スポンサーリンク

1970年代の洋楽を徹底解説!§1. 3大ギタリストとハード・ロック 〜ギター小僧のゴールデン・エイジ〜

Pocket

今回から1970年代解説もいよいよ本番、時代の流れに沿って歴史を一望していくこととしましょう。

今回テーマにしていくのは、「ロック・ギター」です。

クラプトンペイジベックブラックモア彼らが何故史上最高峰のギタリストとされるのか?そういう観点から1970年代初頭のロックの巨大なうねりを見ていければと思います。それでは参りましょう。

ブルース直系のロック・ギターの成立

さて、ロック・ギターについて触れるならば、まずはブルースの話をしておくべきでしょう。

今日のポピュラー音楽の祖と言ってもいいブルースですが、その影響がロックの世界で支配的になっていったのは実際には1960年代後半に入ってからです。

端的な例を出すならば、「英国侵略」(この話題は1960年代編の§2.で解説しています)のバンド群、一般に「イギリス4大バンド」とされる4組のうち、ブルースからの影響を音楽性で明確に打ち出していたのはザ・ローリング・ストーンズだけ。

当然ザ・ビートルズやザ・フー、ザ・キンクスもブルースをルーツの1つとしていることは事実ではある一方、彼らはより現代的(1960年代前半における「現代」である点は留意が必要です)な音楽であるロックンロールを志向していました。

その中、イギリスのロック・カルチャーでブルースに根ざしたロックを展開していたバンドが、ザ・ヤードバーズ「3大ギタリスト」がもれなく所属していたバンドとしても有名です。

Too Much Monkey Business (Live at the Marquee Club, 1964 – 2015 Remaster)
ザ・ヤードバーズのデビュー・ライヴ・アルバムより、C・ベリーのカバー『トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス』。ブルースの発展形であるロックンロールのカバーですが、クラプトンの硬質なギター・プレイは既に彼がブルースに由来するロック・ギターの雛形を確立しつつあったことを示しています。

そしてこのザ・ヤードバーズの2代目ギタリストこそ、かのエリック・クラプトン。白人ギタリストの中では、最も先駆的にして最も深い部分までブルースを理解できていた人物ではないでしょうか。

ブルースの感覚というのはアフリカン・アメリカン特有のもので、あのストーンズですら「プラスチック・ソウル(まがいもののソウル)」と揶揄されていました。その中にあって、クラプトンは相当にブルースの真髄に接近していたと言えるでしょう。

このように、ブルース・ロックが人口に膾炙する布石は既にあったと言えますが、決定打となる存在が彗星の如く音楽史に登場します。その男の名は、ジミ・ヘンドリックス

Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival) (Digital Video)
2ndシングル『紫のけむり』のライヴ・テイク。サイケデリック・ロックの特色である退廃のエッセンスこそありますが、ヘンドリックスのギターはサウンド、プレイの両面において旧来のものと全くの異質。宇宙的なプレイは、ロック・ギターにおけるパガニーニと言えます。

白人を中心に構築されてきた60年代UKシーンに、アメリカの黒人、それもブルースのなんたるかを完全に知り尽くし、そして他のギタリストが束になっても敵わない圧倒的な才能を持った人物が乗り込んできたことでブルースの熱は一気に加速します。

ヘンドリックスや同時期にクラプトンが在籍したクリームは、このブルース由来の骨太なロックに爆音のサウンドと激しいバンド・サウンドを追加することを発明します。

Crossroads
以前にも紹介しましたが再度クリームによる『クロスロード』の名カバーを。オリジナルはあのロバート・ジョンソンですが、完全にロックとしてアグレッシヴなナンバーに再構築し、時代性を反映しつつ先進性を示しています。

これが今回の最重要トピック、ハード・ロックの原点です。

(なお、ここまでに見た内容は1960年代編の§5.と一部重複しています。この時代そのものの歩みを確認したい方はそちらもあわせてお読みください。)

レッド・ツェッペリンとジェフ・ベック・グループ

さて、話を一旦ザ・ヤードバーズに戻しましょう。

クラプトンが抜けた後のヤードバーズに後任ギタリストとして加入したのがジェフ・ベック。同時にベーシストとしてジミー・ペイジも加入し、ほどなくしてベックとペイジのツイン・リード体制になります。

ただ、ベックもすぐにバンドを脱退してしまいます。その後もメンバー・チェンジが激しく、バンドはほとんど空中分解状態でした。

その中、「新生ヤードバーズ」の結成に乗り出したのがペイジです。彼は腕利きのセッション・ベーシストと、無名のシンガーとドラマーを集めます。

「新生ヤードバーズ」はほどなくしてバンド名を改め、正真正銘新しいバンドとしてキャリアを進める訳ですが、このバンドこそ、あのレッド・ツェッペリン

ヘンドリックスやクリームが生み出した雛形を、見事「ハード・ロック」というフォーマットに昇華したのが他でもない彼ら。

Communication Breakdown (Remaster)
1stアルバムから『コミュニケーション・ブレイクダウン』。過激なギター・ソロやロバート・プラントの破壊的なダブル・ボーカルは、それまでの「ブルース・ロック」から大きく飛躍したものです。最高作と名高い『IV』に並んで1stが最重要作品とみなされるのは、この飛躍に理由があるでしょう。

また、かつてのバンドメイトだったジェフ・ベックも新たなプロジェクトをスタートさせます。ロッド・スチュアートをヴォーカルに迎え、自身の名を冠したジェフ・ベック・グループを結成。

I Ain't Superstitious (2005 Remaster)
ZEPの1stより先んじて発表されたジェフ・ベック・グループのデビュー・アルバムより。ハードなサウンドでこそあるものの、ワウ・ギターや緩やかなビートはブルースを非常に丁寧にロックナイズしている印象を受けます。

さて、両者のデビューはほぼ同時期、むしろジェフ・ベック・グループの方が早い一方で、ロックの歴史の中でハード・ロックの祖とされるのはほとんどの場合ツェッペリンです。

両者のセールス的な格差もその要因の1つには挙げられるでしょうが、私がここで指摘しておきたいのはギターのみではない、バンド総体としてのパッケージの差異

ジョン・ボーナムは紛れもなくロック・ドラムの最高峰ですし、ロバート・プラントはハード・ロックの歌唱における原点にして頂点といった貫禄。ジョン・P・ジョーンズもベース・プレイだけでなくアレンジメントやマルチ・プレイの才によって存在を主張しています。

こうしたバンド全体としての才能の巨大さ、これはそれこそザ・ビートルズにも匹敵し得るものです。それ故に、彼らはハード・ロック最大の偉人なのでしょう。

3大ギタリストの活躍

さて、こうして見事ZEPがハード・ロックの祖となり、ザ・ビートルズ解散後空席だったロックの王の玉座についた訳ですが、ここで3大ギタリストの歩みについて見ておきましょう。

ジミー・ペイジ〜ハード・ロックの王者として〜

まずはジミー・ペイジ。言うまでもなく彼はレッド・ツェッペリンの中で数々の革新を生む訳ですが、彼の音楽において指摘しておきたいのが吸収したジャンルの多彩さ

ブルースは当然のこととして、フォークケルト音楽、あるいはファンクといった多様な音楽性を彼はハード・ロックの中に落とし込んでいきました。

Stairway to Heaven (Sunset Sound Mix)
ZEPの最高傑作と謳われる4thより、不朽の名曲『天国への階段』。叙情的に開幕しつつもクライマックスに向け白熱する展開はロックの大作の典型と言えます。一方で静謐な前半部には、ケルト民謡の影響を色濃く感じられます。

これは同時代に巻き起こったポピュラー音楽の多様化と足並みを揃える格好ですが、それをあくまで「ハード・ロック」というフォーマットで表現したことの意義は大きいと考えていいでしょう。

エリック・クラプトン〜白人ブルースの限界への挑戦〜

次に見ていくのはエリック・クラプトン。彼はザ・ヤードバーズ脱退の段階でかなり強くブルースを志向していましたが、以降もそのスタイルは一貫しています。

クリームでの活躍は先に見た通りとして、クリーム解散後のブラインド・フェイスでも引き続きブルース・ギターを探求しています。

そしてその後結成したデレク・アンド・ザ・ドミノスでは、よりアメリカンなサウンドに接近。

バンド唯一のアルバムとなった『いとしのレイラ』には、オールマン・ブラザーズ・バンドの名物ギタリスト、デュアン・オールマンが全面的に参加。ブルースの故郷、アメリカの感性とイギリス人によるブルースの究極が共演したこの作品はロック・ギターの聖典とみなされています。

Layla
デレク・アンド・ザ・ドミノスの唯一作から『いとしのレイラ』。あまりに有名なギター・リフや楽曲中盤のギター・ソロはロック・ギター全盛の時代に相応しい名演です。清涼感溢れる優美なピアノによるコーダにも、クラプトンがアメリカの音楽に接近していた影響が見て取れます。

クラプトンは1970年代のロックの躍進においてペイジとベックほどの存在感を見せていませんが、それは彼がルーツ・ミュージックであるブルースの追求に終始したからです。

ジェフ・ベック〜ハード・ロックからフュージョンへ、華麗なる転身〜

最後に見ていくのはジェフ・ベック。

ソロ・キャリアの最初期にはブルース由来のハード・ロックを展開していましたが、70’s中盤頃になるとそこからフュージョンへと方向転換していきます。

Cause We've Ended as Lovers
ギター・インストゥルメンタルの傑作とされるフュージョン期の名盤『ブロウ・バイ・ブロウ』に収められた『哀しみの恋人達』。ここまでに紹介してきた「ロック・ギター」とは質感を異にするものの、ギターによる表現での進歩的な一例として重要な楽曲。

フュージョンに関しては別の機会に譲るとして、ここでは一旦「ジャズとロックの融合」とだけ説明しておきます。

当然ブルース由来のギター・プレイは堪能できるものの、そこからより成熟した、ナチュラルなサウンドによってロック・ギターの可能性を拡張しました。

またこの時期にはスティーヴィー・ワンダーとの親交もあり、ソウル/R&Bやファンクのムーヴメントにも呼応しようとした足跡が見て取れます。

このジェフ・ベックの歩みも、初期ジェフ・ベック・グループがハード・ロックの祖として認められない要因の1つかもしれません。ジェフ・ベックのキャリアにおける成熟期が、ハード・ロックとは質感の異なるフュージョンだったのですから。

ハード・ロックの大躍進

さて、話をハード・ロックに戻しましょう。

ここまでに説明した内容でおわかりいただけるように、必ずしも3大ギタリストはハード・ロックという分野に終始したものではありません。

最もハード・ロック的であるレッド・ツェッペリンですら、必ずしもハード・ロックとは言えないサウンドを展開した例が多くありますから。

D'yer Mak'er (Remaster)
『IV』で創作のピークに達したツェッペリンが実験的なサウンドを試みた意欲作『聖なる館』より『デジャ・メイク・ハー』。ジャマイカをもじったタイトルから察せられるようにレゲエの要素を多分に盛り込んだ楽曲で、彼らの音楽性が単なるハード・ロックでないことを象徴しています。

ここからは、より直接的にハード・ロックのイメージに符合する、1970年代のロック・ギターを彩ったバンドについて見ていきましょう。

そして、ここからはUKUSに分けて話を進めていきます。

というのも、同時代に流行したプログレッシヴ・ロックグラム・ロックというのは、あくまでイギリスを中心としたヨーロッパ諸国で盛んに展開された一方、アメリカにおいて自発的に発展したムーヴメントではありません。

しかしハード・ロックはそれらと異なり、個性の違いこそあれどアメリカ、イギリス両国において支配的な音楽性でした。

この点は、やはりハード・ロックの根幹にブルースの存在があるのが大きな要因でしょう。なにせアメリカはブルース発祥の地。当然、ハード・ロックの発展に必要な条件は満たしていると言えるのですから。

ブリティッシュ・ハード・ロック

最初にご紹介するのはディープ・パープル。こと日本においてはレッド・ツェッペリンと人気を二分するハード・ロック・バンドです。

Highway Star
傑作『マシーンヘッド』の冒頭を飾るキラー・チューン『ハイウェイ・スター』。間奏のキーボードとギターのソロはアドリブによるジャム・セッション的なものではなく、計算され尽くされたロジカルな展開を見せます。

ブルースを原点としたハード・ロックが「白人的」、あるいは「西洋的」な音楽性へ移り変わっていったことは事実としてありますが、その最初期の一例こそがディープ・パープルと言えます。

バンドの総帥であるギタリストのリッチー・ブラックモアは、ブルース・フィーリングが支配的なロック・ギターにクラシック音楽の理論を導入します。クラシック音楽はまさしく西洋的音楽ですから、この試みは非常に重要です。

同時に彼は単純なプレイの速度だけならば当代並び立つ者がいないほどのテクニックの持ち主で、ロック・ギターの高速化という観点からも重要でしょう。

また、メタルのルーツとしてのハード・ロックであれば、ブラック・サバスは最重要アーティストです。

Into the Void (2009 – Remaster)
3rdアルバム『マスター・オブ・リアリティ』のラスト・トラック『イントゥ・ザ・ヴォイド』。リズムの重さに加えて指摘したいのが、本作からT・アイオミが導入した1音半下げのチューニング。いっそうヘヴィで地を這うようなサウンドはメタルへの影響力が絶大です。

彼らはあくまでブルースを基調にしてはいますが、そこにホラー的世界観を取り入れた点が特徴的。その世界観に寄り添うように、サウンドは非常にヘヴィです。

ハード・ロックがポピュラー音楽の通史の中でひときわ巨大な存在感を放つのは、単に商業的に成功したからだけでなく、メタルやグランジといった後続のムーヴメントの直接的ルーツであるという理由も多分にあります。

また、より叙情性を強めた例であればユーライア・ヒープウィッシュボーン・アッシュ、メタルからの支持であればバッジー、ブルース色の強いサウンドならばバッド・カンパニーと、この時代のUKハード・ロックは非常に多彩かつ魅力的な才能が多く登場しています。

July Morning (2017 – Remaster)
ユーライア・ヒープの傑作『対自核』より『七月の朝』。この作品はプログレッシヴ・ロックの名盤として紹介されることも多く、この時代におけるロック・シーンにジャンルによる分断がなく、多角的な相互作用によって発展してきたことを裏付ける証拠の1つです。
Bad Company – Can't Get Enough (Official Audio)
ポール・ロジャース率いるバッド・カンパニーのヒット曲『キャント・ゲット・イナフ』。ブルージーなこの楽曲が本国イギリス以上にアメリカでヒットした事実は、両国の音楽的土壌の違いを感じられる好例と言えるでしょう。

アメリカン・ハード・ロック

ブリティッシュ・ハード・ロックと比較して、アメリカン・ハード・ロックはより大きなスケール直接的なブルースの影響、そういったものを特徴としています。

その先駆けとして評価すべきは、グランド・ファンク・レイルロードマウンテン。どちらもより泥臭く、マッチョなハード・ロックを展開しています。これこそ、アメリカン・ハード・ロックの典型でしょう。

We're An American Band (Remastered 2002)
USハード・ロックの雄、グランド・ファンク・レイルロードの代表曲、その名も『アメリカン・バンド』。カウベルによる個性的なイントロから一挙に展開される濃厚な熱量は、象徴的なタイトル以上にアメリカンです。

また、ハード・ロックという表現からはやや離れますが、オールマン・ブラザーズ・バンドレーナード・スキナードといったサザン・ロックにおいてもギターの存在感は大きく、ロック・ギターの歴史において非常に重要。

Free Bird
レーナード・スキナードの名曲『フリー・バード』。アメリカ西部の乾いた風を感じさせる爽快なサウンドはサザン・ロックの典型で、ある意味ではザ・ビーチ・ボーイズに端を発し、イーグルスに引き継がれるロックの伝統の1つと評価できます。

少し時代を下れば、エアロスミスキッスといった日本でも有名なロック・バンドが登場します。彼らはアメリカン・ハード・ロックのスケール感をそのままに、より大衆的に、よりキャッチーなハード・ロックを展開することで商業的成功をも勝ち取っていきます。

Detroit Rock City
キッスの代表曲『デトロイト・ロック・シティ』。白塗りのメイクに火を噴くステージ・パフォーマンスで人気を博した彼らは、エンターテイメントとしてのロックを語る上で避けては通れません。後のセクションでも彼らの功績は触れることになるでしょう。

まとめ

さて、今回の内容の総括に移りましょう。

  • 1960年代中期にかけて、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスやクリームが展開した大音量のロック、そしてブルースに根ざしたギター・プレイがハード・ロックの原型を構築。
  • その流れを受け、イギリスでレッド・ツェッペリンやジェフ・ベック・グループがハード・ロックを成立させる。
  • イギリスで成立したハード・ロックはイギリス国内のみならず、ブルース発祥の地アメリカにおいても人気を博し、音楽大国である2国において盛んに発展を見せる。

このような文脈です。

既に触れたことですが、ハード・ロックは後にメタルとして1980年代以降もポピュラー音楽発展の重要な骨子となる音楽性ですし、1990年代にニルヴァーナを筆頭に展開されたグランジにおいても影響力は絶大。

また、現代においてもロックにおけるギターの存在感は強烈なものがありますが、その「ロック≒ギター」という図式にはハード・ロックが大いに貢献しています。

また、次回以降解説していく他のロックのサブ・ジャンルとの相互作用の観点からもやはりこの背景は見過ごせないでしょう。くどいようですが、歴史とはあくまで縦と横、双方の連続性による営みですから。

次回はハード・ロックと並び1970年代初頭に一大ムーヴメントを巻き起こしたプログレッシヴ・ロックについて語っていきます。個人的に並々ならぬ愛着を持つかのジャンル、いったいポピュラー音楽の歴史の中ではいかなる意義を持つ存在なのか。その解説になるかと。

それでは次回、「プログレッシヴ・ロック〜ロックの芸術性と前衛性、その極致〜」でお会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました