での使用でも有名ですが、本作は2部に分かれた壮大な1曲のみを収めた、プログレッシヴ・ロックの大作主義の顕著な例の1つ。

作品の主題が深遠なものであったり、あるいは物語めいたものであったりするのは、この「アルバム文化」の中でプログレッシヴ・ロックが発展したからこそ。

他ジャンルを大いに参照しつつも、あくまでロックの進歩の歴史に連なるのがプログレッシヴ・ロックです。同じくロックとジャズの融合であるフュージョンと一線を画しているのはそういった部分ではないでしょうか。

プログレッシヴ・ロックの商業的成功

キング・クリムゾンによってプログレッシヴ・ロックが定義された後、イギリスを中心としたヨーロッパでこのジャンルは流行を見せます。

ムーヴメントの旗印となったのは、キング・クリムゾンピンク・フロイドイエスエマーソン・レイク・アンド・パーマーELP)、ジェネシスといったバンド。この5つのバンドを日本では「プログレ5大バンド」とも呼称します。

(「5大バンド」のそれぞれに関する詳細な説明は割愛しますが、こちらの記事でバンドの代表作を紹介しています。こちらも合わせてご覧ください。)

興味深いことに、プログレッシヴ・ロックは非常に難解で高尚な音楽性でありながら、商業的な成功を収めています。

その顕著な例として挙げられるのが、ピンク・フロイドの最高作と名高い『狂気』。作品の名前そのものは、§0.でも取り上げました。

Eclipse
ピンク・フロイドの大名作『狂気』は、「人間の内側に潜む狂気」を”The Dark Side Of The Moon”(月の裏側)になぞらえ、楽曲毎に人間の闇を描出するコンセプト・アルバムです。楽曲間はシームレスに接続され、アルバム作品の金字塔として歴史に名を残す傑作。

この『狂気』はポピュラー音楽史においても類い稀なヒット作として有名で、ビルボードTOP200に実に15年に渡ってチャート・インしています。

この事実は歴史解説の観点において注目すべきものだと私は認識しています。確かに『狂気』は素晴らしい名盤で、その評価は揺るぎないものですが、果たしてそれだけで史上有数のメガ・ヒットを記録するとは考えにくい。同時代には他にも優れた名盤は存在するのですから。

第一に、本作のヒットは以降扱うことになる「ロックの商業化」と密接に関わり合っています。

消費財としてのポピュラー音楽が円熟期に達し、売上やライヴのスケールがかつてないほど巨大になっていく一連のうねりのただ中に、プログレッシヴ・ロックはあったのです。

また、「アルバム文化」の浸透も重要な要因です。

プログレッシヴ・ロックはアルバムでの発表を主体とした音楽性ですが、そうした美学は単にアーティストの主張ではなく、聴衆にとっても了解済みのものでした。

これはロックが娯楽ではなく、作品としてのある種の格調を獲得したという事実を示しています。アルバムというフォーマットによって構築された音楽作品、その意識が『サージェント・ペパーズ』の絶賛から時の試練を経て、聴き手の側にも理解されているということ。

そう、プログレッシヴ・ロックとは時代と共鳴して成功を収めたのです。

今日においてこのジャンルが全盛期ほどの勢いを持たないのは、その時代の空気を失ってしまったから、そう解釈してもいいのではないでしょうか。

ドイツの前衛音楽シーン=クラウトロック

さて、ここで一度視点をドーバー海峡の向こう側、ヨーロッパ本土に向けていきましょう。

プログレッシヴ・ロックに特有な傾向として、アメリカでは積極的な発展を見せなかった一方、欧州圏では非常にポピュラーな音楽性だったというものが挙げられます。

プログレッシヴ・ロックの重要な要素であるクラシック音楽はヨーロッパ文化圏における土着的音楽ですし、アメリカ以上にヨーロッパにおいて親和性が高いのは自然な流れと言えるでしょう。

その中でも特筆しておきたいのが、ドイツ(当時は西ドイツ)のプログレッシヴ・ロック。

かの地ではプログレッシヴ・ロックの勃興以前から独自に前衛的な音楽を模索するシーンが広がっていましたが、プログレッシヴ・ロックの世界的認知と共に注目を集めるようになります。

このドイツの前衛音楽シーンを「クラウトロック」と呼称しますが、個別の名称が存在することが示す通り、プログレッシヴ・ロック全般と区別して考える必要があります。その理由は、このシーンが与えた後進への影響を見ていけば理解できるでしょう。

例えばカン。日本人にとってはダモ鈴木という邦人メンバーが所属していたことでも有名ですが、彼らの諸作は1980年代以降のニュー・ウェイヴ、あるいは1990年代のオルタナティヴ・ロックに接続できる内容です。

Can – Spoon (Official Audio)
カンの名曲『スプーン』。プログレッシヴ・ロックの一角でもあるカンの音楽性は、ピッチフォークのようなオルタナティヴ/インディーに好意的なメディアからも高く評価され、以降のアーティスティックなバンドは彼らからの影響を公言することが少なくありません。

あるいはファウスト。このバンドが打ち出したノイズ・サウンドは、後のインダストリアル・ロックノイズ・ミュージックに直接の影響を与えています。

Krautrock (2006 Digital Remaster)
ファウストの4作目の冒頭を飾る大作、その名も『クラウトロック』。この曲で聴くことのできる無機質で冷酷なノイズは、ナイン・インチ・ネイルズや灰野敬二といった後続の音楽家に参照されています。かなりニッチな影響であることは否定できませんが、前衛音楽の先達としての意義は大いにあるでしょう。

そしてクラフトワーク。彼らは「電子音楽のビートルズ」とまで称される重要なグループですが、その渾名の通り彼らの作品はテクノハウスといった電子音楽のルーツとなっています。

Autobahn (2009 Remaster)
ここで紹介した『アウトバーン』は多分にプログレッシヴ・ロック的な作品ですが、後の『人間解体』や『コンピューター・ワールド』で彼らはテクノ・ポップを創始します。同時期に日本でYMOが登場したことと合わせ、電子音楽の発展の中で重要な意味を持つ存在です。

こうした例から分かるように、クラウトロックの存在感はむしろ後続のシーンと紐づけて語ることでその真価を発揮します。ある種ガラパゴス的に発展したプログレッシヴ・ロック全般とは、やはり性質が異なるのです。

とはいえ、このクラウトロックも「ロックの芸術性、革新性の追究」という文脈で語るべきムーヴメント。

そしてその追究が聴き手に受け入れられたからこそ、彼らの音楽は大成功とは言わないまでも一定の評価を受け、後世にまで語られ、その影響下にあるサウンドが開花したのです。

まとめ

今回のまとめに移りましょう。

  • サイケデリック・ロックの流行の中で、より芸術的で先進的なロックを志向するプロコル・ハルムやムーディー・ブルースが登場。プログレッシヴ・ロックの礎を築く。
  • キング・クリムゾンが1969年に『クリムゾン・キングの宮殿』デビュー。一般的な「プログレッシヴ・ロック」の音楽性を確立し、シーンの形成に大きな貢献を果たす。
  • 以降、「プログレ5大バンド」を筆頭に、イギリスを中心としたヨーロッパ圏でプログレッシヴ・ロックは盛んに展開される。
  • 西ドイツにおけるクラウトロックのシーンは、プログレッシヴ・ロックの流行と足並みを揃える形で発展した一方で、より特殊な形態によって後進に影響を及ぼす音楽性である。

本文でも語りましたが、このプログレッシヴ・ロックという音楽性とその流行は、1970年代冒頭のロックの多様化や受容の歴史の中で、ともすればどのジャンルよりも注目すべき動向です。

明らかに難解で、大衆的とは言えない音楽が商業的にも成功し、勢力が拡大した。この事実は、どこまでも1970年代に特有な傾向ですから。

もっとも、こうした動向は数年後に強烈なしっぺ返しを食らうことにもなるのですが……それについてはもう少し先で。

さて、次回はハード・ロック、プログレッシヴ・ロックと並んでブリティッシュ・ロックのシーンで三つ巴の様相を呈していたグラム・ロックについて見ていきます。それでは、「グラム・ロック〜ショーアップされゆくロックの狂乱〜」でお会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました